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中編




「お嬢様。今日も一段と素敵です」



 今日行われる社交界に呼ばれたアリーナは、真っ赤なドレスを身に纏い、侍女のナリスに拍手を贈られていた。


 社交界のある日は朝から食事を抜き、自分の身支度に時間を費やす。

 お風呂に入り、身体中余す所なく磨き上げ、自分がどの令嬢たちよりも美しくなれる様、何時間もの間侍女たちの力を借り、ようやく支度が整えた。


「ありがとう、ナリス。でもやっぱり身体が苦しいわ」

「お嬢様が買い食いばかりしていなければ、今頃美しいプロポーションを手に入れている筈なのですが」


 図星をさされたアリーナは、ムッと唇を真横に結ぶと、そのまま黙って残りの身支度を終える為に黙って侍女たちに身を任せる。


 幼い頃から身の回りの世話をしてくれるナリスは、容赦なく思った事を口にしてくるが、全てが本当の事なので、アリーナはいつも言い返せずに終わってしまう。


「でも、お胸はしっかりと膨らんで、とても美しく見えますよ」

 フォローのつもりだろうか。

 コルセットで締め付けられた身体はキシキシと動き難く、これでは美味しい食事が思う存分食べられない、と、思いながらも、圧迫され過ぎて話し続けるのも億劫になってしまう。


 伸びた髪を侍女の一人がどうやってやったのか、綺麗に編み上げられ、そこには出回りの少ないグレーダイヤモンドが散りばめられた大きな髪飾りが添えられる。


 首元にはアクアマリンが華やかに繋がり、主張されたデコルテラインを美しく輝かせる。


「さぁ。整いました」


 ヒールの高い靴を履いている為、椅子から立ち上がる際にはナリスがサポートしてくれる。


「ありがとう。行ってくるわね」


 自身の支度を終えてしまったアリーナは、まだ部屋の扉を叩く音が聞こえる前に、そちらの方へ足を向ける。

 今日の社交界のエスコート役をしてくれるという父が迎えに来る前に、である。


 いくら迎えを待つ様に言っても、彼女は自分の思うがままに進んでしまう。


 だから、その行動が家の外でも出てしまわぬ様に侍女たちは苦労しているが、この様子を見ると、それも中々難しい様である。



 ーートントン



 軽いノックの音と共に、返答を待つ事なく扉が手前に開けられる。



「おっ……と」


 扉を開けようとしていた侍女と正面衝突しそうになったディラーゼフは「ごめんね」と、バランスを崩した彼女の身体をガシッと支え、すかさず姉の方へ視線を向ける。


「お姉様。準備は……整った様ですね」


 聞きながら一瞬で頭からつま先まで立ち姿を凝視した弟は、何故か満足そうに唇を歪める。


「お姉様にとてもお似合いです」


「ね。そうでしょう?」


 褒められたアリーナはその場で嬉しそうに一回りしてみせる。


「不思議なのよ。誰からかのプレゼントみたいで、部屋に届いていたの」

「……そんな得体の知らない人物からのドレスをお姉様は身につけたのですか?」

 語尾を強く、年下の弟から問いただされた姉は、縮こまる。

「だって」

「だって?」

「だって、素敵だったんだもん。似合うと思わない?アクセサリーも全部よ。ちょっとウエスト部分がキツイかな、とは思ったけれど、丈もサイズも丁度いいの」


 褒めて褒めてと言わんばかりにアリーナはドレスを揺すってみせる。

 ネック部分は大きく開いている分、デコルテが強調され、ウエスト部分が細く締めあげられているからか、胸の形が綺麗に膨らんでいる。

 スカートは幾重にもレース生地が重ねられ、至る所に宝石が散りばめられている。


 ひとしきり自慢げにドレスを見せびらかし続けたアリーナ。一息ついたのを確認した弟は、彼女に近寄り、礼を尽くす。



「それでは参りましょうか」



 ディラーゼフかアリーナに向き合い、エスコートする意志を表す。


「え?お父様じゃ」

 思いもよらぬ申し出にアリーナは躊躇い、視線を彷徨わせる。

「俺がエスコート役では不満ですか?」

「だって、ディーのデビューは」

「今日は特別です。今日の社交界は仮面舞踏会なのでしょう?顔が隠れているなら父上が参加してもいいって」

「まぁ」


 世間体を気にする父親が珍しいものだ。と、アリーナは声を漏らす。

 確かに学園を卒業してから社交界デビューになるのだから、身分を隠して一年の差くらい、何てことはないだろう。


「じゃあよろしくね」


 アリーナは楽しそうに弟の手を取り、彼に身を任せる。



 互いに手袋越しとはいえ、こうして触れたのはいつ振りだろうか。


 

