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雨の章 その6 呪詛


「子龍、おまえ、あやういぞ」

開口一番に、潘季鵬(はんきほう)は言った。

趙雲は、言葉の意味をつかみかね、戸惑った。

潘季鵬は、まわりくどい言い方をする男ではある。

だが、まず、ことばの意味がわからない。

あやういといわれなければならない部分は、自分のどこにもないように思われた。


公孫瓚のもとに集まった若者のなかでは、趙雲は抜きんでていた。

それは自他ともに認めるところだ。

怪訝そうにしていると、潘季鵬はつづけて言った。

「おまえは殺しがうますぎる。殺しが巧いのと、立派な武人であることはちがうぞ」

「殺しがうまい?」

趙雲が鸚鵡(おうむ)返しにすると、潘季鵬は、大きくうなずいて、そのほそくするどい双眸で、射抜くように趙雲を見すえた。

「おまえは弓で人をあやめるときに、あきらかにたのしんでいる。

敵に勝つことではなく、敵をほふる、その行為自体を楽しんでいるのだ」


そういわれて、背中がぞくりとした。

戦場では大義名分があるからこそ、人を殺すという行為を平気でこなすことができる。

敵を多く殺すことができ来るものは、すなわち正義を守る者なのだ。

乱れた天下を正し、平安をもたらす。

少年の趙雲はそのための尖兵として戦っているつもりであったから、大義名分を忘れて、殺しを楽しんでいるのだ、と指摘されて、納得できなかった。


「そんなことはない。おれはいつだって、殺す数が少ないほうがよいと思っているし、こんな世の中は、早く終わればいいと思っている」

趙雲が抗弁すると、潘季鵬は、きびしい眼差しのまま、つよく否定してきた。

「おのれの本性をいつわるな。おまえは殺しが楽しいのだ。

先の戦、俺も参加していたのだ。気づかなかったであろう?  

戦場でのおまえは、まるで笑いながら、馬を駆っているようであったぞ。

おまえは、自分のはなつ矢で、ひとが倒れるたびに笑っていた。まるで悪鬼のごとくにな」


戦場で戦うということは、物を右から左へとならべるような、整然とした作業ではない。

混乱と恐怖のなかでの命がけの仕事となる。

そんななかで、笑いながら人を殺していたとしたら、それは狂人だ。

たとえ命の恩人が相手だとしても、狂人だと指摘されては、趙雲は黙ってはいられなかった。


「それは嘘だ。おれは笑ってなどいない。おなじ場所にいたのなら、おれがどれだけ、敵をまえに」

と、ここで趙雲は周囲をみまわし、言いよどんだ。

そして、だれもいない、だれも聞いていないことをたしかめてから、潘季鵬に向きなおって、言った。

「おれが怯えていのが、見えていたはずだ」

しかし、潘季鵬は、きっぱりと冷たく、少年のことばをはねつけた。

「いいや。見えなかったな」

「それは、あの乱戦で、あんたがおれを見失っていたか、でなければ見間違えていたからじゃないのか。おれがどんなにこわくても戦うのは、負けたら死ぬからだ。

おれだけじゃない。仲間も死ぬ。だから、敵を倒すのだ。

おれは必死でやっている。笑ってもないし、楽しいからでもない」

「いいや、子龍。たしかにおまえは、始めは怯えていたかもしれぬ。

しかし、おまえは弓を敵に向けつづけているうちに、恐怖を忘れ、高揚感を感じていたはずだ。

戦場でのおのれの為したことを、すべて思い出すことができるか? 

おまえは夢中になって殺していた。じつに見事であった。

だが、あれは武人の振る舞いではない。おまえは確かに笑っていたとも。

なにが楽しかった? 敵を殺めることか? それとも、おのれの才能に自惚(うぬぼ)れたか」


それは、たしかに一部は、真実をふくんだ言葉であった。

極限状態のなかにあれば、記憶は、一時的にでも、吹き飛ぶ。

高揚した戦場の最前線で、笑っていたこととて、あったかもしれない。


趙雲は、ふたたび、ぞっとした。

花が一夜にしてしおれるように、急に自分に自信がなくなってしまったのである。

もし、その記憶が空白になっている、夢中になっていたそのときに、潘季鵬の指摘したような状況であったら、どうだろうと。

それでも、必死に、しかしちいさく、趙雲は抗弁した。

潘季鵬に逆らうことは、実の父親に逆らうことよりもきびしいことであった。

「ちがう。嘘だ」

言うと、潘季鵬は、虎のように吼えた。

「黙れ! この俺に逆らうのか!」

一喝され、白馬義従の若き勇士は、子どものように身をすくませ、沈黙した。


潘季鵬もまた、優秀な武人である。

趙雲は、常山真定(じょうざんしんてい)でよい師匠を得られずに、独自に武芸の才を磨いていたが、それを洗練したものに変えてくれたのは、潘季鵬だった。

師に逆らうのかと問われて、そうだと肯定できるほど、趙雲の自我は、まだはっきりと固まっていなかった。

はげしく渦巻くような胸の不満を押し殺し、うなだれた。

「もうしわけございませぬ」

潘季鵬は、納得したらしく、ちいさく息をついて、言う。

「おまえをここに連れてきたのは、俺のまちがいであったかもしれん。

早々に(けい)から離れ、常山真定へ戻るのだ。それがおまえのためだ」


趙雲は、混乱した。

自分がいままで必死で築いてきたものが、狂人の振る舞いと、なんら変わらぬと否定されてしまったのだ。

それも、心の支えのように思っていた、恩人の潘季鵬に否定されたのだから、たまらない。

それに、いまさら故郷に帰れというのか。

そのことも、趙雲の心を追いつめた。


つづく

ブックマークしてくださった方、ありがとうございました。

引き続きご来訪いただけるとさいわいです。

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