懺悔
目眩がする。朝から何も食べていないせいだろうか。
夕暮れのかかった路地裏にて、長い髪によって霞んだ眼差しは、暗闇へと向けられる。そこに、誰かが立っているのを感じた。
懐かしいような、親しみが篭りそうな、その感じは、つい最近なちが感じたものだった。
「……リーア?」
ウェーブがかった金髪に、エメラルドの瞳。じっと見つめていると、まるで吸い込まれてしまいそうな造形は、しかし、畠瀬なちには障害物にしか見えない。
「こんな所でどうした。ここらへんはあまり治安がよろしくないから、長居するとあぶないぜ?」
「……なっちゃんは?」
「なに、少し用事があるからな。もう少しここら辺をぶらぶらする」
会話をして、リーアは瞬時に理解する。
今の畠瀬なちは、全く自分を見ていない事に。
こんなのは、会話では無い。木偶に会話をぶつけているということに彼女はわかっているのか。そもそも、自分という個体をきちんと認識していることすら怪しい。
畠瀬なちは、歪な、恐ろしい笑顔をこちらに向けた。
「なに、安心しろ。もう少しでこの用事は終わるから」
言う事はもう終わったとばかりに、なちはリーアの横を素通りする。
「……は?」
「うん?」
リーアの小声で呟いた事に、なちは反応する。出来るだけ笑顔を作って。それが、怖いのだというのに。
「イマナ、はどうしたの?」
「あ?」
その笑顔もすら、彼女は消す。せっかく取り繕ったというのに。やはり、こういうことは苦手だと、心底彼女は痛感する。
「どうして私を心配するの? どうしてイマナについて何も言わないの? どうして――」
「黙れ」
リーアは、息を呑む。
一言。ただの一言で場面は全て支配された。それだけ、なちの言葉に怒気が含まれていることを、体で感じ取った。
「ふん」
なちは、その場で自分の腕をへし折った。べきっ、と何か固い物が折れる音がする。
「……こんなのは一時的な物だ。人はすぐに、慣れちまうからな」
痛いはずなのに、その顔はゆがまず、淡々と語る。
「で、私は腕一本を犠牲にして、お前の話しに集中しようとした。これ以上は、この腕に足る話なんだろうな?」
憎悪が、広がる。そんな錯覚を感じた。
なんて、自虐的。リーアの背中には冷たい汗が流れる。先日の屋上の件でも感じていたが、彼女は自分を見ていない。あの時も、彼女は苦痛という言葉がわからないかのように、ただ淡々と、不気味な笑みを浮かべていた。
彼女は理解する。目の前にいる存在は、人間の形を保っているだけの化け物だと――。
けれども、それでも自分はここに来なければならなかった。本来言うべきこと、全てを最優先にして、ここにたどり着かねばならなかった。
たとえ、ヒトでなくても、
確かに彼女は――――。
「――ごめんなさい」
言葉に、雰囲気が少し和らぐ。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
リーアはただ、言葉を述べる。謝罪の、言葉を。
「…………」
「ごめんなさい、ごめんんさい、ごめんなさい」
きっと、あなたがそんな風に、なってしまったのは、
私のせい。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなざい……」
呟く一言、一言が、しだいに滲んでいく。それは、人形が流すことのない――――。
「ごべんなざい、ごべんさい……ごめんな、さい」
「――――。」
なちは、何も言えなかった。彼女が、彼女を形成するものは、純真、人形、そして笑顔。
その彼女が、こうして目の前で謝罪をしている。
「……やめろ。謝るんじゃない」
「ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい」
「やめろと言っている!」
悲鳴に似た、なちの叫び声。額に手をやり、憎悪は一転、恐怖に変わる。
「やめろ、お前は、そんな奴じゃないんだよ」
「…………」
リーアはそれ以上何も言わなかった。ただ、じっとなちの方を見つめていた。溜めた水滴は、目元に残して。瞳には強い眼差しを残して。
「……っ」
その瞳には、既視感があった。思えば、自分の周りにはいつも――。
「くっ、」
なちはリーアに背を向ける。それ以上、見ていられなかったから。
彼女も、自分も。
「なっちゃん」
リーアはなちの背中に投げかける。
「一緒に、帰らない?」
甘く、甘美な響き。望めば、帰られる。そんな錯覚を与えてくれる響き。けれど、
「無理、なんだ」
震える言葉。顔を見えない、リーアには分からない、なちの顔。けれども、その言葉から、滲み出るのは恐怖の色。初めて聞く声。
「今の私には、みんなに、イマナに会う資格がない」
「会う、資格?」
その言葉はまるで、
以前の自分みたいな――そんな錯覚をリーアに感じさせる。
「リーア」
「は、はい」
先ほどの言葉が嘘のように、なちの言葉から震えが無くなっているのを感じた。
いつもの畠瀬なち。皆の知っている畠瀬なち。なら、先ほどの彼女は?
「私は――英雄をやめようと思っている」
英雄をやめる。
そう決めたのは、自分の心に揺らぎが出来たから。
畠瀬なちは決めた。そう決めた。
現在を見失った彼女は、それから夢を見るようになった。
ひどく単調な夢だ。何かに追われている夢、見知った人たちがかわるがわる出て、最後には誰とも似付かないナニカに変化する。最後はそれに襲われる直前で、夢から覚める。
毎日、毎日見るようになった。
正義の味方を求めて、街中を彷徨い、見つからずに眠り、そして夢を見る。
そして、それに呼応するかのように腕がひどく重く感じるようになった。
けれどもそんなのは錯覚にすぎない。腕はしっかり動くし、『力』はちゃんと使えた。
ただ、自分が使いにくくなったと錯覚しているだけで。
「私は、辞めるんだ」
時折、言い聞かせるようにそう呟く。自分が見失いそうで、決意を無くしそうで。
日に日に、夢も相まって自分の意思が弱くなっている、そう感じた。
急がなければ――。少し焦りが見えるようになったが、彼の姿は相も変わらず見えなかった。
まるで砂漠から宝石を探すような感覚。けれども、確実にいる。その確信だけを頼りに彼女は彷徨い続ける。
そんな折、リーアと再開した。
今会いたいのはお前じゃない、内心舌打ちをする。
彼女は、出来るだけ穏便に事を済ませようとしたが、結局腕一本を代償に当たり散らすことになった。
なちは、屋上での出来事を忘れない。彼女は、いとも簡単に自分を、学校の皆を操った。おかげで、自分というものすら、ロクに理解しなくなった。自分が何を考えているのか、何を思っているのか。
もしかすると、英雄をやめようと思っている自分すら、思わされているのかもしれない。疑い無く信じる事の出来た時が懐かしく思えた。だから、信じることにしたのは、自分の苦しみだけ。痛み、恐怖、苦しみを感じた時のみ、自分が自分でいられていると信じることにした。
さあ、話してみろ。イマナをだしにまで使ったお前は、何を私に求める?
そう覚悟したのに、だ。
結果は、彼女の予想をはるか斜め上にいった。
リーアは人間になっていた。
脳に来る嫌な夢心地は感じず、瞳は、ただなちの方を向いていた。
同時に、ひどい嫌悪感を覚えた。人を型にはめて、認識をしようとしていた自分に。
ひどく、嫌な思いをした。
だからなちは、リーアに謝罪の意味も込めて、自分の思いを伝えようとした。
あの男が、目の前に現れるまでは。




