レジーヌの襲撃
一夜が開け、イリオスの率いるエミール家の私設部隊はレジーヌの町外れにて待機していた。北方へ視察に出るという名目上、離宮を早朝に出た一行は、王女がレジーヌの町の商店を巡るという情報を聞きつけ、近くで様子を見るつもりでいたのだ。
「何か変わったことは?」
「今の所はありません。ただ、何やら不自然な様子の楽団が、町を練り歩いております」
「楽団…?それはどれくらいの規模だ?」
「数十人でございます」
「そうか。引き続き警戒しておけ」
「かしこまりました」
町へ潜入させていた部下からの報告に、イリオスは険しい表情をした。
やはり不穏な動きを見せる者がいるのは、本当のようだ。あちらが動き始める前に、先手を打たなければならない――イリオスは気を引き締めるように馬の手綱を引き、町の中心地へと向かった。
ちょうどその頃、王女フローラは近衛連隊の少数の者を連れ、商店の連なる街道を歩いていた。交通の要所であるこの町は、あらゆる地方からの特産品や他国との貿易で輸入された物の宝庫だ。美しい装飾品や珍しい色の絹織物に目が無い王女は、浮かれた様子で買い物を楽しんでいる。ロザリーはそんな王女を、すぐ近くで穏やかに見守っていた。
「まぁ、素敵。なんて美しいブローチなのかしら」
「よくお似合いですよ、フローラ様」
「ロザリーもいかが?きっとあなたにも似合ってよ?」
「恐れ入りますが、私にはドレスを着る機会など皆無ですので」
「もう…ロザリーったら、本当に頑なに拒むのね」
頬を膨らませるフローラに、ロザリーは苦笑いを浮かべた。天真爛漫な王女だが、そんな奔放な所も可愛らしい。愛嬌のある彼女には、ロザリーもつい甘くなる。しかし、男たちにとっては、王女の無駄に長い買い物が苦痛でならない。痺れを切らしたジルダは、ついロザリーへ小声で告げた。
「隊長。そろそろお戻りになられるよう王女殿下へご進言下さい」
「ああ…わかっているんだが」
「人も集まってきておりますので、どうかお早く」
ジルダに促されたロザリーは、しぶしぶ王女のいる宝石店の中へ入って行った。
全く、女というのはどうしてこうも買い物ごときに時間を費やすのか。美しい宝飾品で着飾ることしか能がない王族に、付き合わされる身にもなってほしい――ジルダはため息を吐き、外から店の中にいる二人の姿を見守っていた。
繁盛しているのか、店内は賑わっているようだ。娘子たちがひっきりなしに出入りしている。そんな光景にうんざりとしたジルダは、向かいの店の壁にもたれて腕を組みながら、昨夜の事を思い出していた。
今朝からロザリーは、自分に対して何もなかったように振舞っている。しかし、やはりどこか言葉少なめで、なかなか目を合わせようともしてくれない。何を考えているのかもわからず、気まずくてならないのだ。自分がしたことをひどく後悔しながら、ジルダはじっとロザリーの横顔を見つめていた。
と、その時だった。
ジルダの前を通り過ぎ、店の中へと足を踏み入れようとする数人の女たちが目に入った。どうやら楽団のようだ。楽器や演武用の剣を背負っている。旅周りの楽団だろうかと考え、また視線を落とした時に、ふと違和感が彼を襲った。ハッと顔を上げ、彼女らの背負っているものを凝視する。
楽器…?いや、違う。あれは楽器ではない!
「まさか――…!」
やられた、と駆けだそうとした瞬間に、ジルダの前に現れたのは数人の武装した男達だった。あっという間にジルダや騎士たちを囲む男たちの出で立ちは、どうやら盗賊の一派らしい。男たちはこちらを一瞥し、ニヤリと企んだような笑みを見せた。
チッと舌打ちをして剣を抜いたジルダは、油断していた自分をひどく後悔した。余計なことを考え、自分としたことが囲まれるまで気付かないほどに警戒心を解いていた。何たる失態だろうと思いながら、敵の数を把握しようと辺りに意識を張り巡らせた。
目の前にいる敵はざっと10人。しかし、商人のふりをしてこちらを窺っている殺気立った連中も、周囲に10人以上は確認できる。圧倒的に少数のこちらの不利さに、他の騎士たちは唇を噛んでいる。ジルダは冷静に状況を見渡し、店の中にいるロザリーの無事を願った。とにかく急がなければ、あの方の身が危ない。
「王家の犬どもだな。覚悟しろ!」
誰かの罵声とともに、敵が一斉に襲いかかってきた。しかし、それよりも先に足を踏み出したのはジルダだった。その思いもしない行動を前に唖然としたのは、味方であるはずの騎士達だった。
(速い――…!)
