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8-2


「では、まずは基礎体力作りから始める。昼まで鬼ごっこだ」


キラキラと夏の日差しを喜ぶ木々が木漏れ日を落とす森の中。

草木の香りを運ぶみずみずしい風と共に届いた七尾さんの言葉は、戦闘強化合宿の訓練と言うには気の抜けるような響きを持つ単語だった。


「お、鬼ごっこ…?」


それはあれか?子供の頃公園やらでわいわい駆け回りながらやっていた、はいタッチ!次お前鬼な!ってアレか?


「可愛いのは名前だけですよ」

「毎年コレが一番キツイんじゃないかって僕は思うよ」

「わたくしもコレやりましたけど、良い思い出がありません。ね?」


皆が語る口調から香る"鬼ごっこ"のスパルタ臭に一体どんな内容なのかとドキドキしていると、いつの間にか七尾さんの隣に別の人が立っていた。え?本当にいつの間に?


ボディビルダーかと思うくらい筋骨隆々で尚且つモサい体をぴっちぴちの白いTシャツと黒のパンツに包んだその人はしかし、筋肉を魅せるようなポージングをとるでもなくクネクネとしなやかに体をくねらせている。


怪しげな動きの筋肉ダルマという既に視覚に絶大なダメージを与えてくる存在だが、まだそれでは終わらない。


その人物は青髭に囲われた真っ赤なルージュがべっとり塗られている厚い唇をチュ、と尖らせ、紫系のアイシャドウ煌めくギャルもビックリなバサバサのまつげに覆われた瞳でもってばちーんとウインクして見せたのだ。