 ディラーゼフは手慣れた様子で姉の手を自分の腕まで誘導すると、高いヒールを履いた姉の歩調に合わせて、ゆっくり歩みを進め始めた。



 こんなこと、いつの間に覚えてきたのかしら。

 アリーナは知らぬ間に逞しくなっていた弟の腕に、自分の緊張が伝わってしまわぬ様並ぶ事に気を使ってしまい、彼が何故舞踏会に参加出来たのか、深く考える事をやめてしまった。




 ***




「そろそろですね」


 

 バーンズ公爵家の屋敷近くまで来ると、馬車の動きは止まって進んでを繰り返す様になり、それで今日の舞踏会の招待客が多い事を体感する。


 そうして窓越しに外の様子を伺っていると、ディラーゼフがポツリ、と、言葉をこぼす。



「お姉様はこの社交界でお相手を見つける予定なんですか?」


「えぇっ?何よ。突然」


 前触れもなく触れられた話題につい声が上ずる。


「だって気になるじゃないですか。お姉様はどんな男性に魅かれるのかな、と思いまして」

 言いながら隣に座る弟がどんな表情をしているのか、アリーナの位置から盗み見る事は出来ない。

「別に。特にないわよ。ただ」

「ただ?」

 口を開きながらも言い淀む姉の言葉を反芻し、アリーナは右側から送られる視線をひたすらに無視する。

「ダンスを踊っている時のね、波長が合えば誘いに乗ってもいいかな。とは思う」

「ふーん」

 まるで興味のなさそうな声色。

 聞きておいてその態度はないんじゃない?と、ディラーゼフに視線を送ろうと彼の方を睨んでみると、彼は頬杖を付き、アリーナとは反対側の外を眺めている。


「で?誘いって何?今日、気に入った令息が居たら、一夜を共にしちゃう。みたいな?」

 

 何を考えているのか、いきなりアリーナの方へ向き直り、好戦的な言葉を投げ掛けてくる。


 勿論、身体の関係だけを求めている訳ではないが、年齢的にはもう結婚していてもいい年頃をとうに過ぎてしまっているので、そういう事に恥ずかしがってもいられない。

 

「そうね。もし、そんな奇跡みたいなことがあれば結ばれたいとは思ってしまうかもね」


 フンッと、わざと機嫌が悪い事を主張し、ディラーゼフから顔を逸らす。


 あんな風に嫌味を言われて腹を立てるなと言われても土台無理な話だ。


「エスコートしてくれた後は自由にしてくれていいから」

「……」

 アリーナは外を見ながら言い放つ。

「私もそうするから。気にしないで好きにして」




 車内に沈黙が漂い、ようやく馬車が屋敷の玄関前に停車した。


 二人は降りる前に顔に仮面を身に付け、先に馬車からディラーゼフが出る。

 周りを見回すと、招待されたであろう人々皆、顔を半分覆う程の仮面を付けていた。



 これなら誰が誰だか気を付けてみていない限りは分からない。

 月明かりに照らされたディラーゼフはニヤリと顔を歪ませ、乗ってきた馬車に向き直る。



「アリィ」


 低い位置から手を差し伸べ、ディラーゼフは姉の愛称を呼んだ。


「ほら。おいで」


 腹を立てていたアリーナは、弟の言いなりになるつもりはない、と言わんばかりにその場から動こうとはしない。


「アリィ。行こう」


 馬車でのやり取りに腹を立てている事は分かっている。

 わざと怒らせた訳でも、怒らせたかった訳でもなかったのだが、話している内に、彼自身もイライラとしてきてしまって、結果、姉を怒らせてしまった。


「アリィ」


 機嫌を直して、と言わんばかりの優しい声に、アリーナは耳を傾けない。


「……」

「このままそこにずっと座り続けているのなら、俺が抱えて会場へ向かうかい?」

「……」


 言葉のないまま、弟をギロリと睨み付けた後で、アリーナは渋々とディラーゼフの手を取る。


「言われたからじゃないから」

「うん」

「次が待ってるから」

「うん」


 分かってるよ。と、わざと姉の言葉に口出ししないのは、彼女が自分の手を取ってくれた事が嬉しいから。


 一段。

 一段と馬車のステップから降り立ったアリーナは、周りの人目を惹きつけてしまう程に魅力的で。


 今はまだ誰からも声が掛からないが、それはディラーゼフが周りを牽制しているからに他ならないし、まだ舞踏会の会場に入る前だ。

 

