帰る場所―あなたの帰る場所はここよ
帰る場所は、最初から決まっているとは限らない。
それでも、人は見つけることができる。
サウサンプトンを離れたクリスタニア。
船内では、クルーたちによるささやかなパーティーが開かれていた。
リヒトのプロポーズ成功を祝う、内々の祝いだ。
クルーズ部門が密かに用意した白いオフショルダーのドレスを纏い、
レイコは楽しげにクルーたちと談笑している。
その様子を少し離れた場所から見ていたリヒトの隣で、
フォックス中尉が、どこか困ったような顔をしていた。
「どうしたの?」
レイコが声をかける。
リヒトは真顔のまま答えた。
「彼を、どう呼べばいいのか悩んでいる」
「……何の話?」
レイコは首を傾げる。
その反応に、今度はリヒトの方が驚いた。
フォックスはにこにこと笑いながら口を開く。
「実はですね、ヴェイル中佐が、自分の兄さんになったんです!」
「……え?」
「だからレイコ様はお姉様になるんですけど、リヒト様をお兄様って呼ぶのが、どうにも落ち着かなくて」
「ちょっと待って。全然分からないわ。ちゃんと説明して」
レイコが思わず身を乗り出すと、
フォックスは「へへへ」と笑いながら話し始めた。
⸻
セレモニーの後。
ハワード邸のダイニングは、いつもより少しだけ華やいでいた。
エディがローズとの結婚を報告し、
ハワード提督は満面の笑みでそれを祝っていた。
マリア夫人もまた、喜びを隠そうとはしない。
だが、その光景の中で——
フォックスだけが、少し距離を置いていた。
気づけば、彼は犬たちと共に庭へ出ていた。
「いいよな、お前たちは」
フォックスは小さく呟く。
「家族がたくさんいてさ」
犬たちは何も言わず、彼の膝に前脚を乗せ、
静かに頭を擦り寄せる。
その時、背後から柔らかな声がした。
「フォックス。アップルパイが焼けたの。一緒に食べましょう?」
マリア夫人だった。
フォックスは、顔を上げなかった。
少しの沈黙。
やがて、マリア夫人は静かに続ける。
「ねぇ、フォックス」
「前からずっと思っていたのだけれど——」
「よかったら、私たちの息子になってくれないかしら」
フォックスの肩が、わずかに揺れた。
「ご両親の代わりにはなれないかもしれない。でも、あなたを愛することはできるわ」
「今すぐでなくてもいいの。考えてくれたら、それでいい」
少しだけ、いたずらっぽく笑う。
「雷親父がお父様になってしまうけれどね」
フォックスは、ゆっくりと顔を上げた。
「……フォックス」
「抱きしめても、いいかしら」
その一言で、彼の表情が崩れた。
マリア夫人は、優しく彼を抱きしめる。
「あなたの帰る場所は、ここよ」
フォックスは、声を出さずに涙をこぼした。
⸻
その様子を窓越しに見ていたハワード提督が、静かに言う。
「自慢の息子が増えるだけだ」
「お前は弟が二人になるな」
隣のエディは苦笑した。
「フォックスはともかく……あのリヒト様が素直に“兄”を名乗るかは怪しいですが」
⸻
こうしてフォックスは、ハワード家の養子となった。
そして何より——
レイコを姉と呼べることを、誰よりも楽しみにしていた。
⸻
「……っていう話なんです」
フォックスは満面の笑みで締めくくる。
レイコは、しばらく言葉を失っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「本当に、もう……」
そして、少しだけ優しく微笑んだ。
「これからは、フォックスじゃなくて、ロバートね。ロバート、お姉様って呼んでくれない?」
「お、お姉様!」
レイコは思わずロバートを抱きしめた。
それを見たリヒトは、少しだけムスッとする。
「もう淋しくないわね」
名前が変わっても、変わらないものがある。
それが、きっと“家族”というものなのだと思う。




