第1話:供物
暗闇は、これほどまでに冷たかっただろうか。
僕は今、孤児院の狭いクローゼットの中で、膝を抱えて丸まっている。
腕の中には、手垢で黒ずんだ一本の木刀を、指が白くなるほど強く抱きしめていた。
隙間から見えるわずかな景色と、扉越しに聞こえる阿鼻叫喚。
「絶対にこの扉を開けてはダメよ! 声も出しちゃダメ。静かに、じっとしているの。いい?」
そう言って僕をここに隠した義姉・ネリアの手の震えを、今も肌が覚えている。
外から聞こえる悲鳴が、ひとつ、またひとつと途切れていく。
そのたびに、僕の心臓は壊れた鐘のように激しく鳴り響き、握りしめた木刀の冷たい感触だけが、僕を辛うじてこの世に繋ぎ止めていた。
「女神アウレリア様……どうか、みんなを……ネリア姉さんを助けて……」
組んだ指が白くなるほど祈る。
僕は「祝福」されるはずの子だった。
聖王国アダマントゥスの最果ての祠で、聖なる光に包まれて見つけられた赤ん坊。見習いシスターだったネリアに「ノエル」と名付けられ、その名の通り、僕はネリアの愛を受けて、明るく育った。
ただ、僕には「異質」な部分があった。子供同士の喧嘩で、軽く押したつもりの相手を壁まで吹き飛ばし、気絶させてしまったことがある。大人顔負けの身体能力。それが周囲には「不気味な強さ」と映り、いつしか同年代の友達は離れていった。一人ぼっちで泣く僕をいつも抱きしめてくれたのは、ネリアだった。
「その強さは、いつか誰かを守るためのものよ。ノエル」
彼女の言葉を信じて、僕は、たまにこの孤児院を通りがかる冒険者に教えを請い、木刀を振り続けた。
ネリア姉さんを守る。 ただ、その一心で。
今日、孤児院の仲間たち十数名は、院長先生に連れられて近くの森へ早朝からピクニックに出かけていた。
本来なら僕も行くはずだった。けれど、はみ出し者の僕が一緒にいては、みんなが心の底から楽しめないだろうと遠慮したんだ。
そんな僕の寂しさを見抜いたネリア姉さんが、「じゃあ、お姉さんと一緒にお留守番ね」と笑って残ってくれた。
ピクニック組は、そろそろ帰ってくる時間のはずだった。
けれど、この惨劇だ。森へ行ったみんながどうなったのか、今は知る術もない。
こうしていてどれくらい経っただろうか。
いつのまにか世界が静止したかのように静かになっていた。
激しかった悲鳴も、建物の崩れる音も、すべてが嘘のように消えた。
耳が痛くなるほどの、完全な「静寂」。
僕は、吸い寄せられるようにクローゼットの扉に手をかけた。抱きしめた木刀が扉に当たらないよう、慎重に。
開けてはいけない。その約束よりも、この不自然な「無音」への恐怖が勝った。
ギィ……と、乾いた音が室内に響く。
クローゼットの外は、不思議なほど綺麗だった。
孤児院の外の地獄が幻だったかのように、家具一つ乱れていない。
「……姉さん? 」
僕は震える足で、廊下へ踏み出した。右手に握った木刀が、情けないほど小刻みに揺れる。
一歩、玄関へと近づくたびに、鉄臭い匂いが鼻を突く。
そして扉を開いた先で、僕は「現実」を突きつけられた。
「あ……院長、先生……?」
そこにあったのは、もはや人間としての形を保っていない肉塊だった。
上半身は消失し、残された下半身には禍々しい歯形が刻まれている。腰に揺れるポーチだけが、それが院長先生であったことを示していた。
森へ行ったはずのみんなは、帰ってきてしまったのか。それとも、帰路で襲われたのか――。
視線をさらに奥へ動かす。
倒れた机の影に、見慣れた修道服が見えた。
「ネ……リア……?」
喉の奥が引き攣れた。
そこに横たわっていたのは、間違いなくネリアだった。
首から上が、なかった。
いつも僕を優しく見守り、「ノエル」と呼んでくれたあの笑顔が、跡形もなく消え去っていた。切り口はあまりにも鮮やかで、まるで最初から「顔」という概念が存在しなかったかのように、そこにはただ虚空が広がっているように見えた。
