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2章:エネミー


「…ん」


あぁ、久しぶりにぐっすり眠れた気がする。

思考がすこぶるクリアだ。


ゆっくり目を開ければ、そこに映るのは灰色の空ではなく人工の明かりと綺麗な天井。

起き上がろうと手をつけば、そこに有るのは瓦礫ではなくサラサラのシーツ。

鼻につくのは、ホコリや煙,腐臭ではなく消毒の香り。


「ゆめじゃ、なかった」

私は、ちゃんと生きた世界で目覚めたんだ。


感動を噛み締めながらぐるりと辺りを見渡す。

うーん…ここって窓がないし、この位置からじゃ時計も見えないから時間が分からないや。

誰もいないみたいだけど、どのくらい寝てたんだろう。


とりあえずベットから降りようかと両足をブラリと縁から投げ出したその時、ドドドドと地鳴りに似た音が近付いて来ているのに気付いた。


え、何??襲撃??


逃げた方がいいのだろうか。でも、どこに?

『楽園』なんて場所、文字面に反して右も左も敵だらけにしか思えないのだけど。

恐怖ですくんだ身体を固くすれば、ギッとベットが鳴る。


そうしている間にも音はすぐそばまで迫り、遂に扉の前でキキッと止まった。

全力疾走をしたかのように暴れる私の心臓を他所に、数拍の沈黙。

そして…


「おおお、お邪魔しますぅぅぅぅぅ!!」


バァァァァンッ!!と、とんでもない音をたてながら扉が開かれ…

いや、違うなコレ。完全に扉壊れてるよ。ひしゃげてるもの。

どうして鍵もかかってない扉壊すかな。

やっぱここにいる連中は恐ろしい。


だらだらと冷や汗を流しながら、私は襲撃者(仮)に目を向ける。

そこにいたのは厳ついヤンキー…などではなく。


「はわわわわ!?ごめんなさい!!加減間違えました!!」


薄桃のボブカットの髪と桜餅に似た色合いの瞳が可愛らしい、セーラー服をまとった小柄な女の子だった。

え、この子が壊したの?こっわ。


あぁでも…成る程。私は知っているよ、この子の事。


《きゃははははは!!!ネェ、死んでくださいよぉ!!》


「…っう」

脳裏にフラッシュバックした彼女の"記録"に、せり上がってきた吐き気を抑える。

口に当てた手は情けなくも震えていた。


私は余程酷い顔をしていたのだろう。

彼女はただでさえ大きな目を丸くして、くしゃりと心配そうに顔を歪めた。


「はわわわわ!?どうしました!?ごめんなさい!!ビックリさせるつもりじゃなかったんです…!!」

「………」

「あーもう!わかってるよぅ!だからゴメンってば!!悪気はなかったもん!!」


ちょ、まってまって、増えてる。

ホントに少し目を離した一瞬で、彼女の隣にひょろりとした黒マスク学ランの青年が立っているではないか。


「………」

「酷い!!ゴリラって言うことないじゃん!!」

「………」

「それは大丈夫だもん!!ほぅら、荷物は無事ですぅー!!」


喋ってる様子はないのにどうやら少女には通じているらしく、言い争い?のようなものを始めてしまった。

うーん…見た目といいアンバランスな人達だな。

おかげで少し肩の力抜けたけど。


ところで、青年の方は誰だろう。

こんな()()()()いたっけ…?

