2 汽車のなか ②
ドニは少しの間口をつぐんでいたが、汽車が走りだすと再び口を開いた。
「僕はいつも・・・、ほら、見てごらん」
白い水鳥たちが、広い川の中洲で羽を休めている。
「僕はいつも、鳥たちと一緒なんだ」
ドニの表情は穏やかに安らぎ、陽光を浴びた黒髪が神韻として秘密めいていた。
その静かな表情と声にひきこまれたピウスは、優しく温かい世界を感じていたが、やがて我に返るとドニに対する反発の気持ちが湧いた。
「ぼ、僕は、キミとは違うからね、ドニ」
「同じだろう。どこも違いやしないさ」
ドニの身勝手な断言に、ピウスの反抗心はさらに強まった。
「僕は、学院へ戻れば、みんなの期待を裏切らない優等生でいなけりゃならない。のんびりとして、いつでも好き勝手なキミとは大違いだ。生徒委員だからね。他人の面倒までみるんだ。羽目ははずせない。鳥の様に、いや、キミのように自由にはなれないよ」
「鳥のように、か。やっぱり知ってるじゃないか」
ドニはピウスを見て意味有りげに笑い、目配せをした。
「ナンセンスだね。僕は現実主義だ。自分の眼で見、この手で触れることのできるもののみを信じる」
ピウスは声をはり上げ、長い指を丸めこんで拳をつくると、力強く握り締めた。
「唯物論か……、でも、現実ってなんだろう。ピウス、キミは、何を取りあげて現実と称してるんだい?」
ドニは、前屈みでピウスを覗きこんだ。
「それは、……、いや、その手にはのらないよ。雄弁家君」
ピウスは呆れたように首を振った。
ピウスは頭の良い少年だった。勤勉で熱心で公平で論理的だった。
だがいったん話が神秘性を帯びてくると、興味を示そうとせず、公平さを失った。
学院でドニが誰かとそのことで論争を巻き起こしても、ピウスは、生徒委員であるにもかかわらず、知らぬ存ぜぬの体で傍観を決め込んだ。殴り合いでも始まればすぐに止めに入るのだが、そういった状況になることはなかった。何故なら、相手が殴りかかってくることはあっても、ドニは決して暴力を振るわなかったので。
ドニの介抱ならクレメンスに任せておけばよかった…。
ピウスには、客観的な理解力があった。おおかたの生徒たちは、ドニの話を意識的に無視するのではなく、ドニの言葉が勝手に頭の中を素通りしてしまうだけだ。興味感心のほとんどが自己にあり、最終的には自己防衛からドニを否定してしまう。
そういった自己保存的立場からすれば、ドニ批判はごく当然の成り行きなのだが、ドニからすれば、彼らは何も知らない、というだけのことだった。
「さっき、のんびりやだって言ったけど、僕だって、そんなにいつものんびりボケてやしないさ」
ドニが言った。
「いや、いつもだ。四六時中そうだ」
ピウスの大声が喉の奥でこころなしか震えた。
「怒るなよ」
ドニは、ピウスからの羨望の思いを感じ取っていた。
「クレメンスは、僕にとっても良い友人だったんだ」
ドニに制されたピウスは、小声でぽつりと言った。
「ああ、そうだったね」
ドニとピウスの間に、クレメンスの優しい思い出が流れた。
クレメンスは、十五年間の短い一生のうちで、おそらく、自分以外の誰かを傷つけたことなどなかったろう。無意識でさえもなかったに違いない。
クレメンスの傍らでは、誰もが幸福と安らぎを感じた……から。
「そろそろ到着だね。学院へ戻ったら、まずランチタイムだ」
「そうだね」
ドニの楽し気に弾む声に、ピウスはため息混じりの相槌を打った。
「ああしなきゃ、こうしなきゃって考えるのはやめた方がいいと思うな」
ドニが、落ち着いてゆっくりと、ピウスの反応をあれこれ想像しながら言った。
「なんだい、それ。命令するのか。じゃあ、キミがやれよ。僕のかわりにキミがクラス全体をまとめてみろよ。そうしたら分かるさ。そんな良い子ちゃんぶったことなんか言っちゃいられないぜ」
