ぼーい・みーつ・がーる
ああ、どうしてこんな事になったんだろう。
俺、ことカナタはそう、ちょっとだけ悲しげに心の中で思った。
現在俺は、手足を縄で縛られて、薄汚れた白い幌のかけられた荷馬車の荷台に無造作に転がされていた。
道がそれほど舗装されいないためだろう、大きな石を車輪が超えるごとにガコン、と大きな音を立てる。
その振動が荷台に転がされているカナタにも伝わり、先ほどから何度も床に打ちつけられて体が痛くて仕方がない。
何せ、俺は荷台の木の床へと直に転がされているのである。
もう少し毛布を敷くとか繊細な心遣いをして欲しいものだが、彼らにそれを求めるのはどう考えても無駄のように俺は思えた。
そこで彼らの内の一人が、大声を出して笑う。
「今日は良い拾い物をしたな」
「ああ、一人で良い所のお坊ちゃんが、こんな人気のない道を歩いていたんだからな!」
下品な笑いを浮かべる彼らは、こういった人攫いをして身代金を要求する、そういう下衆だった。
――道を聞いたらいきなりぼこぼこにされてなす術もなく……俺って人を見る目がない。
悲しげに思いながら、俺はこの縄を解く事が出来ないか再度手をひねったり足をばたばたさせるも、まったく緩む気配がない。
こういった時に、足の裾から何処からともなくナイフを取り出して縄を切ったりできたなら小説の主人公にでもなれそうな気もするが、生憎こんな事まで想定していなかったので俺はどうにもならない。
なので随分と巧みな技できつく縛っているらしい縄をじたばたしながら解こうとするしか俺には出来る事がない。
ああそうだ、人の武器を奪ったり……は無理だから、さりげなくどこかに縄の切れそうなナイフか何かでも転がっていないだろうか。
ささやかな期待を持って辺りを見回す俺。
けれど現実は無慈悲で、そんなものが転がっているはずはなく、俺は縛られたままじたばたと再びし始める。
そもそも魔法さえ使えれば、俺はこんな事にならなかったのだ。
だがその魔法を使うための腕輪は、身バレするのを恐れて、魔力を探知できない特殊な布袋に入れてポケットにしまっておいたのだ。
万全を期すために徹底的に痕跡を消し、普通の大人しい一般人になるよう俺は頭をひねって努力し、それっぽく装えていたはずなのだ。
なのでこのザマである。
魔法の使えない魔法使いはただの一般人なので、こうやってあっさり捕まってしまうのである。
しかも所持品を、正確にはちょっとした日用品を普通の麻袋のような目立たないような袋に入れておいたのだが、中を漁られて速攻で貴族の令息だとばれた。
なので現在は身代金目的の誘拐に変更中である。
「ついてない、ついてないよ俺……」
悲しみにくれながら、俺はこのまま身バレして、あんな事になってしまうのかと思う。
身代金誘拐よりも、あちらの方が俺には絶望を感じる。
それは俺が家出をするくらい追い込まれた理由だ。
白羽の矢を立てる人間が、兄弟の中で一番大人しいからという理由なんて酷過ぎる。
やっぱりこう、もっと女の子を追いかけ回すような獰猛さが必要だったのだろうかと、今更ながらに俺は後悔する。
そんな時だった。
ゴスッ ガラガラガラ
荷台の横の部分が……カナタには頭上に当たる場所が一気にえぐられた。
それにより、走っているこの周辺が農地に挟まれた一角であり、空は雲ひとつない快晴だと分る。
頬を撫ぜる風は、傍に咲いている甘い花の香りを乗せて吹き上げる。
開けた世界が、俺の前に広がって、きっとこのままここではない何処かへと行ける! そんな思いにさせてくる……そこまで考えて俺は現実逃避を止めた。
見たのだ、俺は。
壊される荷馬車の横。走り去る少女の影。金色の長い髪、おそらくは美人。
そして彼女が突き出した拳と共に、瓦解する荷馬車。
同時に大きく揺れて荷馬車の動きが止まり、
「くそっ! なんだ一体……ごふっ」
どさっと、大きなものが倒れる音。
ついでに荷馬車の奥の方にいた、カナタを攫った男が二名ほどその音のした方に向かい、ぐふっ、などというどう考えても倒されたとしか思えないような音が聞こえ、同時にどさどさと何かが地面に落ちる音がする。
