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英雄伝説  作者: かなたみ
三章
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懺悔

 目眩がする。朝から何も食べていないせいだろうか。

 夕暮れのかかった路地裏にて、長い髪によって霞んだ眼差しは、暗闇へと向けられる。そこに、誰かが立っているのを感じた。

 懐かしいような、親しみが篭りそうな、その感じは、つい最近なちが感じたものだった。

「……リーア?」

 ウェーブがかった金髪に、エメラルドの瞳。じっと見つめていると、まるで吸い込まれてしまいそうな造形は、しかし、畠瀬なちには障害物にしか見えない。

「こんな所でどうした。ここらへんはあまり治安がよろしくないから、長居するとあぶないぜ?」


「……なっちゃんは?」

「なに、少し用事があるからな。もう少しここら辺をぶらぶらする」

 会話をして、リーアは瞬時に理解する。

 今の畠瀬なちは、全く自分を見ていない事に。

 こんなのは、会話では無い。木偶に会話をぶつけているということに彼女はわかっているのか。そもそも、自分という個体をきちんと認識していることすら怪しい。

 畠瀬なちは、歪な、恐ろしい笑顔をこちらに向けた。

「なに、安心しろ。もう少しでこの用事は終わるから」


 言う事はもう終わったとばかりに、なちはリーアの横を素通りする。

「……は?」

「うん?」

 リーアの小声で呟いた事に、なちは反応する。出来るだけ笑顔を作って。それが、怖いのだというのに。

「イマナ、はどうしたの?」

「あ?」


 その笑顔もすら、彼女は消す。せっかく取り繕ったというのに。やはり、こういうことは苦手だと、心底彼女は痛感する。

「どうして私を心配するの? どうしてイマナについて何も言わないの? どうして――」


「黙れ」

 リーアは、息を呑む。

 一言。ただの一言で場面は全て支配された。それだけ、なちの言葉に怒気が含まれていることを、体で感じ取った。

「ふん」


 なちは、その場で自分の腕をへし折った。べきっ、と何か固い物が折れる音がする。

「……こんなのは一時的な物だ。人はすぐに、慣れちまうからな」

 痛いはずなのに、その顔はゆがまず、淡々と語る。

「で、私は腕一本を犠牲にして、お前の話しに集中しようとした。これ以上は、この腕に足る話なんだろうな?」

 憎悪が、広がる。そんな錯覚を感じた。

 なんて、自虐的。リーアの背中には冷たい汗が流れる。先日の屋上の件でも感じていたが、彼女は自分を見ていない。あの時も、彼女は苦痛という言葉がわからないかのように、ただ淡々と、不気味な笑みを浮かべていた。

 彼女は理解する。目の前にいる存在は、人間の形を保っているだけの化け物だと――。

 けれども、それでも自分はここに来なければならなかった。本来言うべきこと、全てを最優先にして、ここにたどり着かねばならなかった。

 たとえ、ヒトでなくても、

 確かに彼女は――――。

「――ごめんなさい」

 言葉に、雰囲気が少し和らぐ。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 リーアはただ、言葉を述べる。謝罪の、言葉を。

「…………」

「ごめんなさい、ごめんんさい、ごめんなさい」

 きっと、あなたがそんな風に、なってしまったのは、

 私のせい。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなざい……」

 呟く一言、一言が、しだいに滲んでいく。それは、人形が流すことのない――――。

「ごべんなざい、ごべんさい……ごめんな、さい」

「――――。」

 なちは、何も言えなかった。彼女が、彼女を形成するものは、純真、人形、そして笑顔。

 その彼女が、こうして目の前で謝罪をしている。

「……やめろ。謝るんじゃない」

「ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい」

「やめろと言っている!」

 悲鳴に似た、なちの叫び声。額に手をやり、憎悪は一転、恐怖に変わる。

「やめろ、お前は、そんな奴じゃないんだよ」

「…………」

 リーアはそれ以上何も言わなかった。ただ、じっとなちの方を見つめていた。溜めた水滴は、目元に残して。瞳には強い眼差しを残して。

「……っ」

 その瞳には、既視感があった。思えば、自分の周りにはいつも――。

「くっ、」

 なちはリーアに背を向ける。それ以上、見ていられなかったから。

 彼女も、自分も。

「なっちゃん」

 リーアはなちの背中に投げかける。

「一緒に、帰らない?」

 甘く、甘美な響き。望めば、帰られる。そんな錯覚を与えてくれる響き。けれど、

「無理、なんだ」

 震える言葉。顔を見えない、リーアには分からない、なちの顔。けれども、その言葉から、滲み出るのは恐怖の色。初めて聞く声。

「今の私には、みんなに、イマナに会う資格がない」

「会う、資格?」

 その言葉はまるで、

 以前の自分みたいな――そんな錯覚をリーアに感じさせる。

「リーア」

「は、はい」

 先ほどの言葉が嘘のように、なちの言葉から震えが無くなっているのを感じた。

 いつもの畠瀬なち。皆の知っている畠瀬なち。なら、先ほどの彼女は?

「私は――英雄をやめようと思っている」


 英雄をやめる。

 そう決めたのは、自分の心に揺らぎが出来たから。

 畠瀬なちは決めた。そう決めた。

 現在(いま)を見失った彼女は、それから夢を見るようになった。

 ひどく単調な夢だ。何かに追われている夢、見知った人たちがかわるがわる出て、最後には誰とも似付かないナニカに変化する。最後はそれに襲われる直前で、夢から覚める。

 毎日、毎日見るようになった。

 正義の味方を求めて、街中を彷徨い、見つからずに眠り、そして夢を見る。

 そして、それに呼応するかのように腕がひどく重く感じるようになった。

 けれどもそんなのは錯覚にすぎない。腕はしっかり動くし、『力』はちゃんと使えた。

 ただ、自分が使いにくくなったと錯覚しているだけで。

「私は、辞めるんだ」

 時折、言い聞かせるようにそう呟く。自分が見失いそうで、決意を無くしそうで。

 日に日に、夢も相まって自分の意思が弱くなっている、そう感じた。

 急がなければ――。少し焦りが見えるようになったが、彼の姿は相も変わらず見えなかった。

 まるで砂漠から宝石を探すような感覚。けれども、確実にいる。その確信だけを頼りに彼女は彷徨い続ける。

 そんな折、リーアと再開した。

 今会いたいのはお前じゃない、内心舌打ちをする。

 彼女は、出来るだけ穏便に事を済ませようとしたが、結局腕一本を代償に当たり散らすことになった。

 なちは、屋上での出来事を忘れない。彼女は、いとも簡単に自分を、学校の皆を操った。おかげで、自分というものすら、ロクに理解しなくなった。自分が何を考えているのか、何を思っているのか。

 もしかすると、英雄をやめようと思っている自分すら、思わされているのかもしれない。疑い無く信じる事の出来た時が懐かしく思えた。だから、信じることにしたのは、自分の苦しみだけ。痛み、恐怖、苦しみを感じた時のみ、自分が自分でいられていると信じることにした。

 さあ、話してみろ。イマナをだしにまで使ったお前は、何を私に求める?

 そう覚悟したのに、だ。

 結果は、彼女の予想をはるか斜め上にいった。

 リーアは人間になっていた。

 脳に来る嫌な夢心地は感じず、瞳は、ただなちの方を向いていた。

 同時に、ひどい嫌悪感を覚えた。人を型にはめて、認識をしようとしていた自分に。

 ひどく、嫌な思いをした。

 だからなちは、リーアに謝罪の意味も込めて、自分の思いを伝えようとした。

 あの男が、目の前に現れるまでは。

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