 恐らくたった一歩。

 その会場に降り立っただけで、アリーナは注目の的になってしまう。


「アリィ。今日はやっぱりずっと俺の側にいてよ」

「嫌」

「……」


 まだ彼に対しての怒りが燻っているアリーナは自身が注視されている事など全く気にも止めないまま、舞踏会の会場に足を踏み入れた。

 


 

 会場内は、皆、その素性を隠し、思い思いにその場を楽しもうとする人間で賑わっていた。


 今日の社交界に来る事を、まだデビューしていないディラーゼフが許されたのも、各々の素性を隠すことができる仮面舞踏会だから、という理由だ。

 加えてこの舞踏会を企画したのはバーンズ公爵家なので、招待客の素性は皆、しっかりしている。という、周りからの信頼のおけるパーティだからでもある。



 皆、一様に仮面を付けている故、会場入りしても身分を明かすアナウンスもなく、今宵ばかりは無礼講と言わんばかりに会場内も華やいでいる。


 アリーナとディラーゼフも、先程彼女が告げた通り、主催のバーンズ公爵に挨拶を済ませた後は、別行動に準じた。


 だが、アリーナの着ている真っ赤なドレスは何処に居ようとすぐに見つかった。


 いつもは用意される食事を真っ先に覗きに行ったりする彼女だが、それをする前に幾人かの男性に声を掛けられ、誘われるがまま、踊りを踊る。


 一人と踊り終えるとその次。

 また曲が終わると、違う男性の手に引かれ、再び舞い始める。



 用事のあったディラーゼフがその場から姿を消している間に、「続けてこのまま二曲目を」と、誘われているアリーナの表情は、笑顔ではあるが踊り疲れて休みたい、ということがありありと表れている。



「レディ」



 音が止み、フロアの端にいる二人に近付く一人の男性。


 その声が震えていた事に気付いているのは本人だけだが、立ち振る舞いは堂々としていて彼もまた人目を惹く。


「はい?ええっと」


 相手の名を呼ぶ事の出来ないアリーナは言葉に詰まる。


「ミスター。申し訳ありません。次に私が彼女と踊る約束をしておりまして」


 突然の乱入者の存在に二人は言葉を失う。


「そろそろ返して頂いてもよろしいですか?流石に何人もの男性に振り回され続けてしまえば彼女も疲れてしまう。それだけ人を魅了させてしまう、魅力的な女性だという事は分かるのですがね。これだけ長い間見向きもされず放っておかれてしまえば、流石の私も嫉妬してしまいます」


「えっ?」


 それまるで「自分の伴侶なのだからこれ以上近付くな」と言っている様で、アリーナの仮面の下の顔がドレス色の様に真っ赤に染まる。


「そうでしたか」


 乱入者の独壇場に、アリーナの手を取っていた男の手は離れ「それは申し訳ありませんでした。楽しい時間をありがとう」と、スマートにその場を後にしていく。



「……」

「……」



 アリーナは、というと、突然の事に呆気なくとられ、人の波に飲まれていく彼の姿を見送っても、動き始める事が出来ずにいた。



「それでは」



 乱入者の彼は、言いながらアリーナに向け真っ直ぐ手を差し出す。


「少し休みましょうか」

「……」


 その手を取るか迷っているのが、彼にも伝わっているのだろう。

 恐らく一瞬の躊躇いだっただろうが、目の前の手の平を凝視していると、その手が引っ込んでしまう。


「あそこの椅子で休んでいてください」

「え?」

「適当に見繕ってきますから、楽しみに待っていてくださいね」


 男は「いいですね」と、念を押すと、美味しそうな料理の並ぶテーブルに足速に向かって行ってしまった。


 そうしてアリーナが指示された椅子へ座るまでも、数人の人間が声を掛けてきたが「連れがおりますので」を口実に断る事が出来たのは、気が楽だった。




 それからしばらく後、片手に美味しそうな料理を盛り付けた彼が姿を見せた。


「お待たせしました」


 立とうとしたアリーナをそのままでいいと、手振りで制し、目の前に料理を差し出す。


「先程は突然申し訳ありませんでした。もしかしてご迷惑でしたか?」

「いえ。そんな事は」

「ならよかった。もし、お邪魔してしまったのなら、申し訳なかったな、と、今更ながらその考えに辿り着きまして」


 相手の様子を伺いながら申し訳なさそうな口調は、先程の強引な彼とは正反対。


「三回目のダンスも彼と踊りたかったのかと」

「違います。休みたかったので助かりました。普段ならここまで人は寄ってはこないのですが。不思議です。それに、彼の足も何度も踏んでしまいましたし、さっきもしっかりお断りしていたのですが」


