表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

50/475

雨の章 その16 ふたたびの雨


手当てが必要だった。

しかし、医者に連れて行くわけにはいかない。

自分の城内にある部屋でも駄目だ。目立ちすぎる。

だれか、城市なかでも静かな場所に屋敷を持つ、信用できる人間のところへと考え、浮かんだのはたった一人だけであった。


思いついたその人……陳到(ちんとう)の屋敷には、かんじんの本人がいなかった。

代わりに主人を待つ妻と子どもたちがいたのだが、彼女らはよくできていて、趙雲が病人を抱えて現われると、事情も説明しないうちから、奥の部屋を空けて寝台を作ってくれた。

そうして、召し使っている者に頼んで、陳到に使いをやり、至急、屋敷に戻るようにと伝言させてもくれた。


斐仁(ひじん)がなぜ、夏侯蘭(かこうらん)を襲ったのか、その理由がわからない。

わからないが、ふたたび、襲ってくる可能性がある。

夏侯蘭が追っているという、娼妓(しょうぎ)殺しの『狗屠(くと)』が、斐仁だというのか。

混乱しつつ、みずからも濡れた体を拭いて、趙雲は陳到を待った。


陳到はすぐに屋敷に戻ってきた。

事情を説明している暇がない。

陳到ならば、斐仁が夏侯蘭をねらって襲ってきても、すくなくとも家族を守りきることができる。

突然のことの連続に、うろたえる陳到から、斐仁の屋敷につけた見張りは、なんの連絡もよこしていないことを聞き出す。

そして趙雲は、斐仁の姿をもとめ、大きな雨粒から変化して、いまや糸雨(いとさめ)が降り注ぐ町へ戻った。






やはり、あのときも、同じように雨が降っていた。

建安四年のあの日、焼け落ちた易京(えききょう)の城壁のうえで、(はりつけ)になった潘季鵬(はんきほう)の姿を指して、夏侯蘭は、助けなければ、と訴えた。

そのとき趙雲の胸に去来したのは、悔恨にも似た、にがい思いであった。


趙雲は公孫瓚(こうそんさん)を見限った。

その判断に誤りはなかったと思う。


公孫瓚は敵の襲来にそなえ、易京に一大要塞を作り上げ、さらにそこに、数年におよぶ籠城にも耐えうる、膨大な量の食糧を蓄えていた。

そんなことをしているあいだにも、世の中は着々と動いていた。

公孫瓚の行動は、めまぐるしく動く時流に、ひとりだけ背を向けて、冬眠に入ろうとする熊のようであった。


兵は拙速を尊ぶ。

戦は短期決戦で望むもの、長びけば長びくほど国力の衰退を招く。


この孫子の言葉を用いて、趙雲は意見したが、無視された。

このころ、公孫瓚は白馬義従(はくばぎじゅう)によってもたらされる名声におぼれ、奢侈(しゃし)にふけるようになっていたのである。

蛮族より、漢族をまもる英雄。

それが公孫瓚の看板であった。

かれの目下の敵で、漢王朝の血筋を濃く引く劉虞(りゅうぐ)は、公孫瓚の蛮族への対応が苛烈すぎると非難した。

だが、公孫瓚は皇帝にと嘱望されるほど名声の高かった劉虞すら敗北に追い込み、勢いを高めていた。


しかし、蛮族を追い立てたというその功績は、天下の全体から見ればごくごく小さなものであった。

それを理解できたのか、それとも、自分の限界がここまでだと気づき始めたからなのか。

あるいは、劉虞を殺したことで、世のそしりを受けることが増えたことを気に病んだのか。

公孫瓚は、自分の内側に籠もるようになり、良臣を周囲から避けるようになっていた。

趙雲も避けられたひとりだったのである。


趙雲は悩みに悩んだすえ、当時、公孫瓚の客将であった劉備に、身の振り方を相談した。

劉備は、公孫瓚とは盧植(ろしょく)をとおして、兄弟弟子(きょうだいでし)にあたる。