そして、パンパンと手を叩く様な音がして、
「えーと、こいつが50ゴール、それでもってこっちが70ゴール、でそっちの小物は……0ね。でもまあ、また一緒になって悪さをする前に、突き出しておくか」
少女の柔らかな声。
いい声をしているのだが、お金で人を数えるのはどうなんだろうと思いながら、あいつ等賞金首だったのかと俺は思う。
道理で彼らは手馴れていたわけで、そして俺は待ちに待った獲物だったと。
簡単にそんな罠に引っかかってしまった自分に、俺は悲しさを覚えた。
そこで、とっとっとと、軽快に走る足音が聞こえる。
おそらくは今の声の主であり、この馬車をこんな状態にした少女である。
一難さって一難にならないよう、良い人でありますように、ついでに俺を実家に突き出しませんようにと俺は普段は適当にしか祈らなかった、リーゼ神に懇願するように祈った。
そこで俺の前にひょっこりと少女が顔を出す。
鮮やかな蜂蜜色のきらめく金髪、ピンク色の瞳は無邪気な快活さを秘めて俺を見つめている。
肌は真珠のように滑らかで白く、その容姿は、今まで俺が見た事がないほどの美少女だった。
そんな彼女は、まじまじと俺を見てからほんの少し頬に朱を走らせて、次に首をかしげて、
「あんた、誰?」
「えっと、多分今貴方が倒した方々に、捕まった可哀相で哀れな一般人の少年です」
「ああ、あの120ゴールの奴らね。あいつ等人まで攫っていたのね……物盗むわけじゃ飽き足らず、まったく……」
はあ、と大きく嘆息してその少女は、倒した奴らの方に向かおうとするが、そこで俺は慌てて、
「お願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
その声に彼女は振り返り、
「何?」
「えっと、この縄を切ってもらえないかなと」
俺が少女にお願いすると、少女は瞳を瞬かせてきょとんとした表情で再び首をかしげながら一言。
「……引きちぎればいいじゃない」
「いやいやいや、こんな太い縄を引き千切れなんて言われても無理ですよ……無理ですよね?」
俺は先ほどの馬車の側面を拳で破壊しているような不思議な出来事を思い出して、もしかしてと思い最後の方に疑問形をつけた。
けれど彼女は少し黙ってから、
「……まったく、この程度できないなんて深窓のご令息というわけじゃあるまいし、仕方がないわね」
深窓のご令息、と言う以前に普通の人はそんな事出来ないと思いますが、と言い返そうと思いながらも俺は必死で口をつぐむ。
彼女の気が変わっても嫌だからだ。
多分ナイフの一つや二つ、持っているだろうと俺は期待していたのだが……。
そこで細い彼女の両手が俺の足を拘束している縄に伸ばされる。
更に縄が足に食い込み痛みを感じるが、それを彼女がそれほど力まず左右に引っ張ると同時に、縄が大きな音を立てて引き千切られた。
「え?」
疑問符を浮かべる俺がまじまじと縄を見る。
もしや結び目が解けたのかなと淡い期待を抱きながら縄を見るも、結び目がやたら頑丈に絡まっており、道理で解けないはずだよなという事を俺に再認識させるさせるのみだった。
その状況に固まっているカナタに今度は少女が、
「ほら、背中を見せて。手も外したいんでしょう?」
「は、はい」
頷いて慌てて背を向けると、すぐにぶちっと音を立てて縄が左右に引き裂かれる音が聞こえて手が楽になる。と、
「助かりました」
「そうよ、もしも私がこなかったらどうなっていたのか分らないじゃない。これからはよく考えて行動しなさいね。それじゃあ」
そう言って、再びさっき倒した彼らの所に、傍にあった縄を拾って歩いていこうとする。
先ほどの悪い奴らを縄で縛って逃げられないようにするのだろう。
けれど初対面だが助けてくれた彼女は悪い人間ではなさそうだと俺は思うと同時に、もう少しこの不思議な美少女と接点が欲しいと思ったので、
「すみません、俺、行くところがなくて。どこか紹介してもらえませんか?」
そう、俺は彼女に言ったのだった。