まぁいいや。いい加減止めよう。

とりあえず要件を聞きたいし、こう言っちゃ何だが普通に五月蝿い。


「あ、の…」

とはいえ、怖いものは怖いから口からでた声は当たり前のように裏返ったよね。情けない。


ぎゅんとこちらに向けられた色彩豊かな瞳に、嫌悪感が渦巻いて生唾を飲み込んだ。


「はわわわ!重ね重ねすみません!!あの、お姉さん!私、熊ヶ峰(クマガミネ)二菜(ニナ)です!よろしくお願いします!!」


物凄い勢いで私の眼前までやって来た彼女は、風を引き連れながら90度のお辞儀をして名乗る。

ふわりとまった髪を抑えながらその頭のてっぺんをぼんやりと見つめた。

あぁ、やっぱり…そうなんだね。


熊ヶ峰二菜。


《もう!じゃまですよ、虫さん達》

《助けてくれ!頼む!!》

《なんでですか?とりあえず気持ち悪いので、速やかに死んでくださいよ!!!きゃは!》


数十、いや数百人もの一般人を瓦礫や巨大な鉄球で何度も何度もぐちゃぐちゃに押し潰しながら、可愛らしく笑っていた少女の名前だ。


《待って!もう死んでるじゃん…!!それ以上はやめてよ!!》

《なんですかあなた?虫さんですか?二菜を止めて良いのは…あの子だけなんですよぉぉぉ!!》


ぐしゃり。ごしゃり。ぐちゃり。びちゃり。


「ヒュッ」


目の前が紅く染まっていくと同時に、全身に鈍痛が走ったような錯覚。

"記録"が精神を蝕んでいくのが分かるけど…どうしたら良いのか分からない。


「お、お姉さん!?あの、どうしました!?二菜、何か失礼を…しちゃいましたか?」


紅く、目が回ったような視界の中、彼女の泣きそうな顔と"彼女"の猟奇的な顔が重なった。

何か?何かしたか…だって?


「……の」

「え?」

「私に!!何度も何度も何度も鉄球を叩き付けておいて、何言ってんの!!!止めてって言って、も…あっ!!」


叫んでからしまったと思って口を塞ぐ。

違う。それは、"この子"じゃない。

何言ってるのか、なんて…私の方だ。

だってこんなの八つ当たりじゃないか。

でも…分かっていても…渦巻く感情が制御できなくて気持ち悪い。


「…あ……っ、その…」

青ざめた表情の彼女に謝らないといけないのに…弱い私は、たった6文字の言葉すら紡げないんだ。


そんな私に反して、彼女は強かった。


「お姉さんは、その、二菜の事…凄く凄く嫌いでしょうけど、二菜はお姉さんの助けになりたいんです!!」


強くて、真っ直ぐで、凄く羨ましい。

知っている姿より成長しているとはいえ、私より年下の筈の彼女の方が私なんかより余程お姉さんじゃないか。

考えたら物凄く恥ずかしくなって、半ば意地でひりつく喉を震わせた。


「ごめ、なさ…」

「いいんです!!気にしないでください!!そりゃ、悲しいですけど…二菜は頑張りますので!」


にぱっと笑うその顔は、私の知らない彼女の表情。

あぁ、"記録"よりこの表情の方が可愛いし…似合ってるって思うよ。


「だから、いつかお友達になってくださいね!!二菜、たぶんお姉さんの事好きですから!あ!着替えとか持ってきたので置いときますね!それでは!」


言いたいことだけ言って、彼女は来た時のようにびゅんっと走り去ってしまった。

気を遣わせたのか、元々落ち着きがないのか…たぶん両方だな。

そんな元気一杯の姿に小さく笑いをこぼし、罪悪感に痛む胸に手を当てた。


次にあの子に会うときは、真っ先に今の笑顔が思い出せると良いのだけど…


「…あの」

「え!?」

静寂が戻った室内へポツリと落とされた低めの声に、私はビクリと肩を跳ねさせる。


見ればくすんだ金髪のひょろりとした青年がまだいるではないか。

完全に忘れていた…

というか、喋れるんだね。


「………」

「あの、えっと…?」


困った。また無口になってしまった。

私は彼女…熊ヶ峰さんじゃないから、全く読み取れないのだけど。


と、どうしようかと視線を彷徨わせる私をじぃっと見ていた彼は、おもむろにマスクに指をかけ…さっと顎までずり下げた。


現れたその顔に数度瞬く。

この顔は、見たことあったような…

が、私が記憶をたどるよりそっと彼が口を開く方が早かった。


「先程は馬鹿でゴリラの熊ヶ峰が失礼しました扉壊すのもう今月だけで両手越えてるしいい加減にしろって話なんですがあの馬鹿には本当に悪気がないので許してやってくださいそれとたぶん馬鹿っぷりは一生直らないと思うので今後もやらかすでしょうけど大目に見てやってほしいです」

