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[看破]

 夜が幾ら更けようとも、ナーギニーは睡眠を欲しないほど心が楽しんでいた。元々手先が器用なのか、シュリーの教え方が手慣れているのか、刺繍も舞踊も淀みなく彼女の一部となっていった。白い布が少しずつ色糸を(まと)いながら、脳内に映し出された絵画を描いていく。手拍子でリズムの取られた身体の動きが、徐々に物語を紡いでいく。恋しい気持ちが奏でる陰陽の表情は、既にそれを知った少女には、もう難しい表現ではなかった。


 シュリーが止めなければ、朝を迎えてしまいそうな勢いだった。それをどうにか押し留め寝台に(いざな)う。「続きは明日ね」そう諭して髪と頬を撫で、シュリーもまた名残惜しそうに、ナーギニーの部屋を後にした。


 四日目となった翌朝も日課となった全てを終え、この度は一昨日仕立ててもらった薄翠色のハーフサリーを身に纏った。


 リスは一層(なつ)いたらしく、ついにはナーギニーの掌からバナナの欠片(カケラ)を受け取った。朝食と共に現れたシュリーは、ハーフサリーを飾るアクセサリーの中に、「ブラウスの中に身に着けると良いわ」と助言を与えながら、サファイアの指輪を通す為の金のネックレスをひっそりと渡した。


 午前は北西の果樹園に(おもむ)き、熟した果実を摘み採るのだという。黒宮の西庭園に集められた少女達は、シャニを中心に談笑を楽しみつつ広大な林へ歩いていった。


 目的の木々の前で一人一人に手提げ籠が渡された。枝から垂れた大きな葉は、良く見れば葉軸から並んで生えた細長い葉の集まりで、その葉群れの向こうに小さな丸い実が鈴なりになっている。まるでナーギニーのハーフサリーを飾る、ペチコートに縫いつけられた淡い翠の硝子(ガラス)玉のよう……それはアムラと呼ばれる万能な果実であった。(註1)


 伝統医学であるアーユルヴェーダにおいても、主となる三つの果実の一つであるが、ナーギニーはその存在を知ってはいても、色のない挿絵でしか見たことがなかった。薄っすらと透けたような果皮の様子は、まさしく宝玉のようだ。ジャムやピクルスに加工され、菓子などにも用いられる実であるが、葉も幹も根も薬効を持つ優れた樹木であった。


「さぁ、お好きなだけ摘みなさい。採った実は後ほど侍女に調理させよう。残った分で薬を作ったら、故郷で待つ家族に土産にすると良い」


 少女達は歓喜の声を上げ、蜘蛛の子を散らすように木洩れ日の間を走り抜けていった。ナーギニーも吊られるように奥の木へ向かう。どの枝にも採り切れないほどの実が膨らんでいて、その重さでしなってしまったようにも見えた。もいだ実は張りがあり、中身はとても豊潤だった。


 目の前の熟した実を採り終えたナーギニーは、それより上の群れに手を伸ばした。が、少しばかり身丈が足りない。諦めて他の枝を探そうと背伸びを戻したところ、その枝が生き物のように自分の(もと)へ垂れてきた。降りてきた右上に視線を上げれば、自分より背の高い少女が「採りなさい」とばかりに枝を掴んでくれていた。


「……あっ、ありがとうございます!」


 慌てて目の前の果実を幾つか摘み採り、お礼を言って深くお辞儀をする。少女は無言で微笑み枝を放した。それから別の木を探しに(きびす)を返してしまったが、初めて親切を受けたナーギニーは、余りの驚きにしばし時を止めてしまった。


 けれど手元の籠が一杯になり、与えられた布の袋へ移す際も、それを従者が用意した馬の荷台に乗せる時も、傍にいた少女の誰かしらが必ず笑顔で手伝いをしてくれたのだ。ナーギニーはその都度呆然としてしまったが、自分を取り戻しては礼を伝え、その度ににこやかな頷きが返された。