「目を離した隙に」

 会場の喧騒でアリーナの耳に届かなかったその声は、明らかに冷気を含んでいる。


 が、アリーナの自分を見上げる視線に気付いた男はにこやかに話題を変えた。



「どの料理も美味しそうでしたよ」


 皿の上にはソースと香草の添えられた薄切り肉に、ソーセージ、厚切りベーコン、食べ応えのありそうなもっちりとしたパンが乗せられている。


 どの料理も食べやすい大きさにカットされているので、とても助かる。


「甘い物は?」


 てっきり、梨や葡萄などの乗ったタルトや、ベリーソースの掛かったクレープといった、デザートが運ばれてくると勘違いしていたアリーナの口から、つい、言葉が溢れてしまう。


「あ。申し訳ありません。レディにはデザートの方が好まれますよね。そちらは私が頂きますので、また」

「いえ」


 アリーナは渡された皿に伸びる手を、身を捩ってかわすと、恥ずかしそうに続ける。


「実は踊り疲れてお腹がぺこぺこだったんです。だから、これを食べ終えてからデザートを食べたいです」


 一気に捲し立ててしまった後で、アリーナは「食い意地の張った女だと思われた」と後悔するも、自分を見下ろす視線は冷ややかなものに変化はしない。


「よかった」


 代わりに聞こえたのは安堵の声。


「私の知ってる女性も食べる事が好きで、よく色々な物を食べ歩いたりしているんですよ」

「まぁ。そうなの?」

「ええ」

「私だけではないのね。その方と会えたら楽しく時間が過ごせそう」


 アリーナは「ありがとう」と彼に言うと「いただきます」の言葉と共にベーコンを口へ運んだ。


「美味しい。ちょうどいい塩加減。冷めているのが勿体無いわ。でも、これも噛みごたえがあって私の好みね」


 そうやって一口ずつ幸せそうな顔をしながら料理を次々に味わっていく。

 合間にパンを口にしながら、気付けばお皿の上の料理は消えていた。


「ドレスに締め付けられて、ちょっとしか食べられないのが残念」


 ふぅ。

 と、息苦しそうに言うものの、やっと食事にありつけたアリーナは満足そうだ。


「喉が渇きましたよね」


 気付いた男は目の前を通り掛かった給仕に声を掛け「葡萄ジュースと」と、トレーから飲み物を選択する。

「なあに?私に気を遣っているの?」

 アリーナは椅子から立ち上がり、自らワインを手に取ると、それを一気に飲み干してしまった。

「ワインも美味しく頂けるわよ」

 と、どこか誇らしげに男を見上げる。


「あら。あなた」

「え?」

 何かに気付いたアリーナは男の頭部に手を伸ばす。

「あなた、私の弟と髪の色が同じだわ」

 金色に少しの黒とオレンジを混ぜた、不思議な色。

 弟のディラーゼフはくすんだその色を好きではないと言っていたが、光に照らされた眩しすぎる金色は、ずっと見ていられないから、アリーナは彼の丁度いい色合いが好きだった。

「あ。よく見たら目の色も?」

 言いながら、仮面の奥の瞳をまじまじ覗き込むアリーナ。

「弟君がおられるのですか?」

「ええ。今日も一緒にきている筈なのだけれど。どこに行ったのかしら」

 キョロキョロ見回してみても、広い会場には人がひしめき合い、その影さえ見当たらない。

「レディ。ここは身を隠して楽しむ場。そんなに個人を特定できる事はむやみに口にしないほうがいい」


 弟を想像していたら、つい、距離が近くなってしまったらしい。


 ハッとしたアリーナは恥ずかしそうに彼から視線を逸らす。



「ではお腹も満たされたところで、私と一曲ご一緒して頂けませんでしょうか」


 アリーナにお辞儀をし、エスコートしても良いかお伺いをたてる。


 久しぶりに楽しい社交界だった。と、感じていた。「行き遅れ令嬢」だの「弟をこきつかう意地悪令嬢」といった色眼鏡で見られる事なく、疲れはしたが、楽しく踊る事ができた。

