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序章 黒鴉の爪痕 その14 趙子龍のはたらき

兵舎から聞こえる兵士たちのにぎやかな声で、孔明は目が覚めた。

はっと気づいて起き上がれば、趙雲の小部屋には、自分ひとりがいるばかり。

起き上がるのと同時に、かけられていた布団がずり落ちる。

どうやら、趙雲は孔明に寝台と布団を譲ってくれて、自分は床にでも寝たらしい。

悪いことをしてしまったなと思いつつ、趙雲の姿を探す。

しかし、小部屋の衝立(ついたて)の向こうはもちろん、小部屋の外にも、かれの姿はなかった。


仕方がないので、いったん自分の部屋へもどる。

一晩、あるじがいなかった部屋は、しんとしていて、どこか空気も冷えていた。

孔明は着替えて、侍女の一人に髪を整えてもらうと、執務室に向かう。

すると、ちょうど執務室の入口で、孫乾(そんけん)の弟という孫直(そんちょく)と、簡雍(かんよう)の弟という簡啓(かんけい)のふたりに行き会った。


趙雲と、料理女の蘇果(そか)を取り合っているらしい孫直。

なるほど、間近で見れば線も柔和で、話しやすそうな明るい雰囲気があり、笑みの絶えない顔には、若いのに、笑い皺がうっすらでき始めている。

いかにも女人にきゃあきゃあ言われそうな美形であった。

年のころは孔明より、すこしばかり下、といったところか。

背丈は孔明より低く、ちょうど孔明の目のあたりに、かれの頭頂がある。


孫直は、孔明を上目遣いに見て、それから気まずそうに笑って見せた。

「今朝から出仕させていただきます、ご迷惑をおかけしました」

耳に心地よい澄んだ声だ。

簡啓も、孫直にならおうとしているらしく、その背後で、おとなしくしている。

どうも自己主張の苦手な気質なようで、目が合うと、何も言わずに、ただ深々と礼を取るばかりだった。


どういう風の吹きまわしか、と不思議に思う。

孔明に反発する者たちのなかでも、孫乾と簡雍は、かなり時間をかけないと折れないだろうなと思っていたからだ。

その弟たちが、まずやってきたというのは、歩み寄ってくれているということなのか?

孔明の思いを表情で読み取ったのか、孫直が言う。

「今朝、子龍どのが我が家においでになりました。

軍師どのにあまり迷惑をかけてはならぬとわれらも叱られまして、わたしはなるほど、その通りと思いまして、心を入れ替えた次第です」

「子龍どのが」

オウム返しにする孔明に、簡啓がことばを引き取る。

「はい。軍師どのは並の方ではない、いまここで頑なに無視すれば、のちのちおまえたちは後悔することにもなろうともおっしゃられまして」

半ば脅しだ。

なかなか突っ込んだ話し方をしたものである。


とはいえ、孔明としては、趙雲が自分のために働いてくれたのだと思うと、素直にうれしかった。

昨晩、ともに楽しく飲み交わしたあと、趙雲は早朝に起きだして、孫乾と孫直の屋敷、それから簡雍の屋敷に回って説得をしたのだろう。

ざんねんなことといえば、本命といっていい、孫乾と簡雍がこの場にいないことだった。


「兄たちは、まだ状況を見定めたいと言っております、申し訳ありませぬ、頑固な兄でして」

と、孫直は、甘い顔に、芯から申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「よいのです、貴殿らが集まってくれただけでもうれしい。

さあ、ともに仕事を片付けようではありませぬか」

孔明の(ほが)らかな態度に、青年たちはホッとした顔をして、それぞれ席に着いた。



その日を境に、孫乾らに遠慮して孔明を無視していた者たちが多く戻ってくるようになった。

かれらはいままでの分を取り戻そうとしているのか、懸命にはたらく。

孫直も、へらへらした男だが、なかなか使える男で、口がうまいうえに、愛想がよく、とくに家臣たち同士をつなぐ、潤滑油のような役目もしてくれた。

簡啓は几帳面で数学が得意で、麋竺(びじく)のいい補佐をしてくれている。

仕事が目に見えて楽になった麋竺もほくほくで、

公祐(こうゆう)(孫乾)も憲和(けんわ)(簡雍)も、戻ってくれば良いものを」

と、この場にいない者に同情を示す余裕すらできるようになった。


麋竺の印象は、城全体の印象になりつつあるようだ。

孔明の評判とおなじく、自分たちへの批判も聞こえてきているようで、あるときなどは、孔明が人の気配を感じて執務室の入口を見ると、簡雍がちらちら中をうかがいながら、廊下を往復しているのを見つけた。

孔明はすぐさま立ち上がり、

如何(いかが)です、少し中に入って、お話しませぬか」

と声をかけた。

だが、簡雍は

「とっ、とんでもない!」

と顔を赤くして、去ってしまった。

しかし、その後も、簡雍は執務室の側でうろうろしていて、かなりこちらを気にしているのは明らかである。


孔明は趙雲にも礼を言いに行った。

どうも、『あの趙子龍が言うのだから』というのが多く戻ってくれた家臣たちの本音のようだったからだ。

しかし、趙雲は照れているのか、それともほんとうに当然だと思っているのか、

「そうしたほうがよいと思ったことをしたまでだ」

と、表情も変えずに言う。

「お礼をさせてもらいたい。貴殿にはなにがよいだろう」

孔明がたずねると、趙雲は小首をかしげてから、

「当然のことをしたのに、礼を貰うのはおかしくないか?」

と不思議そうに言う。

なるほど、その通りかもしれないと孔明も思ったので、そのうちに、また二人でゆっくり飲もうと誘うと、やっと趙雲の顔が晴れ、嬉しそうになった。


つづく

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