雨の章 その16 ふたたびの雨
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夏侯蘭には、手当てが必要だった。
しかし、医者のもとに連れて行くわけにはいかない。
自分の城内にある部屋につれていくのでも駄目だ、目立ちすぎる。
だれか、自分の代わりに夏侯蘭を介抱してくれる者はいないか。
新野城市なかでも静かな場所に屋敷を持つ、信用できる人間のところへ……熟慮のすえ浮かんだのは、たった一人だけであった。
思いついたその人……自分の副将の陳到の屋敷へ夏侯蘭をつれて赴くと、ざんねんなことに、かんじんの本人がいなかった。
代わりに主人を待つ妻と子どもたちがいるだけだったのだが、彼女らはよくできていて、趙雲が病人を抱えて現われるのを見て取ると、事情も説明しないうちから、奥の部屋を空けて寝台を作ってくれた。
事情を説明しようとする趙雲に、陳到の妻は、
「夫に使いを出して、すぐ屋敷に戻るよう言伝させます。子龍さまもずぶぬれですわよ、すこし温まっていかれてはいかがです?」
と気を利かせてくれた。
ことばに甘えて、趙雲は妻女たちが持ってきてくれた清潔な布で体を拭き、囲炉裏のそばで体をあたためて、陳到を待った。
斐仁がなぜ、夏侯蘭を襲ったのか、その理由がわからない。
わからないが、あの様子では、ふたたび、襲ってくる可能性がある。
夏侯蘭が追っているという、娼妓殺しの『狗屠』が、斐仁だというのか?
しかし、斐仁はここ何年も、荊州どころか、新野も出たことがないはずだ。
許都の娼妓たちを殺せるわけがない。
なにがどうなっている。
混乱する頭を抱えていると、陳到が屋敷に戻ってきた。
陳到の腕をもってすれば、斐仁が夏侯蘭をねらって襲ってきても、家族ともども守りきることができる。
趙雲は手短に事情を陳到に説明した。
さらに趙雲は、趙雲とおなじく混乱している様子の陳到から、斐仁の屋敷につけた見張りは、なんの連絡もよこしていないことを聞き出した。
斐仁は、見張りの目をくらまして、雨に沈む新野の街へ出たのだ。
夏侯蘭の殺害に失敗したいま、またこっそりと屋敷に戻って、逃げる算段をしている可能性が高い。
迷っているひまはない。
なんとしても斐仁を確保しなければ。
そして趙雲は、斐仁の姿をもとめ、大きな雨粒から変化して、いまや糸雨が降り注ぐ町へ戻った。
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趙雲は斐仁の屋敷に向かいながら、思い出していた。
やはり、あのときも、同じように雨が降っていた。
建安四年のあの日、焼け落ちた易京の城壁のうえで、磔になった潘季鵬の姿を指して、夏侯蘭は、助けなければ、と訴えた。
そのとき趙雲の胸に去来したのは、にがい思いであった。
趙雲は、たしかに公孫瓚を見限った。
その判断に誤りはなかったと思う。
公孫瓚は敵の襲来にそなえ、易京に一大要塞を作り上げ、さらにそこに、数年におよぶ籠城にも耐えうる、膨大な量の食糧を蓄えていた。
そんなことをしているあいだにも、世の中は着々と動いていたのだが。
公孫瓚の行動は、めまぐるしく動く時流に、ひとりだけ背を向けて、冬眠に入ろうとする熊のようであった。
兵は拙速を尊ぶ。
戦は短期決戦で望むもの、長びけば長びくほど国力の衰退を招く。
公孫瓚のふるまいをみて、趙雲は孫子の言葉を用いて意見したが、無視された。
このころ、公孫瓚は白馬義従によってもたらされる名声におぼれ、奢侈にふけるようになっていたのである。
国内の混乱に乗じて襲ってくる異民族の魔の手から、漢族をまもる英雄。
それが公孫瓚の看板であった。
公孫瓚は得意になって、どんどん白馬義従を使い、異民族を撃退していく。
その行動に、漢王朝の血筋を濃く引く劉虞は、公孫瓚の蛮族への対応が苛烈にすぎると非難した。
だが、公孫瓚は年若い皇帝の代わりに帝位につけようと運動されるほど名声の高かった劉虞すら死に追い込み、勢いを高めていった。
しかし、異民族を国境の向こうへ追い立てたというその功績は、天下の全体から見ればごくごく小さなものであった。
公孫瓚はついぞ、国内の平和のための行動は起こさなかった。
いや、起こせなかったのだろう。
自分の限界がここまでだと気づき始めたからなのか。
あるいは、劉虞を殺したことで、世のそしりを受けることが増えたことを気に病んだのか。
やがて公孫瓚は、自分の内側に籠もるようになり、良臣を周囲から避けるようになっていた。
