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エメラルドの下僕  作者: 瑠愛
第二章
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エミール家の後継者

宮殿からそれほど遠くない場所に、その絢爛豪華な城は立っていた。夏には澄んだターコイズブルーに輝く湖が、緑あふれる樹林と見事なコントラストを作り上げている。その湖畔にそびえ立つ白亜の城は、所有する者の威厳と風格を表すには十分と言えるほど、荘厳で美しいものだった。


このような家に生まれた者は、おそらくは恵まれた環境で大切に育てられることだろうと誰もが思うはずだ。しかし、この国のまつりごとを代々担ってきた名家は、その当主たる者に容易くその座を明け渡しはしなかった。多くの貴族の中でも珍しいことに、その本家の当主は血統ではなく、現当主の意向ひとつで決められる。そのため、もし現当主に息子がいたとしても、家督を継ぐ者としての才覚なしと判断されれば容赦なくその道を閉ざされ、一族の分家の男子の中から最もふさわしい者が選ばれるのだ。彼らにとって何よりも重要なのは、王家への忠誠と一族の繁栄である。国の政を担うだけの能力、精神力、器量、社会性、人格の全てを兼ね備えた者こそが、この家の当主として君臨することになるのである。

イリオス・エミールは、その全てを幼い頃から持ち合わせたたぐいまれなる人物だった。



「お呼びでしょうか、父上」


城の一番奥に位置するその書斎に足を踏み入れたイリオスは、窓際の椅子に腰かける大柄な男の前へと歩を進めた。あらゆる分野の書物が壁に沿ってズラリと並ぶその部屋は、古びた本の独特の匂いが立ちこめている。イリオスは昔からその匂いが好きで、何度も忍び込んではさまざまな本を読み漁っていた。年季の入った立派な机や壁にかかった美しい風景画。歴史を刻んだその部屋の全てが代々受け継がれたもので、この部屋に入ると何か得体のしれない緊張感が身を包んだ。

現アストラス王国宰相マルクス・エミールは、皺の刻まれた頬を緩ませ、威厳を感じさせる低く響く声で息子の名を呼んだ。


「イリオス、先週の北方の視察はどうであったか?」

「はい、各分家の領地の様子は変わりございません。ただ、国境のバラク城壁の管理が手薄です」

「あそこは我がエミール家の分家、カルディアの若い嫡男が治めていたな?」

「ええ。要所たる国境の地区を治めるには、彼には少し力不足かと。カルディア家には妾の子ではありますが、士官学校で首席となった優秀な次男がいます。彼の方が適任かもしれませんね」

「そうだな。では、御隠居の前当主に早速文書を」

「仰せのままに」


マルクス侯爵は満足気に、伸ばした白い顎ひげを触った。強面な彼の表情は、やや威圧的にさえ見受けられる。しかし、愛してやまない息子の前ではそれが緩む。次期当主としても、宰相としても、イリオスであれば安心して任せられる。それはエミール家の一族の誰もが認めるところだった。


「さすがイリオス様でございますね」


父の思いを代弁するように、その隣に控えていたエミール家の家令シオンがしみじみと言った。シオンは恵まれた長身と、常に顔を覆う鉄の仮面が印象的な男だ。幼い頃、体にひどい火傷を負って以来、ずっと仮面を付け続けている。体には漆黒の外套を1年中纏うが、鍛え抜かれた筋肉質なそれは外套越しからでもよくわかる。彼は優秀な家令でありながら、エミール家に使える騎士たちの育成をも担っていた。

マルクスよりも一回り年下であるシオンは、彼の一人息子であるイリオスの成長を支えてきた一人である。イリオスは3歳になる頃にはすでに、父親からその才覚を見出されていた。そのため、当時執事としてエミール家に従事していたシオンが、剣の稽古を始めとする武術をイリオスに教えていた。その頃から、何でも器用にそつなくこなすイリオスの才能に、彼も舌を巻いていた。


「これで良き伴侶に恵まれれば、エミール家も安泰でございます」

「シオン、それは嫌みのつもりかい?」

「これは失礼致しました。しかし、お父上も望んでおられることです」


釘を刺されたイリオスは、苦笑いで肩を竦めた。父をはじめとして家の人間は、最近何かと結婚を勧めてくる。しかし無理もない。イリオスほどの年齢になれば、結婚して子供を持っているのが普通だ。何度かそういう話は舞い込んできたものの、渋ってしまって今に至っている。それは、このエミール侯爵家に嫁ぐことで大きな責務を相手の女性に背負わせてしまうという、女性に対する思いやりが彼をそうさせているのだ。それだけ、侯爵家の妻となる者には求められるものが大きいということを、イリオスは自らの母を見てきたことで実感していた。


