↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/476

序章 黒鴉の爪痕 その13 孔明の悩み

ふと、趙雲が目を開き、言った。

「軍師、おまえは隆中(りゅうちゅう)に妻女と弟を残してきたはずだったな。新野城(しんやじょう)に迎えたほうがよくないか」

急に自分の家族の話になったので、孔明は一瞬、ことばに詰まった。

その様子を見て、趙雲はなにを思ったか、すまなさそうに言った。

「出過ぎたことばだったか」

「いや、気遣いをありがとう。弟にはさっそく手紙を書こう。とはいえ、あれはとことん身内だけでいるのが好きな質(たち)だから、新野城には来ないと思う。その代わり、安全な……そうさな、比較的安心な荊南(けいなん)に移るように書いておく」

「そうか、それならばよい。で、妻女はどうする」

孔明はまたも、ことばに詰(つ)まった。

正直に打ち明けるべきか否か。

趙雲は徐庶の言うとおり、信頼できる男だろうから、すべてを打ち明けてもかまわないだろうと孔明は思う。

しかし、それでも自身のこころのいちばん奥を開陳(かいちん)する勇気が出ない。

「いや、あの人は大丈夫だろう」

それだけ言うにとどめると、趙雲は何を察したか、そうか、とだけ相槌を打って、それ以上のことは言わなかった。


※


けして趙雲が悪いわけではないが、妻女……黄月英(こうげつえい)のことに触れられたことがきっかけとなり、その日の孔明の調子はふるわなかった。

執務室で自分なりに努力して仕事を片付けたけれども、いつもならしない小さなあやまりが起こり、変わらず手伝ってくれる麋竺(びじく)を心配させてしまった。

「あまりお顔の色がよろしくない様子。このところ根を詰めておられるようだし、すこし休まれてはいかがか」

と、麋竺が言う。

そうか、顔色がよくないか、とおのれの頬に手を当てつつ、孔明は笑って答える。

「ご迷惑をおかけして申し訳ない。ちょっと昨夜はよく眠れなかったものですから」

「それはいけない、やはり休まれたほうがいいのでは」

「原因はわかっておりますから、大丈夫です」


『黒鴉』が嫌がらせを仕掛けてきたことも引っかかっているが、妻のことも頭に引っかかっている。

黄月英は当代でもめずらしいほどの才女である。

なぜか孔明は月英の父・承彦(しょうげん)に気に入られ、月英の婿(むこ)に選ばれた。

ほとんど無理やり押し付けられ、結婚させられたようなものだったが、結婚してみればその生活はなかなか悪くなく、隆中に引っ込んでも、ふたりは弟夫婦らとともに、田舎の暮らしを面白おかしく楽しんでいた。

様子が変わって来たのは、劉備が孔明の庵に、軍師として招きたいと訪れるようになってからである。

孔明が世に出ることを迷っているのを見てか、彼女もまた、なにも言わないでいてくれた。

『いや、いま思えば、あの沈黙は不自然だった。わたしは、わたしのことにかまけ過ぎて、月英のことを思いやれていなかった』

三度目に劉備が庵を訪れたとき、確かに朝まで月英は庵にいた。

ところが、劉備の元へ行くと決めて荷造りを始めたそのなかで、いつの間にか姿を消してしまったのだ。

庵(いおり)で召し使っていた小僧が言うには、

「郎君には、『しばらくわたくしも自分の用事を果たしにいくから、心配しないで新野城で活躍してください』と言付(いいつ)けしておくれ」

と言い残していったそうだ。


以来、弟夫婦に頼んで月英を探してもらっているが、いまのところいい返事が来る気配はない。

『わたくしの用事』とは何なのか、それがわからない。

まさか、自分の母方の親戚である襄陽(じょうよう)の蔡瑁(さいぼう)の一族のところへ行ってしまったのかとも思ったが、いまのところ、その様子もなさそうなのだ。

『わが君についていこうという、わたしの決断が許せなかったのか……いや、そうであれば、率直に意見を言ってくれるひとだ。そうではないのなら、いったいなぜ?』

竹簡(ちくかん)に文字を綴(つづ)るための鉄筆(てっぴつ)に漆(うるし)をひたしているあいだ、そんなことを考えていると、麋竺が腰を浮かせて、執務室の戸口に礼を取る。

孔明は現実に引き戻された。

劉備が戸口で、孔明たちの様子をうかがっていたのである。


「邪魔したかな。仕事の調子はどうだ」

「おかげさまで、上々でございます」

孔明が筆を置いて礼を取ると、劉備は満足そうにうなずいた。

しかし、劉備は空席となっている孫乾(そんけん)のための席を見るなり、顔を曇らせる。

「なんとかしなくちゃならんかなあ」

それを察し、孔明は申し訳ない気持ちになって、謝罪した。

「わたしの不徳のため、公祐(こうゆう)(孫乾)どののお心をほぐしきれず、申し訳ございません」

「いや、孔明のせいじゃない、それこそ、わしの不徳の致すところだ。ううん、どうしたものかねえ」

劉備は顎(あご)を撫(な)でながら考えている様子だが、そのうち、ぱっと表情を変えて、孔明に言った。

「すこし席を外せるか。話がしたい」

言われるまま、孔明は麋竺たちにあとを任せて劉備のあとについていった。


つづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。