それは容易く
その時、なちの息が止まった。はっきり言って、状況が理解できない。目の前には、リーアがいて、自分がいて、そして、周りには誰もいなかったはずなのに。
いつの間にか、そこには男がいた。リーアの背後に。目を疑うほどに、自然と。まるで、影から出てきたかのように、彼はそこにいた。
「あっ……」
呼吸が止まる、帽子に隠されたリーアの顔、そしてその帽子の隣から浮かび上がる、顔。
膝ががくがくと震えた。動けないと、思い知らされる。嫌だと願っても、動かす事が出来ない。男が、じゃなくリーアにだ。
顔が消えた。正確には隠されただが、おかしいほどに体が動かない。
(これは、ああ、いやだ)
脳裏をよぎるのは、夢で見た、黒の顔ナシ。いつの間にか刷り込まれた恐怖が彼女を縮こまらせる。
そんななちに対して、男は笑顔をなちに向ける。
「久しぶりだね『英雄』。どうやら僕を探していたみたいで。いやー、女子高生に探してもらうとか、なかなか嬉しいもんだね。けれど、うん、僕らは一種の運命共同体だ。君は、僕を認識出来るし、実は僕も大体君の位置がわかるんだ。なにせ、君には少し期待しているからね。ああ、けど少し待ってくれ。僕は僕でやることがあって、本当は君の前に来た訳じゃないのさ
そう言って、男は左手で帽子を押さえながら、腰に付けたポーチから一つ宝石を取り出す。エメラルドを、躊躇なく口に放り込む。
「君に会いに来たんだ。リーアちゃん」
びくんっ、とリーアの体が跳ねる。そして、全身がカタカタと震え始めた。
「リーアちゃん、僕は君にひどく同情したんだよ。君は『力』を身につけるそれ以前から、不幸な境遇に遭っていた。正直、僕は君の昔の話をよくは知らないけれど、それでもひどく思っていたんだ。可愛そうだってね。だから、君を人形にした全てを人形にする、そんな行為にもあえて目をそらした。だって、別に君に好意を向けるだけで、他は何もしていないからね。まあ、お父様に関してはスルーするけれどね」
まくしたてるような語りかけ。ゆっくりなんかしていない。ただひたすら早口で彼女の耳に囁きかける。彼女の歴史を、それこそ走馬灯のように。
「けれど、今回は無理だ。僕は確かに『英雄』について君に教えた。君はひどく『英雄』に執着したからね。ただどうだ、君のやったことは? 君の『力』で君は、全てを支配しようとした」
「ち、ちが……」
「違わないだろう? どうして嘘をつこうとするかな?」
リーアの、くぐもった否定の声を鋭い言葉の刃で引き裂く。まるで、全てを否定するかのように。
「それに、僕はまだ喋り終えていないんだ。邪魔しないでね。大丈夫、もう終わるから。正直僕は絶望したけれど、『英雄』は確かに正しい道に引き戻してくれたみたいだね。けれど、それは『英雄』の評価にすぎないよ」
そわそわしている。なちは、目の前の男が、我慢できない子供のように、早く自分のしたいことをする為に早口でまくし立てているのだと思った。
まるで準備。勉強をする際に、教科書を開いたり、食事の際に手を合わせるような、下準備だ。
そして、彼の中の最高潮が、そこなのだと、なちは痛感した。
「僕は、『正義の味方』はお前を許さない。やはり天性の『力』持ちは身勝手だ。他人のことも理解できない、人間以下の存在として認識する。だから――――」
断罪する、之を以て、
「お前の力を、奪い取る」
伸ばされた、右手人差し指と、中指を、帽子の隙間に入って、ずぷりと口内にさせる。
「んんっーー!」
言葉にならない悲鳴。口に滑り込まされた指のせい。ただ、右手と左手を、なちの方へと向けて助けを求める。