「シオン、私も望んではいるが、そう急かさずとも良い。その様子だと、まだ自分の妻となるにふさわしい女に出会っていないのだろう。言い寄ってくる女は多いが、相手に求めるものが多過ぎるのだ。此奴こやつは女に優しいように見えて、本当は私も呆れるほど厳しいのだよ」


冗談交じりにマルクスは言うが、イリオスは耳が痛かった。父の言うことは当たっている。相手の女性に求めるものが多過ぎて、見事に婚期を逃してしまいそうになっているのだから。


「しかしながら、イリオス。私ももういい年だ。そろそろエミール家をおまえに任せたいと思っている」

「……父上。覚悟はできております。ただ…」

「わかっておる、おまえが危惧していることくらい。北方の盗賊一団のことであろう?」

「はい。やはり活発化しているようです。国を脅かす存在となる前に、手を打たなくては」

「その件については私に任せなさい。すでにシオンに動いてもらっておる」

「でしたら私も…」

「いや、おまえにはやってほしいことがあるのだ」


マルクスの目配せを合図に、シオンは机上に地図を広げた。彼が指さしたのは、北方へ向かう道の拠点となる領地、レジーヌだった。


「レジーヌの町外れに、王家の離宮があるのは知っているだろう?この夏、フローラ王女がご静養に向かわれることになっている。しかし、盗賊団の裏取引の拠点がレジーヌにまで伸びているという情報があるのだ」

「レジーヌにまで!?でしたら、ご静養に向かわれるのを止めるようご進言されなくては」

「いや、それはしない。王女には予定通りレジーヌに向かって頂く」

「な…なぜ!?」


思わず声を上げたイリオスに、シオンは静かに首を横に振った。


「フローラ王女が訪れることを聞きつけた盗賊団は、おそらく何らかの動きを見せてくることでしょう。その機会に、盗賊団の者を捕えて組織についての情報を得るのです」

「し、しかし…シオン。もし襲撃されてフローラ様に何かあったら…」

「近衛連隊が警備に当たる予定ではありますが、我がエミール家の私設部隊も同行させましょう。王女殿下の御身は厳重な警備でお守りするのです。我々が現時点で得ている相手の情報は少なすぎます。このチャンスに、何としてでも組織の情報を得なければなりません。危険を冒してでも」


冷静に言ったシオンに、マルクスも大きく頷いた。この偉大な父がやるべきだと言うのなら、やるべきなのかもしれない。リスクがあっても、盗賊団の討伐のためなら仕方ない。最も優先すべきなのは国の安寧だということを、イリオスはよくわかっていた。


「イリオスよ。王女殿下に同行できるよう手筈を整えておけ。あくまでもこの計画は内密に。奴らを討伐した暁には、おまえがエミール家当主となるのだ。心しておけ」

「かしこまりました、父上」


イリオスは気持ちを引き締め、覚悟を決めたように頷いた。




ちょうど同じ頃、王宮に招かれたロザリーは、フローラから静養のためにレジーヌへ向かうということを直々に聞いていた。


「左様でございますか…。ご静養に、レジーヌへ」

「ええ。レジーヌは涼しくて過ごしやすい、お気に入りの場所なの。夏の暑さが緩むまでは、しばらくいると思うわ」

「かしこまりました。では、私が責任を持って同行いたします。無事にフローラ様を送り届けられるよう、抜かりなく準備しておきます」

「あら、あなたが直々に付いて来なくても大丈夫よ。今のアストラス王国に危険な場所なんてないわ」

「いいえ、フローラ様。万が一ということもございます。無論、この国が国王陛下のお力で平和を保っていることは事実ですが、長旅は何かとトラブルが生じます。この私が精鋭を率いて、先導させていただきます」

「まぁ、頼もしいことね。わかったわ、ロザリー。よろしく頼むわね。あ、そうだ。できればバシュレー副官もご一緒にね」


ニッコリと微笑んだ王女に、ロザリーは困り顔で了承した。しかし、王女同様、ロザリーもそれほど危機感は抱いていなかった。レジーヌは交通の要所として栄える賑やかな町だ。その外れにある離宮は美しい自然の中に位置し、それはのどかで穏やかな避暑地なのだ。少なくとも危険に晒されるような経験は今まで一度もない。ロザリーは特に心配をするでもなく、早速王女に同行する騎士の人選を始めたのだった。


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