捕われた女隊長
王都を出た馬車は、まもなくレジーヌを通り過ぎようとしていた。ここから先には、カルディア伯爵家の領地である広大な大地が広がっている。しかし、秋を迎えた北の大地はひどく侘しげだった。どこまでも続く細い1本道の両端にはまばらに木々が広がり、所々で色づいた木の葉が風にさらわれて落ちていく。馬の足音と共に、落ち葉が踏み鳴らされる音がどこか寂しげに響いていた。
そういえば、とロザリーは思い出した。ジルダの出身地はこの先にある小さな町だったはずだ。詳しくは聞いていないが、とてものどかで穏やかな町だと言っていた。温暖な王都に比べれば、とても厳しい土地だという。そのような場所で、ジルダはどんなふうに育ったのだろう。どんな子供だったんだろう。聞きたいけれど、ロザリーはどうしても聞けなかった。昔の話をする時、いつもジルダは顔を背ける。その横顔があまりに物憂げで、それ以上問いかけることができなかったのだ。どこか影のある男だと、初めから感じてはいた。最近になって心の距離が少しずつ近付いているのを実感してはいたのだが、やはりジルダは一人で何か大きなものを抱えている。未だにどこか遠く感じるのだ。この手でどれほど触れたって、足りないくらいに。
そんなことをぼうっと考えていたその時だった。
悲鳴のような馬の鳴き声と共に、馬車が突然止まった。それと同時に複数の足音が耳に届き、そのただならない様子にロザリーはとっさに身構えた。
「いよいよ来たか…」
途端に襲ってきた不安と緊張に、握りしめた拳に汗が滲む。ロザリーが意を決し、止まってしまった馬車の扉を開いたその時だった。
「うわあぁぁぁ――…!」
突然響いた断末魔の叫び。慌てて馬車を降りてきたロザリーの目に飛び込んできたのは、前方で馬に乗っていた騎士の一人が、地に倒れ込んだ無残な姿だった。
「おやおや、王女様のお出ましだぜ」
「こんな頼りない護衛で無事に北へ向かえると思ったのか?やっぱり王都の奴らは腰抜けばかりだな」
血塗られた剣を手に、下品な笑みを浮かべる男たちの集団。十数の護衛しかいないこちらよりも、はるかに手勢は多い。しかも、どれも屈強な男たちばかりだ。自分達の方が有利だとわかっていながら、無抵抗の騎士を殺すなど…。何と惨い事だろうとロザリーは怒りを覚えながらも、しかし、無意識に自分の足が震えるのを感じていた。
なぜ…?覚悟していたというのに、どうして今さらになって震えるのだろう。私は…怖いのか?自分なら絶対にやれるとあれほど豪語していたのに。
もしかしたら、殺されるかもしれない。無事にやり遂げる保証などどこにもない。そんな恐怖が唐突にロザリーの心を襲ったのだ。けれど、何が何でもやり遂げなければならない。怖いなんて思ってる余裕はないのだ。自分がやらなければ、ずっと奴らの存在にこの国の平和が脅かされ続ける。やれるのは自分だけ。そうだ、怖くなどない。この日のために、私は騎士として生きる道を選んだんだ。
ロザリーは必死に自分を奮い立たせた。震える拳をギュッと握りしめ、履き慣れないハイヒールを鳴らして前へ躍り出た。
「これ以上はやめなさい。あなたたちの狙いは私でしょう?私を捕えればいい。その代わりに、この者たちを逃がしなさい」
凛とした声だった。穏やかだが明瞭なロザリーの声は、下賤な男たちを黙らせるには十分だった。さながら本物の王女のように、神々しい存在感。美しさと共に解き放つ威厳という名のオーラは、そこにいる誰もを黙らせた。盗賊の男たちは動きを止め、彼女を凝視する。一瞬にして場を染め上げた彼女の存在感に気圧されながらも、しかし、男たちは己の大きな図体を誇示するように大声で言い放った。
「ほう…。なかなか度胸のある女じゃねぇか。だが、今のあんたが置かれてる状況わかってるのか?俺たちに命令なんてできる状況じゃねぇんだよ。まぁ、あんたの度胸に銘じてこいつらの命だけは救ってやる。おい、全員ひっ捕えろ!」
その声を合図に、ロザリーの目の前で次々と無抵抗の騎士たちが拘束されていく。そして男たちの荒々しい手は、ついにロザリーにまで及んだ。
「王女さんよぉ、助かりたければ変なマネはするなよ」
「承知の上です。けれど、こんなことをして何になるの?」
「決まってんだろ。見せしめだ。能無しの王族や貴族に代わって、俺たちがこの国を支配する時代がもうすぐそこに来てんだ。あんたなら、良くてジャーク様の妾。気に入られなければ高値で異国に売り飛ばされるだろうよ」
下品な笑みを浮かべながら、男はロザリーを拘束した。
許せない…。あまりの侮辱に、ロザリーは唇を噛みしめた。しかし、彼女は冷静だった。ここで変に抵抗しては、すべてが台無しになる。決して失敗するわけにはいかないのだ。それに、この言い方だとジャークと顔を合わせることができる。この機を決して逃すわけにはいかない。
今にも湧きだしそうな怒りを抑え込み、ロザリーは大人しく彼らに従った。
「全員捕えられているようですね、副官」
小高い丘から一部始終を見つめていたのは、ジルダとその側近の騎士だった。目立った抵抗もなく、ロザリーを含めた近衛連隊の騎士たちが拘束されて荷車に乗せられている。それを遠目に眺めていたジルダは、襲い来る不安と焦りと必死に戦っていた。
騎士たちが皆殺しにされなかっただけまだマシだ。奴らの野蛮さを考えれば、全員やられてもおかしくはなかった。殺さずに捕えたのは、何か魂胆があるはずだ。奴らは本気でこの国を乗っ取ろうとしている。目先の利益に目をくらませるそこらの盗賊とは訳が違うのだ。
「追うぞ。くれぐれも気付かれないよう、少人数ずつの部隊編成で進攻するよう伝えろ」
「かしこまりました!」
ジルダは冷静に指揮を執りながらも、荒波のような自分の感情を必死に抑えていた。拘束され乱暴に扱われるロザリーを遠くに眺めながら、激しい後悔に襲われていたのだ。
やはり止めるべきだったと、美しく着飾った彼女を目にした時に思ったのだ。王女の身なりをしたロザリーは、普段の軍服姿と違って恐ろしく美しかった。日に日に女として成熟していく彼女を前に、何もしないでいる男などいるだろうか。相手は荒々しい盗賊だ。長であるジャークが、彼女に手を出すのは間違いない。それを思うと気が狂いそうになる。汚れた手があのお方に触れるのかと思うと、相手の男を弄り殺したくなる。そうなることがわかっていながら、どうして行かせてしまったのだろうか。
しかし、もう遅い。奴らが潜伏するアジトを突き詰め、タイミングを見計らって攻め入る。しかし、それには歩兵隊が到着するのを待たなければならない。それがディノワール将軍の指示だった。中途半端に攻めはしない。全ての者を捕え、奴らを根こそぎにするのだ。そのためには、一気に攻める必要がある。近衛連隊だけでは動けない。しかも自分は、不在の隊長に代わって前線の指令を任されているのだ。単独で行動することなど許されない。彼女が無事であることを、祈り続けるしかないのだ。
「ロザリー様、どうかご無事で」
神など信じぬ男が、祈るようにそう呟く。そして手綱を引き、一気に丘を駆け降りた。
『必ず生きて帰る』――彼女のその言葉だけを信じて。




