019 二人の語らい
「今夜は疲れただろう?」
「いいえ、カリスさま。大丈夫です。式にいらっしゃらなかった方々とも引き合わせていただきましたし、シーラ様からは今度お茶会にとお誘いもいただきました。ほかにも幾人かとお知り合いになれましたから、カリスさまから見て問題がないようであれば、その方たちとこれから親しくおつきあいできればと思います」
一人二人トーリに確認したほうがよさそうな者も交ざっていたが、概ね問題ないご婦人方だった。あからさまに害になる者はすでに対処してある。
これから高位貴族の貴婦人たちとつきあっていくサイアにとって、ためになる横の繋がりを得られる相手との顔合わせができたいい機会ではあった。
「とても有意義な舞踏会でした」
「まあ、そうだな。たが、有意義であれば疲れないというものでもないからな。今夜は早めに休ませてやりたいが……」
「カリスさまと、もう少しお話がしたいです……」
「わたしもだよ。眠る前にもう少しつきあってほしい」
「はい……」
目元を赤く染めたサイアはとても可愛らしく、あいだをあけて腰掛けていたのを引き寄せて、かがみ込むようにしてその目元に口づける。おずおずとしていたサイアの体からやがて力が抜け、カリスに寄りかかってきた。
その重みが愛おしいし、少しずつ心を添わせていくその過程もまた楽しい。
城から王都の本邸に戻ると、用意させた軽食を二人でとってからそれぞれ休む用意を整えて、就寝前のひととき、夫婦の寝室の続き部屋の居間で酒や茶を飲みながら語らいを持つ。この習慣は結婚後の二人の日々のなかに根付いてきていた。
「キノキーロではサイアに見せたいものがたくさんあるし、会わせたい者もいる。だが、まだ少し時間がかかりそうだな」
「連れていっていただけるのを楽しみにしています」
帝国に端を発した騒動が起こした波は、つい先日サイロウへと到達した。マナリが秘かに出戻ってきたのだ。そのせいで、サイロウ侯爵夫妻はサイロウ領で直接その処理に当たることになった。
カリスたちはサイロウ侯爵夫妻の代わりに王都に詰めることになった。まずは二人でゆっくり過ごそうと考えていたのを台無しにされ腹立たしくはあるが、公表された計画ではなかったので、カリスたちが王都にいても結婚後の挨拶回りだと判断される。なんらおかしなところはない。
マナリがサイロウに戻ったことは、その過程で帝国の皇妃の助けがあったこともあり、表には出ていない。今後のことが決まるまでは隠せる限りは隠すと決まった。
「だが、二年前に義理の妹として帝国に送り出した従妹が、夫に殺されかけて戻ってくるなど、さすがに考えたことはなかったな」
「……」
サイアの背は少し伸びたのだが、カリスからするとやはり小さく、腕のなかで俯かれると相変わらず表情が見えなくなる。たが、二人で過ごす時間が経つにつれて、見えずともその雰囲気が分かるようになってきた。
少しばかり不満そうなサイアを膝のうえに抱き上げて、腕のなかに閉じ込めた。小さく声を上げてしばらくもぞもぞしていたが、やがておとなしくなり、体を添わせてくれる。
「こうして抱きしめていると守るべき宝がこの腕のなかにあるのだと実感する」
「そんな、宝だなんて」
こんなに短い時間で瞬く間に宝となったサイアの頭の上に口づけるようにして囁いた。
「貴女はわたしの宝物だよ、サイア」
マナリが出戻る。想定外の事態だ。
マナリの周囲に配していたサイロウの手の者から情勢は逐一報告されていたが、さすがに離縁しようとしたミハイル皇子にマナリが殺されかけることまでは彼らの想定にもなかった。とはいえミハイル皇子を取り押さえ、マナリを助け、そのままだと危険だと考えた皇妃の考えもあって、サイロウへと連れ帰ってきた。面倒の種を持ち帰ったことになるが、その判断は帝国との関係など考慮すると間違いとも言えない。
皇妃とマナリは完全にしっくりいくという仲ではないのは把握していたが、皇妃にこの機を上手く利用されたのかもしれない。
手の者はまだ複数の筋で帝国に残してある。あの皇妃は大国の王の正妃に相応しい性格だ。気も強いが心も強い。だからこそ皇帝が揺らいでいる状況下でも帝国そのものは揺らいでいない。
機をみて秘密裏に、皇妃に対しておかしくなった人間の正気の取り戻し方を伝えさせると聞いている。あの皇妃であれば、別の者で試したあとに皇帝を殴るくらいのことはしてのける。皇帝さえ元に戻れば帝国の正常化は早いだろう。
「カリスさま……。私、やっぱりマナリ様は好きになれません」
躊躇いがちにサイアが言った。
「母上も嫌っている。サイアはもうサイロウに染まっているということだ。なんの問題もないな」
ミハイル皇子もおかしくなっているのだろう。愛する人に殺されかけたマナリは憔悴しきっており、母親とともにサイロウ城の奥に匿われている。そのマナリにも、おかしくなった人間の正気の取り戻し方は伝えられた。乱暴なやり方だし、まだ叔父ひとりでしか試してはいないが可能性は十分にある、やってみればいい。ミハイル皇子を愛しているというなら、帝国に帰って引っ叩いてみればいいと思うのがサイロウの人間の考え方だ。
だが、マナリは嘆くだけで、なんの行動も起こさなかった。トーリはそんなマナリを内心蔑んでいる。サイロウの気質には合わないのだ。サイアは蔑むまではいっていないように思うので、その性格はまだ染まりきってはいないのだろう。
「……カリスさまは……いえ、なんでもありません……っ」
そうして口ごもり悩んでいるサイアを見るといじらしくてたまらなくなった。俯くサイアの頬を両手で包み込んで顔をあげさせて深く口づけた。息も絶え絶えになったサイアをようやく解放して、胸の中に抱き込む。そうして髪を撫でながらゆっくりと正直に本心を伝える。サイアが悩んだりする必要など、これっぽっちもないのだ。
「わたしのなかにマナリに対する個人的な関心はひとかけらも残っていないんだ」
サイアが胸から顔をあげたので、少し力を緩めてやる。まっすぐに見上げてくる瞳を見つめながら、この心が伝わるようにゆっくりと話す。
「愛情と憎しみは同じものの裏表で、愛情の反対は無関心だと聞いたことがあったが、自分事になって納得した。マナリについてはまるで関心がわかない」
当時も複雑な気持ちにはさせられたが、憎しみが湧いたことはない。
「サイロウにとって利用価値があるからその行く末を考えている。だがそれだけだ。冷たい人間だと思うか?」
「いいえ! そんなことは決して思いません」
「そうか、有り難いことだな。愛するサイアに軽蔑されたくはないからな。サイロウを背負って立つということは、そういうものが求められることもある。……サイア、貴女の心が離れたら、わたしは貴女を憎むだろう」
日々、サイアへの想いは強まっていると感じる。
「カリスさま! 愛しています!」
「……貴女がわたしをつかまえてくれたことは、わたしの人生で最大の幸運だったな。今では貴女以外の妻など考えられない。わたしは貴女を幸せにするよ」
「私はカリスさまを幸せにします!」
「……ありがとう」
二人は見つめ合い、幸せな気持ちで微笑みを交わした。