「ウフン♪アチシを呼んだかしらん♥️」


なんか、どえれぇのが来た。


「な、何あれ??」

「鬼ごっこ用教師型アンドロイド。マリアンヌさんです」


アレが人間ではない?凄くリアルと言うか、ロボ感は全く無いのだけど…本当に生きて動いてるようにしか見えない。

マッチョオネェのアンドロイドなんて作った人は何がしたかったのか切実に気になるものの、今は別の単語の方が気になって首をかしげる。


「鬼ごっこ用?そんな専用品なの?」

「ええ。戦闘力はありませんからね。追いかける、逃げる、捕まえる。それだけですよ。ただまぁ…捕まると何か大事なものを失くします」

「何て???」

「ふ、ふふ…僕も…僕も、ふふ…」


何かを思い出してしまったのか、三神は闇落ちでもするんじゃないかという負のオーラを背負ってぶつぶつ言い始めてしまった。普通に怖い。

よく分からないが、よほど凄惨な罰があるのだろう。

二菜ちゃん達は大丈夫だろうかと目を向けると、二人ともまるで殺人鬼にでも遭遇したかのように顔色を悪くして口元をひきつらせていた。


「な、何でバウワウくんじゃないんですか!?」

「諸事情があって一体壊れたからな。諸事情があって」

「ぐっ」


あー…バウワウくんって、成る程アレかぁ。あのパーティーの時に大暴れしていた黒いホチキスみたいなやつ。

どうやらこの鬼ごっこに使われていたものだったらしい。

確かに追い回してくるって言ってたもんね。


「確かに力ずくで止めたのこの馬鹿ですけど実質二年のせいですしっていうか確かそのアンドロイドあまりに危険で数年前から使用中止って聞きましたけど」


私は至くんの言葉にぎょっと目を丸くして、未だにどんよりしている三神ではなく四恩さん達へと声をかけた。


「危険、なんですか?」

「まぁある意味危険だよね」

「一時期傷を負った生徒が引きこもったりで大変でしたもの。ね?」


確かにあの強靭そうなボディを見るに強そうではあるけれど、三神は戦闘力は無いって言っていたのに…


「お前らにワンランク上の訓練をつける良い機会だからな。全力で励め」


紙の端に垂らしたインクが滲んでいくように不安が募っていく私を余所に、七尾さんは表情1つ変えずに話を進めていく。

彼の事だからきっとこの厳しさも二菜ちゃんと至くんの為なのだろうと私はきゅっと口を結び、成り行きを見守ることにした。

前線に立てもしない非力な私があれこれ言っていい話じゃ無い筈だから。


「手加減するって言ってたのに!」

「小生絶対に捕まりたくないから小生の分までお前たくさん捕まっといてくれるその間に逃げるから」

「絶対にイヤ!!」

「ふ、二人とも頑張ってね!」

「「はいっ!!!」」


ぎゃあぎゃあ言い争う二人にエールを送れば、瞬時に良い笑顔でぐっとサムズアップしながら返事をくれた。

良かった。嫌がってはいるけれど怖がってたりそういうのはないみたいだから、きっと大丈夫なんだろう。


「では、そろそろ始めるぞ」

「ウフン♪可愛いコネコちゃん達。今日は貴方達とランデブーなのねん♥️アチシ、張り切っちゃうわん♥️」

「「ひぇ」」


うんうん。二人の気持ちはよくわかるよ。

くねくねしたマッチョってこんなに暴力的なんだね。色々と。

知らなかったし知らないままでいたかった。


「能力の使用は禁止。範囲は敷地を囲う目眩ましの結界内だ。一度捕まっても時間までは何度でもマリアンヌは捕まえに来るからな。死ぬ気で逃げろ」

「「了解」」

「では一分後にマリアンヌが動く。各自、散開!」


七尾さんの掛け声の余韻が消えるより早く、二人の姿がかき消える。

いや、たぶん私の目が追えなかっただけでただ駆けて行っただけなのだろうけど。


「ウフン♪アチシも久しぶりに張りきっちゃうわよ♥️」

「マリアンヌ、そろそろ」

「焦らなくても大丈夫♥️アチシの内蔵時計には一秒の狂いもないわん♥️」


ばちんと濃いウインクで七尾さんの顔をひきつらせ…さっきまでは何でもなさそうな表情をしていたけどやっぱり七尾さん的にもキツイんだね。少し安心した。

マリアンヌさんはまるでアスリートのようにピシッとクラウチングスタートの姿勢をとる。


そして…


「3・2・1…今行くわよ、ハニー達♥️」


背中から何か出たと思った瞬間、そこからゴゥとさながらロケットの発射のようにエネルギーが放出され、その勢いに押されるままに弾丸のようにマリアンヌは森の中へ吹っ飛んで行ったのだ。


遅れてきた風がざわざわと木々を揺らして木葉を巻き上げる。

ばさりと遊ばれた髪を抑えながら、私は呆然とマリアンヌが消えたであろう方向を眺めた。


いや、え???


「は、反則では???」

「怪異に反則もクソも無いでしょう。そういう事です」

「世の理不尽を学ぶ訓練かな??」


確かに遭遇した怪異に対して卑怯だ何だとは言えないだろうけど、いくら何でも生身の身体能力VSロケット噴射の推進力は酷くないか?


「きゃああああ!!!こっち来ないでぇぇぇぇぇぇ!!」

「速い速い速い何あれちょっと聞いてないんですがぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


森にこだまする二人の悲鳴。

きっと想像を絶する恐怖だろうなと思いながら私は内心合掌をした。


と、スタートの合図を終えた七尾さんが倒木に並んで腰かけていた私達に合流する。

そしてこちらに小さく頷いてくれたのを見て、私はよしと気合いを入れて立ち上がった。私も"訓練"の時間である。


「綴戯、いけるか?」

「やってみます」


さて、元々はただ監視目的で皆と一緒についてきた私が"訓練"という言葉を使うのには訳がある。

大変不本意ながらこれは一ノ世に提案された事なのだ。


《あー…栞里ってさ、何も考えなくても自分の目の届く範囲内は勝手に"記録"出来るでしょ?》

《そうみたいだね》

《ソレさ、意識すればもっと範囲広げられるんじゃない?この前"記録者"に聞いてみたらそういう技能があるにはあるらしいんだよね。丁度良いからさ、合宿で訓練でもしてきたら?そこなら信用出来る奴しか居ないから能力使い放題だよ》


そう数日前ふらっと出くわした一ノ世に言われ、最近当たり前のように軽々と名前を呼ぶようになったソイツに苛つきながらも目から鱗が落ちるような気分だった。


"記録"の能力を鍛えるなんて発想は"あちら"で一ノ世に強要された時を除けば全く無かったけれど、確かに広範囲に広げることができたなら今後役立つことがあるかもしれない。

それに、もし要らない技術になったとしても私がこの合宿についてきた意味を変えてくれる。


ただ監視される為に来たのではなく、二菜ちゃんや至くんと一緒に訓練する為だと思えば少しは気分も違うからね。


「とは言っても…」

一体全体どうやったものか。今までが無意識過ぎてさっぱりである。

私が初っぱなから躓いてむむむ、と唸っていると、呆れ顔の三神が小さく息を吐いた。


「久夜はその力についてどう言っていましたか?」

「どう…?えっと、確か…能力を張り巡らせてあらゆる角度から"記録"し、読み取った情報を再構築して立体映像にしている…だったかな」

「貴女ソレを無意識でやってるんですか…」


信じられないとドン引きな顔にありありと文字が浮かんでいるようで、私は乾いた笑みを溢す。気持ちはわかるよ。

当の本人たる私でも文字に起こされて説明されると未だには?ってなるからね。


「ふむ、今もそれをしているのかい?」

「はい。むしろ体に染み付きすぎて、たぶん止められないです」


私のコレは本当に最初…もはや『ソノヒ』の"記録"の時から身に付いている。

呼吸するように当たり前、と言う台詞がよくあるけれど、私にしてみればこれは心臓の拍動だ。

赤子だって、呼吸より先に心臓を動かすでしょう?

