1 汽車のなか ①
シュノッツェンブルクの春は遅い。
汽車はゆっくりと動いていた。
景色は緩やかに車窓を飾ってくれる。
雲の切れ間から朝の太陽が薄い光を投げかけ、線路添いの川から水鳥が陽光めがけて飛びたった。
瓦葺き屋根の小さな煙突から白い煙が立ち昇っている。
コンパートメントの中は、良く利いた暖房のせいで少し暑かった。
窓を引き下げ、上部5センチ程のすきまから換気をした。
向かい合わせの二人は無言だった。
駅で簡単な朝食をとったとき、ふたことみこと言葉をかわしたきりだ。
別に、敵意を抱いているのでも、嫌悪を感じているのでもなく、またお互いになじめないでいるわけでもない。
二人は悲しかった。そして淋しかった。
自分たちの良く知っている小さな若い命が消えてなくなったというのに、相変わらず地球は自転し、公転している。
朝には目覚めが訪れ、温かい紅茶とパンが空腹を満たした。
心地良い汽車の揺れが、ゆりかごのように二人の少年の眠りを誘った。
そのときもう一人別の少年が二人の横に現れ、元気な明るい笑顔を見せた。口を大きく開け、肩を揺らせて笑ったが声は聞こえず、やがて二人の頬にキスをすると壁の向こうに消えた。
汽車が速度を増し、その勢いで窓から風がさっと入り込んだかと思うと、ドニの膝の上で分厚い本のページがぱらぱらとめくれ、ピウスの金髪が乱れてなびいた。
「やあ、おはよう」
コンパートメントの扉が音を立てて開き、通路から、汽車のガタゴトいう息遣いがうるさいほどに聞こえてきた。
「どうしたね」
検札に来た大男が、帽子のつばを指先でつまみ、心持ち後方へずらした。
顔見知りの車掌だった。
二人は立ち上がり、壁にかかったコートのポケットから乗車券をさぐりだした。
「クレメンスが、死んだんだ」
ピウスが受け答えた。ドニを気遣っている。
「おお、それは……かわいそうに……」
大男の声がかすれ、瞳がうつろに潤んだ。
「いいこだったが、身体が弱いのがなあ……。今にも折れそうな体しとった。いつだったか熱だして、ここで看病したっけな」
「そうだったね、おじさん」
ピウスが、当時を思い出すように、小さく何度も頷いた。
「僕らは葬儀に参列して、そして二人で小さな宿に泊まった。これからまた、学院に戻るんだ。みんなどんな顔してるか……」
ドニはガラス窓を見つめながら、独り言のように呟いた。
その声は車掌の耳にもはっきりと聞き取ることができた。
「・・・気落ちしないことだな」
「そうだね。ありがとう」
車掌は、二人の乗車券にハサミ型のスタンプを押し当てて日付と時間をつけると、顎髭を撫でながら静かにゆっくり、隣りのコンパートメントへ移って行った。
「この二日間、二人っきりで、知らない街で、ちょっとした冒険だったね」
ピウスはそう言いながら軽いあくびをし、足でドニの黒い革靴をつついた。
ドニは、そのピウスの足先を見て、ニヤリと含み笑いを浮かべた。
ピウスが、いつになく、開放的な雰囲気を漂わせている。
学院では、生真面目で信頼絶大のピウスが、自分の足で誰かの足をつつくなんて、そんなはめをはずしたような態度を誰が想像できるだろうか。
「うん。なかなか開放的だった」
ドニがそう言うと、ピウスは、ピクリと眉を動かした。
「ごめん」
ピウスは、ドニの返事を聞いて初めて気づいた。
自分の心がはしゃいでいる?友人が死んだばかりだというのに?
「なに?いいじゃない」
ドニは、軽く受け流しながら、ピウスの顔が、次第に学院向きの顔つきに変わっていくのを見ていた。この旅の終わりで待ち構えている学院生活、そこヘの心の準備を始めたのだ。
ドニは、ピウスのその痛々しくさえも見える心の変化を敏感に察知していた。
クレメンスはドニの最良の友人だったので、ドニの悲しみは誰よりも大きかった。
それでもドニは、学院までの汽車の旅を楽しむことができた。
窓辺に移りゆく景色を眺めたり、気が向けば手持ちの本を拡げ、眠くなれば目を閉じた。
今という時を素直に受けとめることができた。
ピウスが感じているような、学院の窮屈な規則なんかは、学院の敷地のなかに入ってから自然と喚起すればよいことだった。
「全ての囚われから自由になるっていいなあ。その原因がたとえ友だちの死であろうとも……かな?」
ピウスは、窓から入り込む風で乱れる髪を手でなでつけながら言った。
「無理してる。それにそんな風に・・・」
「ごめん。キミの親友だった……ね」
ピウスは、二度目の謝罪をした。生徒委員という自分に与えられた役目で自分を縛りつけ、感じなくてもいいはずの負担をわざわざ感じているのだった。
そのクソ真面目なピウスが、今日はドニの前で、無邪気な顔をのぞかせる。
「いや。誤解しないでくれよ。僕は、そんな風に考えたことはない、って言おうとしただけなんだから」
ドニは、ピウスの心が微妙に揺れ動いているのを知っていたので、少しばかりその内面を引き出したい気分になった。
「考えたことがない?なにを?」
ピウスは不可解な表情でドニを見た。
「囚われから自由になるって、言ったろう?」
「言った」
「僕にはその気持ちは分からない」
ドニは、そう言いながら、ピウスを真正面から正視した。
綺麗だ、と思った。これはきっと何かの間違いで、ピウスは本当は女性に生まれる予定だったのではないだろうか。くっきりとした青い大きな瞳が、怪訝そうに戸惑い、微かに揺れてその美しさを増している。
「どういう意味?僕の方が理解に苦しむよ。キミは時々、わけの分からないこと言うからな。その唯一の良き理解者がクレメンスだった……」
「ピウス、キミは知らない振りをしているだけだ。本当は気づいているのに」
ドニは、ピウスにぼんやりとした視線を送った。
ピウスは眉をつり上げ、ドニに挑んだ。
「またそれかあ。いったい僕が何を知ってるってんだ」
「たとえば、クレメンスが死んだこと」
「そんなこと……、誰だって知ってるよ」
「それ以上のことは?」
「何だい、それ」
汽車が小さな駅に停まり、乗客たちが二人のコンパートメントの前を通り過ぎていく。
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次回は7日~10日後に投稿します。
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