「あ……ああ、あああああああああああああああああああああ!!」
叫びは、震える慟哭となって溢れ出した。悲しみよりも先に、理解を超えた絶望が心を焼き切る。
なぜ。
どうして。
穏やかな聖なる光とただ平和に過ごしていただけのはずの僕が、どうしてこんな暗闇の中に立っている。 僕の「祝福」は、どこへ行ったんだ。
「なんだ今の声は! まだ生き残りがいたのか!」
ドカドカと土足で踏み込んできたのは、二体の魔族だった。漆黒の角を持つ、大柄な角魔族。
片方は軽装だが、もう片方は返り血を吸って赤黒く光る重厚な甲冑に身を包んでおり、戦場を蹂躙してきた者特有の冷酷な気が漂っている。
鎧の魔族が、横目でネリアの死体を一瞥した後、ゴミを見るような目で僕を見据えた。
「おい、人間のガキの生存者だ。ベリナス様へ報告しにいけ」
「はっ! ベリナス様!ベリナス様はおられますか!」
この地を攻めに来た魔族たちの無機質な声。
ネリアを。院長先生を。おそらく、ピクニックへ行ったみんなの未来も。
モノのように扱い、奪い去った奴ら。
「……お前らか……お前らが、ネリアを……!!」
僕は右手にあった木刀を、折れんばかりの力で握り直した。
獣のような咆哮を上げて、魔族へ切りかかる。
「うわあああああああぁぁぁ!!」
渾身の一撃。
しかし、鎧の魔族は、槍の柄で事もなげにそれを受け止めた。
「おとなしくしていろ。貴様を私が殺してよいか、まだ分からんのだ」
「黙れ! 許さない……絶対に許さないぞ!!」
何度も、何度も木刀を叩きつける。
だが、相手は羽虫を払うような退屈そうな目で僕を見ている。
ネリアを守るために積み上げた訓練も、本物の「侵略者」の前では、ただの子供の遊びに過ぎなかった。
「ええい、鬱陶しい。痛い思いをせんと分からんか」
槍の柄が、目にも止らぬ速さで僕の視界を薙いだ。
「ぐあっ……!」
頭部に受けた衝撃で、視界が真っ赤に染まる。
「……ネリ……ア……」
崩れ落ちる視界の隅で、首のない彼女の亡骸が揺れる。
仇を目の前にしながら、何もできない。
最愛の人を奪われ、復讐する力すら持たない。
僕の存在そのものが「無意味」だと突きつけられた感覚の中で、僕は深い意識の闇へと沈んでいった。
――――――
「ふぅ……やっと静かになったか。占領地の駐在ってのはただでさえ退屈なのに、面倒なことを……早く故郷に戻って、酒でも飲みてえぜ」
そう愚痴っていると、玄関の扉が開いた。
槍を抱えた硬角魔の隊長が、戻ってきた部下を横目で見た。
「隊長、お疲れ様です! 先ほどの人間はどうしました?」
「ああ。ようやく戻ったか。あまりに喚き散らすもんで、頭を引っぱたいて黙らせといたよ。……で、ベリナス様とは連絡がついたのか?」
隊長は、血の付いた槍の石突きで床をトントンと叩きながら、退屈そうに問いかけた。
「いえ、それが……ベリナス様は、どうやら既に魔王城へ帰還されたようです。伝令には、この孤児院に生き残りが一名いたことだけ報告させておきました。指示待ち、ということになりますね」
「魔王城へか、せっかちな御方だ。……さて、このガキはどうしたもんか。目覚めたらまた暴れるだろうし、さっさと殺っちまいたいんだがな」
「縛って転がしておきますか。……ちなみに隊長、独断で始末しちゃまずいんですか」
隊長は、忌々しそうにノエルを見下ろして鼻を鳴らした。
「今の俺たちの任務はあくまで食糧の確保だ。伝令を出した以上、任務外の勝手な真似をしてベリナス様の不興を買えば、俺たちの首が飛ぶぞ。」
魔族たちは手際よくノエルの手足を拘束し、血に濡れた院長先生だったものの服の端をちぎって、猿轡としてその口に押し込んだ。
部下の魔族が、作業を終えて周囲を見渡す。その視線は、横たわるネリアの亡骸で止まった。