 昨日のパレードを笑顔で見送ってくれた群衆といい、今回の少女達といい……明らかな「変化」が訪れていた。この変貌は一体何に依るものなのか? が、原因はともかく、自分は受け入れられたのだという心からの安堵が、少女の胸を撫で下ろした。ナーギニーもその厚意に応えようと、自らも率先して他の少女の手伝いをした。


 アムラ摘みを終え、いつもの如く黒宮上階へ移動する。侍女に連れ立たれた(うたげ)の席は、初回に坐する筈であった王の斜め隣り、最もシャニに近いあの場所であった。そして──


「……こんにちは。アムラは沢山採れましたか?」


 腰掛けた途端に正面より流れくる優しい声音。鼓動が一度だけ強く波打ち、ナーギニーの瞳は長い睫を瞬かせながら上げられた。目の前には微かに戸惑いを示した、あの麗しき微笑みがあった。


「は、はい……お借りした籠に入れられないほど……」


 刹那に頬を赤らめて、再び視線を下げてしまう。まだシャニが席に着いていないとはいえ、他の少女達に気取(けど)られる訳にはいかなかった。


「全員揃ったね? では本日は沢山の収穫を祝って乾杯といこう」


 シャニは毎度の如く(くれない)の液体を掲げ、少女達も琥珀色のグラスを揺らした。どうして今回はイシャーナも招かれたのか ──困惑を隠す唇は、なかなか食事を喉に運んではくれなかった。


「ナーギニー、君は余り外出をしていないようだが、部屋ではどのように過ごしているのかね?」


 以前のように名指しで投げられた質問に、刹那手元が止められた。それでも一息を呑み、ナーギニーは王へ姿勢を正した。


「お部屋にご用意いただきました裁縫道具で、刺繍をさせていただいております。それから舞踊の練習を……」


「そう、それはどちらも興味深い。明後日の最終日は白宮の広間にて、再びの舞踊大会とさせてもらおうか。そうだ……午後は皆に舞踊衣装を仕立ててあげよう」


 全員が歓声を上げ、沢山の拍手が鳴り響いた。今回集められた娘達はナーギニーの地域に限らず、州ごとに行なわれた舞踊大会にて数多(あまた)から選ばれた面々なのだ。これこそが王への最後のアピールになるに違いない。その思惑に少女達の心は色めき立った。


「実は午後の自由時間や夕食の後には、必ず数名のお嬢様方が私の部屋を訪れてくれていてね……本音を言えば、君にも来てほしいと願っていた」


 再び始められた食事の最中、今一度発せられたシャニの言葉は、視界の左右の二人の耳に、否応なく吸い込まれた。


「だが、君が自分の手習いに身を尽くしていたとなれば、そのワガママを強いずに済ませて良かったというものだ……私はてっきり夜空の星を見上げて、私でない誰かに恋焦がれているのかと……嫉妬の炎を燃やしかねずにいたものだからね……」


 ゆっくりとゆっくりと、傾けた(まなこ)の端に入った王の唇は──全てを見通したような淡い微笑を湛えながら、再び紅い液体を呑み干していた──。




[註1]アムラ:上手く描写出来ておりませんが、ネムノキのような葉(詳しくは二回偶数羽状複葉と云うそうです)をしています。実の無料画像が見つからなかったので、掲載出来ずに失礼を致しました。是非検索してみてください。髪にも良いそうで、シャンプーに使われていることもあります。作者も以前偶然にも、シャンプーに混ぜるアムラの液体を使っていたことがありました(笑)。



■ネムノキ

挿絵(By みてみん)



【追記】(2015年掲載時)

 完結後の年末年始に旅しましたシンガポールのリトル・インディアにて、アムラを発見致しました!

 調理して頂くのが通常ですので、生のアムラは渋かったです(苦笑)。



■アムラ

挿絵(By みてみん)




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