「正義」の味方
「何を言っている?」
なぜその単語がここで出てくる。かつて、その言葉に縛られていたなちは、唐突な出現に戸惑う。
「畠瀬なち……いや、その腕を持っているということは『英雄』と呼んでいいのかな?」
「…………」
「けど、僕はもうその名で呼ばないよ……お前は、あいつらと同じだ」
「お前は……いや、そんなことはどうでもいい。私は、ただ取り戻しに来ただけだ」
なちの背後でバタンと、扉の開く音がした。イマナであろう、そう思うだけで、特に何も感慨は持たなかった。
しかし、なぜか目の前の男は戸惑いの色が現れていた。
「なっ……お前、何だ、お前は」
「はっ?」
振り返ると、髪をかき乱し、息絶え絶えの井美イマナがそこにいた。
「な、なーちゃん早い……」
特に変わった様子は無かった。少なくとも、なちの見る目では。
では、彼は何を見た?
「その、目だ。赤い目。お前……」
「……えっ?」
そこでイマナは、彼が自分のことを言っているのだと気づいた。
同時になちも、未来からイマナを見せないようにして立ちはだかる。
「私の目的は!」
そして声を張り上げた。
「お前があの時リーアから奪った、宝石を返してもらうことだ」
「返して、もらうだと?」
「ああ、お前は嘘をついたな。散々自分のことを正義の味方と言ったくせに。どうせ、私が現れないのだとでも思ったか」
「はっ!」
そこでなちは、身震いした。目の前の男からの強烈な敵意を一身に受けたから。
「畠瀬、なち。お前こそ本当に愚かだな。目の前で起こったことに対し、自分はひたすら受動。お前の行動はいつだって、何かが起きてからだ。お前は、英雄を辞めるだけで全てが元通りになると思ったのか? 世界が、お前というパーツを失っただけで変わるとでも? おかしい。おかしいよ畠瀬なち。本当にあの子が可愛そうだ。こんな愚か者のために、英雄になったんだから」
「あの子……?」
「『英雄』さ。君とは正反対の、彼女だ」
その言葉に、なちは一気に未来との距離を詰め、掴みかかる。
「お前は……! また同じように!」
「望んだんだよ。君を救おうとしてね」
胸倉を掴まれているのに、未来はなちを見下したように冷ややかな視線を送っている。
「私を、救うだと?」
「ああ。自分が『英雄』になって、重荷を肩代わりしようとしたのさ」
「そんなの! 私は望んでなんかいない!」
「そう、君は無責任に手放したんだ。だから、彼女のことも、利戸那のことも攻めることは出来ないよ」
「り、とな……だと?」
なぜだ。どうしてその言葉が今でてくるんだ。
なちの視界がぐらつく。
どうしてこうも、私たちは、この言葉から逃れられない。
「宝石は彼女に渡したよ。あれは『英雄』のために使える」
「ふ……ざけるな! あれは、リーアの……!」
「能力者の体なんか知ったことか。口だろうが、腕だろうが足だろうが、そんなのは最初から万能だった連中の代理品だよ。彼らは、失って僕らと対等になれたんだ」
「おま、えは……」
未来の呼吸が次第に落ち着いていく。そしてなちの腕を自分の襟から引き剥がした。
「わからないだろうね、畠瀬なち。君は、英雄の苦しみも、嘆きも、悲しみも。それを自分の都合で放棄したんだから」
唇を噛む。彼の言葉は、的確になちを突き刺してくる。そう、自分勝手な言い分である。自分にかかわりのある人だから、助けたい、取り戻したいだなんて、都合のよい――。
「あなたに……なーちゃんの何がわかる!?」
だからこそ、彼女は声を上げた。
「まるで、なーちゃんのことを全部知ってるかのように言って! あなたが誰なのか知らないけど、あなたこそ、なーちゃんがどんなに苦しんでいたかなんて、知らないじゃない!」
「イマ」
井美イマナが、なちを押しのけて前に出る。明確な敵意を持って、未来をにらみつける。
イマナを見て、再び未来は苦々しい顔を見せる。
「お前の……その顔が。お前を見ているとイラついてくる。なんだ、こいつは?」