そして呼吸ならば自分で止められるだろうけれど、拍動は自分の意思では止められない。そう言うことだ。


「わたくしには全然わからないですね。ね?兄さんも能力なんてまるで感じませんでしょう?」

「うん。言われてもさっぱり分からないよ」

「そりゃそうですよ。前線に立つ僕にも七尾先輩にも…おそらく久夜にすら気付けないレベルでしょうから」

「お、お誉めに預かり光栄デス?」

「本当に頭おかしいですねって意味なんですが」

「シンプルに罵倒じゃん!!」


ギリッと睨む私を見てくふくふ笑うこの男、さては私をからかって楽しんでるな?

よし決めた。私の中で三神は腹黒王子で決定だ。ちなみに一ノ世は言わずもがな魔王である。

…いや、RPGにしろお伽噺にしろ最悪のタッグじゃん。これ勇者勝てるかな…

なんて、現実逃避している場合ではない。


「何か、ヒントみたいなのないかな?能力ってそもそも意識して使わないからいまいちイメージが…」

「今までどうしてたんですかソレ」

「え、普通にこの"記録"見たいな、見せたいなって思ったらひょいひょいって…」

「はぁ…貴女が感覚型なのはよく分かりました。理屈も何も関係無い久夜タイプですね」

「誠に遺憾」


確かにアイツは能力の理屈だ何だと考えたりしなさそうだし、"はー…面倒くさ。こんなんさ、ちょいちょいってやったら出来んじゃん?むしろ何が分かんないの?"とか言いそう…って待って私、一ノ世のイメージが脳内再生余裕になってるぞ。落ち着け。


三神は何か考えるように顎に手を添えてその炎に似た瞳を目蓋の裏に隠す。

しかしすぐにパチリと目を開けると、ピッと人差し指をまっすぐ空へ向けた。


「シャボン玉」

「シャボン玉?」


え、何?やりたいの?石鹸液作って来ようか?