「それにしても、この女の死体……見事な手際ですね。首一発で刎ねてある。なあ隊長、この肉、俺たちが食ってもいいんじゃないですか? 腹も減ってますし」
部下がネリアの白い肌に手を伸ばそうとした、その時。
「待て! それに触れるな!!」
隊長の悲鳴に近い怒声に、部下は弾かれたように手を止めた。
「……た、隊長?」
「死にたくなければその手を下げろ。ベリナス様には、独自の『嗜み』があるんだ。どのような弱者であれ、ベリナス様が敬意を払った相手は急所を一撃で断つ。そして、頭だけを喰らい、残された胴体は傷つけぬよう丁寧に葬るのがあの御方の流儀だ」
「……はぁ。血も涙もないお方かと思ってましたが、意外な趣味をお持ちで」
「趣味なんてもんじゃない、おそらくベリナス様の信念だ。これだけ綺麗な状態で残されている以上、ベリナス様の『嗜み』の範疇にある可能性がある。触れて余計な真似をしたと知られれば、命がいくつあっても足りんぞ。……そっちの、だいぶ雑に扱われている『食いかけ』の方は好きにしろ。ベリナス様の機嫌を損ねたんだろうよ。だが、その娘には指一本触れるな。俺たちの命が惜しければな」
「よっしゃ! それじゃ、こっちはいただきまーす。」
作業を終えた彼らは、奪った食料と死体の一部を引きずりながら、足早に部屋を去っていった。
――――――
……どれほどの時間が経っただろうか。
「…………っ」
――固い。冷たい。
そして、鼻を突く血の臭い。
意識の底から浮上した僕を待っていたのは、極限の不快感だった。
頬に触れる冷たい床の感触で、僕は自分がまだあの地獄にいることを思い出した。
「……んぐ……っ!!」
叫ぼうとして、口が塞がれていることに気づく。手足も縄で締め上げられ、動かせない。
周囲に魔族の気配はなかった。奴らは別の場所へ行ったのか。
ただ、重苦しい静寂と、ネリアの変わり果てた姿がそこにあるだけだ。
僕があのまま捕らえられたことを、脳が、体が、理解していく。
(……ああ。まあ、それでもいいか)
不意に、諦めのような感情が脳裏をかすめた。
仇も討てない無力な僕だ。このまま死ねば、ネリアの元へ行けるのかもしれない。
そう思い、重い瞼を閉じようとしたその時――傍らに、異質な気配を感じた。
魔族じゃない。けれど、この場にいるはずのない誰か。
目を開けると、そこには一人の女性が立っていた。
長い、長い真っ白な銀髪。蒼銀の瞳。
汚れ一つない純白のドレスを纏った女性。
(生き残り……? 違う。そんなはずは……)
『あきらめてしまうの?』
声は聞こえない。けれど、彼女の唇の動きが、直接僕の脳に意味を結んだ。
そんなの、もうどうしようもないじゃないか。あがける状況じゃない。……あいつらには、勝てなかった。
『ちからが……ほしい?』
力? どんな力だ。魔族を倒せる力なのか。
あいつらを、ネリアを汚した全てを、無くしてしまえるほどの力なのか。
『うーん……それは君次第じゃないかな。でも、今の君が求めているものが手に入る力だよ。それで仇を取れるかどうかは、君がどう動くかだね』
(……欲しい。どんな力でも。代償がなんだって構わない。必ず、ネリアの仇を……!)
『ふふ……それじゃあ、あげるね』
彼女が細い指を空に遊ばせると、いつの間にかその手に、一振りの細身の剣が握られていた。装飾のない、ただひたすらに「鋭い」だけの剣。
『この剣の名前は――〈 〉』
その単語のときだけ、彼女の唇がどう動いたのか、どうしても読み取ることができなかった。
『んー、今の君にはまだ読み解けないのかな。時間が経てば、自然とわかるようになると思うよ。鞘はないのかって? ……ふふ、鞘は君自身だよ。この剣を強く思えば実体化し、戻れと念じれば君の中へ消える』
(君は……女神、様なのか?)
