下された処罰
荘厳な宮殿の広間には、四方を囲う虹色のステンドグラスから朝日が降り注いでいた。そこを出て、赤い絨毯の敷かれた渡り廊下を歩く。途中両脇に飾られた見事な鉄の甲冑に睨まれながら外へ出れば、広場では深紅の軍服に身を包んだ騎士たちが朝の訓練を行っていた。いつもと何一つ変わらぬ、平和な朝だ。何もなかったかのように繰り広げられる日常の光景に目を細めながら、ロザリーは近衛連隊の紋章を軍服から取り外した。
華々しく凛々しい近衛の騎士達、広場に美しく咲き誇る花々、権力の象徴たる大宮殿。全てを目に焼き付けるように見渡す。もう二度と訪れることのないこの場所に、一つの未練も残さぬように。
いつもは束ねているブロンドの髪は下ろされ、日の光にキラキラと反射しながら王都の風に靡いている。軍服を着た女神の姿は神々しいばかりで、滲み出る美しさと気高さに息を飲んだ。ほんの僅かな時の中で随分と大人になったことだと、昔からよく知る幼馴染みの姿を感慨深げに見つめる。男勝りなじゃじゃ馬令嬢が、今では立派な大人の女性だ。その愁い帯びたを横顔の美しさに悲哀さえ感じながら、彼女の名を呼んだ。こちらを向いた彼女は泣き腫らした目を細め、うっすらと微笑んで見せた。
「何だ、アーロン。餞に薔薇の花束でも持ってきてくれたのか?」
「まさか。昔から花になど何の興味もなかったじゃないか」
そんな冗談さえ、悲しい。無理して笑うことなどしなくていいというのに。アーロンはかける言葉さえ見つからず、彼女の前で立ち尽くした。すでに知っていたのだ。憲兵隊と議会が下した彼女への処罰を。
「今しがた国王陛下から私の処罰について厳命を賜った。おまえはもう知っているだろうが」
少し俯きながら、ロザリーは言った。その顔を直視することもできず、アーロンは握りしめた拳を震わせる。自らの無力さをこれほどまでに嘆いたことはない。下された決定は、どうしたって覆すことはできないのだ。
「何もできなくてごめん…。手は尽くしたんだけれど、僕にはどうすることもできなくて」
「アーロンが謝ることじゃない。それに、左遷程度で済んだんだから、逆に陛下には感謝しなくては」
「けれど、きっともう王都には……」
アーロンは言いかけて、口を閉ざした。凛とした表情でこちらを見つめるロザリーが、もう全てを受け入れていたように吹っ切れた顔をしていたのだ。
しかし、ロザリーに下された処罰は厳しいものだった。近衛連隊の隊長の職位は剥奪され、代わりに彼女に与えられた任務ははるか西方の国境にある町の領主だった。言わば左遷だ。栄華を誇る王都に暮らす将軍家のご令嬢が、ここからは程遠い辺境の地へ送られる。そのことがどれほど厳しいことか、アーロンはただただ辛くてならなかった。
「騎士として生きることは許されたのだから、私はそれで十分だよ。……ただ、父上と母上には本当に悪いことをしたと思ってる。私はとんだ親不孝者だ」
「ロザリー……」
父に母に、ディノワール家の全ての者たちに恥をかかせた。女ながらに栄誉ある近衛連隊の隊長とまでなれたのは、自分の力だけではない。その恩を仇で返すような結果となってしまったのだ。父や母の望むような生き方は何一つできなかった。今さらディノワール家を去ることに未練などなくとも、彼らの事だけは心残りだった。
俯いて大きく息を吐いたロザリーを、アーロンはたまらなく不憫に思った。家族をも捨てる覚悟で、あの男を選んだ。愛を選んだ。その結果が左遷とは、なんと憐れなことだろう。隊長とはいえまだ年若い少女だ。たった一人で辺境の地へ送られるなんて、どれほど辛く心細いことだろうか。
「それはそうと、ロザリー。バシュレー副官が近衛連隊を辞したと聞いたけれど…」
「ああ…。そのまま、いなくなってしまった」
「……え?」
アーロンは目を見開き、ロザリーを見た。いなくなってしまった…?それはいったい、どういうことだろうか。怪訝に眉を寄せたアーロンだが、彼女は今にも消え入りそうな声で続けた。
「気が付けば、いなくなってた。本当に、突然。兵舎の部屋には何も残されてなかった。私には何も言わず、こつ然と消えたんだ。近衛連隊を去ったという事実を知ったのは今朝のことだ。そんなこと、私には一言も言ってなかったのに…」
「それじゃあ、故郷へ戻ったということ?」
「……いや。陛下の話によれば、バシュレー家には戻っていないそうだ。しかも、家督をすでに弟へ譲っていたらしい」
「じゃあ、彼はっ…!」
「バシュレー家からも去り、何もかも捨てて、消えてしまったらしい……」
まさか、とアーロンは思った。そんな馬鹿な話があるだろうか。ロザリーがどんな思いで恥を告白し、守ったのか。全てを投げ打ってまで自らの思いを貫いたというのに、どうして。それをあの男はわかってて、一人姿を消したというのか。
「ロザリー、何かの間違いじゃないのかな?バシュレー副官も何か考えがあるのかもしれないし、とにかく彼を探しに……」
「もう、いいんだ」
「……え?」
「もう、いい。わかる。あの男はもう戻って来ない。自分の意思で私の元から去ったんだ」
「そんなっ……!」
震える拳を握りしめ、思わず声を荒げた。けれど、視線の先に佇むロザリーの悲しい笑顔に、アーロンは言葉を飲み込んだ。
