間話 全部忘れても好きになれるなら
目が、離せなかった。
名前も知らない、どこの人かも知らないのに、一目見ただけで、彼が特別なんだと理解できた。
彼は私を見知らぬ部屋に転移させた後、部屋を出て行ってしまった。
彼は私に目を合わせてくれなかった。
だからだろうか、少し心が痛んだ。
立ち上がろうとしたら、ふらついた。
「姫様、少しお休みください」
そばにいたレイが、私を支えてくれた。
「そう……だね」
安心したら、眠気がやってきた。
海の底で何があったか、全く思い出せない。
それどころか、昔の記憶すら今はあやふやだった。
革張りのソファに横になって、目を閉じる。
懐かしいような、そんな気がした。
♢
目を覚ますと、レイが朝食を持ってきてくれていた。
「おはようございます、姫様。一日中眠っていらしたので、お腹が空いていませんか?」
そんなに眠ってたんだ。
「あの人は? まだ来てないの?」
「はい……」
だったら、一緒に食べたいな。
「呼んでくる」
「ですが……。いえ、その方が良いかもしれませんね。私は少し席を外します」
「レイ、心配してくれてありがとう」
少し微笑んだレイは、部屋を出て行った。
あの人が入っていった扉をそっと開けると、そこは寝室だった。
私の目に飛び込んできたのは、私を転移させた時とは明らかに違う、余裕がない彼の姿だった。
ベッドの壁に背を預けて、片膝に頭を乗せて丸くなっていた。
思わず息を呑む。
「……泣いてるの?」
顔色が悪くて、今にも吐きそうだったのに。
どうして私を見た瞬間に……取り繕ったの?
「また、ですか。ノックもせずに人の部屋へ入るとは……」
「あ、ごめんなさい。でも、もう一日経つし……ご飯とか、どうかなって……」
やっちゃった……。
気持ちが焦りすぎてた。
「……あなたの体調はどうなのですか?」
え、私の心配するの?
「私は元気だよ。覚えてない事がたくさんあるから……困っているぐらいかな……。あなたに比べたら、全然大したことない」
どうしてそんなに辛そうなの?
知りたいよ。
あなたのこと、もっと知りたい。
「私の心配をしてくださるのですか?」
「当たり前だよ。多分、私のせい……でしょ?」
そう言うと、彼が一段と深く沈んだ気がした。
あ……私の言葉が彼を傷つけてる。
この顔にさせているのが、私の記憶なら。
私は早く取り戻さないといけない。
……どうしたら、思い出せるんだろう。
「ご、ごめん……そうじゃなくて、ええと……」
まずはやり直さないと。
ベッドサイドに駆け寄って、しゃがんで目線を合わせる。
「知ってるかもしれないけど、私の名前はアリアーデ・クランツェフト。あなたの名前を……」
え……。
彼に近づくと、懐かしい匂いが強くなった。
この匂いを私は知っている。
ずっと、欲しかった匂いだ。
私の部屋のベッドには、香水瓶が置いてある。
なんでなのか思い出せないけど、私はこの匂いを探していたんだ。
「……泣かないでください。お願いですから」
言われて頬に手を当てると、涙が出てきていた。
「あ、あの……ちが……そんなつもりじゃなくて……」
これじゃあ、心配させてしまう。
私は彼を励まそうとここへ来たのに。
彼は私に触れるか迷っているみたいに、手を伸ばしていた。
「私は……あなたのことが……好きだった?」
声に出してみて、しっくりきた。
この感情はきっと初めてじゃない。
彼は、私の言葉に怯えていた。
伸ばした手が、震えていた。
だから、その手を両手で掴んだ。
冷たい手だった。
「少なくとも……私が知っているあなたは、なかなか伝えてはくれなかった言葉ですね」
彼は、目を逸らしてそう答えた。
「好きだよ。うん、これで合ってる」
どうして私は伝えてなかったんだろ?
こんなに、胸の奥から溢れてきているのに。
そう言えば、レイの時もこんな気持ちだった。
家族みたいな、そんな安心感を感じていた。
「あなたもレイみたいに、私と近い人だったんだ」
彼は私の手を強く握り返してきた。
「……待ってください」
声が、一段と低くなった。
なんで?
なんで、怒ってるの?
彼は、信じられないという風に私を見ている。
「……いえ。今はそれで構いません」
彼はパチンと指を鳴らすと、服を着替えた。
「私の名前は、ハンス・レガリウス。肩書きは今のところ教師、ですかね」
優しく微笑む彼は、一見何も問題ないように見える。
教師……?
言われてみると、教師っぽいベストと眼鏡だ。
……ああ、そっか。
わかってしまった。
私が彼のことを好きになった理由。
弱さを隠してるからなんだ。
取り繕って、それでも折れない強さ。
――全部忘れても、それでも好きになるなら……それはもう、本物だよね?
恋とか、愛とかは、まだわからないけど、多分もっと積極的に行けば、記憶が思い出せるかもしれない。
よし、じゃあひとまずは彼の魂の色を戻すために頑張ろう!
次回、作者都合により最大4月末まで休載です。
それ以上かかりそうなら、最新話更新しながら作業します。
どうしても序盤を改善したいので、そっちに時間を使わせてください。
今回構成から変えますが、最新話の内容に影響はありません。
(ハンスの家庭教師を前倒しにしたいだけなんですが、これが結構厄介で、でも上手くハマれば序盤から面白くなると思うんですよね。多分みなさんそう思ってらっしゃると思う…)
もしそんなことより続きを!との声があれば、ちょっと考えます。ストック1話しかないので、どのみち止まる可能性高いです。
(学院編からプロットなしノリと勢いで書いてきましたが、さすがに止まる時が来た…)




