3-9 リーンの日常
なんでこうなってしまったのだろう。
リーン・ラベロテに転生してからそれなりに楽しい毎日を過ごしていたのに、この世界が温室のハイドランジアだとわかってから、この世界の見方が変わってしまった。
あの日、助けなければと思わなければ、私は平和に過ごせたかもしれないのに――。
アリアーデ・クランツェフトはこの世界の主人公で、そして今は私のご主人様だ。
「それで、乙女ゲームとは何ですか?」
「も、もしかしてアリア様との話を聞いていたのですか!?」
短銃を片手に持ち、貴族らしく優雅にソファーに座っている私の上司、レイ。
そしてその対面にうさぎのように縮こまって座るメイド服の私がいた。
この役職は私が望んだことだ。
アリアーデの近くでサポートをする。そうすればアリアーデが危険な時に助けることができると思ったからだ。
決して私が命の危険を感じる職場にいたかったわけではない。
質問の返事は返ってこない。
質問を質問で返すのは失礼だと言うことなのだろうか。
「お、乙女ゲームは……女性用の擬似恋愛ゲームです。アリア様は結婚するゲームとおっしゃっていましたが、色々な内容のゲームがあります」
満足しただろうかとレイをちらっと見る。
「よろしい。それでは、こちらに書かれた文字の翻訳と、この世界で起こりうる全ての出来事を時系列順に書きなさい。終わるまで待ちます」
思わず目を見開く。
渡された紙の束には、日本語が書かれていた。
内容は……アリアーデの日記だ。
『ゲームがしたい。この世界は楽しいけど、やっぱり元の世界に戻りたいよ。あのPCの中に、私の全てがあったんだよ。馬鹿みたいな話して、馬鹿みたいに夜更かしして、リスナーだって、私の配信楽しみにしてくれてたのに。だめだめ。過去にこだわるなんて無意味。明日の体術の攻め方は……』
「わ、私はレイ様のお邪魔になるようなことは何もしません……。ですから勘弁してください……」
目尻に涙が浮かんできた。
レイは冷ややかな目をして、「最初は」と前置きした。
「天才的な姫様のことですから、新しく解読不能な暗号を産み出したのかと思っていました。しかし、この言語の翻訳はあなたにしかできません。わかりますね? 私は姫様のご要望に応えるために内容を知る必要があります」
そうだ。レイはそう言う人なのだ。
ゲームのアリアーデは大人しく、自我が薄かった。だからふらふらと流されそうなアリアーデを調教と言う形で自分の元へ繋ぎ止めた。
レイはアリアーデのことを知り尽くしていないと不安で仕方ないのだ。
「アリア様の許可をもらわないと……」
かちゃと短銃が鳴り、レイは足を組んだ。
ガタガタと音がする。
私の震えが机に伝わっていたようだ。
「で、でも……」
「姫様以外の生死はさほど重要ではありません。あなたは、姫様の味方なのですか? それともヤナセリア様の味方ですか?」
どう違うと言うのだろうか。
たしかに、性格は真逆と言っていい。
私が知っているアリアーデ・クランツェフトではない。
「もちろん、ゲームのアリア様も幸薄そ……おしとやかな方でしたから好きでしたが、私は莉愛さんも好きになりました。味方……と言うか、仲間……みたいな」
ちらっとレイをみると、頷いていた。
「いいでしょう。あなたの立ち位置は理解しました。敵ではありませんが、少し教育が必要ですね」
「ひっ! か、書きます! 書きますから!」
先ほどとは打って変わって笑顔になったレイのこの顔は覚えている。この顔はスチル「おしおき」にあった滅多にないレイの笑顔だ。
この笑顔が出たら、レイは本気で拷問するのだ。
――こうして私は私の持つ全てのアドバンテージを失ったわけだけれど、ある意味良かったのかもしれない。
全て手放せば、私は安全になる。
私の腱鞘炎と引き換えに3時間で書き終えた紙の束を満足げに眺めるレイ。
「も、もういいですか……?」
「いえ。ここの、ハンス様には勝てないと言う表記はどう言うことですか?」
レイが指を差したのは、魔王ルートにてハンスと戦う場面だ。
「それは、文字通り勝てません。ええと、HPと言う体力の概念があるのですが、必ず1残るようになっています。最後は足止めイベントが発生して、勝てないようにシステム……ええと、そう言う運命になってるんです」
「なぜですか?」
「設定資料集によると、たしか……アリア様がどれだけレベルを上げてもハンスの魔力量には勝てない、作中最強になってますから」
だからこそアリア様に死ぬと言ったのに、「え、勝てない敵にリアルで挑めるとか最高じゃん!」と聞く耳を持ってもらえなかった。
「そう……ですか」
さすがにレイも衝撃を受けているようで、考え込んでいる。
「で、でもまだハンスルートじゃないだけ可能性はあると思います。足止めさえできれば、アリア様は死なないですから」
そうだ。ハンスルート、通称地獄行きは、全ての戦闘スコアをSS以上を取らないと解放されない。
そもそも全員のエンディングを見てからのルートなのだから、解放されるわけがないのだ。
「姫様はすでにドミニク様を攻略完了しておられます」
「えっ? 契約魔具はしてなかったですよね?」
ドミニクの攻略が終わったかはアリア様の魔具がどこにあるのかを見ればわかる。大抵人気なのは首の束縛メリバエンドだったが、他のエンディングでは足首につけていたはず。
「姫様の脚元にはドミニク様の契約魔具があります」
「そ、そんな……脚元なんて聞いたことないですよ! それにドミニクの契約は、死ぬ時は一緒とか、半径1キロ離れられないとかですし……」
実はアリア様は恋愛していて、ドミニクが本命だったと言うこと?
いやいや、あのアリア様は恋愛しなさそう。
「姫様はおそらく騙されています。ドミニク様にゲームを作らせていますので、その見返りに何かを要求されていてもおかしくありません」
レイすらも把握してない!?
「もう、だめかもしれません……」
「そう悲観的になる必要はありません。姫様ならば、喜んで障害を排除なさるでしょう。むしろ、障害は多ければ多いほど、この世界を楽しんでいただける。そうは思いませんか?」
「な……」
何を言っているんだ、この人は。
「姫様は強敵をお望みです。そのために今まで訓練をしてきたのですから。であれば、私共は知識を元に最善の常態で姫様に挑まねばなりません」
「は、はは……」
レイがそう言うと言うことは、アリア様がそう望んでいることに疑いようはない。
と言うか誰がみてもそうだろう。
「さぁ、共に姫様に尽くしましょう」
今日1番清々しい表情で、レイはリーンに計画を語り始めた。
そうして逃げられない、そんな私の日常が始まってしまった。




