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日常のすき間に潜むもの  作者: めこねこ


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11/11

不思議な力を持つ華道家

 これまで、私が出会ってきた不思議な体験や、特別な力を持った方々のお話をお伝えしてきました。


 信じるか、信じないか——それは、あなたご自身の感性にお任せいたします。ただ、こうしてお話を続けてきた中で、私がどうしても外せないと感じているものがあります。


 それは、「その力のおかげで、大切な命が守られた」というお話です。


 怪談というと、どうしても不気味なお話、後味の悪いお話が多く、そのゾクゾク感を楽しまれる方も多いかと思います。確かに、世の中に伝わる不思議な話の多くは、そういう色を帯びています。しかし、私がこれまで聞いてきた話の中には、恐怖とはまったく違う感情——安堵や驚き、そしてある種の神聖さ——をもたらすものも、確かにあるのです。


 一筋の細い細い希望が、誰かの力によって、現実へと引き寄せられる。


 そんなお話を、今日はお伝えいたします。


 これは、某県にお住まいのHさんから直接お聞きしたお話です。


――――――


 Hさんのお母さまは、数年前、ガンを患いました。


 幸い発見が早かったため、適切な治療を受け、やがて寛解という診断を得ることができました。ガンが消えた、とは言い切れない。しかし、検査では確認できない状態にまで至った——そういう意味での「寛解」です。


 主治医からは、定期的な検査を続けるよう言われていました。ガンという病気は、目に見えないところで静かに動いていることがある。油断は禁物です。Hさんのお母さまも、その言葉を胸に、欠かさず病院へ足を運んでいました。


 その日も、いつもと変わらないつもりで検査を受けました。


 しかし、結果は違いました。ガンの陽性反応がある——と。


 その言葉を医師の口から聞いたとき、Hさんのお母さまはしばらく言葉が出ませんでした。頭の中が真っ白になる、とはこういう感覚なのかと、後にHさんから聞きました。


 すぐに国立病院でのCT検査となりました。精密な画像結果は——再発でした。しかも、二か所に。


 再発が絶対にないとは思ってはいませんでした。ガンという病気と向き合う以上、そのリスクは常に頭の片隅にありました。ありましたが——やはり、現実として突きつけられると、受け入れがたいものがあります。


 その日から、治療が再開されました。


 点滴と、薬の服用。以前と同じように、体に負担をかけながらの治療が続きます。前回は寛解まで漕ぎ着けることができた。だから、今回もきっと——。そう親子二人は励まし合いながら、治療を続けていました。


 そんな二人に、ある知人がこんなことを言ってきました。


「隣町にいる、特別な力を持った、おばあさんに相談してみたらいいよ」


 藁にもすがりたい気持ちとは、このことをいうのかもしれません。Hさんもお母さまも、その言葉にすがるように引き寄せられました。


――――――


 そのおばあさんは、隣町で華道の師範をされていました。


 地域では、長年、お弟子さんたちに花を生ける心と技を伝えてきた方。お会いしたときも、ご高齢ではあるものの、穏やかで、しかし背筋のすっと伸びた凛とした女性だったとのことです。


 特別な力がある、という話は、あくまでも人づてに伝わってくるものでしかなく、Hさん自身は半信半疑でした。


 予約もせず、連絡もせず、いきなり訪ねていく——普通に考えれば、失礼極まりないことです。それでも、Hさんとお母さまは、その話を聞いたその足で、そのおばあさんの家の前に立っていました。


 怒られるかもしれない。追い返されるかもしれない。そう思いながら玄関に近づくと、中からお弟子さんたちの気配がしました。ちょうど、お花の稽古の最中だったようです。


 二人は外で待ちました。夕暮れに向かう空の色が変わる中、玄関先に立ったまま、静かに稽古が終わるのを待ちます。やがてお弟子さんたちが一人、また一人と帰っていき、しばらくして、おばあさんが顔を見せました。


 突然の訪問を詫びると、おばあさんは特に驚いた様子もなく、二人を招き入れてくれたそうです。


 部屋に通されると、おばあさんと向き合う形になりました。Hさんのお母さまが口を開きました。


「母の健康について」


 それだけです。それしか言っていません。名前も、住所も、どんな病気なのかも、何も伝えていません。


 おばあさんは少し間を置いてから、ふと、斜め上の方向に目を向けました。虚空を見るような、あるいは何かを読み取るような、静かな目です。しばらくそのまま、動かずにいました。


 そして、ぼそりと言いました。


「黄色い点滴と、白い錠剤が二錠見えるね。腰のあたりに、二つのイボのようなものも見える。それはワシがなんとかしてあげよう」


 Hさんとお母さまは、息をのみました。


 黄色い点滴——それは、まさにお母さまが受けている抗がん剤の点滴の色でした。白い錠剤、二錠——それも、毎日服用している薬と一致していました。そして、「腰のあたりに二か所」——それは、CTで確認された、二か所の再発箇所そのものでした。


 何ひとつ伝えていないのに。


 名前も、病名も、治療の内容も、何も言っていないのに——おばあさんはすべてを見ていました。


 Hさんは、そのときのことをこう話してくれました。


「鳥肌が立ちました。でも、怖いとか、不気味だとかいう感じじゃなくて……なんていうんでしょう、この人はちゃんと見えているんだって、そういう確信が来る感じでした」


 おばあさんは続けました。


「玄関の横に、ポットくらいの大きさのイガイガしたものがある。あんたの家の前の道は参道になっている。近くに神社があるだろう。そこにそれを奉納しなさい」


 唐突な言葉でした。


 「イガイガしたもの」——そう言われて、Hさんもお母さまも、すぐには思い当たりませんでした。玄関の横に、そんなものがあっただろうか。帰り道、二人は顔を見合わせましたが、どちらも答えを持っていませんでした。


