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日常のすき間に潜むもの  作者: めこねこ


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12/12

足を引く女

 今まで、いくつかの不思議なお話をしてきましたが、怖いのは、何も人ならざるモノだけではありません。


 怨霊と呼ばれる存在――悲惨な死を遂げた者が、その怨嗟の念を持ってこの世にとどまり、不可思議なことを引き起こす――そういった話は、古くから数えきれないほど語られてきました。しかし、怨霊よりも恐ろしいものがある、と私は思っています。それは、生きている人間の念です。生命の輝きが強いぶん、一歩間違えると、死者の恨みよりも深く、人を傷つける。


 これは、そのことを身をもって知ったある女性の、恐怖体験と後悔、その両方が入り混じったお話です。


――――――


 私がお聞きした方、ここではRさんとお呼びします。


 Rさんは、見た目がとても華やかな方でした。パッチリとした二重の切れ長な目が印象的な、少しエキゾチックな雰囲気。男性からのアプローチも多く、それなりの恋愛経験を踏んでいましたが、奔放というわけではなく、節度のあるお付き合いを積み重ねてきた、そんな方でした。


 そのRさんが、会社の同僚である同じ年の健児さん(仮称)とお付き合いを始めたのは、二十七歳の頃のことでした。


 健児さんは、童顔で柔和な笑顔が印象的な方でした。派手なかっこよさや、スポーツマンらしい精悍さはありませんでしたが、そばにいるとどこか安らぎを感じさせる、そういう雰囲気の男性でした。


 そんな健児さんに対しRさんは当初、何とも思っておらず、ただの同僚の一人の認識でした。しかし、Rさんが当時、二年ほど付き合っていたアパレル関係の少し派手な彼氏と別れたばかりだったこともあり、健児さんの穏やかな雰囲気が不思議と心に刺さってきました。会社で真面目に仕事をする姿、先輩社員からの信頼、後輩からも慕われる様子――そういったものを目にするうちに、いつの間にか惹かれていったのでした。


 ある飲み会でRさんがそれとなくアプローチをかけると、健児さんもRさんに気持ちを向けていたことが分かりました。Rさんは思い切ってバレンタインにチョコレートを渡したことをきっかけに、二人は正式に付き合い始めました。


 お付き合いは順調でした。しかし、約二ヶ月後の四月から、健児さんに二年間の期限付きで地方支店への転勤が決まりました。若手の有望株として、支店の営業立て直しを任された、いわば大抜擢でした。断る理由などありませんでした。ただ、付き合い始めたばかりのRさんとのことを考えると、健児さんも少し迷いがあったようです。


 しかし、Rさんは快く送り出しました。年齢を考えれば、いずれは結婚も視野に入れてのお付き合いと思っていましたが、だからこそ、ここで二人の絆を試してみようと思ったのです。むしろ、その決断の後、二人の仲はより深まったと言いました。


 二人が遠距離恋愛に入って四ヶ月が過ぎた八月。Rさんは休みを利用して、健児さんに会いに行きました。


 健児さんは変わらず元気で、支店での仕事にも手応えを感じている様子でした。普段からLINEで近況を報告し合っていましたが、実際にその姿を目で確かめてホッとしたといいました。


 せっかく来たのだからと、支店にも顔を出しました。本店に勤めていたRさん。支店の方とも電話やメールでやり取りがあり、”声馴染み”な方もいました。健児さんとRさんの仲を知っていた方もいて、からかわれながらも和やかな時間を過ごしたといいました。数日間の再会を楽しんで、Rさんは自宅へ戻りました。


――――――


 楽しかった思い出で胸がいっぱいになりながら、長旅の疲れもあって、その日は早めに就寝をしました。


 夜中のことです。


 かすかな物音がした気がして、ふっと目が覚めました。少し早めに寝たため、眠りが浅くなるタイミングが夜中になったのでしょうか。まだ夜明けまでは四、五時間はある。もう少し寝ようと目を閉じかけたとき――


「ミシッ」


 誰かが床を踏む、そんな音がしました。先ほどの物音と合わせて、部屋の中で何かが動いている――そういう音でした。


 Rさんは息をひそめて耳を澄ませました。玄関のドアには上下二箇所の鍵とチェーン、オートロックのマンションの五階――防犯面を心配した両親の勧めで、しっかりとしたつくりの物件を選んでいました。外からの侵入はまず考えられない。そう頭の中で、繰り返しながら、音の主体を探りました。


 しかし「ミシッ」と鳴ってから、何も音がしませんでした。Rさんが意識を向けていることが伝わったのか、あるいは単なる家鳴りか何かが落ちた音だったのか――そんな考えが浮かんで、少しまどろんできたときです。


「ビキッ」


 体が、硬直しました。


 足の指先から頭のてっぺんまで、一枚の板に貼り付けられたように、ガツッと押しつけられたかのように――動けない。指一本すら動かせない。単に眠りに落ちる瞬間の硬直とは、明らかに違います。誰かに、全身を拘束されているような感覚。咄嗟に、Rさんは悟りました。金縛りだ、と。


