1.今度こそ、成功してみせる
俺は田中修一。46歳、独身。会社員。どこにでもいる普通のおじさんだった。それが、どういうわけか異世界に転生してしまったらしい。
最初に気づいたのは、自分の手がやけに小さいことだった。天井には木の梁が見え、壁は石造り。窓の向こうには見知らぬ街並みが広がっている。身体を起こそうとしても、うまく動かない。声を出そうとしたら泣き声になった。
赤ん坊だった。
まさか、と思ったが、それ以外に説明がつかない。俺は死んだのだろうか。最後の記憶は、日本で暮らしていた頃のものだ。その後に何が起きたのか、どうにも思い出せない。
もっとも、考えたところで何もできなかった。腹が減れば泣き、眠くなれば寝る。そうしているうちに、少しずつ周囲のことが分かってきた。
まず、ここは日本ではない。言葉も違うし、生活様式も違う。そして、魔法がある。母親が指先に小さな光を灯したのを見たとき、俺は確信した。
異世界転生だ!
剣と魔法の世界に、現代日本の記憶を持って生まれ変わったのだ!
これは、ひょっとすると大変な幸運なのではないか。
前世の俺は、決して優秀な人間ではなかった。それなりに仕事をして、それなりに給料をもらい、休日は趣味を楽しむ。会社では多少頼られることもあったが、特別出世したわけでもない。
結婚はしていなかった。できなかったのか、しなかったのかと聞かれると、少し返答に困る。どちらの側面もあったと思う。ただ、独身生活は悪くなかった。自分で稼いだ金を自由に使えるし、休日の予定も自分で決められる。
甥の俊には、そんな俺の生活が少し格好よく見えたらしい。
「叔父さんって、自由でいいよな」
高校生になった俊にそう言われたときは、なかなか嬉しかった。
「まあな。独身貴族ってやつだよ」
俺は得意げに答えたものだ。実際には、家でだらだら過ごすだけの休日も多かったし、女性関係についても、さほど人に自慢できるようなものではなかった。しかし、甥の前くらい格好をつけてもいいだろう。
そんな、何ということもない人生だった。
だが、今度は違う。
俺には現代日本の知識がある。電気も知っている。蒸気機関も知っている。印刷技術も、衛生管理も、食品加工も知っている。詳しい仕組みを説明できるかは少々怪しいが、少なくとも実現可能であることは知っている。
この世界の技術水準は、見たところ現代日本には及ばない。ならば、何か一つくらい大発明ができるのではないか。
俺は小さな拳を握った。
今度こそ、歴史に名を残すような人物になってみせる。
前世では普通のおじさんだったが、今世では違うのだ。
✳︎
俺はエルンという名前をもらい、地方の小さな町で育った。両親は商売を営んでおり、生活にはそれなりの余裕があった。ありがたいことに、教育も受けさせてもらえた。
文字を覚えると、さっそくこの世界の技術について調べ始めた。ところが、これが思ったほど簡単ではない。印刷技術はすでにある。水車も風車もある。複雑な機械もある。街には衛生設備が整っており、魔法を利用した通信装置まで存在していた。
想像以上に発展した世界だった。
もちろん、現代日本にしかないものも多い。しかし、それをどうやって作るのかと考えると、俺にはよく分からないことばかりだった。飛行機が飛ぶことは知っているが、飛行機の設計図は描けない。コンピューターが便利なことは知っているが、半導体の製造方法など知らない。
とりあえず、石鹸でも作ろうか。そう思ったら、石鹸も普通に売っていた。
なかなか手強い世界である。
それでも、まだ何かあるはずだ。俺は諦めずに本を読み続けた。そんなある日、学校の歴史の授業で、聞き捨てならない話を耳にした。
「現在の衛生制度や機械技術の発展には、異世界転生者が大きく関わっています」
異世界転生者。俺は思わず顔を上げた。
「先生、異世界転生者って、前世の記憶を持って生まれてくる人のことですか?」
「そうですよ。よく知っていますね」
「ええ、まあ……」
「非常に珍しい現象ですが、古くから記録が残っています。特に初期の転生者たちは、異世界の知識を紹介し、この世界の技術発展に貢献しました」
俺は少しがっかりした。異世界転生は、俺だけの特別な出来事ではなかったらしい。しかも、すでに先人たちが知識チートをやってしまっている。
いや、待て。
考えようによっては、悪い話ではない。先輩転生者がいるなら、彼らの残した知識を学べる。異世界の技術と組み合わせれば、もっとすごいことができるかもしれない。何より、転生者が何人もいたなら、それぞれ違う知識を持っていただろう。
俺にしか知らないことだって、きっとある。
「先生、その転生者について詳しく書かれた本はありますか?」
「ありますよ。図書館の歴史資料の棚に、転生者列伝があったと思います」
俺は放課後、さっそく図書館へ向かった。前世知識で成功するためにも、まずは先輩たちの業績を調べなくてはならない。
このときの俺は、まだ知らなかった。その先輩たちが、少々厄介な人々であることを。