おなじ盧植の私塾にかよった間柄だった。

公孫瓚は弟分の劉備が流浪しているのに目を付け、かれを厚遇し、さらには、白馬義従のなかから選抜して、趙雲に劉備の主騎(しゅき)をまかせた。

劉備はまめまめしく仕えてくれる趙雲を気に入って、一緒に連れてきた義兄弟たちと同じくらいに親しく接してくれた。

趙雲は思った。

この方ならば、信頼できる。

公孫瓚のひととなりも、よく知っている。

なにより、外部の人間であるから、相談すれば、自分のことを公平に見ることができるだろうと、趙雲は思ったのである。


以前に信頼できると思っていた潘季鵬から突き放されたばかりであったから、劉備に相談をもちかけるのは勇気がいったが、ひとつ語りはじめれば、あとは止まらなかった。

夢中で語りながら、趙雲は、自分のなかに、これほどの(おり)が溜まっていたことを知った。

澱、というよりは、毒に近い。

信頼できる者を失くし、言葉を封じ込めていた。

それが解けて、気持ちがすっとした。

劉備は、趙雲の話をよく聞いてくれた。

趙雲の話をきいて返してくれる劉備の言葉は、洗練されていないし、鋭くもないが、じっくり考えたあとにつむぎだされる、誠実なものであった。


「おまえが、もう駄目だと思うのであれば、やっぱり、もう駄目なのではないか。

兄弟子が駄目だとかいうのではなく、おまえ自身の気持ちが萎えてしまっているところが駄目だ。

努力したところで、気持ちが変わらないかぎり、双方にとって、残念な結果にしかならないと思うぞ」

と、劉備は言った。


みじかい言葉であったが、それが趙雲の背中を押した。

主君が道を間違えると、家臣たちもおなじく滅びの道を歩くことになる、厳しい世の中である。

生き抜くために、趙雲は公孫瓚のもとを辞去することに決めた。

ちょうど、故郷の兄のひとりが死んだ、と訃報が入ってきた。

大手を振って、なつかしい常山真定(じょうざんしんてい)へ帰ることのできる、よい機会である。

このとき、すでに公孫瓚と、かれの最大の敵である袁紹(えんしょう)の仲は、修復不能なまでになっており、易京の緊張は、日に日に高まっていた。


趙雲の里帰りに、潘季鵬は大反対をした。

おまえは、いままで温情をかけてくださったわが君を見捨てるつもりなのかと、なじった。

公孫瓚との間柄も、以前よりぎこちないものになっていると、趙雲は潘季鵬に言葉を尽くして説明した。

だが、潘季鵬は聞かなかった。

葬儀が終わったら、すぐに帰って来い、の一点張りであった。

趙雲は、対話をあきらめた。


殺しが(うま)い。

そう言われたことが、いつも心のどこかに(とげ)として残っている。

一度だって、楽しんで殺しをしたことなどない。

もちろん、弓から放たれた矢が、おもしろいくらいに敵にあたることへの快感がなかったと言ったら、嘘になる。

だが、そもそも逃げる兵士に矢を射掛けたのも、いま、徹底的に叩かなければ、彼らは形勢を整えて、すぐに逆襲してくると思っていたからだ。

言い換えれば、いま敵を殺さねば、つぎに味方が殺されると思ったのだ。

味方が突破されれば、無辜の民が犠牲になってしまう。

武人の役目は、戦場で華々しい功績を上げること、わが君に華を持たせることではなく、民を守ることではないのか。

民を守るためならば、戦場で鬼になってもかまわない。

その覚悟でやってきた。

おそらく潘季鵬は、趙雲の想いは知らなかっただろう。

趙雲としては、自分の心を、恩人である潘季鵬が()んでくれなかったことが、悲しかった。


つづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