なんて、そんな訳無いだろと冷静な自分がツッコミを入れるが、アホらしい事を考えてしまうくらいには三神の口から出た単語が意外だったのだ。許してほしい。


「貴女失礼な事考えてるでしょう。言ってみてください」

「是。腹黒から似合わないメルヘンな単語が出てビックリだし、若干気色悪い」

「燃やしましょうか?」

「絶対お断りだが?」


わざわざ開示要求してきたから答えてやったのに、一ノ世といいコイツといい何で怒るのか。

三神は不機嫌なような上機嫌なような感情の読めない顔のままで少しの間じっと私を見て、こほんとわざとらしく咳払いをした。


「シャボン玉はイメージの話ですよ。能力の」

「…ああ成る程。三神くんはただ漠然と範囲を広げるのではなく、シャボン玉の要領で膨らませたらどうか?って言っているんだね」

「さすがですね四恩さん。その通りです」

「膜を膨らませる…」


シャボン玉。

まだ未来の地獄など想像した事もないような、ただただ平和でありふれた幸せを享受していた子供の頃…何度も家の庭で遊んだっけ。

お母さんお手製の石鹸液と、お父さんが切って作ったストローで。

慎重に、割ってしまわぬように、けど出来る限り大きく、大きく…


私は目を閉じてあの頃の感覚を思い出しながら、ポコリと作った球体にゆっくりゆっくり丁寧に息の代わりに力を吹き込ませて能力の膜を膨らませていく。


「…っ 」

「綴戯!?」


が、途端にぐんと頭が重くなり、体から何かがごそっと抜けるような感覚を覚えた。

パチン、と何かが弾けた瞬間ふらついた体をすかさず七尾さんが支えてくれたけれど、私は初めての感覚に訳が分からず目を白黒させる。


「ほほほ、込めた力が強すぎたのでしょう。ね?」

「つ、よかったんですか…?」

「ああ。一瞬鳥肌が立ったぞ」

「僕も腰が浮くくらいビックリしたよ」

「ふふ、とことん型に嵌まらない人ですね」


どうやら吹いた息、この場合は込めた能力が強すぎて膜が弾けてしまったらしい。

うーん…能力って考えて使うと難しいんだな。

けど、逆に燃えてきた。

今のは楽観的すぎて集中が足りなかったのだ。


「綴戯、無理はするな」

「いえ、今なら掴めそうなので…もう一度やります」


と、格好つけて言ってはみたものの、能力の調整とは思いの外難しく二回、三回と失敗が重なっていく。

手足など自分と直接繋がったものを動かすのとはやはり訳が違い、体から離れた力は操作し慣れないラジコンのようにまるで制御が利かないのだ。

能力者はこんなものを扱いながら戦ってるのかと初めて実感して、素直に尊敬の念が沸き上がる。


失敗が七回。四恩さんと四葉さんが顔を見合わせて、肩で息をする私を少し厳しい瞳で射抜いた。


「ほほほ、次で最後にしましょう。しょう?これ以上は許可できませんよ。よ?」

「ドクターストップってやつだよ」

「わ、分かりました」


私は深く息を吸って命の息吹が溶け込んだ空気を肺に満たす。

目を瞑り、集中…集中…と己に暗示をかけるように呟きながら小さな球体を作り出し、そこへそぅっと力を吹き込ませていく。

壊れてしまわないように優しく、理科の実験でもするかのように慎重に。


シャボン玉が、能力の膜がゆっくりしかし確実に広がっていく。


あ、と思った時には何かがピタリと上手く嵌まったようなクリアな感覚がして、普段とは比べようもない情報が私の中へ入ってくるのを感じた。

そしてそのまま頭にポッと浮かんできた言葉の羅列が、ほぼ無意識に口から滑り落ちたのである。


「"広域記録(サテライト)"内より『索引(サーチ)』。対象"学園生徒"。…ヒット。『開示(オープン)』」


いつの間にか手元に浮かんでいた"記録"の本から文字が溢れだし、目の前に60インチくらいの映像が現れる。

いつもより規模が小さな『開示』に、"あちら"で一ノ世にケチ付けられて酷い目にあった記憶が蘇るが、今はそんな事気にしていられなかった。


「うっ…」

「綴戯!?大丈夫か!?」


どっと疲れて思わず座り込む。

七尾さんが慌てたようにオロオロしていて申し訳なく思うが、正直私には取り繕う余裕がない。

嘘でしょ何コレ、滅茶苦茶キツイじゃんか。

今尚MP的なヤツがゴリゴリ減っている感覚がするし、流れ込む情報量がえげつなくて気持ち悪い。


「綴戯くん、解除した方が良いんじゃないですか?顔色が…」

「え、と…その前に、成功してます?」


こことは全く違う森の風景は映っているものの、肝心の"学園生徒"…つまり二菜ちゃんか至くんの姿が見えない。

おかしいな。対象の部分を切り取って『開示』している筈なのに。


「ああ、それならちゃんと成功してるぞ」

力強い七尾さんの肯定に被さるように、二菜ちゃんの悲鳴が"記録"の映像から鐘を鳴らすようにぐわんと響いてきた。


《もー待ちなさいよコネコちゃん♥️アチシの胸に飛び込んでらっしゃいな♥️》

《イヤですイヤです!ぜっっっっったいにイヤですぅぅぅぅぅ!!!》


リアルタイムで映しているから、現在進行形で彼女がピンチらしい事はわかる。

しかし私に見えるのは精々不自然な動きでがさがさと派手に揺れる木々や、マリアンヌさんのロケットと思われる光がたまに。

皆は私と違い、目が何かを捉えているようにしっかりと動いている。つまりコレは…


「…お、追えない」


私の動体視力の問題と言うわけだ。いや、成功してるなら良いんだけどさ…


「司書さんはまさかハエすら追えない目をお持ちですか?可哀想に」

「ぐぬぬ…!」


キレッキレの嫌味を吐いてくる王子スマイルに唾でも吐いてやりたい気分だけれど、確かに私の動体視力が彼らにしたらクズレベルであろう事は紛れもない事実である。

だってそりゃ元一般人だしスポーツとも無縁だったから養われてる筈もなく、能力的に必要性も感じなかったから鍛える事も当然していなかった。


「綴戯くん、誰にでも得手不得手はあるから大丈夫だよ。無理しないで」

「そうですよ。ね?非戦闘員なんてそんなものでしょう?しょう?」

「四恩さん…四葉さん…!」

「それに、部屋でずっと守られていれば動体視力なんてなくても問題はないからね。君は何もしなくて大丈夫」

「そのとおりです。ね?最高のセキュリティとボディーガードを置いておけば何も恐れず過ごしていられますでしょう?ね?」

「「という訳でよかったら東雲(うち)の屋敷に…」」

「あっ、結構です大丈夫です努力します。ヨーシガンバルゾー」

「貴女危機管理能力あります?」


ダメダメな私に優しい言葉をかけてくれたと思いきや話がよろしくない場所に着地しかけて焦る。この人達油断も隙もないじゃないか。

甘い香りに誘われてパクリと食べられるチョロい虫の如く、さっくりと何処かにしまわれる所だった。


「二人共悪ふざけは程々にしてください…」

「おや、僕はそこそこ本気だよ?」

「わたくしは半分くらい本気です。ね?」


恐ろしい台詞は聞かなかった事にして再び意識を映像に戻すと…なんといつの間にか二菜ちゃんがマッチョオネェにさながらネコチャンのように捕まってしまっているのが見えるではないか。


