3 学院のなか
学院は森に囲まれている。
落葉樹はまだその葉を繁らせていない。
どっしりとした立派な門を通り抜けると、その内側は若さと情熱と希望で満ちあふれている。
ドニとピウスは、寄宿舎の自室に荷物を置いてからサロンへ行った。
昼食の開始時間はとうに過ぎていた。
サロンでは生徒たちが思い思いに過ごしていた。
まだ食事中の者もいれば、とっくに済ませて中庭でボールを蹴っている姿もある。
寝転んでいる怠惰なひなたぼっこ姿は、おおかた高学年の生徒たちだ。
そうかと思えば、あたふたと食事を済ませ、勉強道具を抱えて自習室へと急ぐ者もいた。
「おかえり」
「どうだった?」
「元気?」
食事を運んで席に着いたドニとピウスに、級友たちが群がって来た。
話を聞きたがっている。
スープを啜りながら煩そうにしていたピウスは、立場上、出来事の一切合切を手際良く話して聞かせることになった。
理路整然として明晰で無駄の無い報告は、クレメンスの葬儀がどんな様子だったのかを知りたくて知りたくて昨日から待ち構えていた連中を十分に納得させ、満足させた。
「でも、神様も酷ですよ。あんなにいい人間をこんなに早く連れてっちゃうなんて」
アンリが弱々しく眼鏡の奥で瞳を潤ませた。
「ほんとだな。他に死んでほしい奴なんかたっくさんいるってのに」
年齢よりずっと上に見える、ふてぶてしい図体のテーオが、話を聞きつけて寄って来た。
「それは禁句だ」
すかさずドニが口を挟んだ。
「どうして。真実だ」
「しかし、今のは良くない。たとえそう思っても、いや、思うこと自体良くないけど・・・、口に出すべきじゃない・・・」
ドニは、反論しながら、どうしてテーオの言葉を敏感に指摘してしまったのかと、少し後悔していた。
言い争いはしたくない。とくに今は。
「おまえ流に言えば、真実は語るべき、じゃなかったかな?」
「真実と摂理は違う。摂理は感じ、語るべきだが、悪は口にするもんじゃないよ。言葉はあらゆるものに影響を及ぼす。言葉は大事に扱わなくちゃ」
ドニは、もっともなことを言いながら、その実、中身がないような気がして、自分自信を不安に感じた。
「それじゃあドニ、おまえはイヤな奴が一人もいないのか。ひっとりも」
「分からない」
「わからない?ごまかすな」
「本当に分からないよ。好きとか嫌いとか、一体誰がそんなこと決めたんだ。僕は、僕は、・・・クレメンスが好きだったよ」
ドニは感情を乱した。眼から涙があふれ、遂には顔を覆って泣きだした。
ドニの感情は元来激しく、上手にコントロールする心得を彼はまだ修得しきっていなかった。
「な、なんだい。おまえの変てこな理論とやらは、今日はそこまでか」
テーオは日ごろの欝憤を晴らそうとさらにドニを刺激した。テーオは、ドニとドニを慕う仲間たちが唱えている自然の摂理だとか、パワーだとかいった類いのものを否定し嫌悪し続けていたのだ。
「クレメンスは、きらきらした、魅力的な子だった」
ドニの信奉者のひとりルーカが、大人びた口調で慰めながらドニの肩に手を回した。
「ドニが正しい」
「そうだ」
「みんなが悲しんでるときに、さっきの発言はどうみても不都合だね」
ドニの信奉者たちは言うまでもなく、そうでない無関心派も反対派もドニの涙に同情したのか、一様にドニを援護した。
「ふん、バカバカしい。勝手にしろ」
テーオは、やりきれないという様に踵を返した。
「逃げるのか?」
「卑怯だぞ。クレメンスにあやまれ!」
生徒たちが叫んだ。
「クレメンスに、だってえ?」
テーオは呆れ顔で振り返り、唇を歪めて薄笑いを浮かべた。
