プロローグ4:校内探索
【ゆら】
面識を持って間もない学校の先輩から、個人的な呼び出しの手紙を受け取ったわたしは、相手の意図を探るための情報収集を始めた。
休み時間にクラスメートと雑談するという習慣がないので‥‥そもそもそういう相手を作ってないからいないので‥‥わたしは校内の常識にやや疎い。
集中できないままに午前中の授業を受け、終業ベルで一斉に昼休みモードに突入した校舎の中を歩く。食堂の限定メニューや購買の焼きそばパンを争って、飢えた男子高校生どもが群れをなして駆けていく。福男レースみたいだね。
実際には校門前の坂を下った先に、生徒の購買力をあてにしたパン屋と大手コンビニチェーン店があるので、うちの生徒が食べ物に不自由することはないのだが。暴走を阻止しようとする風紀委員との攻防も含めて、一部の男子にとってこれはもはや娯楽なのだとか。
まずわたしが偵察するのは、手紙で待ち合わせ場所に指定されていた創立記念館だ。フィールドを把握しておくこと、大事。
新入生オリエンテーションで校内を一通り案内してもらったので、場所は分かっている。校舎の北西の林にやや入った所に建てられた小ぢんまりとした建物で、木々の中でまったく目立っていない。展示室には学校創設者の肖像画やら遺した書やら、姉妹校から送られた物品やらが整然と陳列されているのだが、正直、生徒に親しんでほしいと本気で思っているのかあやしい立地である。
玄関ホールを経由し、ローファーに履き替えて、外から西回りで記念館に向かう。
この学校の校舎は、南に尖ったほうを向けた五角形をしている。某国防総省を連想してもらうと分かりやすい。北側の一辺が北棟、あとは時計回りに東1棟、東2棟、西1棟、西2棟と呼ばれている。
わたしは西2棟の外側の歩道を北に進む。ここは化学実験室や工作室などの特別教室が集められている建物なので、昼休みはほぼ無人だ。
他の校舎の床材は木なのに、この校舎だけ床がリノリウムで張られていることもあって、授業で中を歩くたびになんだか違う学校の廊下をさまよっているように錯覚するのは、わたしだけなのかな?
‥‥お?
″引っ掻かれる感覚″がして、犬が脚から顔を出した。
スカートの中で額と上顎だけを肌面から浮かべている状態なので、他人からは見えない。つまりわたしが共有している犬の目でも、自分のスカートの裏地しか見えないということだが。何がしたいんだ。
戻るようスカート越しに鼻でも叩いてやろうかと思ったが、やめた。わたしも痛いから。それに現在、絶賛諜報活動中のわたしには、犬の嗅覚と聴覚が役に立つかもしれない。
記念館へアクセスするルートを辿って敷地を進んでいると、人の姿が目にとまった。男子生徒が一人ずつばらばらに距離を取って、全員同じ方に向かって歩いていく。わたしから見える範囲で三、四名いるが、集団としてまとまっている感じはない。
彼らの制服の着崩し方や雰囲気は、二・三年生っぽい。私服もOKのフリーダムな校則の我が校だけれど、今は四月。まだまだ新入生は大胆になりきれていないのだ。
なんだろねこの人たち。あれなんでこっち見るの?
ここで犬の鼻情報。彼らはみんなうきうきそわそわしています。内分泌系の変化は体臭に表れるので、犬には丸解りなのです。
芝生を分けるコンクリート舗装の道は、石畳の遊歩道になって林の中に続いている。わざと間合いを空けて歩いているとしか思えないワクワク男子たちは、更に増殖して十人前後になってそこをぞろぞろ。怪訝に思いながらわたしも木立に入っていく。ほんと何なんだ? みんなお昼も放っぽって創立記念館に用事があるのか?
すぐに目的地が見えてくる。瀟洒といえないこともない造りの記念館の周囲には、所在無げにたたずむ複数のこれも男子がいて‥。
んん? 女子が現れましたよ? 手に可愛らしいチェックのハンカチでまとめた包みを持っていますな。立っていた男子に小走りに近寄って‥‥。ペアになって遊歩道を歩いて去っていきましたな。
見ている間に、わたし(と、男子生徒たち)が来たのとは違う石畳の道から、ぱらぱらと五月雨式に女子生徒が――こっちは女子のみ──現れて、男子生徒と二人連れになって消えていく。オリエンテーションの時には気が付かなかったが、記念館前の小さな広場は複数の遊歩道の結節点になっているようだ。
それでもって目の前で起きているこれは‥‥‥。
犬の鼻情報。男女ともみんな、うきうきドキドキしています。手提げや包みに入っているのはお弁当です‥って、見ればわかるから! 明らかに青春を謳歌してる先輩方だから!
男子生徒に混じってやって来て、一人で目を点にして立ち尽くしているわたしを、待ち合わせの男女たちがちらちら窺っている。
ひええ。すいませんお邪魔しましたぁ~!