「なん…え???」


突然ノンブレスでドバッと浴びせられた、まるでスコールのような早口の言葉に思考が止まる。いや、ついていけなくなった。

ただでさえ混乱気味だったのに容赦なく情報量増やすの止めてほしい。

あと女の子にそんな…ゴリラとか馬鹿とか言うのはどうかと思うよ。


「あとあいつの事は気にしないでいいですから三歩歩けば大体嫌なこととかは忘れてるので気まずさとかあなたが感じる必要ないです本当にあぁですが馬鹿だけど悪い奴ではないので少しずつでも仲良くしてやってください」

「は、はぁ…」


気圧されたまま呆然と返事を返せば、青年は満足そうにつり目を細めて笑った。

意外にも人懐こい笑顔だな、なんて。

そんな事を考えているとまたドドドドという音が近付き、扉の失くなった出入り口にキキッと再び熊ヶ峰さんが現れる。


「あ!やっぱりいた!お姉さんに迷惑かけちゃダメだよ!」

「いやただお喋りしてただけだし扉ぶち壊したどっかの馬鹿ほど迷惑かけてないっていうか勝手に置いてったのお前だから小生悪くないしどっちかと言えば馬鹿なお前に振り回されてる被害者みたいなもんなんだけど」

「ズルい!私も沢山お喋りしたかったのに!とにかく、任務だからいくよ!!お姉さん、失礼しました!」

「あそうだ小生は九重(ココノエ)(イタル)といいまs…」


にぱっと快活な笑顔を残し、熊ヶ峰さんは話半ばで青年の腕をつかんで走り去ってしまった。

あのまま走って彼の腕は取れたりしないのだろうか…

尚、私は最早嵐のような状況に付いていけず、完全に処理落ちしてる。


しばらく…とはいっても数分くらいだろうけど、静かになった保健室でぼんやりしていた。

そして、ふと思い出す。


「九重って…あぁ、いたな。すっごくお喋りな奴」


《あぁぁぁぁぁ!!目障りだから早く視界から消えてほしいっていうか本当さっさと終わらせて帰りたいから逃げないでほしいし五月蝿いのホントに無理だから騒ぐの止めてほし…あぁぁぁもう五月蝿い五月蝿い五月蝿い最悪最悪最悪!!そうやってさぁ小生を責めないでよ!!!》


いつだってきぃきぃ騒ぐソイツはその辺の悲鳴よりずっと五月蝿かったのを覚えている。

チェーンソーに似た武器も本人に負けず五月蝿くて…


《きぃぃぃぃぃぃ!!!お前の悲鳴もお前の呼吸もお前のもお前の心臓も五月蝿い!!!》

《え…?》


ぎゅいいいいいいいん


「…っ」

ダメだ、また…!