「二菜ちゃん!?」

「捕まったな」

「御愁傷様ですね」

「あぁ、ついに被害者が」

「可哀想です。ね?」


べしょべしょな顔の二菜ちゃんに生き生きとした笑顔のマッチョオネェは完全に通報一択な絵面である。

しかし、悲劇はここからだった。


《じゃあペナルティ、いえ、ご褒美いくわよん♥️はい、チュー♥️》


マリアンヌさんはあろうことか真っ赤なルージュ艶めく唇を尖らせ、ぶちゅっと二菜ちゃんの頬に…


「…は?」


一瞬の間。

何が起こったのか?その理解が三拍ほど遅れて私の脳に辿り着いた瞬間、全身にぶわりと鳥肌が立った。


《ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!》

「ひ、ひぇぇぇぇぇぇ!!?」


映像の向こうの二菜ちゃんと揃って絶叫を森に響かせるのと同時に集中が切れ、映像も広げていた能力もパチンと弾け消える。いやもうそれどころじゃない。

私の頭には通報と犯罪の二文字がゲシュタルト崩壊を起こさんばかりに埋め尽くされていた。


「集中力の継続は課題ですね」

「いやいやいや!それどころじゃないでしょうが!!何あれ事案!!」

「言ったでしょう。大事な何かを失うと。…因みにマリアンヌは男性相手には唇を奪ってくることもあるんですよ。ふ、ふふふ…」

「いやもう怪異より怖いじゃん」


再び三神が背負ったオーラで察した。

せめてそれが彼のファーストで無かったことだけを祈ろうと思う。

傷を負うって成る程心的なヤツだね。そりゃ引きこもりにもなるよアレ。考えた奴鬼か何かかな?


「相手はロボットでありますでしょう?しょう?ならノーカンですよね。ね?」

「四葉、それはさすがに…」

四葉さんの言い分にそれでもアレは嫌だろうと内心否定を述べながら、私は訓練が終わったら二菜ちゃん達を全力で労ってあげようと心に決めた。


七尾さんが手に持った端末をポチポチと弄ると、私の"記録"に変わっていくつもの映像がわっと空中を埋め尽くすように現れる。曰く、森にあらかじめ配置されている監視カメラの映像らしい。

いつもはこれで生徒の様子を確認するのだそうだ。因みに音声は入らないとのこと。


目の前に浮かぶ幾つもの映像に、さながらここは大自然に囲まれた監視室だなと思いながら私は四恩さんに軽い診察をされた。


「うーん…かなり疲労が強いね。爪の色も顔色も酷い。今日はもう今のは勿論、他の能力の使用も許可できないな」

「あはは…分かりました」

言われずとも出来そうにないよ。


いつも通りの"記録"は相変わらず負担もなく出来ているけれど、自主的に何か能力を使うならただの『開示』すら無理そうだ。

器に溜まっていた水が枯渇したようで、空の入れ物へすぅと隙間風が吹いて酷く心もとない。

魔法使いが魔法を使えなくなったら、きっとこんな感じなんだろうなとぼんやりしたまま考えた。支えになる力が無くなってしまったみたいで不安になるんだ。


「綴戯、寄り掛かっていろ」

ふと、七尾さんが隣に座ったかと思いきや大きな手が私の頭を引き寄せ、逞しい二の腕にぽすんと寄り掛からせた。

what??イイキンニクデスネ?じゃなくて!

驚きで激辛なミントタブレット噛み砕いた時並みに頭がスッキリしたんだけども。


しかも七尾さんのビックリ行動はそこで止まらず、追加コンボでそのままリズミカルにポンポンと頭を撫で始めたではないか。


「な、七尾さん?何をなさってますコレ?」

「?大樹は愚図った時こうすると寝るからな」

突っ込みたいことは色々あるけれど、取り敢えず彼は私の年齢を覚えているのだろうか?


「いやあの、私良い年した大人…」

「んっふふふふ!!」

「笑うな三神!」

「こら、大人しくしとけ」

「…」


体制を戻そうとしたが七尾さんに呆気なく抑えられ、私はもうどうにでもなれと虚無顔で大人しくあやされることにした。

取り敢えず息も絶え絶えに爆笑している三神はそのまま呼吸困難になれば良いと思う。


「はいどうぞ。ね?」

「へ??」


道端のゴミを見るような気分で三神を睨み付けていると、突然ずいっとフォークに刺さった苺が眼前に差し出された。


訳が分からないままに銀製のカトラリーを持つ白い手袋に覆われた手を辿ると、いつの間に着替えたのか淡い花柄をあしらったワンピースに白衣を羽織った四葉さんがにこりとゆったりした笑みを浮かべている。


