健闘は祈らん。二度と帰ってこなくていいからな
最初に感じたのは床の冷たさだった。
明るさに慣れない目をゆっくりと開きながら、私は周りの様子を窺う。次々に飛び込むのは原色混交の目がチカチカするような色鮮やかな世界だ。あちこちを浮遊する雨の雫のような透明の粒が光を弾く。頬を撫でる風、それに漂うのは眠気を誘うような甘い香りだ。
「……ここは?」
私は黒猫のままの身を起こす。ここにやってくる過程に打ち付けたのか、体のあちこちが痛い。私は動きを確かめるように、手足をぶるぶると順に振った。
「その姿、様になってきたじゃないか」
不意にかけられた言葉に私は顔を上向ける。
大広間のほぼ真ん中の位置にへたりこんでいる私の前に、形も大きさも疎らな色とりどりのブロックが積み木よろしく積み上げられていて、そのてっぺんに一人の美しい女性がいた。
瀟洒な椅子に優雅に腰かけるその様はまさに雅の一言に尽き、漆黒の、それでいて不思議と透明感のある髪色は周囲の多彩に負けない艶やかさを誇っている。
薄紅色の着物を豪快に着崩し、白い肩や首筋や胸元や太ももが露わになっている。女である私が、息をするのも忘れてその姿態に見入ってしまった。
「我が天上界きっての問題児、寒竹坊よ。とりあえずは第一関門突破ご苦労。少しは頭を冷やしたか?」
そして刺すような視線。粟立つような感覚が私の体の隅々までをも支配した。
「えっと、あなたは?」
「おい、つまらん冗談はよせ。天上界のトップである私、天津久三門神を忘れたとでもいうのか」
ゴミを見る目でその女性――以後ミカド様――が私のことを睨み下ろす。
不可思議なことが続いて混乱していた私は、その辺りでようやく事情が呑み込み始めていた。
ここは神様の世界なのだ。
何かの力でここに連れてこられた私は、そしてこの姿のせいでサタケさんと勘違いされているのだ。
これはもちろん正さなければなるまい。あんな変態ドS猫と間違われるなんて、心外なんてかわいいものじゃない。末代きっての大恥だ。
「いやあのですね。私はもともと普通の人間でして、訳あってサタケさんと体を一時的に交換している状態なんです。ですので私はサタケさんとは違くて――」
「とぼけるな変態!」
「変態⁉」
ひどい言われようだ。まあサタケさんはそうだろうけど。
「お前のようなできそこないに『体転換』などできるわけがなかろう!」
どこか嘲笑うように、ミカド様は断言した。
どうやらサタケさんはできそこないらしい。
しかし、その『体転換』とかいうものこそ、まさしく私とサタケさんの体を入れ替えた術なのだろう。そしてそれは成功している。
「そんなの私も知りませんよ。でもほんとなんです! 私は正真正銘普通の女子高生、佐々野沙良です!」
「往生際が悪いぞ。罪なき民に化けて己の咎から逃げるつもりか、このゲズめ!」
「ち、違いますもん! ほんとに私だもん!」
「気持ち悪い話しかたをするな!」
「いや、……だから……」
「変態!」
ひどい言われようだ。しかしなぜか鼓動の高鳴りは止まることを知らない。あのゴミを見るような目で睥睨されつつ罵倒される度に、言い知れぬ何かが電流のように駆け巡る。ぞくぞくする。
なんだこれは。
私に何かの確変が起きようとしているのか。
「貴様さっきから呼吸が荒いぞ。どうした?」
「いや、大丈夫です。なんでもないですから」
不思議そうな顔をするミカド様。
私は慌てて呼吸を整える。今は興奮している場合じゃない。それより早く誤解を解かないと。
「それよりですね。私はホントに――」
「では、罰その2『地獄めぐり』開始だ。用意はいいか?」
「へ?」
「健闘は祈らん。二度と帰ってこなくていいからな」
「え、ちょ、待って。罰? その2? いやそれより――地獄って⁉」
「いってら」
床が唐突に、消えた。悪戯っぽい視線で、妖艶な笑顔でゆらゆらと手を振るミカド様。その姿が一瞬で視界から消え去る。私の体は再び闇の中に没した。




