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とても現実  作者: 皿日八目
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なろうことなら十万へ

 川は朝の日を注がれ、黄金をたたえていた。値千金の色。その上を吹いた風も恩恵を授かり、私の耳へ一つの言葉を運んだ。

「十万文字が一つのライン」


「……えっ?」

 どういう意味か。おそらく小説の文字数のことを言っているのだろうが、ラインとは一体何か。全くわからない。検索窓から船出して、いくらゼロイチを渉猟しても答えは見つからぬ。何故十万文字でなければいけないのか。それを越えるとどうなるのか。これを確認する術はもはや唯一――自分で確かめるしかない。


 ということで早速執筆に取りかかるも、書くべきことが何も思い浮かばない。書くべきことが何もないからだ。私はただ風説の真相を探るために着手したのだから、それも無理のないことだと思う。しかしとにかく書かなければ。十万文字を埋めなければならない。困った。私は文章を書くのが非常に苦手なのだ。


 小学校時代を思い出す。小学校でやらされるのは折り鶴か作文くらいのものだが、私はそのどちらも非常に苦手だったため、あっという間に学校嫌いへ陥った。どうしてもただの紙が鶴に変身する原理を理解できなかったのだ。何度紙を折り合わそうとも、出来上がるのは掃き溜めに相応しいようなものばかりだった。


 それに増して苦手だったのが作文なのだ! あの廿×廿構成の悪夢! きっと私の他にも、あのマス目の俗悪な色の線が自分を束縛するという悪夢を見た者がいたに違いない。あああ今思い出しても寒気がする。確か最初に書かされたそれのテーマは、「うんどうかいをふりかえって」とかだった気がする。


 気がするというのは賢明なる我が愛すべき海馬があんなものは記憶の必要無しと判断を下していたからだ。しかしおそらくそのテーマだったと思う。振り返れなんて、ただ走ったり転んだりするだけの行事について何を思い起こせば良いと言うのか。まあそれを除けば書くことはいくらかあったが、「転んだとき膝から出た血が綺麗だった」とか、「女の子が泣いていたのに劣情を抱いた」などとどうして文科省に提出できようか。


 ……あれ、おかしいな。作文が苦手なことを書こうと思っていた筈なのに。いつの間にか運動会のことについてまくし立てているぞ。しかし、これはこれで良いかもしれぬ。こうやって話題と話題の間、単語と単語の隙間を跳躍していくことでかなりの文字数を稼げるだろう。別に文章の中身などどうでも良いのだ。私はただ、十万文字を目指すのみ。そのためだけにこの文章はあるのだ。

 

 閑話休題。(って、それどういう意味? まあ良いけれど)作文。作文が苦手だったということを話そう。


 とにかく作文が嫌いで、小学生が嫌いな物と言えばピーマンか校長先生の話(もう一つ思いついたが、それはよそう)だろうが、私の場合はそこに作文も堂々と加わっていたのだ。原稿用紙にアレルギーを持ち、後もう一度手を触れたなら絶命するかもという恐怖が今も心の底に澱として残っている。だいたい、何を書けば良いのだ。私の好きなこと(学校の行事で一番好きなのは「帰りの会」だった――理由はもちろん帰れるから)についてなら頭を絞ってやっても良いのだが、テーマに選定されるものはたいていおぞましくつまらないものだった。先に挙げた運動会もそれである。一年の振り返りとかいうやつもあった。できるわけないだろ。昨日の夕飯も覚えていなかった小学生の私に、何という無理難題! ううむ。この話題はそろそろ切り上げたほうが良さそうだ。いよいよ具合が悪くなってきた。私は救急車を呼ぶために必要な番号を知らないし。


 しかし次に何を語ろうか。まだ十万文字は遥かな遠くに位置し、私はその方角へ向けて一歩進んだに過ぎない。しかもその歩幅は極めて小さいのだ。こんな調子では先に宇宙が終焉を迎えてしまう。……それは言い過ぎか。自分のことを除くと、途端に話題が無くなってしまった。部屋を見回す。何か格好の題材がありはしないだろうか。何でも良い。先述したように、クオリティーは不燃ゴミの日にすべて捨ててしまったのだから。


 おっ。壁。壁があるな。いや家の中にいるのだから壁があるのは当然だが。今度はこの壁について書くとするか。この壁はおおむね白く、おおむねに含まれていない部分には茶色の染みがある。ちょっと風神に似てなくもない形状で、三歳児に対しては恐怖をもたらすことができるだろう。この壁は家の南側にあり、もし冷蔵庫が急に自分を破城槌と思い込んで発進するなら、そこには外へと繋がる穴がぽっかりと開くであろう。


 しかし本当にそうだろうか? 壁の向こう側にあるのは駅か草原と相場が決まっている。ただの表が広がっているとはあまり思えないのだ。何気なく普段歩行している世界とは、ただ家の玄関や窓とのみ繋がっていて、もし壁に穴を開けたなら……でも壁に穴を開ける気にはなれないから、一生確かめることは出来ない。ま、それほど気にもならないけどね。


 いやしかし本当に書くことがない。小説家という人はすごい。何万文字、何十万文字という物語をよく構築できるものだ。私にはとても無理。今も一文字一文字打ち込むのに刻苦しているのだから。本当に十万文字など達成する日が来るのだろうか? どうしてもそんなふうには思えない。やはり身の丈に合わない目標だったのだろうか。