「っ!!」

「っ、と」

予測していなかった接近に一瞬の恐怖がせり上がり、反射的に逃げるように体を引いた…ら、落ちそうになって七尾さんにしがみついてしまった。


「あらま、苺はお好きじゃないのですか?か?」

「…っあ、え…っと…」

「四葉!いきなり近付いてはいけないと言っただろう!」

「…あ!?わ、わたくしつい…!すみませんでした!!ね?」

「い、いえ。だ、い丈夫です」

四恩さんに叱られてしゅーんと捨てられた子犬のように萎れてしまった四葉さんにわたわたと手を振りながらいきなりで驚いただけだと伝えれば、次からは気を付けると約束してくれた。


「それで、苺はお好きでないですか?か?」

いや切り替え早いな。別に良いのだけれど。

「い、いえ。ですが、えっと皆さんがお仕事してるのに…」


私の診察をしたりあやしたり笑い死に仕掛けたりしてはいるものの、皆の注意がしっかりと映像へ向いているのは鈍い私にも分かっていた。

きちんと指導者として二人の様子を見ているのだ。ならば私だってきちんと…


「二人の姿も追えない貴女に期待していませんよ 」

「…ごもっとも」


三神の言う通り過ぎて反論も出来ずに落ち込んだ。

そりゃ確かに二人がペースダウンしたり小休止を入れたり、あとは捕まった時くらいしか分からないからね。

…"こっち"でまで無力を噛み締めなければならないなんて、自分が情け無さすぎる。

動体視力のトレーニング…本から得た"記録"があるから鍛えよ。


「綴戯さん、あーんしてくださいな。ね?」

「え、むぐ!?」

考え事をしていた私がいけなかったのか、四葉さんはこちらがあーんに反応する前に容赦なく苺を突っ込んできた。

一歩間違えたら怪我案件だよそこの美味しい?って首かしげてる養護教諭。


「はぁ…四葉、危ないから止めなさい。君、以前恋人にもそれやって大出血させて怒られただろう」

「あらま、そうでした。ね?」

「むぐ!」

「四葉さん…」


次々苺を私に食べさせるこの人、全く反省してないな?

今更だけど、四葉さんて不思議ちゃん属性でも持ってるのだろうか…いや、能力者なんて皆クセの強い変わり者しかいなかったわ。


監視カメラの一つに映るリスの如くほっぺパンパンに苺を詰め込まれた私がもきゅもきゅと咀嚼していると、苺の乗っていた皿とフォークを膝に乗せながら四葉さんがまじまじとこちらを見つめて瞳を瞬かせる。


「それにしても、さっきの凄かったです。ね?わたくし驚きました」

「ああ、僕も驚いたよ。あの短時間で成功させるなんてセンスが良いんだろうね」

「いえ…感覚全然掴んでいないのでたぶんまぐれですし、何より今のは失敗でしたから」

「失敗?熊ヶ峰は映っていたぞ?」

不思議そうな面々に苦笑をこぼし、私は今の能力について自分が理解出来た事を伝えるべく口を開いた。


頭に浮かんだ情報曰く"広域記録(サテライト)"と言うらしいあの力は入ってくる情報量があまりに多いため、いくら"記録者"とて全ての"記録"を貯めてはおけない。

私的な言い方をすれば、本として収まってはくれないのだ。

バラバラのページが山のように生まれて、時間が経てば廃棄されてしまう。

しかし、先程のように一部の対象を抜粋したものであればいつも通り"記録"が可能らしい。

つまり、ページの一部を取り出して製本出来るのだ。

そう、能力上は…ね。


「けれどさっきは情報の処理が上手くいかなかったみたいで…肝心の"記録"が出来ていないんですよ」

「つまり、さっきの熊ヶ峰の悲劇は…」

「残ってませんね」

それ即ち、"記録者"にあるまじき失態である。

まぁ二菜ちゃんにしてみたら封印したいだろう出来事が永遠に残ることにならず良かったのかもしれない。

…ぶっちゃけ、ここで映像を見たという"記録"はあるから、完全に抹消とはいかないのだけれど。


「おや、残念です。久夜に見せてあげたかったのに」

「こら、三神くん」

「最低」

その事実は絶対にコイツには教えてやらないと心に決めた。


七尾さんが離してくれる気配がまるで無いので私は諦めて彼に寄り掛からせてもらいながら、風と戯れる木葉のさざめきとリズミカルなカタカタという音をBGMにしてぼんやりと画面を見る。


やはりと言うか見えて残像程度の私はもっぱら長野の自然を鑑賞している状態だけど…あ、鹿がいた。


「おや、また捕まりましたね」

そう呟いた三神の視線を追って映像の海原に目を泳がせると、右下辺りで俵担ぎにされている至くんを見つける。…あ、ぶちゅっといったな。音声は無くとも悲鳴が聞こえてきそう…と言うか、ほんのり風に乗って聞こえている。


