102話 唐突な目覚め
――それは地下深く、地底の奥底まで続く、迷宮。
――全七階層。
――一層ごとの広さが森ほどもあり、そのくせ、下層へと続く道は、その広いフロアに一つきりしかない。
――道はあまりにも細くうねり、複雑で、しかも、今なお拡張を続けている。
道が広がっている箇所にはきっと、例の『細長いばけもの』がいるのだろう。この地下迷宮が地下迷宮自身の意思で広がってでもいない限り、そこには、迷宮を広げる意思を持った生物がいるはずだ。
ウーは、笑うしかなかった。
「おい、アレクサンダー。なんじゃこれは。わしの頭に、浮かぶ。この迷宮の構造が、ありありと浮かぶ。わしは、おかしくなったんか? それとも、夢でも見とるんか?」
ウーはダンジョンに入ったとたん、この内部構造が明確に頭の中に流れてくるのを感じていた。
自分たちの現在地がどこかまでわかる脳内図。
内部に潜んでいるというばけものの場所は予想するしかないが、予想材料まで手に入ってしまう、異常知覚。
「まいったな」
真っ暗な中。
すぐそばで、アレクサンダーはつぶやいた。
「ウーばあさん、そりゃあ、チートスキルだぜ」
「ちいとすきる」
「……俺はさあ」
アレクサンダーは、しゃがみこんで、
「ほんと言うと、あんまりこの世界に干渉する気がねーんだよ。あくまでも旅人のつもりなんだ。異世界からの旅人。ゲームにおけるプレイヤー。だからさ、起こってるイベントを見つけて、それを攻略してるぐらいのノリなんだ。わかるかな。まあ、わかんねーよな」
「んむ……」
「ぶっちゃけ、俺は責任をとるのが嫌いなんだ」
「わしもじゃ」
「知ってる。だから話してる。……んでもさあ、イベントこなすと、大なり小なり、責任が発生するじゃん。でも責任を嫌ってどっかの山奥で世間とかかわらないように死ぬまで隠遁するほどの気概もないわけよ」
「……つまりなんじゃ。なぜ、いきなり自分語りを始めた?」
「俺が出会ったチートスキル持ち、あんたで六人目なんだよ。行った集落には必ず一人いて、今回にいたっては、今、目の前で生まれた」
「だからなんじゃって」
「……うまくまとめらんねーわ。でもまあ、なんつーの? 怖いって思ったんだよ。ばあさん、怖くねえ? いきなり自分におかしな力が芽生えるの」
「……不思議な力に目覚めたら嬉しいもんじゃろ?」
ウーは、この、頭の中に浮かび上がる迷宮の図に最初、戸惑ったものの……
すぐに、受け入れた。
「わしは特別になりたかったんじゃ。それが今、嘘偽りなく特別になれたんじゃろ? だったら喜ぶ以外どうしろというんじゃ」
「でもさあ、異常な力ってのは、基本、排斥の対象なわけだよ。それを受け入れられる状況を作り上げるのが大変だし、その力のせいで、ものの見方が周囲とどうしようもなくズレちまったりするもんなんだよ」
「……」
「俺は責任をとるの嫌いだし、なるべく避けるけどさ、それは責任感をまったく覚えないってことじゃねーんだよ。そこまでぶっ壊れてたら楽だろうけど、そこまではあいにくと、壊れられねーんだよ。中途半端でさ。だから、俺は、今も、ひょっとしたら、ウーばあさんにすごく悪いことをしたんじゃねーかって」
「カー!」
「うお!? なんだ!?」
「難しいことをたくさん言うでないわ! 年寄りを殺す気か!」
しゃがみこむアレクサンダーに詰め寄って、その脳天に自在に動く髪を一房、振り下ろした。
森の民の髪は手足のように動く。しっかり固めて殴りつければ、それなりに痛い。
アレクサンダーは叩かれてしばらくしてから、思い出したように叩かれた部分を押さえて、ウーを見上げた。
「いてーな」
「というか、アレクサンダー! お前は暗い!」
「ええ……そんなこと言われたの、この世界に来て初めてなんスけど」