たぶん彼は優しくフォローをしてくれたのに、それを塗り潰していく"アイツ"の紅い記憶。

あぁ、どうしてもあの世界は私を蝕むというのか。


「綴戯くん…!?大丈夫!?これは一体…何かあったのかい!?」

浅い呼吸を繰り返していると、いつの間にか来ていたらしい東雲さんが壊れた扉と私を見て心配そうに駆け寄ってくる。


「あ…その、熊ヶ峰さんと、九重さん、が…」

「あぁ…成る程」


ストンと納得したように落ち着いた東雲さんを見るに、彼女のこの暴挙には慣れっこなのだろう。

成る程で済むんだね、コレ。


「一応聞くけど、何もされていないかい?」

ベット脇にしゃがんでこちらを見上げる瞳に、私はまた胸が痛くなった。


「…すごく、優しく、してもらいました…っ…でも、でも私、は!!」

得体の知れない私にも明るく接してくれて、気を遣ってもらって…それなのに、何一つ気持ちを返してあげられない自分が嫌になる。


「そっか。大丈夫だよ綴戯くん。ゆっくりでいいんだから」

あぁ、この人もだ。

なんで皆、こんなに優しいのだろう。


それに甘えるだけの私は、なんて狡いのだろう。


「ありがとう、ございます」

溢れそうな涙を堪えて小さく呟く。

あの二人にも、ちゃんと言いたいな。


私の様子に安心したのか、東雲さんは微笑んだまま立ち上がりデスクにつく。

彼曰く私は丸1日眠っていたらしい。

ビックリしたよね。

どうりでスッキリしてるわけだ。

我ながら図太いな私。


「きっと色々あって疲れてしまったんだろうね」

「そう、ですかね…」


まぁ確かに、世界が変わったとか、死んだ筈のトラウマ野郎が生きてるとか…主に精神はヘロヘロに疲弊したけど。


「よし、体は大丈夫そうかな」


体温を測ったり簡単な問診を終えてふぅと一息つくと、廊下からカツカツと足音が聞こえてきた。

扉無いから良く聞こえるな、なんてのんびり考えていたのが悪いのだろうか。


「よ!元気?気分はどうよ?」

「今この瞬間最悪になった」

「は?なにそれ、うっざ」


束の間の心の平穏は、ひょいっと現れた男によって秒で崩された。

気だるげに元扉があった枠に寄りかかり、こちらを睥睨する満月に鳥肌が立つ。


「一ノ世くん?朝からこっちにいるなんて珍しいね」

「あー…まぁね」


どこか決まり悪そうにがしがしと頭をかきながら、一ノ世はその長い足でこちらへ歩いてきた。


「つーかさ」

そして無遠慮に私を指差す。

人を指差すな、なんて常識でしょ。なんなのコイツ。

行動がいちいち目について心がささくれ立っていく。


「なんで君着替えてないわけ?ソコの扉を見るに、くま子来たよね?」


ベット脇の荷物ではなく、真っ先に扉で判断されるんだあの子…常習犯過ぎない?普段どれだけ壊しまくってるの。

というかくま子とか…人をあだ名で呼んだりするんだねコイツ。


「はー…面倒くさ。早く着替えてくれない?」

「はあ?なんでお前に指図されなきゃなんないの!!」

「はいはい五月蝿い五月蝿い。用事があるんだからさ。あー…さっさと着替えないなら…」


一ノ世は布団を握り締めてきゃんきゃん騒ぐ私に音もなく近付いた。


「脱がしてやろうか」

「ーっ!!!!死ね!!変態!!!」


枕を投げつけた私は悪くない。

当たらなかったけどね。チッ!!!


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


あの後渋々着替え、シンプルなワンピース姿になった私はとある部屋に案内されていた。


「ここは…え、何??」


思わず顔をひきつらせてそう尋ねる。

このご時世には滅多にお目にかかれない白熱電球がチカチカしているそこは、薄暗くて酷く埃っぽい。


「見て分かんない?図書室でしょ」

「はぁ!?倉庫の間違いじゃないの!?」


確かに良く見れば壁際に本棚も本もあるけれど、まずもってそこにたどり着けない程に溢れかえった物、物、物…

瓦礫の世界から来た私が言うのもなんだけど、汚いにも程がある。


「はー…面倒くさ。仕方ないだろ。ココ使う奴とかマジで居ないんだしさ」

立派な学園を島の中心に据えてるクセに能力者は勉強をしないのだろうか。

一ノ世はドン引きの私など知ったことかと笑顔を浮かべ、パンと手を打ち鳴らす。


「ってことでさ、今からこの部屋は君のね」

「は??」


いきなり何を言い出すんだこの男は。


「君の肩書きは学園の司書。つまりココの管理人な訳。俺が戸籍からぜぇんぶ作ってやったんだから感謝してよね」


ゴーイングマイウェイも大概にして欲しい。

いちいちもたらされる情報量が多すぎるんだよ。

そもそも当人の知らない間に、その、良く分からないけど全部終わってるとか…


「って、ちょ、待って!戸籍!?しかも1日で!?嘘でしょ!?」

「はいはい俺ってば優秀優秀ー」


優秀通り越していっそ怖い。

間違いなく法外な手段使ってる。


「そもそも司書って何。…私、この先『楽園』にいるつもりないよ。普通の生活に戻…」

「それは認められない」


能力を使ったのか、それとも錯覚なのか。

一気に重くなった空気に口をつぐむ。

別人のように鋭い視線は真っ直ぐ私を射抜いていた。


「な、んで…」

「君の持つ"記録"はさ、危険すぎるんだよ。万一それが誰かに開示されたら…俺ら"能力者"はどうなると思う?」

もしあの"記録"が…能力者の反乱が見られたら…?


