次期宰相と、最強の騎士
「イリオス様、この度はお手間を取らせてしまい申し訳ございませんでした」
離宮に戻ってきたイリオスに、ジルダは深く頭を下げた。ロザリーの体調がすぐれないと聞いていたイリオスは、代わりに近衛連隊の指揮を執る優秀な副官の頼もしさに少し驚いた。
あれほど多くの人間を斬った後だというのに、淡々と任務をこなしている。なんて心臓の強い男だ――イリオスは興味深い目つきでジルダの様子を窺いながら、王女たちを襲った盗賊についての詳細を話し始めた。
「所持品を調べたんだが、彼らは北方のザクレスという村に拠点を置く盗賊に属する者らしい。バシュレー副官、君は確かザクレスの隣町、アレーヌの出身だね?」
「ええ、そうです。アレーヌ一帯は我がバシュレー家が治めているのですが、昔から盗賊が多く、何度も討伐を試みてきました。しかし、やはりそう簡単に根絶やしにはできないようですね」
「彼らも組織だからな。生き残った者たちが再び力を付けてきているようだ。残念ながら有力な内部情報は得られなかったけれどね」
イリオスの含みを持たせたその発言に、ジルダは眉をひそめた。
「ところで、イリオス様。どうして先ほどの現場のすぐ近くにおられたのですか?朝早くに出立されたとばかり思っていましたが」
「……ああ、あの辺りでちょうど所用があったのだよ」
「左様でございますか」
平然と返事をしているが、全く納得はしていない。そんな様子のジルダに、イリオスは思わず苦笑する。全く侮れない男だと、困った様子で手を上げた。
「どうやら君には下手な芝居は通用しないようだね」
「……イリオス様、もしや」
「君が感付いているように、我々は北方への視察とは口実だ」
「では、わかっておいでだったのですね?王女殿下を襲う輩がいるということが」
途端に冷たくなったジルダの視線を、イリオスはさらりとかわして言葉を続けた。
「その通りだ。生け捕りにしてザクレスの盗賊の情報を得るため、始めから王女殿下にお供する予定でいたのだよ。しかし、結果としては最悪だった。我々も近衛連隊がそばにいると思って、油断をしていた」
「そうでしたか…。だから、あの仰々しいほどの部隊を引き連れておいでだったのですね」
「最初から疑っていたようだね、バシュレー副官。さすが並みの騎士とは訳が違う」
イリオスはそう言って、鋭い視線でジルダを見つめた。イリオスがジルダに対して一目置いて見ているように、ジルダもまたこのイリオスという男は油断ならない相手だと感じた。澄ました顔をして、王女を堂々とおとりに使うなど普通ならばあり得ないことだ。しかし、本当に危険だと見極めていたのならばここに来させはしなかったはずだ。恐らくは近衛連隊が…いや、最強の騎士が付いているということを念頭に置き、判断したのだろう。最低でも王女の命だけは大丈夫だという算段で動いたのだ。そんな素振りも全く見せることないこの男の肝の据わり具合に、そこらの貴族の子息とは違うものをジルダは感じた。
「わかってはいるだろうが、この事はくれぐれも内密に。バシュレー副官」
そう言って涼しい顔で微笑むイリオスが、いけすかない男だと感じてしまうのはなぜだろうか。私情がそうさせているのかもしれないが、何よりもこの男の品定めをするかのような視線は、ジルダにとってひどく居心地悪いものだった。
「それにしても、よくあれだけの数を一人で倒したものだ。さすがこの国一の騎士だね」
「恐れ入ります」
「今度、我がエミール家の騎士たちにもぜひ指導を賜りたい。一体どのようにしてそれほどの腕を磨いたのか、私も知りたい」
にっこりと穏やかに微笑むイリオスに、ジルダは何も答えずただ薄い笑みを浮かべた。これ以上言葉を交わせば、それこそ腹の探り合いのような空気になりかねない。そんなジルダの読みは正しかった。確かにイリオスは感じていたのだ。このジルダ・バシュレーという副官に、何か底知れぬ不穏なものを。
「さて、私はロザリー殿の元へ参ろう」
「イリオス様、もしよろしければ今回のことは後ほど、私から隊長へお伝えさせていただきます。やはりまだお体もすぐれないようですので」