「…至くん、強く生きて」

それしか言えない無力な私をどうか許してほしい。


「…熊ヶ峰はやはりスピード不足。九重は素早いが単調だな」

カタカタと途切れない音の合間に七尾さんの呟きが聞こえた。


映像から視線を移せば、彼は至極冷静な様子で空いている片手でカタカタと端末に何か打ち込んでいる。

チラリと一部が見えたけれど、どうやらこの鬼ごっこだけでも二人の動き方やクセ、課題点や伸びが期待できる箇所…そういった細かい所をこの人はずっと見ていたらしい。

…片手間に私をあやしながら。自宅に仕事持ち込んだ育児中のリーマンかな。完璧だね。


ちなみに、午後の練習メニューの腹筋1000とか反復横飛び1000なんて見ていないったら見ていない。


今度はまた二菜ちゃんが捕まるところが見えて、七尾さんがふぅと悩ましげに吐息をついた。

「はぁ…予想より捕まる回数が多いな」

「二人共素直すぎるんだね。そこが可愛いんだけれど」

「兄さんみたいに蔓に引っかけ、木を倒して破損させ、挙げ句湖に突き落とすなんて悪知恵働く可愛げの無い子じゃなくて良かったですね。ね?」

「ん?」

「ほほ?」

バチバチと二人の間に飛び散る火花よりも、私は今四葉さんが述べた四恩さんの所業が気になって仕方がない。

ニコニコの裏側にヤバイもの飼っているのはもう察していたけれど、それにしたってやってる事過激じゃないかな?


「まだ可愛いじゃないですか。久夜は同期が捕まってる隙に上から崖崩して落石でアレを壊し、同期ごと生き埋めにしてましたよ」

「アイツはやんちゃだったからな…」

「いや、やんちゃの規模じゃないですね!?」

それをやんちゃで済ませるならこの世から軽犯罪が無くなりそうだ。

能力禁止なのにどうやって?と思って聞いてみれば合宿前から細工済みだったとのこと。


「元々は嫌いだった引率者の一人を"偶然"埋めるつもりだったんですよ」

「偶然の意味『開示』しようか?」

それは完全に計画的犯行って言うんだよ。

まぁあっさり別の事に使ってしまう辺り一ノ世らしい気がするけど。


呆れながらそんな事を考えていると四恩さんが再び様子を見るように私を覗き込み、さっと目視で確認をした。


「うん。顔色は戻ってきたかな。綴戯くん、気分はどうです?」

「まだちょっと…能力って使うとこんなにダルくなるものなんですね。皆さん尊敬します」

「貴女が無茶し過ぎなだけです。普通そんな空っぽになるまで使いませんし、一気に放出するなんて…下手な能力者ならショックで死ぬところですよ」

「え"。無茶、したつもりは…無かったんだけど…」

死、と聞いて頭から冷水を浴びせられたように全身が冷える。

確かにとんでもなく気力を持っていかれたけれど、まさかそこまでのレッドゾーンだとは思わなかったのだ。


あぁ、そうか。だから皆役割があるにも関わらず私に構っていたのか。

きっと、本気で心配をかけたのだ

馬鹿じゃないのか私。足手まといになってどうする。

震えそうな唇を噛み締めて不甲斐なさに目線を下げると、小さく息を飲むような音が聞こえた。


「せ、責めては、いませんからね」

「…え」

思いがけない台詞にばっと顔を上げると、三神は子を叩いた後の親のように罰が悪そうな表情で口をむずむずさせた後、プイッとそっぽを向きながら言葉を紡ぐ。


「思い上がらないでください。僕達にとっては貴女も監視対象なんですから。面倒見るのは当たり前ですし、むしろ今は動かないでいてくれるので助かりますよ」

「あの」

「そもそも貴女は久夜に言われた事を実行しただけですし僕達だってギリギリまで止めなかったのですから…」

至くんに師事したのかと思うくらいの捲し立てっぷりが何と言うかもう…


「ぷっ、あははははは!!」


あまりにおかしくて沈んでいた気持ちも忘れて笑ってしまった。

だってコレ、落ち込んだ私をフォローしようとしてくれているようにしか聞こえないじゃないか。

女性が嫌いと言うくせに、なんだかんだ突き放さずに接してくれてるよね。我慢しているのだろうけど。


「ツンデレっぽい!似合わない!」

「…人が気を利かせてみれば…随分な物言いですね?ふ、ふふふ…」

おっといけない。

茶化す前に言わないといけない言葉があるね。

笑みの名残を片付けながら、私は少しの気恥ずかしさと共に真っ直ぐ三神を見た。


「…ありがとう」

「…」


沈黙。

え、何で?


