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エメラルドの下僕  作者: 瑠愛
第一章
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ジルダが見てきた世界

「悪かったな。色々と手を煩わせてしまって…」


自室のベッドの上で横になるロザリーは、申し訳なさそうにジルダにそう言った。


「いいえ。隊長がご無事で何よりです」

「……私の行動を、愚かだと思ってるんだろう?」

「滅相もない。あのような勇敢な行動を、私ならば瞬時に取れなかったですよ」


そうは言うものの、きっとジルダは自分を馬鹿だと思ってるはずだ。いくら勇敢とはいえ、結果こんな有様なのだから。――ロザリーは情けなさに、ため息を吐いた。


あの後、事を機敏に収拾させたのはジルダだった。事情をすぐさま王女に説明し、舞踏会の護衛には部下を付かせた。そして、ジルダは傷だらけになったロザリーを乗り合いの馬車に乗せ、ディノワール家の城へと運んだ。


「反省すべきは私ですよ。副官でありながら、あなたをお守りできなかった」

「バカ言え。上官が部下を守るものなんだ。私がおまえに守られる義理などない」


怒ったように言ったロザリーの手を取り、器用に包帯を巻いていくジルダ。手当てなど城の使用人がやるからいいと言ったのに、ジルダはそれを許さず、湯浴みを終わらせた後のロザリーをベッドに寝かせ、甲斐甲斐しくも一つ一つの傷を丁寧に手当てし始めたのだ。これには城の使用人たちも驚いた。いくら部下とはいえ、男と女だ。嫁入り前のご令嬢の素肌に触れることなど、本来なら憚られるはずのこと。しかし、いったいどうやって使用人たちを黙らせたのか、世話をしたいと言い張るジルダの申し出を断る者はいなかった。むしろ、ロザリーへこんなにも尽くしてくれるジルダに対し、執事を含め使用人たちは好感を抱いたのだった。


「バシュレー。あの子は無事だろうか?」

「念のため医者へ連れていかせたので、大丈夫でしょう」

「……そうか。なら良かった」

「隊長はお優しいですね。あのような貧しい子供に対しても、誠実に接しておられる」

「それが普通じゃないのか?あんな危険な目に遭ったのだから、さぞかし怖い思いをしただろう」


ロザリーは目を伏せ、あの少女の怯えた顔を思い出した。そういえば、あの子はひどく痩せていたな。腕に抱いたとき、なんて薄っぺらい体だろうと思った。


「この王都にも、貧しい生活を強いられている者がいるんだな…。一方で私たち貴族のように、何不自由ない暮らしを送る人間がいるというのに。同じ場所に生きていて、どうしてこうも違うんだろう」


あの城下町は、貧しい暮らしを送る労働者が多くいることをロザリーも知っていた。栄華を極める王都にだって、日の当らない場所はある。最下級層の農民たちや、職を失った者たち、安い給料で働く労働者たち。彼らはほとんどが、その昔に侵略した他国から連れてこられた異民族の子孫だと聞いた。受け継がれるのは貧困のみ。学問も武術も学べない環境にいる彼らは、一生そこから抜け出せない。良い暮らしをするためには、商人として成功するか、傭兵になる他ないのだ。


「そうですね。でも、この王都にいれば、あの一角だけが不幸のように思えますが、本当はそうじゃないのですよ。地方の領地には、もっと貧しい生活を送る人々がたくさんいます。農作物が育たない厳しい土地、産業を興せるほどの財や体力さえ持たない領地。しかし、高い税は納めなければならない。そこを統治する貴族でさえ、苦しい生活を送らなければならなくなる…。私の故郷もそうです。悲しいことに、良い暮らしを送るのは一部の恵まれた階層のみ。それは世の常なので、どうにもならないことですが」


いつも自分のことをあまり語らないジルダが、故郷の話をするなど珍しいことだった。長い睫毛が物憂げに下を向く。いつもの無表情が少し切なく歪んだ気がして、ロザリーは胸が痛くなった。


「おまえも…苦しい生活を送っていたのか?」

「かつてはそうでした。今は毛織物産業に成功して状況が改善していますが、元は財のない子爵家でしたので…。それよりも苦しかったのは、幼少の頃です。運良くその子爵家の養子となる以前は、ひどい暮らしでした」

「そうだったのか…」


ジルダは想像も付かないほどにつらい生活を経験してきた。この国の負をその目で見て、感じ、背負い、そして生き抜いてきたのだ。

ロザリーはジルダがどのように生まれ育ったのか知らないが、生まれたその瞬間から悠々と恵まれた生活を送る自分とはきっと違うのだろう――そう考えると、ロザリーは自分の無知が恥ずかしくなった。


