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序章 黒鴉の爪痕 その5 手腕発揮

ふう、と孔明が満足感から息をつくと、いつの間に近くに来ていたのか、趙雲が執務室を覗き込んでいた。

かれは午前中は劉備の供をしていたようである。

「ほかの者は休憩か?」

趙雲のことばに、麋竺(びじく)が待ってましたとばかり言う。

「そうではない。連中は、みな軍師を困らせようと、仕事をしないつもりらしいのだ」

それを聞くと、趙雲は苦い顔になった。

孔明には、趙雲がそんな表情をするのは、この自分に同情してのことか、それとも仕事をしないでいる連中に腹を立てているのか、どっちなのか、あるいは両方か、すぐにはわからなかった。

目が合うと、趙雲はすこしだけ、いたわるような目線を向けてくる。

どうやら、同情してくれているようだ。


同時に、趙雲は、決済ずみのものを入れる箱に、竹簡(ちくかん)が山となっているのを見て、目を丸くした。

面白い顔もできるのだなと孔明が感心していると、趙雲は口笛を吹きかねない様子で言った。

「すべてをこの人数だけで終わらせたのか、すごいな」

「これくらいなら、この人数でなんとかなりますよ」

と、孔明は余裕を見せて笑う。


とはいえ、肩が非常に凝っていた。

とくに使った右手から右肩のあたりを揉んでいると、趙雲は、疲れ果てて机に突っ伏しそうな麋竺や書記たちを見て察したらしく、言う。

「それにしても、連中め、これでは下々にも示しがつかぬ。

そもそも、おかしいと思ったのだ。今日はみなが、やけにあちこちでぶらぶらしていたからな。

そうか、仕事をしていなかったのか」

そういって、趙雲は憤懣やるかたなし、というふうに息を吐く。

おや、このひとはわたしたちのために怒ってくれるのだなと、孔明は素直にうれしくなった。

そこで、つとめてほがらかに言う。

「午後からは裁判と陳情を片付けますので、子龍どのはわたしに付かずとも大丈夫ですよ」

さすがに、裁判のときに、罪人と二人きり、ということにはならないだろうと踏んでいた。

そこまで徹底していやがらせをしてくるほど、劉備に従う男たちは陰険ではないはずだ。

孔明は、劉備の持つ明るさに惹かれていた。

二十以上も年上の主君に、自分と同じ匂いを感じていたのだ。

それは、ほかの家臣たちも同じではないかと、孔明は信じている。


趙雲は何を考えているのか、しばらくじっと孔明と、孔明が決裁した竹簡の山を交互に見ていたが、やがて、

「わかった」

と短く言って、その場を去っていった。

立ち去っていく趙雲の足音が荒く聞こえるのは、そうであってほしいと思っているからなのか、それとも単に趙雲が荒っぽい男なのか。

「なにがわかったのかな、子龍は」

と、麋竺が不思議そうにつぶやいた。



孔明の読み通り、午後の裁判には、きちんと獄吏たちも参加した。

さすがに、裁判ばかりは仕事をしないわけにはいかなかったらしい。

しかし、罪人のほか、役人たちも一様に不服そうな顔をしていて、場の空気はぴりぴりしていた。

第三者が見たら、だれの裁判か分からなかっただろう。


しかし、そんな不穏な空気も、孔明が裁判の罪状を読み上げ、それから裁きを下すと一掃された。

コソ泥、覗き魔、人殺しといった不穏なものから、近隣の住民同士のいざこざ、夫婦のもめ事といった日常的なことまで、孔明はつぎつぎと、よどみなく適切に裁いていったのだ。

裁いている側の孔明からすれば、当然の仕事をこなしているだけなのだが、裁きを聞いている側、そして裁きを受けた側、みなが目をまん丸にして、

「今度の軍師はすごいぞ」

ということをささやき出した。

それほどに、裁判の判決が公平で、不満の少ないものになったのである。


つづいて行った陳情についても同じくで、孔明が人の話を良く聴くこと、そしてきわめて核心を突いた答えを返すことに、だれもがおどろいて、

「おさすがです」

と賞賛しきりだった。

孔明はこれまた内心、にんまりしたが、表には出さない。

自分が誇らしいというのもあるが、それ以上に、感謝されたことがうれしいのだ。


傍らで手伝ってくれていた麋竺が、しきりに、

「こりゃすごい、こりゃすごい」

と興奮しているのもまた、ひそかに孔明を喜ばせた。

陳情を聞いてもらった民の中には、孔明を拝む者すらいた。

それどころか、なけなしの宝物を差し出そうとしてくる者もいて、かたわらにいた役人に丁寧に止められたほどだ。

みなに逆らって、孔明側につく判断をした書記たちも、心なしか興奮しているようである。

自分たちのほうが正しいと証明されたのが、うれしいのだろう。


つづく

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