「答えはシンプルでさ。俺らは危険視されて殺される。わかる?犯してもない罪で断罪されんの。ふざけるなって話でしょ」

「…っ」


息を飲んだ。

そりゃ、そうだろう。

だってつまり、"こんな可能性があります"って言ってるようなものなのだから。

それも"記録者"が伝えるのだ。信憑性はピカイチ。

危険視されるのは当たり前で、殺される…それも、現実的だった。

"こちら"の能力者達にとってそれは…あまりにも理不尽でしかない。


「悪いけどさ、俺ってばこれでも仲間が大事なんでね」

「…つまり、監視したいんだ。私を」

「そゆこと!ま、悪いようにはしない。それは約束するさ」


文句も何も言えやしない。言える立場じゃない。

ここにいるだろう何十、何百もの命を握らされているのだ。

絶対に言わないから大丈夫、なんて言葉はあまりにも無責任過ぎるだろう。


何より、私が彼らに苦手意識を持っている…そう知られている時点で詰んでいた。

初っぱなから信頼関係が破綻しているもの。


「…これがさ、最大の譲歩なんだよ。全部俺の独断。上には君のもつ"記録"も体質も伝えてない」

「…え?」

「じゃ!そういう訳だからさ、掃除頑張ってね」


面倒くさそうに欠伸を溢しながら、一ノ世は私を部屋に取り残してさっさと出ていきやがった。


「っの、クソ野郎!!!!!!」


ガツン!と近くに転がっていた椅子を蹴る。

普通に痛かった。

アイツが仲間を守る為にって言ってることは分かる。


けどそれと同時に、私までもが守られた事も分かってしまった。


一ノ世の言った事を考えれば、上に私の"記録"が知られたら…たぶん、もう外には出られない。

殺せたなら間違いなく殺すのだろう。

けど、私は死なないから。

あぁでも…実験動物にはされたかも、なんて。


…なんで、私なんかを守るんだよ。

だってただの部外者じゃないか。面倒事そのものじゃないか。


そんな私を助けるなんて、私の知る"アイツ"じゃ考えられない。

一ノ世に向き合いたいとは思うけど、こうやっていざ"アイツ"との違いを突き付けられると…気持ち悪くてどうしたら良いか分からなくなる。


どうして、私の世界はこっちじゃなかったんだろう。


あぁもう、考えるのは止めよう。

私は監視対象。それでいい。それだけでいい。

…どうせ帰る家もないのだから。


「はぁ…というか、掃除って言われても…」


眼前に広がる光景にため息を禁じ得ない。

でも、頑張らないと自分の生活空間がこのゴミの山って事になる訳だし…

文句言ってても仕方ないね。やろう。うん。


「ええと、道具…あ」


まって、初手で詰んだ。

今時の主流は箒や雑巾じゃなく部屋に備え付けられたお掃除ロボだけど、この…文明の流れに喧嘩を売っている剥き出し電球を見るに期待薄。そもそもこの物が溢れ返った状態じゃお掃除ロボも入れやしないだろう。