「そっちこそ、自分のことも名乗りもしないで、勝手にこっち睨み付けて何様のつもりだよ! あいにくとね、これでも見られ慣れてるの。どんな視線からでもね」
アルビノと呼ばれる特殊な体質ゆえに、イマナには色素がなく、髪が白い。
その姿は、奇異の目に晒されることも何度だってあった。
「別に、僕だって、お前見たいのは今まで見たことがある……けれど、なんだその目は? 目。その目が、」
「目?」
恐る恐る、イマナはなちの方を見る。なちは安心させるように、ゆっくりと首を振った。
「そんなの、こいつのただの戯言だ。イマ……ありがと」
「なーちゃん……」
なちは優しく、イマナを後ろに立たせる。
「未来。いや、『正義の味方』 お前は、なぜそんなに英雄を求める? なぜそこまで固執するんだ?」
再び息を荒げる未来に対し、今度はなちが冷静さを取り戻していた。
大丈夫。宝石の場所はわかった。だから、今は――。
「温海、利戸那は、英雄になる。まもなくだ。まもなく彼女は完全に英雄となる。わかるか? この街を渦巻く旋風の声が? 僕にはわかる。彼女は、僕の理想の英雄だ」
「理想の?」
「彼女は、象徴になれるんだよ。正義、悪の概念に囚われない人類の英雄の一人に」
「力を手に入れた者は『人類』という枠を離れる。けれども、どうしてもそこから『英雄足る』資格があるかは、いくら吟味してもわからない」
「お前は……可能性があれば、渡していたのか。『力』を」
「その通りだよ。片身斎も温海利戸那も、他の連中も、そしてもちろん君も」
なちに向かって、指をさす。
「英雄の可能性を秘めていた。今、彼女がやっているように人心を掴むような英雄を」
未来は帽子を脱ぐ。
「最初は君になると思っていた。圧倒的な力で全てを支配する。他に有無を言わせない、唯一にして孤高の英雄。それになると思った。まあ、期待はずれだったね」
未来は肩をすくめる。
「利戸那に何をさせたい」
「別に、僕は彼女たちに何かを強要したい訳じゃない。ただ、偶像であってほしい」
「偶像だと?」
「君たちはジャンヌダルクを知っているかい?」
ジャンヌダルク。神の声を聞く聖女、乙女と呼ばれた人物。
彼女はフランスで起こった百年戦争、特にオルレアン解放と呼ばれる戦いにて英雄、と呼ばれるようになった。
「ジャンヌダルクは神の声を聞いたとされるが、所詮は単なる女の子だ。そんな彼女一人が戦況をひっくり返せるほど、戦争は甘くない」
「……だが、国は彼女の存在で息を吹き返した。彼女を中心として、波が生まれた……フランスは、彼女が救ったようなものだ」
くっ、とまた笑いをこぼす。
「そうだ、僕は英雄が作りたかった。まさに、彼女のような人を!」
未来は更に言葉を発する。
「彼女みたいな人を、何人も!」
なちとイマナは、ただ絶句していた。
「お前は、何がしたいんだ……」
「英雄だよ! 紛れも無い、本物の英雄が欲しい!」
高らかに叫ぶ彼は、純粋な眼差しで叫ぶ。その姿はまるで嬉しそうに叫ぶ子供のようで。
けれど、叫び終わった後はどこか悲しげに、言葉を継ぐ。
「わかるかい? この世界はいつも人を利用した奴らが制する。それが、どんなに悲しいかを」
「…………」
なちは何も言えない。現に自分は、それで絶望し復讐を果たした。
自分が言っても、説得力は皆無だった。
だから、代わりにイマナが言う。
「けど……そんな虚飾に彩られた『世界』は必ず崩壊するよ。完全に支配なんて、絶対出来ない」
「そう、出来ない。『完全』なんて、どこにも存在できない。だから、」
にぃ、と彼は大口を開いた。
「僕は欲しい。本物の英雄が、何人も、何人も何人も何人も何人も! そして、純粋に彼らを信じてくれる人たちを!」
英雄が作られる。それを信じるものたちが現れる。
小さければ、その規模を維持するならかまわない。
けれど、その英雄の良さを知って欲しいと他人を引き入れようとしたら?