それをなちは、恐怖した。
「あ、あ……」
顔ナシがこちらに向かって手を伸ばす、その仕草が彼女をすくませる。なちの表情が、恐怖に彩られる。
やがて、伸ばされた腕は、次第に下がっていき、最後にはだらりと、地面に向かってぶら下がっていた。
帽子が、外される。リーアの体が、ぐらりと前のめりになった。
「……っ!」
なちは駆け出し、それをキャッチした。
外傷は、特にない。しかし、リーアは目をつぶったまま動こうとしない。
「おい、どうした!」
肩を揺さぶるが、重心に沿って、首が揺れるだけ。目が開く様子はない。
「単なる気絶だよ。そっとしておきな『英雄』」
ゆったりと、余裕のある声。なちはキッ、と『正義の味方』を睨む。
その手には、真新しいアメジストの石が握られていた。
「なんだ、それは」
なちの記憶にある、一つの光景が、フラッシュバックをする。
彼との最初の記憶。なちが、『人』を辞める前の最後の記憶。
――飲み込むんだ。少し大きいかもしれないけれど、大丈夫。だって、飲み込んだ瞬間から、君は『英雄』になるんだから。
――そう言って、手渡された物は、宝石だった。エメラルドの、輝く宝石――――。
「つっ!」
ぐらり、と体が揺れる。冷たい汗が背中を伝わる。そして、見てはいけないものを見てしまった焦燥感。
それは、まるで屠殺場を眺めているようだった。魚は切り身が泳いでいる? 牛は最初からロースのまま動いている?
そんな訳が、ない。
いつだって自分は、人は、何かを犠牲に成り立っている。魔法なんてものが存在するはずが無く、けれどもこの力には魔法のような力があり、持たない自分は、一体どうやって、これを手に入れた?
「あ、ああ……」
そういうことか。
人が体力をつけるために、肉を食べるように。肉を食べるために命を奪うように。
この『力』もまた、他人から――。
「君が思っていることは、概ね正解だ」
彼は、アメジストの宝石をポーチにしまい、帽子を被り直した。
「僕は、『力ある人間たち』からその力を奪い、君たちに与えている」
「……なんのために」
彼は、邪気の無い笑顔で、言い放った。
「無論、英雄を作るためさ!」
「『力』と言う物が、そもそもどういう物なのかは、僕らは良く知らない」
「ただ、人を外れた能力、現代で言う超能力を有していることだけがわかっている」
「僕の仕事は、せっせと能力のある人間たちから『力』を奪い取っては、『群青色』を作ることだ」
「『群青色』ってのは、僕が勝手に君たちを呼称して呼んでいるだけだ。共通して、目が群青に染まるからね」
「そして、更に『群青色』から激選したのが『英雄』
「僕が、欲しい物だ」
そこまで喋り、口を閉じる。ただ口元に微笑を浮かべながら。
なちは、訳がわからなかった。本気で、目の前の男が何を考えているのかすら読み取ることすら出来なかった。ただ、呆気に取られ、リーアを抱きかかえる腕に力がこもる。
「『群青色』? 『英雄』? お前は、一体何を目指している……」
すると、彼は腕を組んで悩むポーズを取る。そして、
「秘密、だ」
「何故」
「何故って、そりゃあ」
彼は、なちに向かって指を差す。
「君は『英雄』であることに疑問を持っているからさ」
「――!」
「さすがに、そんな君に僕の内面を晒すようなことはしないよ」
そうだった。何故、自分が彼を探しているのか、それは彼の目的を聞きだすためではない。英雄を、『力』を消す為だった。けれど、懸念の材料が出来た。
視線を落とし、リーアを見る。呼吸は安定している。命に別状は無さそうだ。