なら人力で、とは思っても掃除用具入れは見あたらない。

つまり、手ぶら。道具が無い。

どうしろと言うのだろう。

探す?どこを??さすがに掃除用具入れの"記録"なんて無いぞ。


コンコン


一人途方に暮れていると、控え目なノックが扉から響いた。

え、うそ。

ちゃんとノックするって常識持ってる人、いたんだね。

地味に感動していると再びコンコンと鳴ったので、慌ててどうぞと声をかけた。


「失礼する」


落ち着いた声にじっと扉を見つめる。

ほどなくしてカチャリとノブをひねって現れたのは、声の通り落ち着いたスーツ姿、きっちりと整えられた七三ヘアの男性だった。

灰色の虹彩と深い青の瞳がなければただのサラリーマンにも見える。ただし爽やかさのある整った顔つきだけはアイドル寄りだが。


「お前が綴戯で合っているか?」

「へぁ、あ、はい。綴戯栞里です」

「そう固くならなくて構わない。私は七尾(ナナオ)晴樹(ハルキ)。学園で教師をしている」


滅茶苦茶まともな人が現れた事実に、謎の感動を覚えた。

ただ…七尾晴樹?本当だろうか。

"記録"した姿と全く違うような気がするんだけど…

思い出そうとしたところで、ずいっと差し出された物に驚いて思考を止めた。


「先程一ノ世にここに住まわせると聞いてな。…掃除用具がいるだろう?」


箒やバケツ、雑巾といった道具一式を持っていた七尾さんは、少し申し訳なさそうに笑う。

私はと言えば色々と予想外すぎて体が動かない。


「まったく…アイツはどうにもそういう、気遣いが抜けててな」

「いえ…これは気遣い以前に、性格の問題かと」

「はは、手厳しい」


カラカラと笑いながら、七尾さんは然り気無く道具を床に置いてくれた。ありがたい。

凄くいい人なのは理解してるのだけど、名前を聞いてしまうとどうにも"記録"が邪魔をして…手を伸ばすのが怖くなってしまったから。


「用具入れはここを出て左。二番目の部屋だ。鍵も置いておくから終わったら閉めておいてくれると助かる」

「は、はい!ありがとうございます!」

「いや。本当は手伝えれば良かったんだが…すまないな」

「お気持ちだけで十分すぎます…」


本当に、なんていい人なのか。

心配りが暖かすぎて涙腺が緩む。

涙を堪えようとしわくちゃな顔をした私を見て不思議そうに首をかしげた七尾さんは、ブブブと聞こえたバイブ音に少し肩を揺らして小さくため息を吐いた。


「…あぁ、追加の仕事か」


囁くような声に悲痛な色が見えた気がする。

もしや"見た目サラリーマン"を裏切らない社畜街道まっしぐらな感じだろうか。

心なしかさっきまでピシッとしていた背は丸まっているし、目も死んでるような…


「あの、七尾さん…?」

「ハッ!あ、あぁすまね…いや、すまない。私はこれで失礼する」


シャキッと元に戻って背を向けた七尾さんを見送る。

最初の固そうなイメージがなんとなく和らいだ。

私は社会人をついぞ経験しなかったけど…大変なんだろうな。きっと。


「…さて。私も私の仕事をやろうかな」


七尾さんが置いてくれた箒を片手に部屋をぐるりと見渡す。

図書室ではあるらしいけれど本棚と本は後回しにさせてもらおう。

まずは足の踏み場が無いこのとっ散らかった床の惨状を何とかしないといけないからね。


そういえば…掃除なんていつぶりだろう。

こんな、当たり前の作業を懐かしむ日が来るなんて…変なの。

クスッと笑みをこぼし、私は掃除に取りかかった。


黙々と片付ける最中。私はさっき中断した"記録"を再び辿る。


七尾晴樹。

反乱軍に身を置いていた能力者の一人。


でも私の知るこの人は…


《勝手にくたばってんじゃねェ!オラ!立てよ!!まだ終わってねェだろ!!ア"ァ"!?》


とんでもなくオラオラ系だった筈なんだけどな…


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「…で?」


あれから三日くらいは経っただろうか。

私は今、保健室のベットで正座をしていた。

にこにこ顔の東雲さんがとても恐ろしく見える。


「綴戯くん、食堂に行ってないらしいけど…食事はどうしていたのかな?」

「いや、あの…食堂の存在を今初めて聞きましたし…」


どうやら学園の生徒は寮、職員は食堂で朝昼晩の食事が無料でいただけるらしい。

けど、私はそんな話まったく聞かされることなく一ノ世に図書室に放り込まれた訳で…


新しい司書の話は聞いていたのに当の私が一回も現れない、と料理担当のおばちゃんが東雲さんに報告したのだそう。

なんか御迷惑をお掛けしてしまったな。今度お皿洗いでもしよう。


「え、じゃあ、お姉さんは何を食べてたんですか!?」

「…っ!?」

「はわわ!?すみません!!」


たまたま保健室に居合わせた熊ヶ峰さんがずいっと身を乗りだし、私は反対に身を引いた。

お願いだから急に来るのは止めていただきたい。

彼女達に接するには、本当に心の準備がいるのだから。


「ええと、食事は…とってない」

「「「はぁ!?」」」


大声にビクリと体を震わせる。

というか、声多くない??見れば、いつの間にか九重さんもいた。

君は忍者かな?いや、滅茶苦茶お喋りだから違うか。


「な、何も食べてないんですか!?」

「あ、いや…水と中庭の雑草は食べたよ?」

「待っておくれ…ざっそう…????」


あれ?もしかして食べたらダメな草だったのかな…?