『そうだね。この世界での呼び方なら、そうなるかな。名前? それは教えてあげられない。乙女の秘密、ってことで』
茶目っ気たっぷりに小首をかしげる。その仕草はこの絶望的な状況において、あまりにも異様だった。
『神様が、自分を信仰してもいない子に勝手に賜りものをあげるのは、あんまり褒められたことじゃないの。私が怒られちゃうから、名前は伏せさせてね。……さて、もう使ってもいいよ。あ、あと一つだけ説明させてね』
女神は僕のすぐ側まで歩み寄り、冷たい指先で僕の頬を撫でた。
『この力はね、使えば使うほど強くなる。剣も、あなた自身もね。私が与えられる中では一、二を争う極上品だよ。その代わり、あなたが死ぬとき、あるいは――私のことを信じられなくなったとき、その力は返してもらう。いい?』
(死ぬ時なら、構わない。……最初から、僕に明日なんてないんだ)
『いい返事。じゃあ、契約成立だね。神様って、多少は端折れるんだけど与える力の大部分を相手に聞かせないと、力を顕現させられない仕組みなの。その人が力を使うイメージが沸くぐらいにはね。よし、これでもう、あなたはこの力を使えるはずだよ』
(……ありがとう。仇を討ったら、恩返しに行くよ。名前も知らない女神様)
『ふふ……それじゃあ頑張ってね、ノエル』
銀髪の女神が、最後に一度だけ美しく微笑む。
僕が瞬きをした一瞬、彼女の姿は最初からいなかったかのように消え失せていた。
――――――
「……よし。それじゃあ。……剣よ、出ろ」
震える声で念じる。その瞬間、右手の内側から染み出すように、あの細身の剣が形を成した。
まずは、自分を縛る縄に刃を当てる。
(……なんだ、この切れ味。抵抗が、まったくない……)
まるで最初から繋がっていなかったかのように、縄がハラリと落ちた。
あまりの斬れ味に、下手に動けば自分の指まで落としてしまいそうだ。僕は慎重に、細心の注意を払いながら足の縄と、猿轡代わりの布を切り裂き、ようやく自由の身となった。
立ち上がり、周囲を見渡す。
そこには、僕を絶望に突き落とした光景が広がっていた。
「……院長先生?」
院長先生が倒れていた場所には、もう何もなかった。
魔族たちが引きずっていったのか、そこには血痕だけが残されている。
視線をずらす。ネリアは、そこにいた。
なぜだか、彼女の遺体だけは損なわれず、首のない姿のまま静かに横たわっている。
「……っ、待ってて、ネリア。すぐ、終わらせるから」
溢れそうになる涙を堪え、僕は剣を握り直した。
一呼吸置き、勢いよく孤児院の扉を開けて外に飛び出す。
「……ッ!? 何だ、貴様!」
外にいた魔族たちが一斉にこちらを振り返る。左に三、正面に二、右に四。
逃げ場はない。けれど、今の僕には迷いもなかった。
「せやあぁぁぁぁぁぁぁ!」
一番近くにいた魔族の胴を、横一文字に薙ぐ。
「く、曲者! 盾を――」
魔族が咄嗟に構えた円盾。しかし、女神の剣は盾も、その奥にある鋼の鎧も、魔族の肉体さえも、バターのように両断した。
「すごい……なんだこれ、これならいける……!」
次々と襲いかかる魔族たち。僕は止まることなく、ただ無我夢中で剣を振り回した。
剣の重さをほとんど感じない。まるで、僕の指が伸びて空を切り裂いているような感覚だ。
そして、自分が聖騎士団長にでもなったかのような全能感。
最後の一体を切り捨てて振り返ったとき、僕は奇妙な光景を目にした。
切り伏せた魔族の死体からは光の玉が溢れ出し、剣へと吸い込まれていく。
そして死体は、まるで最初からそこに何もなかったかのように、透明になってスッと消えていった。
「……これが、強くなるってことなのか」
自分の中に何かが流れ込んでくる確かな感触。
僕はその力に酔いしれ、腹の底から、自分でも驚くほど傲慢な声を張り上げた。
「おい、魔族ども! まだ残ってるんだろ! 早く出てこいよ! 人間が一人生き残ってるぞ!!」
挑発に応じるように、続々と魔族が集まってくる。その数、四十前後。
その中には、先ほど僕を縛り上げた部下の魔族も混じっていた。
「こ、こいつどうやって抜け出しやがった! ちゃんと縛り上げておいたはずだぞ!」
「ははっ、縛り方が緩かったんじゃねえか、おい!」