 結婚相手を探す、なんて目的を忘れてしまう程に。



「もちろんですわ」



 アリーナは差し出された手を取り、名も知らぬ男の隣に並ぶ。


 互いに素性の知らない相手同士。

 今宵限りは身分を忘れて語り明かす仮面舞踏会だ。


 アリーナは彼の右腕を組み、音が流れ始めたダンスフロアへとエスコートを受ける。


「そういえば私、あなたに言っておかなければ」

 誠実に対応してくれた相手だからそこ、伝えておかなければ、と思った。

「なに?」


 だが、アリーナが慌てて告白しようとした時には、既に彼の腕にガッチリホールドされ、肩甲骨の下あたりを、キュッと持ち上げられる。


「あのっ。私」


 早く言葉を繋がなければと焦れば焦るほど、ホールに人が集まってくる。


「踊りが苦手で。もしかしたら足を」

「踏んでしまうかも?」


 密着した彼を見上げると、分かりきっていると言わんばかりにニヤリと笑っている。


「なんで」

 分かったの?と目を丸くした相手を見下ろす男は、何処か楽しそう。


「俺がリードするから何も気にする事なく踊りを楽しめばいい。貴女は俺の足を踏まないよ」


 自信満々に断言されてしまえば、不思議とそうなんだという自信が湧いてくる。


「さぁ。楽しもう」


 彼の魔法の言葉と共に、フロア内に楽団の音が響き渡った。

 


 彼のリードは女性を無理矢理引っ張るような強引なものでもなければ、相手を意識しすぎるあまり逆に女性にリードされてしまうような踊りでもなく、アリーナにとってとても踊りやすい導き方だった。


「危ない」

 と、足を差し出す位置に彼の足があり「踏んでしまうっ」と、心音が上がる度、彼は巧みにその位置を変える。

 何度も相手の足を踏んでしまってきた彼女が、彼の言う通り、何も意識せずに踊る事は難しく思えたが、曲が終わる頃になるにつれ、アリーナはただ純粋に踊りを楽しむ事ができるようになっていた。



 気付けば曲は終わり、二人は乱れる息を表に出さない様、息を整えようと肩で息をする。



「ありがとう」


 社交界デビューの時に相手の足を踏んでしまってから、それが原因となり、足元を意識しすぎてしまうようになった。

 決して下手ではないのだが、ダンスを終えて離れる時に「下手くそ」と言われた声があまりにも冷たくて、踊る度にその時の光景が蘇ってきてしまう。

 足の出す位置は理解しているのに。

 そこに相手の男性の脚があるのが分かっているのに。

 


 気分が高揚するあまり、アリーナは興奮しすぎて見ず知らずの相手に抱きつきそうになってしまう。


「楽しかったわ」

「そう?よかった」

「とても」


 何となく離れ難く、自分から再びダンスを誘う訳にもいかない、と、アリーナは何とかその場を繋ごうとする。


「それなら」

「ええ」


 もう一曲、どうでしょう。

 という言葉を彼女は期待していた。


 しかし彼が発した言葉はそれを超えるものだった。




「一夜限りの恋でもしてみる?」



「え?」



 真剣なトーンと視線で射止められてしまったアリーナは、どんな答えを返せばいいのか正解が分からず固まってしまう。


 あまつさえ、その言葉の意味が理解できぬ程幼くもない。



「一夜限りでよろしいのですか?」


 元々、結婚相手を探す為に社交界に参加しているアリーナは一瞬の言葉に詰まってしまったが、好意的な誘いを断る理由は何処にもない。


 まさかそんな返しがくるとは予想していなかったのか、男は仮面の下で何を考えたのか、少し歪む。


「まさかレディにそんな積極的な一面があるとは」


「そう?そういう楽しみ方もあるんじゃないかしら」


 アリーナは、ドリンクを運ぶ給仕からワインを貰い、それもまた一息で飲み干す。


「引き返すなら今ですよ」


 男は一応、彼女に逃げ道を与える。


「そう?なら、もう一曲だけ貴方と踊ってみたいわ」


 もし二曲目も何も考えずに目の前の彼だけ見て踊れたら。

 アリーナは言葉を飲み込んだ。


「ではそこで貴女のお眼鏡に叶えば」


「ええ」


 男は嬉しそうに、アリーナが差し出した自分の手を取ってくれるのを待つ。


「その時は私だけに貴女の美しい姿を見せてくださいね」



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