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前に間違えて短編でうpしたやつをきちんと連載にして再うp
誰だっけ。忘れた。
誰かは忘れたけど、いつかははっきりと覚えてる。小学校六年生の時、学校のトイレで小便してたら隣りで小便してた誰かに「なあなあ、セックスって知ってるかー?」と聞かれた。
僕はその時まだセックスがどういう行為かを知らなかったので「セックス?なにそれ?」と聞き返したら「セックス知らないのかよ。いいか、セックスっていうのはさ~」とセックスについての説明を友達から受けた。
小便が終わったあとも友達の熱心な説明は続き、その日僕は初めてセックスというものの存在を知った。
衝撃だった。
何度も友達に「本当なのそれ?嘘ついてない?」と聞き返した。それだけ『セックス』というものの内容が衝撃的だったのだ。
だって友達によればセックスっていうのはチンコが女性の股に開いてる穴に入るということだけど、その姿を頭で想像してみるとすごくまぬけでありえなくて、でも今までにこっそりと見たエロ本を思い返してみるとたしかにその『セックス』らしき行為は行われていてたので、どうやら友達の話は本当らしかった。
セックスを知った衝撃は文字通り世界が変わるほどだった。
だってもしそのセックスっていう行為によって子供ができるんだったら、子供を持ってる人はみんな最低一度はセックスをしてるっつうことで、それはつまりいつも優しい僕のおばあちゃんとおじいちゃんもセックスしたことがあるし、仲の悪い僕の両親だってセックスしたことがあるし、怒るとすごく怖いけど普段は優しい担任の中村先生だってセックスをしたことがあって、ってオイオイオイオイ。
その衝撃の事実を知って僕は大人全員に騙されたと思った。
みんな偉そうでなんでも知ってるような顔しながら、僕の知らないところではそんなよくわからない変なことをしている、しかもほとんどの人間が。
なんだそりゃ!
その時僕は同時にこうも思った。
友達からセックスのことを聞いたおかげで、大人がセックスっていうよくわからないことをしていることを僕はたまたま知ったけど、きっとこれは大人が子供に隠していることの氷山の一角でしかなく、大人っていうのはまだまだいろんなことを隠しているんだと。
だから大人は信用しちゃいけない、大人は僕らに手の内を全て見せていないと思ったのが小学校高学年の時で、それから僕は心の底から大人を信頼することがなくなった。
もちろん好きな大人はたくさんいて、例えば仲の悪い両親は二人セットだと嫌いだけどひとりなら好きだし、おばあちゃんやおじいちゃんはいつも笑顔で優しくて好きだし、担任の中村先生は怒った時は怖いけどいつも正しいから好きだ。
でもそんな彼らももしかしたら僕には隠している一面を持っているかもしれないと思ったとん、僕は大人との間にとてつもない距離を感じた。
セックスの真相を知ってから数年が経ち、僕は中学三年になった。
中学生になったくらいから僕はエロいものにどうしようもなく惹かれるようになり、エロの魅力に惹かれるにつれて大人達がセックスをしているという嫌悪感に似た感情は、エロの持つ強力な魅力によってたちまちに消えた。
しかしその嫌悪感のようなものが消えたあとでも、大人達は手の内を全てこちらに見せてないという気持ちは、僕の体にまるで呪いのように取り憑いたままだった。
でも中学三年になって、そろそろ心の底から大人を信用してみてもいいのかもしれないと思ったところに舞ちゃんと出会い、僕はより一層大人は信用しちゃいけないと思った。