「いや、その件に関しては任せるが、ただ私は見舞いたいのだよ。ロザリー殿が心配だ」
穏やかながらも凛としたイリオスの態度に気圧され、ジルダはしぶしぶ頷いた。本当ならばこの男をロザリーに近付けたくはないものだが、そうはいかない。無理に断ることもできず、ジルダはイリオスをロザリーの部屋へと案内した。
互いに不穏な危機感を抱きあったこの二人が、深い因縁で結びつけられていたという事実を知るのは、まだ後のことだった。
「ロザリー殿、ご気分はいかがですか?」
ロザリーが横たわるベッドの側に立ち、イリオスは心配げに彼女の顔を覗き込んだ。心なしか瞼が腫れているようだが、心配するほど顔色は悪くなかった。イリオスは胸を撫で下ろした。
「申し訳ありません、イリオス殿。こんな状態で」
「構いません、そのまま横になっていてください」
無理に起きようとするロザリーを宥めるように、イリオスは首を横に振った。
「私はただあなたの顔を見に来ただけです。今回の報告については、また副官殿からお聞きください。それよりも今は早く元気になっていただかなくては」
「ええ……」
「ロザリー殿、どうか自分を責め過ぎないように」
釘を刺すように放たれたイリオスの言葉に、ロザリーは顔を赤らめた。きっと考えていることがわかっているのだ。ロザリーは困ったように苦笑し、ため息を吐いた。
「私はやっぱり、人の上に立つべき器ではないのかもしれません」
「ロザリー殿…?」
「今回のことで思い知りました。つくづく私は無力だと。それに対してあのバシュレーは、私などよりもずっと隊長にふさわしい男です。いつも私の窮地を救い、正しい行動を正しいタイミングで取れる。おまけに騎士たちからの人望も厚い。私は有能な彼に自分の尻拭いばかりをさせているのです」
ロザリーは力無い声でそう言って、瞳を伏せた。イリオスの前では、不思議と素直に話せた。自分の弱い部分も、本音も。きっとイリオスならば慰めるだけでなく、的確な助言を与えてくれるだろうという気がしていたのだ。
「今日だって、私はバシュレーがいなければ死んでた。彼がいなければ私は、何ひとつまともに任務もこなせないのです」
「ロザリー殿、それは違いますよ。確かに彼は並はずれた能力を持っていますが、あなたにはあなたの秀でた部分がちゃんとあるのです。全ての能力に優れているからといって、それは人の上に立つべき器を持っているかと言えばそうではないのですよ。あなたにはあなたの役割があることを、お忘れなきよう」
「……そうですね」
そうは答えたものの、ロザリーの表情は曇ったままだ。今日のことが余程ショックだったのだろう。本当に責任感の強い女性だと、イリオスは思った。しかし同時に驚いた。あの副官が彼女に心酔しているのは噂に聞いていたが、彼女もまたあの副官に入れ込んでいるようだ。単に部下を評価しているだけとは思えない口ぶりだ。
「それにしても、バシュレー副官の剣の腕は凄まじいものがありますね。私があの現場に間にあっていたなら、見ておきたかった。一人であれほどの敵を相手に戦って勝つ騎士など、未だかつて見たことがないので」
イリオスは感嘆したようにそう言った。そんな彼の言葉に、ロザリーはハッとあの時の光景を脳内に巡らせた。王女を守るのに必死だったロザリーは、襲われたことの衝撃とショックにあの瞬間はパニック状態だったが…。冷静になった今、少しずつ蘇ってくる。あの時、何が起こったのか。
「ロザリー殿はよほどバシュレー副官のことをお気に召しておいでなのですね」
「え…?あ、ああ…まぁ…」
やけに真剣な眼差しのイリオスに、ロザリーは眉をひそめた。
「イリオス殿?」
鼓動が高鳴る。なぜだろうか。物言いたげなイリオスの表情が、ロザリーには不吉でならなかった。
「どうやら彼の能力は、私達の想像の範疇をはるかに超えたもののようですね。そうは思いませんか?」
イリオスが問いとともに投げかけたその視線は、ひどく険しいものだった。