「……英雄を何人も作って、信仰する人を増やして、そんなことをしていけば……いずれ対立が生まれるぞ」
「えっ!? なんで?」
「予想の範疇に過ぎないが、信仰対象が複数になると、信仰者たちが勝手に争いをはじめるんだよ。新興宗教なんて、いい例だ」
「宗教じゃない!!」
未来が吼える。
「英雄は本物だ! 彼らは力を持ち、それによって彼らは英雄を支持し、一心同体となる! 仮初であるものか!」
なちは苦虫を噛み潰したような表情をする。
「英雄なんて、良いものじゃない! お前こそ知っているだろう!? 英雄の末路はいつだって…………」
「わかっている! わかっているから……始めるんじゃないか?」
子供だと思っていたソレは、初めてぐにゃりとゆがんだ。
「戦争は善と悪に分かれる。しかしそれは、あくまでも戦後に作られた情報によるだけだ。誰も、負けたほうが良いほうだと思いたくない。だから、捏造する。都合の良い形に。支配しやすい形に。僕はそれが、大ッ嫌いだ」
「なぜ誰も真実から目を逸らす? なぜジャンヌダルクは処刑された? 魔女だと訳の分からぬ罪を着せて殺した? 都合が良かったからだ! 人々に愛されたジャンヌダルクは政治を扱うものには都合が悪かったからだ! だから殺した! 世界を、自分たちの都合の良い方向に向けるために!」
「けど、彼女が言ったようにそんなつぎはぎにされた世界なんて、当然崩壊する。またが台頭する! そしてまた始末される! 誰でもない、この世界にだ!!」
イマナは息を呑む。未来は涙を流しながら熱弁を振るい、なちはじっと彼を見ていた。
「なら、良い人が生き残る世界を作らなければいけない。英雄はいつだって争いの中で生まれる。ならば、いつまでも戦いを続ければ英雄は消えない」
「…………」
「これが、僕の目指している世界だ。僕の撒いた種は確かに、確実に目を出している。いつか彼らは、彼らの信仰する英雄以外を敵視するようになるだろう。そうすれば彼らは忘れられない。消されない。世界は、いつまでも彼らを必要とし続ける」
「それは……間違ってるよ」
イマナは、震える声で反論する。
「それが始まったら、彼らは信仰する物の為に死んでいくの? 英雄の為に死んでいくの? そんなの、間違ってるよ
「間違ってなんかいないよ。私利私欲で動く人間は、死んでいけばいい。純粋に想い続ける人たちは、英雄のために戦って死ぬんだから満足さ」
「わからない。わからないよ、あなたの言うことは……」
狂っている。そう言ったほうがいいのか。
彼は、駿河未来は英雄のために争いを生む。
いい人を残すため、争いを作り出そうとする。
「いいんだよ。僕は、理解なんかされなくてもこれを続ける。英雄は、汚れなく生かしていくために」
未来は笑う。利戸那は、必ず周りから信頼されて、小さな、そしていつしか大きな英雄となる。彼が行っていることの正当化をしているように。
「……そうか。お前は、そんな理由で私たちを……」
なちは、ようやく口を開く。
「なら、私がやることはただ一つだ」
既に短くなっている髪を、それでもかきあげ、前を見る。
群青色が、輝く。
未来は笑いを止めた。
「……僕に向けるか。ああ、そうだね。そういうのもありだよ。英雄を作り出そうとしている、正義の味方に手をだすか」
驚きもせず、ただ一度だけ腕を鳴らす。
「ああ、だから、私は英雄じゃなくて構わない。何なら、正義の味方に対して『悪の手先』とでも名乗ってやる」
視界は明るい。
世界はゆがんでいる。
けれども、私はここにいる。
一瞬だった。なちの腕はあっという間に取られていた。
「っ!」
「返してもらうよ。君と、僕のつながりを」
そしていつぞやのように、未来は右手をなちの腕に進入させようとした。
「!? なんだと……!」
しかし、それはなされなかった。
彼女が、イマナがそれを見ていたから。
「な、なーちゃん!」
「イマナ! 目を閉じろ!」
じっと未来を見つめていたイマナは、言われたとおりギュっと目を閉じる。
「お、お前! まさかっ……」
「少し黙れ」
群青が輝きを増し、一閃する。
未来のみぞおちを右ストレートで殴り飛ばし、フェンスを壊さんほどの勢いでたたきつけた。
「がっ……ま、まさか……畠瀬より、やっかいなのが……あく、まめ」
叩きつけられた未来は、そう言い残して、気絶した。
「……糞が」
なちは、伏した未来に悪態をつき、しゃがんで、腰にあったポーチを取る。
「……ん?」
未来の胸から、ネックレスが飛び出ていた。エメラルドの原石で作られたネックレスだった。
「…………」
なちは無言でそれも剥ぎ取る。ネックレスは、恐らく力を抜き取るための、腕の『力』なのだろう。
「これで、もう英雄は作られない。こいつの、『正義の味方』稼業も終わりだ」
立ち上がり、一度だけきびすを返して、なちはビルの屋上から出て行く;。
「な、なーちゃん。どうするの、これから……温海さんの、ところに行って……リーアちゃんの宝石を返してもらうの?」
慌ててついて来たイマナに、振り返らず言った。
「私は、あいつを英雄から引き摺り下ろす」