ドニは依然として頭を抱えたまま、友人たちの争う声の中でうつむいている。
「死者の前で、テーオ、キミの態度は横柄だよ。弁解の余地はない」
ルーカが眼光鋭く、すっくと立ち上がった。
ルーカは細身だったが、背丈はテーオを威圧するのに十分だった。
「なんだとお」
テーオはとっさに身構えた。
不穏な空気が周囲をざわめかせた。
が、殴り合いか、という生徒たちのちょっとした期待は外れ、ルーカは直立不動でテーオを見つめながら、
「僕は、クレメンスの喪に服するよ」
と、穏やかに言った。
「僕も」
「僕もだ」
ルーカの優しい心根に級友たちは同調し、口々に同意を表明すると、テーオに侮蔑の視線を送った。
「ドニ」
「ドニ」
「……ドニ」
そして少年たちはドニの名を呼びながら、同時に心の中でクレメンスの名を叫んでいた。
「おい、ドニ」
テーオが後方から、大きな声で全員の注意を喚起した。
「おまえらが例会と称してやってるおかしな集会なあ、あのうすぎたねえおんぼろ小屋で、何こそこそやってんのか知ってるぞ」
ドニは、むくっと顔を上げた。
ピウスは、ドニが顔を上げたその瞬間、心臓をギクリと締め付けられた。
ドニは、立ちはだかる紺の制服の間からテーオをかいま見ようとそっと頭と視線を動かした。
そして言った。
「テーオドール、キミは神を信じないのか」
ピウスはさらに神経を萎縮させ、ドニを見た。ドニの黒い瞳は一瞬ボーッと霞んでいるように見えたが、それは不思議な明るい光がドニの周りを漂っているせいで、実際は活発な生彩を放っていた。
「何を今さら。人をだます偽善者のお遊びはやめたほうがいいぜ」
少年たちは再び騒ぎ始めた。
自分から挑発したドニだったが、テーオの挑発には乗らなかった。
テーオはドニの不明瞭な態度に痺れを切らせ、その場を立ち去った。
すると何人かの生徒たちがその後に続き、サロンを出て行った。テーオの発言で、ドニへの反感を思い出した連中だ。
しかし今日は、ドニの所に残っている者の方が多かった。
クレメンスの優しい思い出が皆を結び付けているのだった。
「ドニ」
ピウスがドニの肩に手を当てた。
「僕らはドニを信じているよ」
眼鏡のアンリは涙声で言った。
「ごめん。気分悪くさせちゃったね」
ドニは、その場に居るすべての友人たちに微笑みを投げ掛け、自分の不覚を詫び、そして深く反省した。
「ところでドニ、あしたの例会だけど、」
ルーカがドニに顔を近づけてささやいた。
「クレメンスを呼んでおくれよ」
秘密めいた好奇の声色が、怪しい振動でピウスの鼓膜に達した。
「……それは……」
「ドニ?」
ドニが予想もしなかった要求に口ごもり、ピウスが焦ってドニを制しようとした時、ちょうど都合良く始業の予鈴がけたたましく鳴った。
「さあ、授業が始まる。みんな教室に行って」
ピウスがうながすと、生徒たちはぞろぞろ、のろのろと移動を開始した。自習室までノートを取りに走る者もいた。
ルーカはそれ以上ねだる様子もなく、黙って教室へ向かった。
「ピウス、あしたラテン語のテストあるんだぜ」
「いつ決まったの?」
「さっき。午前の授業でさあ」
「ヤマかけてくれよ」
「いいよ」
「やったあ。できる?」
「当たるかどうかは、保証なしだぜ」
気の良い、元気な仲間たちに囲まれながら、ピウスとドニも教室へと急ぎ、陽気な笑い声が廊下の白い壁に反射した。
読んでいただいてありがとうございます。
全体を5回に分けてお届けします。
第4話は10月28日ごろにお届けします。
どうぞよろしくお願いいたします。
お楽しみください。