「おまえは私のような、貧しさなど知らずに育った貴族をどう思う?憎いと思うだろう?私はそんなこと、何も知らずに生きてきたから…」

「そうですね…。憎いと思うし、つくづくこの世界は不公平にできていると感じます。ですが、逆に私にはそれが原動力だった。この名誉ある地位を手にするまでになれたのは、その憎しみが力となった。家柄や身分の差などで自分の人生を決められたくないと、その一心でここまで来れたのですから」

「……そうか」


ロザリーは、どこか遠くに思いを馳せながらそう語るジルダの様子に、少し胸が痛んだ。ただ傲慢なだけの男だと思っていた。でも、きっと自分には想像もつかないような、壮絶な世界を生きてきたのかもしれない。だとすればジルダの目には、きっと私など世間知らずな小娘にしか映らないだろう――ロザリーはそう思った。


「だからこそ、驚きました。あなたの行動には。命の重みはどんな人間も皆同じだと、本気で思っている貴族がいるなんて。本当の地獄を見たことがないから言えるのでしょう。偽善者もいいところです。あなたは本当に、無知で馬鹿正直で、世間知らずのお嬢様だ」

「なっ…!」

「そんなあなただから、私がお守りしなければならない」


気を悪くしかけたロザリーだが、突然目の色を変えたジルダにハッとした。さっきまでの物憂げな眼差しが、どこか熱を孕んでこちらを捉えている。何を考えているのかわからないその表情に、ロザリーはゾクリと全身を粟立たせた。


「私にはね、隊長。王女殿下も王家も、この国さえももはやどうでもいい。私が唯一命を懸け、忠誠を誓う相手はあなた一人。この身を捧げてお仕えします」


怖い――ロザリーは、狂気的なジルダの眼差しにそう思わずにはいられなかった。急速に熱を上げるジルダの瞳が、真っすぐにこちらを見据えている。逃げることなど許さないと言うかのように。


「な、なぜ…おまえは、それほどまでに私を…?憎いんだろう?馬鹿にしてるんだろう?」

「なぜでしょうね…。なぜここまであなたにこだわるのか、自分でもわかりません。でも、憎いからこそ手に入れたい。あなたを憎らしく思えば思うほどに、あなたの全てを手に入れたいと思うのです」


この感情の正体がいったい何なのか、ジルダはわからずにいた。誰かを愛しいとか、大切だと思う経験をしたことがない男には、なぜこんなにも一人の女に固執してしまうのかわからなかった。ただ、憎くかった。この上なく。真っすぐで純朴で、優しさと強さを兼ね備えたロザリーが。そして同時に敬慕していた。誰よりも彼女の近くにいたいと思えるほどに。

ロザリーにはそんなジルダの思いがさっぱりわからなかった。こちらに向けられる眼差しが、ただ不気味で不可解でどうしようもなかったのだ。


「さぁ、次は背中を見せてください」


腕の包帯を巻き終わり、ジルダはそっとベッドの端に腰かけた。ふいに距離を詰めてきたジルダにギョッとして、ロザリーはブンブンと首を振った。


「なっ…背中は、いい!後で使用人にやらせるから…」

「いいえ、私が致します。早く脱いでください」

「脱げるわけないだろう!」


何を言ってるんだ、この男は!

慌てて逃げるようにジルダに背を向け、身構えるロザリー。しかし、ジルダはそんなこと許さないとばかりに、背後から囲いこむようにロザリーの体を抱きとめた。


「やっ…!ちょっ…バシュレー!?」

「大人しくなさってください。傷に障ります」


逃れようともがくロザリーを宥めるように、穏やかにそう言って。ジルダは背後からそっと、ロザリーの亜麻布の寝衣を剥いだ。途端、現れた白く滑らかな背中。剥き出しになった艶のある素肌の瑞々しさに、ジルダはゴクリと息を飲んだ。


突如として背中を襲った冷やりとした感覚。ロザリーはとっさに寝衣で前を覆うが、背中に感じるジルダの視線に怯えたように体を震わせた。そんなロザリーの後ろ姿に、ジルダは腹の底から熱い何かが込み上げてくるのを感じずにはいられなかった。華奢な肩を震わせるその様は、いつもの勝気で男勝りな彼女の姿からは想像もつかないほどに、ひどく情けなく頼りない。だが、その姿は豊満な美女の裸体を見せつけられるよりもはるかに艶めかしく、どうしようもなく情欲を掻きたてられた。


恐る恐る手を伸ばし、白い背中に刻まれた傷に触れてみる。すると、痛むのか薄い肩が大袈裟なくらいにビクリと震えた。この手で触れてやれば、彼女はいったいどんな反応をするのだろう。どんな声で啼くのだろう。脳内で繰り広げられる卑猥な想像に、ジルダは自分で自分が抑えられずにいた。耳まで真っ赤に染めた彼女が今どんな表情をしているのかと思うと、この上なく興奮している自分がいた。


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