犬はさっさと脚の中に引っ込んでいた。
♦ ♦ ♦ ♦
「うふふ~。一年生じゃわかんないよねえ~」
上品にくすくす笑うこの人は、三年生の須崎文さん。場所は学食前の通路で、彼女が前にしている机の上には『生徒会ファンクラブ・会員募集中』と大書きされた方形の厚紙が立っている。須崎先輩は昼休みのたびに、ここで勧誘活動に励んでいるのだ。ちなみにファンクラブ会長さん。
同様に机・椅子のセットと新入部員募集の看板、入部届などを用意してこの廊下に座っている人たちはたくさんいて、遠目にはなにやら易者が集って道端に店を出しているような。
リア充男女の逢引する創立記念館前から脱出したわたしは、香坂先輩についての風評をリサーチするべくここへ移動した。
この学校にはなんと生徒会のファンクラブがある。部として認定されてこそいないが、活動は活発なんだとか。生徒会書記である香坂先輩の情報も持っているかもしれない。
と、思ったのだが、わたしが半端な時間に学食前に来たことを訝しんだ聞き上手な須崎先輩に、さっきの出来事を話す羽目になってしまった。
「記念館前は昼ご飯デートの待ち合わせスポットでねえ。色々と逸話もあるんだけど。この学校の生徒同士が付き合い始めたら、朝二人で校門前の坂を登ってくるのと、昼休みに創立記念館前で会って一緒に弁当をつかうのと、放課後に『バルタン』でだべるのはお約束なの」
ばるたん。スペシウムが苦手なあの‥‥。
「あー『バルタン』てのは学校の近くにあるお手頃価格の喫茶店でね。店長さんがシルヴィ・バルタンのファンなのよ~」
解説ありがとうございます。
「それで? ウチに入ってくれるの? 歓迎するよ~」
「いえその。校内にファンクラブが作られてしまうような生徒会の方々ってどのような人たちなのかな、と思いまして‥」
「あーそこね~。ウチの学校の生徒会メンバーには崇拝者がたくさんいるのよ~。まあ人気のランキングで言うなら三位が会計の大蔵数恵さん、二位が風紀委員長の生駒怜華さん、ダントツの一位が生徒会長の九頭竜那由他さん。
そもそも生徒会ファンクラブは、生駒さんと九頭竜会長の個人ファンクラブがくっついてできたものだから。トップ2に注目が集まるのは自然だよね」
「風紀委員も生徒会に入るんですか」
中学では、委員会と生徒会は区別されていた気がする。
「生徒会執行部は正・副会長と会計・書記・監査と庶務。その他委員会も、うちの学校では生徒会ってひとまとめに呼んでるね~。他校では違うのかも」
「二年生が主体なんですよね」
新二年生がである。驚いた記憶がある。
「そう。去年の会長選挙に一年生の九頭竜さんが出馬した時はみんなびっくりしたけど、あれよあれよという間に勝っちゃった。さすがは理事長の娘さんだよね~」
これはわたしも知っている。この学校の理事長の娘ということは、すなわち九頭竜グループ会長家の御令嬢ということだ。凄いなあいろいろと。
「一年生は入学式の時に遠くから見ただけってひとが多いと思うけど、これから接する機会が増えてくれば、あなたたちにも那由他様の美貌と魅力がすぐに広まるわ~。
執行部がお仕事をしている執務棟には用がない生徒は立ち入れないのだけれど、私たちファンクラブからはボランティアで数名のお手伝いを出してるの。生徒会のみなさんと親しく接することができるって、希望者殺到なのよ?」
須崎先輩の目がキラキラしてきた。会長の呼び方も変わってるし。
でもリアルで様づけとかどうなんだろう。ちょっと引く。
「とにかくみなさんお美しくて優秀なの。神秘的で艶やかな那由他様は、学内のみならず全国区の学力テストでも上位常連だし~。生駒さんも陸上部ではないのに中距離走と長距離走の県記録を持っているのよ~」
風紀委員のトップとして学園の秩序を守る生駒先輩は、金髪碧眼のハーフ美女なのだ。スタイルもすらりとしていてモデル並みにいい。
しかも運動もできるのか。
「大蔵さんもとっても穏やかで知的な美人さんだし~。そんなひとたちの城である執務棟に足を踏み入れることができるだけでも名誉でしょう? 交代制だけど、早期の入会者は優遇できるかもね~?」
やんわりと会員特典を提示してくる須崎先輩。いや、ファンクラブとか本当は興味ないですから。
「女子役員の話題が豊富ですけど、男子の役員は目立たない方が多いんですか」
わたしは香坂先輩の個人情報を得たくて来たのだ。
「ん~そんなことないよ~。執行部だと副会長の川堀月夜くんは美形で有名だよ」
そんなことないっていってますけど、あなた明らかにテンション下がりましたよね。
「他にはどうでしょう」
「書記の子が男子だったかな~。眼鏡でちょっと背が高い二年生の」
まさにそのひとです。彼について聞かせてください! 素行とか交際歴とかディープに細かく。
「書記くんの事はよく知らないな~。普段は忙しそうにあちこち飛び回ってて、なんか生徒会では使いっ走りポジションぽい」
そ、そうなのか‥。才女たちに囲まれて、執行部命令で右往左往してる先輩の姿が脳裏に浮かぶ。不憫だ。
結局、香坂先輩の人品に関わることはほとんど聞けなかった。
「じゃあね~。那由他様たちの魅力が分かってきたら入会考えてみてね~。ウチは掛け持ち大歓迎だから」
もっと勧誘されるかと思ったのだが、須崎先輩はあっさりしていた。今やっているのは、生徒会ファンクラブへの入会者募集よりむしろ告知がメインで、他の部と競合する性質の活動ではないので、これから時間をかけて会員を増やすのだという。
確かに、良く知りもしない人のファンクラブにいきなり入ってくれっていわれても困るよね。
先輩とけっこう話し込んでしまったので、昼休みの時間はもう残り少ない。わたしはお昼を食べられるだろうか。
【校舎見取り図】
北棟:一階に講堂、倉庫。二階と三階は文化部部室(運動部部室は別棟でグラウンド傍にある)
東1棟:一階が図書室、二階に購買、三階は学生食堂
東2棟:教室
西1棟:一階に職員室、応接室、生活指導室、保健室など。二階と三階は教室
西2棟:特別教室。三階に理事長室
執務棟:生徒会室が置かれ、生徒会執行部が活動している。別名「旧館」