 我が軌跡を振り返ってみると、随分と書きかけの行があるように思う。麻疹のように熱中しては数日で投げ出す。ああ、熱しやすく冷めやすい。私は金属製だったのか。親に製造番号を聞いてみようかしら。そして今のこの取り組みも途中で投げ出すことになるのだろうなあ。我が身の浅ましさよ。


 ただ、まだやる気は残っている。死力を尽くしてこの種火を守り、心の内に広げていかねばならない。心根には着火剤をたんと塗ろう。ドライヤーを左胸に当てて乾かそう。そうでなければ、いよいよ私は自分を見捨てるかもしれない。自分にすら見捨てられた人間の、何と哀れなことだろう。私はあり得べきその将来を垣間見、落涙する。焼却炉へ身を投げる日。しかし人間はどういう分類なのだろう? 燃やしたり、燃やさなかったりするではないか。しかし燃やしても骨は残るから……その日が来たときのために、不幸な尻拭い係に残す手紙を書いておこう。幸いにして、水性ボールペンの在り処は知っている。


「我が屍体は不燃ゴミとして木曜日に出せ」


 ふむふむ。もう少しで二六〇〇文字に到達するのだな。現実から虚構へ話を飛躍させてみたり、仮初の絶望に身を染めてみたり、色々試してやっと得た成果がそれか。ふーん。いささか物足りぬ。ま、ぼちぼちやっていくしかなかろう。いよいよ困窮したのなら、全ての漢字をひらがなにしてしまえばよい。日本語に許されし奥義だ。わはは。


 ま、冗談はさておき(これから先も冗談だけど)、先は長いのだから話を続けよう。どこまで話したっけか。思い出せないぞ。早くも痴呆症の兆し。まだ若いと思っていたのだが。鳥は三歩歩けば忘れるというが、条件がわかっているのなら良いではないか。人間はいつ忘れるのかわからないから厄介なのだ。三歩歩けば忘れるとわかっているならその前に対処し、誰も何も忘れないだろう。しかし三歩歩けば忘れるということを忘れることもあるのか? はあ。お手上げでございます。後は専門家に任せた。


 ……おっと失礼。頭を掻いていて文が滞った(二つのことを同時に出来ない。私の特徴として覚えていてくれ)。勘弁してほしい。いくら清潔にしていても、痒みというものは突発的に起るものなのだ。というか、そうであってくれ。私は私が十分に頭を洗っていると信じたいのだ。今一文に“私”をかなりの至近距離において二度配置したが、これはある種の諧謔を狙ってわざと書いたものであり、読みにくいことは承知している。そしてこういう自ら落ちを暴露するような興醒めものの茶番を演じてみせるのは、この先もっと眉をひそめたくなるような文章を読者が発見しても、これも私が狙って書いたものなのだろうと錯覚させるためである。最近は個人で免罪符を作れるようになったのだ。さらば教会。


 書くことなどいくらでもある。そう信じるしかない。考えるくらいなら書き続けるのだ。もうこれで三回目だと記憶しているが、またまた言わせてもらう――完成度は度外視している。ただ十万文字という頂を目指しこの山道を登るのだ。足は使っていないが手を使っている。キーボードの上を手が飛び交うたびに、少しずつ景色は変ってゆく。ここはまだ一合目。周りには談笑する登山客も多いし、すぐ側には自販機だってある。百円を入れてみよう。インサート・コインだ。……沈黙。あっ。そうだ。今時百円で購入できる飲料など絶滅したのだった。追加料金を要求して自販機が鳴き出した。ピーピーピー。そう悲しい顔をしれくれるなよ。ほらっ。なけなしの二十円だ。涙の味がするだろう? よく味わって機構に組み込め。


 満足気にスイッチの色を変える自販機。飾り窓の向こう側には四列があり、まあ予想はつくだろうが一番上には水が並ぶ。二列目は炭酸――私は飲まない。ただでさえ二酸化炭素が空気に満ちているのに、これ以上取り込んでどうする? ――があり、三列目にはジュース。四列目には覚醒剤。へえ。わりと幅広いラインナップ。広範囲の客層を取り込むことは商売の鉄則だからね。もしかしたら捜査しに来た警察だって利用するかもしれないし……いや、もしかしてそれこそが狙いなのか? 見習いたい賢さだ。イルカの次に頭が良いだけはある。


 まあ、そういうことだ(どういうことだ?)。遮二無二書き進め、歩みも進め、険しい道を靴底すり減らし(指紋という説あり)て上昇。山頂に着いたって何かあるわけではないかも知れぬが、そこから見える景色は壮麗である筈だ。それで十分ではないか。後付の動機、付け焼き刃のモチベーションとしては合格点だ。内申点はちょっと危ういが。


 おっ。やっと四千文字に届きそうだ。いやあ、長かったな。これを後廿五回(何だこの予測変換は?)繰り返せば、晴れて十万文字が実現する。空腹を覚え始めたことであるし、ここで一区切りとするか。しかし間もなく再開することになるだろう。私の食事は素早いのだ。食事そのものより、その間に見る動画の検索に時間をかけているような、そんなやつらではないからな。



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