ピウスは、クラスをまとめるのがどんなに大変かを主張しながら悪態をつくうちに、怒りは次第に自分自身の内側に向かっていた。
「同じことだな」
「違う。黙れよ。分かった風なこというな」
「僕だったら、そんなにビクつかずに役目を果たすさ。だけど僕は、リーダーの器じゃない。ピウス、キミにはその能力が十分あるんだ」
「黙れっていったろ」
「そうしなければいけないってことはないだろう。そうしなければならないと思い込んでるだけだ」
「しなきゃならないんだ」
「それは君のつくった規則だ」
「規則は規則だ」
「当たり前だ。規則は厳然とそこにある。集団生活の根本だからね。大切なんだ。守らなければならない」
「そうだ。義務だ」
「……。中には守らない奴もいる。そのときキミの才能が力を発揮する」
「義務はいつも僕を取り巻いてる」
「でも、魂までは取り巻けない」
「その話なら聞きたくない」
ピウスはため息をつき、興奮気味に乗り出していた身体をドサッと背もたれへ委ねた。弾みで前髪が落ちて眉を隠し、瞳が陰った。
「義務感は不快だよね」
ドニが静かに言った。
「ああ、ほんとに」
ピウスの声は、諦めの色をにじませている。
「でもそれは、思い込みのかたまりだ。もっと優しく全体を見渡せば、義務は義務でなくなる」
「じゃあ、何になるんだい?」
「自然になる。自然に、喜びを持って行為がなされないなら、それは悲しいことだね」
「……」
「自由になることは、ごく単純で簡単なことなんだ」
ドニは窓の外を眺めた。平行して走っていた川は姿を消し、何本もの線路が幅広く並んでいる。
汽車は速度を落とし、駅は近かった。
二人は小さな手荷物をまとめ、コートを手に持った。外はようやくやってきた春の陽差しで暖かそうだ。
汽車がすうっとホームへ流れ込み始めた。
ピウスが先にコンパートメントを出た。ドニはピウスに続いた。
「ピウス」
ドニが声をかけた。
「なに」
ピウスは振り向かずに、細長い通路を規則的な足取りで進んでいる。
「ちょっと、確かめたいことが、」
ドニの声は、ピウスの背に当たって珍しく気後れした。ピウスの制服を着た背中は、もうすでにドニの質問を知っているらしく、冷淡に揺れながら、訊かないでほしいと懇願していた。
「ピウス、キミも一緒だったよね」
二人は扉の前に立ち、汽車が完全に停まるのを待った。
ピウスは何も答えない。
「僕には確信があるんだけど。キミもいたよね。キミと僕とクレメンスと三人で。星がきらめいてて、輝く砂を集めて遊んだんだ」
汽車が停まった。ピウスは乗降口の扉のノブに手を掛けた。
「それで、二人でクレメンスを見送ったんだ。そうだろう、ピウス?」
ピウスは扉を開け、階段を降りてホームに立つと身体ごと振り返った。
そして、まだ汽車の出入り口、階段の上にいるドニに向かって叫んだ。
「僕は生徒委員としてキミに言う。おかしな思想を平和な学院にばらまかんでくれ。それから、今後一切、そう、キミがその階段を降りたら、二度とその話はするな。分かったな」
そう激しく言い捨てると、ピウスはドニを残して一人、歩調を速めた。
ホームにいる大人たちが迷惑そうに二人の少年を見ていた。
「やっぱりだ。気付いてるね、ピウス」
ドニの頬が嬉しそうに笑みを作り、全身は喜びに震えた。
階段を飛び降り、ドニはピウスに追い着こうとホームを駆け出した。
読んでいただいてありがとうございます。
全体を5回に分けてお届けします。
第3話は10月21日ごろに投稿します。
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