 過去にも、疲れたときに金縛りにあったことはありました。Rさんはあまり霊的なものを信じるタイプではなく、金縛りも生理現象のひとつとして論理的に説明できることを知っていたため、以前に遭った時には怖くはありませんでした。


 しかし、今回は違いました。


 今まで体験してきた金縛りとは、明らかに様相が異なりました。体の力を振り絞って抜け出そうともがきましたが、指先ひとつ動かせず、気持ちだけが焦っていきました。


 そのとき――足元に、ナニかがいると感じました。


 Rさんの部屋は1DK。五畳ほどのDKと六畳の寝室。その二つの部屋をつなぐ引き戸に足を向ける形でベッドが置かれていました。その引き戸とベッドの間に、黒い、人のようなものが――うずくまっている。


 ただ、頭だけはこちらに向いていました。じっと、Rさんの顔を見ていました。


 目線だけを足元に向けてその存在を確認した瞬間、恐怖が一気にあふれ出しました。


 引っ越して数年、このマンションに「出る」という話は聞いたことがありませんでした。旅行先からナニか悪いものを連れて帰ってきたのかとも思いましたが――その黒い影から感じられる視線は、助けを求めるような、もしくは何かを訴えかけるような弱々しさではありませんでした。激しい憎悪のような、強い意思を持って、Rさんを睨みつけている、そういう種類の気配でした。


 Rさんは気が強いところがありました。正体は何にせよ、じわじわと冷静さを取り戻しながら、座り込んでこちらを睨んでいるだけなら、正体を確かめてきちんと対応すれば金縛りは解けると思いました。


 しかし、その考えは無惨に打ち砕かれました。


 黒い影が、スクリと立ち上がったのです。


 暗い部屋の中でも、うっすらとその輪郭が見えました。黒い影は女性――おかっぱに近いショートボブの髪型。異常なほど大きく感じる目。小ぶりで低い鼻筋。小柄で、細い体つき。それが、黒い影の形をして、ベッドの足元に立っていました。


 次の瞬間、その黒い女の影からにゅうっと黒い手が伸び、Rさんの布団の上から通過するように侵入してきました。そして――Rさんの右の足首をガッと掴んだのです。


 ひんやりとした、冷たい感覚。離すものかと力が込められた、痛みを伴う握り方。そして、グーッと引っ張られました。ベッドから引きずり下ろすように。金縛りで身動きの取れないRさんは、されるがままに足を強く掴まれ、引っぱられ続けました。


 数分が経ったでしょうか。


 ふと、掴む手が離れました。黒い影が立ったまま、憎らしそうな目をこちらに投げかけ――そのまま、フワッと消えていきました。


 その瞬間、金縛りが解けました。


 恐怖と、理由の分からない怒りがこみ上げてきました。深夜でしたが、誰かの声を聞かずにはいられませんでした。Rさんはすぐに枕元のスマートフォンから健児さんに電話をかけました。深夜に何度も呼び出すことになるだろうと覚悟をしていましたが、二回の呼び出しで健児さんは出てくれました。


「ねぇ、聞いてくれる。今ね――」

 健児さんからの相槌がなく、不思議な沈黙に、言葉が止まりました。

「ねぇ、話聞いてる?」

 少しの沈黙のあと、健児さんがボソリと呟きました。


「出たんだね、キミにも」


 健児さんはRさんが話す前に、Rさんに起こったことをすでに察しているようでした。電話にすぐに出てもらった嬉しさは急速に薄れ、言葉の意味に戸惑いました。


「キミにも」


 しかし、とにかく、今の状況を話して、気持ちを落ち着けたいと、Rさんは身に起こったことを話し始めました。


「さっき目が覚めたら金縛りにあって、足元を見たら黒い影がいて――」

「その黒い影が、足を掴んで引っ張ったんじゃないの?おかっぱ頭の女」


 Rさんが説明する前に、健児さんが言葉を続けました。


「オレにも、さっき、同じ女が現れて、足を引っ張られたんだよ。その女、昨日、Rが支店に顔を出した時、いたじゃないか。Xっていうんだけど、覚えてる?」


 言われてRさんは記憶をたどりました。確かに、小柄で物静かな雰囲気の女性が奥の方にいた気がしました。特別目立つわけではないのに、大きな目だけがどこか印象に残っていました。


「そいつさ、オレが支店に来てから、何かと世話を焼いてくるんだけど、ずっと断ってたんだよ。そこにRが顔を出したものだから、一気に来たんだと思う」


 健児さんの説明によれば――Xという女性は、健児さんが支店に来た当初から一方的な好意を抱いていたようでした。しかし、健児さんはまったくなびかなかった。そこへ、健児さんの心を引き止めていたRさんが支店に姿を現したものだから、想いを一気に募らせたということらしく、健児さんはそう読んでいました。


 にわかに信じられませんでしたが、健児さんが言いました。


「生霊って知ってる?生きている人がさ、何かに強く執着すると、念みたいなのを飛ばせるって言われてるやつ。YouTubeでそんな話を見たことはあったけど、まさかオレとRのところに飛んでくるとは思わなかったけど」