 お礼を申し上げ、お布施を、と申し出ると、おばあさんは首を振りました。要らない、と。しかし、手ぶらで帰ることへの後ろめたさが、二人の足を止めました。玄関の脇に、不動明王が祀られていることに気づいたのです。二人は封筒にいくらかのお金を入れ、そっとお供えしてから、家を後にしたそうです。


――――――


 帰宅して、二人は玄関周りを探しました。


 「イガイガしたもの」——それが何なのか、見当がつかないまま、玄関の外をぐるりと見て回ります。しかし、それらしいものが見当たりません。植木鉢の陰、靴箱の脇、玄関ポーチの隅——どこを見ても、「ポットくらいの大きさのイガイガしたもの」は見つかりません。


 途方に暮れかけたとき、その話を聞いていたお父さんが、ふと立ち上がりました。そして、玄関脇に置かれていた観葉植物の鉢を、静かに指さしました。


 その鉢は、蛸壺でした。


 丸みを帯びた、素焼きの壺。表面は少し粗く、ザラついていて——言われてみれば、確かに「イガイガしている」とも言えなくはない。観葉植物を植える鉢として、いつから玄関に置かれていたのか、Hさんもお母さまも、あって当たり前のものとして、もはや意識すらしていなかったものです。


 お父さんは、こう言いました。


「神社、という言葉を聞いたとき、ちょっと思い当たることがあったんだ」


 お父さんの地元は、タコ漁が盛んな土地でした。その地域には、タコを供養する風習があり、近くの神社では、自分で決めた期間、タコを食べることを断てば願いが叶うという言い伝えが、古くから伝わっていたそうです。


 その蛸壺は、お父さんの地元の方から譲り受けたものでした。


 さらに、Hさんのお宮詣り——生まれたときに神様にお参りするあの儀式——も、お父さんの地元の神社で執り行われていたそうです。


 点と点が、静かに繋がっていきます。


 半信半疑のまま——しかし、やらないわけにはいかないという気持ちで——一家はその蛸壺を近くの神社へ持参しました。


 事情を話すと、神社の宮司もはじめは戸惑った様子でした。突然、蛸壺を奉納したいという申し出ですから、無理もありません。しかし、Hさんが丁寧に経緯を説明すると、宮司は静かに頷き、快く引き受けてくれたとのことです。


 蛸壺は、神社に奉納されました。


 それからしばらくして、次の検査の日が来ました。


――――――


 抗がん剤治療の効果を確認するためのCT検査です。せめて少しでも小さくなっていてくれれば——そんな祈るような気持ちで、結果を待ちました。


 今回は、家族三人で結果を聞きました。医師から結果を告げられた時、三人はしばらく言葉が出なかったそうです。


 ガンが、二つとも、きれいに寛解していた。


 それも、医者の言い方では、消えてなくなったようだ——と、担当医も首をかしげながら言ったそうです。抗がん剤の治療が順調に効いた結果ではあるのでしょうが、これほど短期間で、しかも二か所同時に、ここまできれいに反応が消えるということは、なかなかないと。


 Hさんは、私に話してくれながら、少し笑っていました。嬉しさとも、不思議さとも、戸惑いとも取れる、複雑な笑いでした。


「信じてもらえないかもしれないんですけど。でも、本当のことなんです」


 私は信じます、と答えました。それは、お世辞でも、相手に気を遣ったわけでもありません。この話を聞きながら、私自身、背筋のあたりにある種の確かさのようなものを感じていたからです。


――――――


 さて、この話をどう読むか。


 まず確かなこととして、おばあさんは何も聞かされていないのに、治療の内容も、ガンの箇所も、正確に言い当てました。これについては、偶然という説明が難しい。点滴の色、錠剤の数、そして「腰のあたりに二か所」という具体性——偶然の一致と呼ぶには、あまりにも細かすぎます。


 では、蛸壺の奉納と寛解の関係は、どう考えるべきでしょうか。


 一つ目の解釈。


 蛸壺には、何らかの「念」のようなものが宿っていた。タコ漁の土地から来た壺、タコを供養する習慣のある土地と縁を持つ家、そしてその壺がずっと玄関に置かれていた——何かが、その壺を通じてお母さまに影響を与え続けていた。それが病の形を取っていた。そして奉納することで、その縁が断ち切られ、病も消えた——という読み方です。


 もう一つの解釈。


 蛸壺は、祈りを受け止め、病気を引き受ける器となった。奉納するという行為そのものが、家族の必死の祈りを形にしたものであり、その祈りが神社という場所に届き、病を肩代わりしてくれた——という読み方です。蛸壺が「呪い」を持っていたのではなく、「祈り」を受け止め、病気を肩代わりする器として機能した、という考え方です。


 おばあさんはただ、見えたことと、すべきことだけを伝えました。それ以上の説明は、何もありませんでした。だから、答えはおそらく、受け取る側が決めるものなのかもしれません。


 ただ、どちらだったとしても、病気が寛解したという事実だけは、揺るぎません。


 もちろん、抗がん剤治療の効果があったことは間違いありません。ただ、医療と不思議な力が同時に働いていたとしたら——どちらも「お母さまを救おうとした」という意味において、同じ方向を向いていたことになります。


 一筋の細い細い希望が、現実へと変わりました。


 Hさんのお母さまは、今も元気にされているそうです。


――――――


 最後に、あなたにお聞きします。


 蛸壺を介して、蛸からの呪いのようなものがお母さまに影響していたのか。


 それとも、蛸壺がお母さまの病気を肩代わりして治してくれたのか。


 あなたは、どちらだと思いますか。


 ——私には、まだ答えが出ていません。

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