「隊長が横にいたんだぞ、そんなわけあるか! 全員で取り押さえろ! ベリナス様に報告済みだ、殺すなよ!」
奴らは僕を気絶させ生け捕りにすることが目的なのか、棍棒や盾で殴り倒そうと距離を詰めてくる。
だが、僕には分かっていた。
今の僕にとって、彼らは障害になりえない。
「せぇぇぇい! やあ! はあぁぁぁぁ!」
剣の型なんて必要ない。ただ振れば、敵は消える。
十体、二十体。数えるのも馬鹿らしくなるほど一方的な蹂躙。
気づけば、立っているのは僕と、あの時僕を縛り上げた魔族の一人だけだった。
「ば、バカな……あれだけいたんだぞ! なぜ止められない!」
魔族が腰を抜かしたその時、背後の建物から欠伸をしながら隊長格の男が現れた。
「おい、いつまで騒いで……。…………なんだ、これは」
静まり返った広場。消滅し、欠片も残っていない部下たち。
その中心で、血も付いていない剣を握る子供。
「た、隊長……! す、すぐ取り押さえます! うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
そして、叫びながら飛び込んできたその魔族を、先ほどまでと同様僕は容赦なく縦に引き裂いた。その魔族からも同様に光の玉が溢れ出し、剣へと吸い込まれていった。
「部下は全員死んだよ。……残りは、あなただけだ」
「貴様……その剣、どこに隠し持っていた!?」
「さあね。それよりさ、教えてよ。この村を、孤児院を襲ったのは誰だ? ネリアを、あんな風にしたのは誰なんだ!!」
悲しみと、力の高揚。相反する感情が混ざり合い、僕の口調は自分でも驚くほど鋭く、冷徹に響く。
「……この地を攻めたのは我らベリナス様の部隊だが。知ってどうする。貴様ごときが敵う御方ではないぞ」
「ネリアを殺したのも、そのベリナスって奴か?」
「……ネリア? 知らんな。我らは人間の個体名などいちいち覚えんし、確認もせん」
「孤児院にいた……首のない……女の人のことだ」
「……ああ、あの娘か。あれはベリナス様だ。御方により一撃でその首を断たれた。それがどうした?」
「ベリナス……」
仇の名前が、はっきりと胸に刻まれる。
その名前を心臓に刻みつけた瞬間、僕の怒りは明確な一点へと収束した。
「ベリナスか……ありがとう。お礼に、一撃で終わらせてやるよ」
「ほざけ! 死に損ないが!」
魔族の隊長が槍を構え、正面から突進してくる。
大きく横薙ぎに振りかぶった僕の剣に対し、隊長はそれを受けるように槍を構えた。先ほどのように、力で防ぎきれると思ったのだろう。
「はあぁぁぁぁぁぁぁ!」
槍ごと両断しようとした一撃。
だが、とっさのところで危険を察知したのか、魔族は体をずらし、断たれたのは槍の先端だけとなった。
「貴様、その剣……相当な業物だな。だが、ただの剣じゃない。斬った端から死体が消えるなど……まるで魔剣ではないか」
「魔剣? 違うよ。これは女神様からの賜りものだ。神剣とでも呼んでほしいね」
「……だいたい、魔剣に憑りつかれた者は自らを聖剣使いだなんだとほざくものよ。……くっ、ここが俺の墓場か…」
隊長は得物を捨て、素手で構え直した。その顔からは先ほどの余裕が消え、剥き出しの生存本能が張り付いている。
だが、武器を失った彼は、もはや他の部下たちと同じだった。
上段から振り下ろした僕の刃は、魔族の頭蓋から股下までを、抵抗なく断ち割った。
――光の玉が吸い込まれ、最後の一匹が消滅する。
静まり返った孤児院。風の音さえ聞こえない、完全な「無」。
「はは……っ。ははははは! 凄い! 凄いぞ、これなら、魔族を一掃できる! ネリアの仇を、取れるんだ! はははははは!!」
僕は誰もいない広場で、狂ったように笑った。
最強の力を手に入れた。
神にも届くほどの、圧倒的な力を。
でも。
(ああ、そうか……。……遅すぎたんだ)
どれだけ敵を倒しても、消えたネリアの笑顔は戻ってこない。
どれだけ強くなっても、昨日の平和な朝には手が届かない。
力を得て初めて理解した。この力は、何かを「守る」ためのものではなく、ただ「失われたもの」の代わりに与えられた、虚しい対価に過ぎないのだと。
「あああああああ……っ!!」
笑い続けているはずの僕の頬を、熱い涙が絶え間なく伝い、地面を濡らしていた。