 Xの健児さんへの思いが強すぎ、Rさんと健児さんの二人に同時に念が飛び、二人を引き裂くために足を引っ張ったのだと健児さんは言いました。話を聞くと健児さんは左足を引っ張られたと言いました。それはまるで二人の間を裂くように――Rさんの右足と同時に、反対側を。


「本人に自覚はないっていうから、言っても止められないかもしれないけど。変に後を引くようにしたらまずいから、明日ハッキリ言ってくる。迷惑だから関わるなって」


 その力強い言葉が、恐怖で揺れていたRさんの心を落ち着かせてくれました。健児さんへの深い信頼と愛情を、改めて感じた夜となりました。


 翌朝、目が覚めて右足を見ると――くっきりと手形が残っていました。小柄な女性がグッと握ったような、足首をひとまわりできないほどの、小さな手形が。


 その後、同じ現象はぱたりと止みました。健児さんの説得が功を奏したのだと、Rさんは安心しました。


――――――


 それからも健児さんとの遠距離恋愛の日常は続きました。毎日の近況報告。本店への出張の際に会うひととき。Xさんの名前が健児さんの口から出ることはなく、Rさんもあえて触れることはありませんでした。


 そして、年末が近づいてきました。クリスマスは平日だったため会えませんでしたが、お正月に会う約束をしていました。本店のある街は健児さんの地元でもあるので、里帰りにもなるため、Rさんには、淡い期待もありました。


 十二月三十日、健児さんは支店での仕事を終えて地元に戻ってきました。午前中は実家へ顔を出し、午後、Rさんとの時間を作ってくれました。Rさんの地元はまた違う街なため、この日、一緒に過ごしたら、大晦日には実家に帰る予定にしていました。つかの間の二人の時間を楽しみに、会いに行きました。


 久々に会う健児さんは、どこかよそよそしい様子でした。違和感を覚えながらも、二人は喫茶店に入りました。


「ごめん、別れよう」


 まさか、そんな言葉が出てくるとは。青天の霹靂でした。


 理由を聞きました。これまでそんな素振りを微塵も見せていなかった健児さんが、静かに話し始めました。


「前に生霊に足を引っ張られたってあったじゃん」


 健児さんは唐突に、八月にあった恐怖体験を伝えてきました。


「Xに、あの件を話したんだよ。迷惑だから気持ちを向けないでほしいって」

「そうしたら、Xが言ったんだ。『私が行っちゃってたんですね』って。自分の生霊が飛んでいるかもって、少し自覚があったみたいで」


 話を聞くと、Xさんは霊的なものに少し感度のある人のようでした。自分の強い思いが何らかの形で相手に届いている、そういう自覚を持っていたようでした。


「『迷惑をおかけしていたんですね。ごめんなさい。強く思うと自分では止められなくって』って言われて――なんか、その言葉が、嬉しいって思ってしまったんだよな」


 自分の念を飛ばしてしまうほど強く思われている。その事実を知ってしまった健児さんは、Xさんのことを少しずつ意識するようになっていったと言いました。控えめな性格、家庭的な考え方、そしてあの夜の告白――それらが健児さんの心に静かに積み重なっていきました。


「ごめん、Xと正式に付き合おうと思っている。だから別れてくれ」


 真面目で誠実な彼でしたので、Rさんに正直に自分の気持ちを伝えた上で、けじめをつけようとしてくれたのでしょう。しかしRさんは、怒りが先に来ました。罵詈雑言を浴びせ、コップの水を健児さんにぶちまけ、そのまま喫茶店を出ていきました。


 部屋に戻っても、怒りと悲しみが交互に押し寄せてきました。このまま結婚し、幸せな家庭が築けることを想像していたのに。悔しく悲しく――段々と冷静になればなるほど、感情は形を変えていきました。怒りでも悲しみでもなく――もっと暗い、粘り気のある何かが、夜になっても体の中に居座り続けていました。


――――――


 Rさんは私に言いました。


「可愛げのない自分が嫌になって。でも、二十八歳にもなって、人前で泣いてすがるなんてできませんよね」


 泣き笑いのようなRさんの表情を見て、私はそっと言いました。


「そういう後悔はしなくてもいいと思いますよ。そのときの判断は間違っていませんでしたから」


「いえ」


 Rさんは、静かに切り出しました。


「泣かなかったことには全然後悔はないんですよ」


「私ね、振り向いてほしくて、Xがしたように――何度も何度も、健児さんのところに念を飛ばしたんです。寝る前には必ず、強く思ってから寝ていました」


「でも、私には霊能力なんてちっともないから、念が飛んだ実感もなくてね」


 そして、Rさんは淡々と話し続けました。


「そのうち、健児さんが高速道路で事故を起こしてしまって……その事故で亡くなってしまいました」


 私は、しばらく言葉が出ませんでした。

 Rさんは、少し間を置いてから言いました。


「ただ――」


「念を飛ばすタイミングは、考えないとダメですよね。」

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