「あんなあ、わしはなあ、ずっと、ずっと、ずうっと、思っとったことがある。幼いころのことだけれど、ずうっと思っとったことがある!」
「なんだよ」
「『自分には英雄の血が流れていて、いつか、その血の力が目覚め、特別な才能が覚醒したらいいな』とずっと思っとった!」
「……あー」
「まあ、歳を経るにつれて、自分に力が目覚めても活動するのは面倒と気付いた。そのうち、わしの夢は『一切合切の問題をしょうもない理由で解決してくれる顔のいい男が現れんかなあ』というように変化していったが……」
「…………ああー」
「なんじゃいその反応は! おかしいか!?」
「いや、めちゃくちゃわかる」
「わかるじゃろ! ……それをなあ。幼いころの夢が、今、まさに叶ったわしを前になあ。ぐちぐちぐちぐち、暗い顔で色々まくしたておって。嬉しそうにせんか! わしの気分が盛り下がるじゃろ!」
……上からはわずかな光が降り注いでいて、アレクサンダーがそこにいて、どんな体勢かだけは、おおまかにわかる。
表情はわからない。
けれど……
アレクサンダーは、たしかに、笑った。
「俺は、あんたのチートスキルが、脈絡なく、前触れなく、ひょっとしたら俺のせいで目覚めちまったかもしれねーことを、祝ってもいいのか」
「んむ。だが、今はその、辛気臭い感じを出さないだけでよいぞ。祝うのは、あとじゃ」
「……」
「英傑ウー・フーが、目覚めた力で里の者を救い、そして、里を取り戻すという偉業を成し遂げた、そのあとじゃ。里のみなの目の前で、大々的に祝うんじゃ。そうしてわしを伝説にせよ」
「……ああ、そうだな。マジで悪かった。主導権をあんたに渡したはずなのに、俺の都合でへこんじまった。意気揚々といこう。うつむいた英雄をつづる英雄譚なんざ存在しねーからな。……まあ存在はするか」
「なんかわからんが盛り下がることの一切を禁じる」
「いえっさー。つーわけで上の仲間呼ぶわ。つーかサロモンがさあ、あんたらの語る『ばけもの』を倒したくて超うずうずしてるの。そろそろあいつを抑えきれねーよ。だってあいつ、一人で入って一人で殲滅して一人で帰還できるんだもん。縄なんていらねーんだよ。なんてったって空飛ぶんだもん」
「そんなら、わし、ここに入らなくてもよかったじゃろ!? お前ら勝手にやりぃよ! つーか、縄はなんなんじゃ! 里総出でやることなかったじゃろが!」
「いやあ、あいつに先行さしたら、最悪、ダンジョンがまるごと崩れるからさ……」
「……」
「それにさ」
アレクサンダーは立ち上がり、
「盛り下がるようなことの一切を禁じられた俺は、今回のことをこうつづるね。『英傑ウー・フー。運命に導かれ、力に目覚め、里人たちを救い、里を取り戻す』ってな。あんたが入ったから記述の変わった英雄譚だぜ。気持ちよくねえ?」
「超気持ちいい」
「運命。いいよな、運命。英雄はたいてい、説明のつかない偶然で出会うもんだからな。都合のいい偶然を運命って言うんだぜ。まあ特別都合の悪い偶然のことも運命って言うがな」
「盛り下がる感じ、禁止!」
「……俺、根暗なのかもわからん。どうにも最近ネガティブだ。よっしゃ切り替えていこうぜ。いざ洞窟探検! まあでも人命がかかってるしなるべく最短ルートで行こうか」
「んむ」
かくして英傑ウー・フーと仲間たちの冒険が始まる。
この洞窟探検でもっともウーが命の危険を覚えたのは、いつのまにか音もなく降りてきていたサロモンが真後ろで「早く行くぞ」と言った時だった。
あとはもう、気持ちのいいぐらいの蹂躙制覇。
迷宮の最奥で巨大な細長いばけもの……アレクサンダーに曰く「メガ……ギガ……メガ……まあメガかな。メガワームだな」というやつを倒し、そして――