「男と女の関係なんて、案外呆気ないものだな。別れは本当に、一瞬のことだ」
悟ったような物言いに、アーロンはかける言葉もなかった。あの男とロザリーの間に何があったのか、それは誰にもわからない。誰にとやかく言う権利もない。この二人の間には、誰にも入り込む余地のない固い絆があると感じていた。だからこそ、それ以上何も言えなかった。ロザリーが受け入れたことならば、それをただ見守ることしかできないだろう。
「けれど、私は後悔していない。自分が取った行動に、何一つ悔いはない。彼を愛したことも」
悲しげな笑顔ではっきりと言ってみせたロザリーの声色は、思いのほか澄み切っていた。それだけが唯一の救いだ。決して自分に嘘を付かず、選んだ道を突き進むのがロザリーの生き方だ。彼女が彼女らしくいられるのならば、それが最良の選択なのだろうとアーロンは思った。
「出立はいつ?」
「数日中には王都を去る。出て行くなら早い方がいいだろう。私も早く向こうの暮らしになれたい」
「そう…。寂しくなるね」
「いや、案外あっちのほうが私には合っているのかもしれない。王都は少々賑やかすぎる。辺境地の女伯爵として、余生を楽しむよ」
「余生だなんて…」
何もかも諦めたような笑顔が、かえって辛かった。手を振って去って行くロザリーの背中を眺めながら、アーロンは大きく息を吐いた。
心の強いロザリーのことだ。きっと向こうでもうまくやっていくだろう。彼女が彼女らしく生きていける場所を、ちゃんと見つけられることだろう。
ただ、アーロンにはまだ気がかりなことがあった。
バシュレーは果たして、どこへ消えたのだろうか。無論、彼女のためを思って別れを選んだのかもしれないが。しかし、一つの可能性が残されていた。とても恐ろしい、可能性が。
「まさか、あの男……」
アーロンは戸惑いながらも、駆けだした。何か恐ろしいことが起こるような予感を抱きながら。
――富の限りを尽くす白亜の城を目前にして、しかし、アーロンはためらっていた。ここに来て、いったい何をどう確かめればいいのだろう。確かめたところで何ができる?下手をすればこの身に危険が及ぶかもしれないというのに。
エミール家の城を眺めながら、アーロンは葛藤していた。
エミール家がバシュレーの命を狙っていることは事実だ。彼が罪を免れたことでイリオスたちの企ては失敗に終わったが、たとえ近衛連隊を去り、姿をくらませたところで全てが終わったわけじゃない。公に抹殺できないのならば、ひっそりと葬り去ることさえ厭わないだろう。
むしろそのほうが彼らには好都合かもしれない。バシュレー家からも去った男だ。行方知らずの男が一人消えたとして、誰が不自然に思うこともない。……いや、もしかしたらあの男は自分の命が狙われていることをわかっていて、わざとロザリーに何も言わず行方をくらませたのかもしれない。彼女に心配をかけないように。
別にあの男を擁護するつもりも、味方になったつもりもない。できることならばロザリーには、彼を愛することで苦悩するよりも、普通の伯爵令嬢としてささやかな幸せを手に入れてほしかった。けれど、やはりこのまま見過ごすことはできない。何より問題は、ロザリーがこのことを何も知らないということだ。このままではあの男が死んでも、ロザリーは何も知らずに生きていかねばならない。そんなのあんまりじゃないか。
アーロンは歯を食いしばり、城の門の前へと突き進んだ。と、そんな時だった。目の前を通りがかった、一人の中年の女性に気付いたのは。
使用人らしき格好をしたその女性は、おそらくはエミール家に仕える者だろう。アーロンは彼女が門をくぐる前に、慌てて呼びとめた。イリオスが何かを企てているのなら、きっと動くのはあの家令の男。正面からイリオスに尋ねるよりも、まずは探りを入れることが賢明だろうと感じたのだ。
「あの…私に何の用でしょう?」
「突然申し訳ない。エミール家の家令殿はいらっしゃるだろうか?」
「シオン様ですね?あいにく不在です」
「そうですか…。いつ頃お戻りに?」
「はっきりとは存じませんが、数日後のようですよ。何やら今朝、イリオス様の御使いで遠方に用事があると出て行かれたようですから」
「……そうですか」
使用人の言葉に、アーロンは唇を噛んだ。シオンがもう、動き出している。しかも、今朝ということは、バシュレーが釈放されたのに合わせてということなのだろうか。まだわからないが、それでも悪い予感しかしない。やはりこのまま見過ごしていいわけがない。無論、エミール家の真実を知っているということは、同時に自分はとてつもなく危うい立場にいるということも十分承知だ。しかし、脳裏に浮かぶのは大切な幼馴染みの澄んだエメラルドの瞳だった。
ロザリーなら、立ち向かうだろう。どんな苦境にも、危険にも屈しない。そんな彼女の強さが、ずっと羨ましくて。自分の方が年上なのに、ましてや男だというのに、憧れていた。もう彼女の涙は見たくない。これ以上、苦しませたくない。だったら、自分も立ち向かわなければいけない。彼女のためにも。
アーロンは意を決し、馬に跨った。そして駆けた。ロザリーの元へ。もうその胸に、迷いはなかった。