しかし、彼女は『正義の味方』を見やる。その手のアメジスト。リーアの『力』の源。
あれは……。
「なんだ、随分とこれが気になるんだな。それは『力』のせいかね? 彼女の力は確か、舌だったかな」
どきりと、心臓が高鳴る。背中に嫌な汗をかく。リーアを気にする、そのこともまたリーアの『力』のせいなのか、そんな自分を見失う錯覚。
「……ぷっ、はははっ! やだなぁ、冗談だよ。彼女の『力』はここにあるから、もう君はその子を気にするのは本心から、だよ」
「貴様……」
ギリ、と歯噛みする。おちょくられているのは、まだ良い。しかし、まるで自分の心を掌握しているかのような彼の言動が気に食わない。
「――ま、そんなことはどうでもいいんだ。まあ、君はどうでもいいことが気になるようだから言うけど、別に彼女は他は何ともないよ。ただ『力』が使えなくなっただけ。それだけで、後は何も変わらないごく普通の女の子だ。そこら辺にいる、単なる留学少女だ」
だから、大丈夫。何も心配することはない。その言葉で、彼女は少し安堵する。しかし、それで自分の中の何かが変わるわけではない。
生まれてしまったのだ。信念すら塗りつぶしてしまうほどの疑惑が。
「私は、英雄ではいられない」
「ほう」
少し驚いた表情を見せる彼。しかし、なちはその瞳に彼を写さない。
「わからなくなったんだ。自分が、本当に何をしたかったのか。何を成そうとしていたのか」
「…………」
「『力』を振るえば振るうほど、力に呑みこまれた奴らが見える。いつか、自分もそうなってしまうんだろうって、そう思う。いつか私は、これに呑みこまれる。そう、思う」
「なるほど、力が怖くなったか。まあ、君は狂人みたいな奴らと相対したからね。仕方無い、か」
そう言って、彼はあっさりと頷いた。
「仕方無い。君を『英雄』から『人』に戻そう。その代わり、『力』は返してもらうからね
なちは頷く。元々、その為に来た。
「『力』を失えば、当然君の腕は元に戻る。意味がわかるね?」
なちは自分の腕を見下ろす。右腕、へし折ったはずなのに、いつの間にか完治している。
今度腕を折れば、それこそ三ヶ月はギプス生活になるだろう。
「わかっている。普通に、戻るだけだ」
「そう、戻るだけ。あの時にね」
口元を少し上げたまま、彼は帽子を下ろした。
「じゃあ、君と僕はここからある意味初対面だ。『英雄』と『正義の味方』なんて、そんな代名詞じゃなく、名前を教え合おうか。初めまして――」
「畠瀬なち」
「畠瀬なちか。初めまして、なち。僕は、駿河未来だ」
口元に微笑をたたえたまま、未来は付け加える。
「そして、永遠にさよならだよ」
「それじゃあ、なち。腕を出して」
言われた通り、なちはリーアを地面に置いて、腕を差しだす。
「今から、君の腕に僕の手を突っ込む。気にしないで良い。非現実なのは、これが最後だ」
「何を……」
未来の伸ばした手が、容易くなちの腕の中へと進入した。
「う、ぐ」
苦悶の声がなちから漏れる。痛みは無い。しかし、自分の形作っているものに入られるというのは、ひどく違和感と不快感を覚えた。
「あったあった」
まるで筋肉の繊維を確かめるかのように滑らかに動かしていた未来の手は、遂に止まる。
そして、自分の中にある何かを摘まれるような感触があった。
「っ、ぐぅぅぅ!」
同時に、ひどい頭痛がなちを襲った。頭を抱えることも出来ず、悲鳴に似た叫び声を、口の中で殺していく。
「やっぱりだ。君の中にあった異物は、固定されかけている」
宝石、力。いつ手に入れたかは、既に消えている。気がつけばあった。
しかし、何のために?