素直にお礼を言っただけなのに、三神は感情の翻訳機があれば匙を投げるだろう形容しがたい表情で私を無言で見詰めている。

どうして良いか分からないまま陥ったにらめっこ状態はしかし、すぐにはっとなって数歩後ずさった三神に張り付けたスマイルが戻ってきて幕を閉じた。


「すみませんつい…孤児院の子供と同じように見えてしまったものですから」

「はぁ?」

「綴戯くん、安静に、だよ?」

「すみません」


思わず一ノ世にするように喧嘩腰になってしまったけれど、四恩さんのご尊顔が全く笑っていなかった為私は秒で謝罪した。けど、ぷーくすくすと文字が浮かぶように笑う三神マジでギルティ。


「取り敢えず、だ。…綴戯。今の技は極力使わない方が良い」

「僕も同感だよ。一ノ世くんにもそう進言するつもりだ」

「え?でも…」

「当たり前でしょう。制御もままならずたったの一回でこの有り様なんですから」

「アレが出来ずとも支障はありませんでしょう?しょう?」

「気楽に捉えれば良い。手札が一枚増えた、くらいにな」


皆言い方は様々だけど、私に"広域記録"を使ってほしくないという意見で全会一致らしい。

鍛えればある程度使えるくらいにはなるかもとは思うけど、四葉さんの言う通り使えなくとも支障が無いのも確かだ。

だけど…


「小規模で練習するのも、ダメですかね?ほら、手札の一つならいざって時に使えないのは…困ります」


何か、力になれるかもしれない時に…何も出来ない私でいたくない。

そして何より、いつか復讐に使える日が来るかも知れないのだから。

手段なんていくらあっても足りないんだ。

だから絶対確実なものにしたい。


ジリッと腹底が焼けるような灼熱の感情に蓋をして隠しながら七尾さんを見詰めると、彼は皆に目配せをした後仕方ないなと苦笑をこぼす。


「…必ずこの中の誰かが側にいる時だけだぞ」

「…!はい!ありがとうございます!」


許してもらえた嬉しさにガッツポーズをすると、何処かから飛行機かと思うような轟音が近づいて来ている事に気づく。


キョロキョロ辺りを見渡している私を七尾さんがヒョイと抱えて後ろに飛び退くのと同時に、私達のいた倒木すれすれを何かが通り抜けていった。危ない。

ちなみに他の皆も七尾さんと同様にバッチリ避けている。


音の先を辿ってみればやはりと言うか…

「ウフン♪ただいまーん♥️時間だから皆のマリアンヌちゅわんが帰ってきたわよ♥️」


どえれぇのが、帰って来た。


誰かお帰り言ってあげなよと思って大人勢を見るも、皆私と同じような顔をして互いに押し付けあっている。


仕方ないと思ってマリアンヌさんに声をかけようと思った私は、彼(?)の足元でピクピクしながら蹲る人影に慌てて駆け寄った。


「二菜ちゃん!?至くん!?大丈夫!?」


二人を覗き込めば顔を隠すように覆う両手の隙間から見えるわ見えるわ…大量の赤いキスマーク。うっわぁ…


「うっうぅぅぅぅぅ、お姉さんっ。二菜、もうお"嫁に"い"け"ま"せ"ん"っ!!!」

「おまお前はまだ良いじゃん小生なんて小生なんて唇奪われたんだけどファーストだよマジでふざけんなって話でしょどうしましょう綴戯さん小生お婿に行けないし絶対今日悪夢見てしまいます」

「至くんファーストって言ってもどうせマスク越しじゃん!!」

「マスク越しだろうがキスはキスだしファーストはファーストだよ馬鹿じゃないのああごめん馬鹿だった」


お嫁に婿にと半狂乱で泣き叫ぶ二人につられて私もどうしたものかと半ばパニックになりながら、なんとか心へのダメージをフォローしようと焦って口を開いた。


「よ、よし!もしもの時は二人共私がもらうから心配いらないよ!!」


いや何言ってんの私。馬鹿じゃん。

自分が思うより数段混乱していたらしい。


しかしそんなとち狂った私の発言にピタリと嘆きを止めた二人は鮮やかな瞳を真ん丸に開き、引くでも戸惑うでもなく何故かむしろ酷く期待と喜色を帯びた煌めきをそこに映した。


「「本当ですか!?」」


今泣いた烏がもう笑うとはまさにこの事で、二菜ちゃんも至くんもさっきまでの絶望は影形もなくにっこにこの上機嫌である。

あれ、さっきの演技だった訳じゃないよね?


「え!?あ、うん?わ、私で良ければ…?もしもの時だからね!もしもの!」

「「わーい!!」」

「お前ら全員落ち着け」


三人揃って七尾さんにコツンと軽く小突かれた。





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