駆けだしたジルダの剣は、疾風の如く周囲の敵に斬りかかった。たった一討ちで確実に相手の急所を捕え、1秒後には次の敵の息の根を止めていた。目を凝らさなければはっきりとその動きさえ掴めないほど、物凄い速さで次々と屈強な盗賊を倒していく。その動きひとつ無駄がなく、見入るほどに華麗だ。騎士達は目の前で“伝説の騎士”たる所以をまざまざと見せつけられ、出る幕もなくただ茫然と眺めることしかできずにいた。
思わず息を飲んだのは敵の方だった。数秒の間に、何人やられただろうか。周りに潜んでいた者たちも慌てて剣を抜いたが、目の前で倒れていく者たちの姿に足が震えた。こんなにも強い騎士が、まさか近衛連隊にいるとは思わなかった。貴族の腰ぬけ共の集団とばかり思っていたのに、とんだ誤算だ。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。王女の身を捕えるためには、連れ立った騎士の少ない、今が唯一のチャンスなのだ。恐怖にうち震えながら、それでも彼らは得体のしれない騎士へと襲いかかる。
――が、屍が増えるだけだった。目の前の惨劇に言葉を失くしたのは、味方の騎士たちの方だった。華麗な剣舞でも見ていたかのような鮮やかな光景は、ほんの一瞬だけだった。それが終わった後、多数の屍が転がる無残な光景に、途端に生々しさが襲う。
本当にたった一人で、これだけの数をやってしまったのか…。しかも、どれも一打で完璧に相手の生を奪っている。美しいと思ったのは嘘かのように、惨い光景だ。しかし、あれほどまでに美しく人を殺す人間を、彼らは初めて目にした。そして同時に、恐怖さえ感じた。当たり前のことだが、情けなどひとつもない。潔いまでに美しく冷酷な彼の剣に、誰も言葉ひとつ発することができなかった。
「隊長!ご無事ですか!」
勢いよく飛び込んだ店の中で、必死に王女を庇って剣を振るうロザリーの姿があった。しかし、相手の数は5人。王女を庇いながら一人で戦うには厳し過ぎる。ロザリーの背中を取った女が、今にも剣を振りかざそうとしている。それに気付いたロザリーは、とっさに目を瞑った。
しかし、飛び散った血は彼女のものではなかった。王女の肩を抱きながら恐る恐る目を開けたロザリーの前に、倒れていたのは踊り子の恰好で武器を持った女たちだ。目を閉じていた一瞬のうちに、すでに全てが終わっていた。
「ご無事ですか!?」
静かに剣を収めたジルダのその声で、ロザリーは我に返った。返り血を浴びたジルダが、切羽詰まった形相で自分の顔を覗き込んでいる。そんなジルダの顔を見た瞬間、なぜだかひどく安堵した。死んだかと思ったのだ。ジルダが来てくれていなければ、確実にやられていた。きっと自分も、王女も。
「……バシュレー、私は大丈夫だ。それよりもフローラ様を」
腕の中で真っ青になって震える王女が、目の前に広がる惨劇にたまらず顔を覆った。血生臭い光景に、ロザリーでさえも思わず顔をしかめる。正直、本当に人が斬られた瞬間を見たのは初めてだったのだ。これが戦いの現実。それを思い知らされたロザリーは、自分が抱いていた自信を全て打ち砕かれた思いだった。近衛連隊の隊長が、結局王女ひとり守れなかった。自分の弱さと無力さを痛烈に突きつけられた気がした。
王女を他の騎士に引き渡したジルダは、茫然と佇むロザリーの体を支えた。途端に震え始めた彼女の体。きっと今さらになって恐怖が襲ってきたのだろう。しかし、何よりも彼女が無事でよかったと、ジルダは胸を撫で下ろした。今度こそ失うかと、息が詰まる思いだった。
「隊長、戻りましょう。どうか気を確かに」
抱き締めたい思いを封じ込め、半ば無理矢理にロザリーを立たせた。彼女の心中は明らかだ。きっと、頑なに守ってきたプライドがずたずたに切り裂かれていることだろう。隊長としての自分を一番大切にして生きてきた、そんなロザリーの信念を守ることが何より優先すべきことだと、ジルダは冷静に考えていた。
「……何だ、これは」
目の前に広がる異様な光景に、イリオスは愕然とした。不穏な動きをする一団がいるという報告を受け、急いで駆けつけたイリオスとエミール家の騎士たち。彼らが到着したのは、まさにあの有名な副官が一人で大人数を相手にやりあった直後だった。傍らに茫然と立ち尽くす他の近衛騎士たちの様子を見ると、あの男が一人で倒したのだろう。しかし…――イリオスは眉をひそめた。
並みの戦い方でこれだけの人数を倒すことは容易ではない。士官学校の訓練で習ったような手本通りの剣では、まず不可能だ。一体どこで習得したのか、一人で多数を相手にする術を熟知している。最強の騎士とは言えども、これほどまでか、と。イリオスは信じられない思いだった。
「酷い有様ですね。生け捕りにする計画も台無しだ…」
目の前の光景に、部下の一人が呆気に取られたように言う。頷きながら、イリオスはロザリーを支える最強の男の背中を、じっと見つめていた。
「何か不穏なものを感じるな。気のせいだといいのだが…」
イリオスはひとり呟き、この場の収拾を始めた。