「わ、私は……どうして、力を……」
「ん? 触れただけなのに、もう消えたのか。それくらい、君にとって理由はどうでもよかったのかな?」
「ど、ういう、意味、だ」
息を荒げるなちに対し、未来はどこまでも変わらない。飄々と、馬鹿にしたようになちに笑顔を見せている。
「正直なところ、僕もこの力が一体どういう物なのかはわからない
筋繊維の一つ一つが、未来の動きに反応するかのように、腕がもぞもぞ動くような錯覚。
「けれど、一つわかっているのは」
ぶちぶちと引きずり出されているかのような、筋肉全てが無くなっていくような。
「君は消える。ただそれだけだよ」
「なん、だ…………?」
訳の分からない何かに、自分の断片が食われていく。
それは畠瀬なちを形成していたもの。今の彼女を作り上げたもの。
それが、確かに消えて行く。何か大切なものと。大切かすらわからなくなったものと。
「それじゃあ。さようなら、なち。君は、英雄になれる素質を持っていた。間違いなくね」
そして、ブチリと。
テレビの消えるような音と共に、なちの視界がブラックアウトした。
「んー、なーちゃん……」
二人で探すより、更に二手に別れて探した方が早いというリーアの提案で、リーアと別れたイマナは、一人商店街を歩き回る。
まなかからもらった帽子を深く被り、きょろきょろと辺りを見渡す。
見つからない。
手がかりといえば、探している少女が髪が異様に長いというだけ。それをあちこちで聞くことしかなかった。
たまにそんな子を見たという話を聞いても、一日前、二日前といった使えなくなってしま情報ばかり。
(私は、全然なーちゃんのことを知らなかった)
自分の初めての友達になってくれたというのに。憤りと、焦りを感じる。
(もしこのままなーちゃんが見つからなければ)
私は、助けてくれた人にさえ、力になれないのか?
体に不安を渦巻かせる。最悪の事態を想定していしまう。しかし、すんでの所で、ブンブンと首を振った。
「なーに、一人で盛り上がってるんだ、私は」
今、こうして思考しているのは別に小説のネタを考える為ではない。生きている人を探すためだ。
ならば、思考より先にするべき事があるだろう。
イマナは再び足を動かす。見つからないなんて、探している間に考えていることじゃない。
そして、再び人に尋ねようと意気込もうとしたその時、
「――――っ!」
長い黒髪が、前を通り過ぎた。
ふらふらとおぼつかない足取り。腕をだらりと下げ、まるで死体の行進のように歩くその姿は、浮浪者を連想させる。しかし、その長い髪と、その隙間から覗く瞳には見覚えがあった。
「なーちゃん……っ!」
畠瀬なち。自分が、探していた人物。
しかし彼女は、誰かを肩に背負っていた。それは――。
「リーア、ちゃん?」
なちに支えられたリーアは、ぐったりとした表情をしていた。
「リ、リーアちゃん! どうしたの、ねえなーちゃん! 一体何があったの!?」
我を忘れ、イマナはなちに詰め寄る。しかしなちは、少しどもるだけで、言葉を継ごうとしない。
「え、えとえと……」
「なーちゃん?」
なちの、初めて見る戸惑いの表情。いつもの彼女は落ち着いた様子で事を対処するのに。
「えと、えぇと……この人の、知り合い……ですか?」
そして少し猫背になっているなちは不安げな様子で、イマナを上目づかいで見やる。
「え? なに言ってるの、なーちゃん?」
軽く首をかしげる。何か、会話がかみ合っていない気がする。しかし、目の前の少女はなちとリーアで違いない。自分の知っているなちと特徴は――――。
「こ、この人、お願いします!」
「えっ?」
そう言って、強引になちはリーアをイマナに押しつけた。
「ちょ、ちょっと! なーちゃん!?」
なちは、イマナに背を向けて駆け出していた。走って、走って、人の隙間を縫って走っていき、やがてイマナの目では観測出来ないほどに、遠くへ行ってしまった。
「なーちゃん……」
残されたイマナは、目をつぶったリーアを見て、ぽつりと呟く。
「どうして――?」