「おおおお、お姉さん、し、死んじゃいますよぅ!!」

「最初から細い通り越してガリガリだなとか思ってましたけどなんかもう更に減ったような気がするし本気で骨と皮と臓器だけになりそうで気が気じゃないんですがなにそれ新しい修行ですかこわ」

「ちょ、そんなに言われる事かな…?というか、死ぬことは無いから大丈夫だよ」


そう苦笑を溢すと、東雲さんがすんっと真顔になった。

保健室の気温が心なしか冷えた気がする。

熊ヶ峰さんと九重さんがそっと彼から一歩離れたのを見て、あ、ヤバイかなと思った。

時既に遅しだけど。


「人間は、食が基本です」

「えっと…でも私は…」

「でももだってもありません。それとも、適正体重になるまでベットに縫い付けて介護されたいんですか?手錠ありますよ」

「東雲さん???」


突然敬語で捲し立てられてビックリ。

冗談ですよね?と笑い飛ばしたかったけど、恐ろしいことに目が本気だった。

というか、何故手錠が常備されてるのだろう…

勝手に癒し枠に入れてたけど…もしや闇が深いタイプなのでは。


「ちゃんとしたご飯、食べますよね?」

「た、食べます…絶対」


二人に憐れみの目を向けられながら、私はこの人を怒らせるのは止めようと心に決めた。


「………」

「…九重さん?どうかした?」

「あの、至くんは…監禁は反対だけど自分もお姉さんの事は滅茶苦茶心配、的なこと言ってます!」

えっと…心配してくれるのは有り難いんだけど、何で急に無言になったのだろう。

逆に私が色々心配になるんだけど。


「ああ、彼は耳が良くてね。特に自分の声が五月蝿くて嫌いらしいんだ。だから極力は音に出して喋りたくないらしくて…」


東雲さんが指差した先を見ると、九重さんがちょんと熊ヶ峰さんに触れているのが見える。


「彼の能力は『振動』だよ」

「つまり…骨伝導的なアレですか」


成る程。原理は理解したけど…自分の声が五月蝿いって、なんか…うん、大変だね。

本人滅茶苦茶お喋りなのに。

というか、それなら私に直接触れれば良いのではないだろうか?

そう、彼が、私に手を伸ばし、て…


ぎゅいいいいいいいん


考えた瞬間せり上がってきた気持ち悪さに思わず口を押さえる。

ノイズが走ったような視界に、切断された私の腕が見えた気がした。


「綴戯くん?」


チラリと九重さんを見れば、どこか悲しそうな苦笑が目に入る。

…ああ、そうか。

気を遣われているのか、私は。


「…なんでもないです。すごいね、九重さんは」

能力もだけど、心も…私よりずっと凄い。


「………」

「少し寝た方が良いのでは?だそうです!二菜もそう思います!お姉さん、なんか寝不足って感じです!」

「まぁ、そりゃあんま寝てな…っ」


あまりに彼女の指摘が的確過ぎて、うっかり口を滑らせた。

慌てて口を塞いだけど…


「お話聞かせてくれるかな?」

「そ、掃除がなかなか終わらなかったのと、悪夢を見るので寝てませんでした!すみません!!」


東雲さんががたりと開けた引き出しから覗いた手錠に、私は隠すことなくぶちまけた。

そんな事務用品みたいにボールペンやメモ帳とかと一緒に入れておくのはどうかと思う。


あと、見間違いじゃなければ鎖とかデカイ南京錠とか色々ヤバそうな物があったような…止めよう。

こちらが深淵を覗くとき深淵もまた…って奴だ。


「はぁ…気付かなかったこっちも悪いけど、君は無茶をしすぎだよ。悪夢は仕方ないとして、掃除は急がなくてもいいんだから」

「でも、他にすることもありませんでしたから」


何かしてないとすぐ思い出してしまうから。

だから無心で掃除している間は気が紛れて楽だったんだよね。

おかげさまで図書室はかろうじて人が過ごせるくらいには綺麗になったし。

まぁ、まだ本棚の整理は出来てないけど。


「あの、お姉さん!!!」


突然大きな声を上げた熊ヶ峰さんをぎょっと見つめる。

至近距離で被弾した九重さんが凄い顔してるけど…大丈夫だろうか。


「二菜とお出かけしましょう!!!」

「え??」


なんて??


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