終‐4 旅の果てに
「ただいま」
人界を満喫したグレアスは、久方ぶりで、魔界の西、色とりどりの水晶を閉じ籠めた湖のほとりにある魔王城に戻った。
そして、転移魔術で大広間に姿を現したグレアスを迎えたのは、例によって最側近のザフィエである。
「おかえりなさいませ、グレアスさま。――食事にしますか? お風呂にしますか? それとも……私?」
棒読みもいいところといった調子で言われ、グレアスはちらりと苦笑した。
成体の魔族というものは、総じて、決まった食事を必要としないものだ。周囲から気を取り込み、それをエネルギー源とすることで、十分に事足りるからだ。
風呂に入る習慣もない。魔物の中には水浴びを好むものもいるが、魔族の身体は魔力のヴェールに包まれ、守られ、常に小奇麗な状態に保たれているからだった。
「お前にする……と言ったら、ちなみにどうなるんだ?」
グレアスは悪戯っぽくザフィエに訊ねた。
「そうですね。私と一緒に、溜まった仕事の片付けですかね。あなたには、きりきり働いていただきましょうか。私も朝までお付き合いいたしますよ」
「なにをいう? 俺の部下は、みな実に優秀だ。そのお前たちがいたのに、俺がいなかったくらいで、そうそう仕事が溜まっているわけがなかろう。ちがうか?」
肩をすくめてやれば、ザフィエは、やれやれとでもいうふうに首を振った。
「まったく、あなたという方は」
側近が大きな溜め息をつくのに、グレアスは、はは、と、軽く笑った。
「今日はもう寝る。長旅でさすがに疲れた」
んん、と、伸びをする。
本当は、魔族にとっては睡眠だって必須ではなかった。が、いまのグレアスは、どこぞに横になって、ごろごろしたい気分なのも確かなのである。人界の雰囲気に毒されてしまったのだろうか。
「いい旅だった」
グレアスは紅玉の眸を細めて、しみじみと言う。
「さようですか。良かったですね」
ザフィエは軽く溜め息をつくようにうなずいた。
「うむ。――ついでに俺は、最後にもうひとつ、良いことに気付いたぞ」
いままさにだ、と、グレアスは笑う。
ザフィエが不思議そうに小首を傾け、それにつられて、さら、と、冬の月光のような冴えた銀糸の髪が揺れた。
「なに……我が家は良いなということだ。帰って来たなと思うと、自然とほっとする」
新たな発見だ、と、グレアスは肩をすくめた。
それから、かつかつと小気味よい踵の音を立てつつ、奥の間へ続く扉のほうへと歩み寄る。
「しばしやすむ」
「ええ、お好きにどうぞ。これだけ長いご不在後ですからね。あと一日二日ばかりあなたの手がなかったところで、私たちには、たいして変わりません」
「なんだ、拗ねるなよ」
「拗ねてません。事実を述べているだけです」
「そうか。それならまた、気が向いたら、どこぞへ旅でもしようかな」
自分が魔界を空けても問題がないのなら、いずれまた、人界へ遊山に出掛けるのもいいだろう。魔界の中にもよく知らない場所もあるし、そちらへ足をのばしてみるのも楽しいかもしれない。
扉の前でしばし虚空を見詰めて思案する様子のグレアスに、ザフィエは蒼銀の眸に呆れた色をにじませた。
「…………繁忙期は避けてくださいね」
切実なその言葉に、グレアスは、はは、と、ちいさく笑った。
「ついでに、我が優秀な部下どのたちにも、いずれ慰安旅行の機会でもやらねばな」
「それは……楽しみにしておくことにします」
そこで側近はようやく、ちら、と、やわらいだ笑みを、その美貌のくちびるに刷いたのだった。
グレアスは大きな天窓の向こう、マゼンタ色の魔界の空を仰ぐ。
世界は無限に秘密のつながりを抱いて――……今日も変わらず、美しい。
ふ、と、紅玉色の眸を細めると、旅の余韻を胸に、自室へと続く扉に手をかけた。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
すこしでもお楽しみいただけてれば嬉しいです(*´ω`*)