趙雲も公孫瓚から退けられたひとりだったのである。
趙雲は悩みに悩んだすえ、当時、公孫瓚の客将であった劉備に、身の振り方を相談した。
劉備は、公孫瓚とは名将・盧植が一時期、在野にいたころに、兄弟弟子として仕えたことがあったのだ。
公孫瓚は弟分の劉備が流浪しているのに目を付け、かれを厚遇して傭兵として使っていた。
さらには、白馬義従のなかから選抜して、とくに趙雲に劉備の主騎をまかせていた。
劉備は自分をこき使う公孫瓚に文句ひとつ言わず、律儀に仕事をこなしていた。
さらには、自分にまめまめしく仕えてくれる趙雲を気に入って、一緒に連れてきた義兄弟たちと同じくらいに親しく接したのだ。
趙雲は思った。
この方ならば、信頼できる。
公孫瓚のひととなりも、よく知っている。
なにより、外部の人間であるから、相談すれば、自分のことを公平に見ることができる。
相談相手にはうってつけだと、趙雲は思ったのである。
以前に信頼できると思っていた潘季鵬から突き放されたばかりであったから、劉備に相談をもちかけるのは勇気がいったが、ひとつ語りはじめれば、あとは止まらなかった。
堰が切れたように、劉備にこれまでのいきさつを夢中で語りながら、趙雲は、自分のなかに、これほどの澱が溜まっていたことを知った。
澱、というよりは、毒に近い。
信頼できる者を失くし、言葉を封じ込めていたのだ。
すべて話し終わると、気持ちがすっとした。
劉備は、趙雲の話をよく聞いてくれた。
聞いてくれたうえで、劉備は静かに言った。
「もしかしたら、わしの忠告なんぞ、おまえは必要だと思っていないかもしれないが」
と、前置きしたうえで、さらにつづける。
「おまえが、もう伯珪(公孫瓚)の兄者のもとでやってくのが無理だと心の底から思っているのであれば、その気持ちに誠実になるべきではないかな。兄者がどうこうというよりも、おまえ自身の気持ちが完全に離れてしまっているのだから、これ以上、無理を重ねたら、お互いに不幸になるのは目に見えている。
わしは、人には踏ん張り時があるとつねづね思っているが、おまえの踏ん張り時は、おそらくいまではないと思う。それは、おまえ自身も気づいているから、悩んでいるのだろう。あとは、おのれに素直になるだけだ」
劉備はさらに、
「おまえには秘めた可能性があると思う。ほかのやつにはあまり無責任なことは言わないでいるのだが、おまえは別だ。よく考えたすえのことならば、行動に移したほうがいいだろう」
はっきり公孫瓚のもとを去れとは言わないところが、慎重な劉備らしかった。
だが、劉備の言葉が、趙雲の背中を押した。
主君が道を間違えると、家臣たちもおなじく滅びの道を歩くことになる、厳しい世の中である。
生き抜く。
生き抜いて、天下を平和に導く。
その理想のために、趙雲は公孫瓚のもとを辞去することに決めた。
ちょうど、故郷の長兄が死んだ、と訃報が入ってきたのも、運がよかった。
大手を振って、なつかしい常山真定へ帰ることができることとなった。
このとき、すでに公孫瓚と、かれの最大の敵である袁紹の仲は、修復不能なまでになっており、易京の緊張は、日に日に高まっていた。
趙雲の里帰りに、潘季鵬は大反対をした。
おまえは、いままで温情をかけてくださったわが君を見捨てるつもりなのかと、激しくなじってきた。
趙雲はなんとかしてわかってもらおうと、自分と公孫瓚との間柄も、以前よりぎこちないものになっていると、潘季鵬に言葉を尽くして説明した。
だが、潘季鵬は耳を貸そうとしなかった。
葬儀が終わったら、すぐに帰って来い、の一点張りであった。
趙雲は、対話をあきらめた。
殺しが巧い。
そう言われたことが、いつも心のどこかに棘として残っている。
一度だって、楽しんで殺しをしたことなどない。
もちろん、弓から放たれた矢が、おもしろいくらいに敵にあたることへの快感がなかったと言ったら、嘘になる。
だが、そもそも逃げる兵士に矢を射掛けたのも、いま、徹底的に叩かなければ、かれらは形勢を整えて、すぐに逆襲してくると思っていたからだ。
言い換えれば、いま敵を殺さねば、つぎに味方が殺されると思ったのだ。
味方が突破されれば、無辜の民が犠牲になってしまう。
武人の役目は、戦場で華々しい功績を上げること、わが君に華を持たせることではなく、民を守ることではないのか。
民を守るためならば、戦場で鬼になってもかまわない。
その覚悟でやってきた。
趙雲としては、自分の心を、恩人である潘季鵬が汲んでくれなかったことが、悲しかった。
つづく




