第51話 祈りの向こう側へ―最終話―
「ここはね。父様と母様と暮らしていた家だよ」
扉を開けながらそう言えば、後ろに立っていたセラが静かに室内を見回した。
古い家ではあるけれど、丁寧に手入れはしている。
窓辺には小さな花瓶。
磨き直した机。
乾燥中の薬草。
そして、本棚。
「……落ち着く場所だな」
ぽつりと零れた言葉に、嬉しくなる。
「そう?」
「ああ」
セラは短く答え、ゆっくりと室内へ入ってきた。
お茶を準備して、小さなテーブルに向かい合って座る。
湯気の立つカップを挟みながらも、どこか落ち着かない。
聞きたいことが、多すぎた。
「あの後……どうなったの?」
私の問いかけに、セラは静かに視線を伏せた。
そして、ゆっくりと話し始める。
「あの時、俺は消えたわけじゃない」
低い声が、静かな部屋に落ちる。
「制約を破った瞬間、強制的に天界へ戻された」
思わず目を見開いた。
「そのまま、天使としての権限も、その場でほとんど剥奪された」
淡々とした口調だった。
けれど、その裏にあったものを想像すると、胸の奥が少し痛む。
「かなり怒られた」
「……そうだよね……ごめん」
思わず謝れば、セラは小さく首を横に振った。
「その後は、下界を映す鏡から戦いを見ていた」
王宮での最後の戦い。
セラが消えたあとも、私は戦い続けた。
きっと、あの光景を全部見ていたのだ。
セラは静かにこちらを見つめる。
「……本当に、全部守ったんだな」
その声は、少しだけ安堵しているようにも聞こえた。
「セラが、できるって言ってくれたからね」
その言葉に、セラはわずかに目を見開いた。
まるで、そんなふうに受け取られているとは思っていなかったみたいに。
やがて小さく視線を伏せ、どこか困ったように笑う。
「……あれは、事実を言っただけだ」
小さく零れた声は、以前よりずっと穏やかに聞こえた。
以前のセラは、もっと感情の薄い話し方をしていた。
冷たいわけではない。
けれど、どこか人から距離を置いているような――そんな空気があった。
けれど今、目の前にいるセラは違う。
表情も、声も、どこか柔らかい。
「……少し、変わったね」
そう呟けば、セラは不思議そうにこちらを見た。
「そうか?」
「うん。前より、人っぽい」
その瞬間、セラがわずかに眉を寄せる。
「……それは、たぶん」
一度言葉を切り、静かにカップへ視線を落とした。
「人間になったからだろうな」
思わず瞬きをする。
「……え?」
「制約違反の罰だ。天使としての権限を剥奪されて、下界へ落とされた」
淡々と語る口調。
けれど、不思議と悲壮感はなかった。
「最初は面倒だった」
セラは静かに続ける。
「空腹も、疲労も、痛みもある。眠らないと動けないし、怪我もする」
以前のセラなら、きっとそんなこと気にも留めなかったのだろう。
「でも――悪くないと思った」
その言葉に、胸の奥が小さく熱くなる。
「天使になる前……遥か昔、私はある世界の救世主と呼ばれていた」
セラは静かな声で続ける。
「その頃の私は、世界を救えばいいと思っていた」
感情の薄い、淡々とした口調。
「そこに生きる人間が何を想っているのかも、守った先でどう生きるのかも、考えたことはなかった。ただ戦って、終わらせただけだ」
その戦いの果てに、セラは天界へ迎えられ、そのまま天使になったと言う。
「それからは、与えられた役目をこなしていた。ずっとな」
静かな声だった。
けれど、その言葉にはどこか空白のようなものが滲んでいる。
「……制約を破った天使は、本来なら魂へ還る」
思わず息を呑む。
魂へ還る――つまり、“セラ”という存在は消えるということだ。
「光へ戻って、記憶も何もかも失って、また新しい命になる」
淡々と語りながら、セラは静かにカップへ視線を落とした。
「だが、私は消されなかった」
小さく零れた声が、静かな部屋に落ちる。
「制約を破った“罰”として、“セラ”のまま人間として下界へ戻された」
セラはゆっくりと目を細める。
「神はたぶん、人として生きろと言いたかったんだ」
感情のままに笑って。
傷付いて。
誰かを大切に思って。
天使になってから、遠ざかっていたものをもう一度――
「そういうものを知れと、言われている気がした」
その声音は、どこか穏やかだった。
「下界に戻されてからは?」
私が尋ねると、セラは静かに椅子へ背を預けた。
「生活費も必要だったからな。しばらくしてハンター登録した」
「……セラが?」
「ああ。元々戦うのは慣れてる。魔力も多少は残ってたから、ランクはすぐ上がった」
“多少”で済む量じゃないんだろうな、と思う。
王宮での戦いを見ていた私にはよくわかる。
「今のランクは?」
「Sランク」
「……そうだと思った」
思わずそう返せば、セラがわずかに眉を動かす。
「何だそれは」
「だって、セラだし」
そう言うと、セラは一瞬だけ呆れたような顔をして――小さく笑った。
つられるように、私も笑ってしまう。
静かな部屋に、穏やかな空気が落ちた。
しばらくして、私はふと思い出したように口を開く。
「そういえば……私も、そろそろパーティを探そうと思ってたんだ」
「パーティ?」
「うん。一人だと受けられない依頼も多いし」
そう説明すると、セラは少しだけ考えるように目を細めた。
「……なら」
短く区切って、静かにこちらを見る。
「組むか?」
一瞬、言葉の意味を理解するのが遅れた。
「……え?」
「まあ……あれだ……そのつもりでリナを探していた」
どこか言いづらそうに視線を逸らす姿に、思わず瞬きをする。
「……最初から?」
「ああ」
短い返事。
けれど、その声はどこか気まずそうだった。
なんだかおかしくなって、思わず笑ってしまう。
「ふふ……何それ」
「笑うところか?」
「だって、セラらしくなくて」
そう言えば、セラは小さく眉を寄せた。
けれど次の瞬間、諦めたように小さく息を吐いて――わずかに笑う。
その穏やかな表情を見た瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「……うん。よろしくね、セラ」
「ああ。よろしく、リナ」
窓の外では、風が静かに木々を揺らしていた。
♦︎♦︎♦︎
数日後――。
ギルドで正式なパーティ登録を終えた私たちは、朝早く町を出た。
陽射しが、街道を柔らかく照らしている。
「そういえば、リナのランクは?」
街道を歩きながら、セラが思い出したように尋ねる。
「Cランク。まだ登録してそんなに経ってないし」
そう答えると、セラは小さく頷いた。
「十分早い方だ」
「……いつか追いつくから」
そう言えば、セラがこちらを見る。
「無理はするな」
「努力するって意味だよ」
むっとして返せば、セラはわずかに口元を緩めた。
「最初の依頼は東の村だったな」
「薬草採取も兼ねられるんだよね」
そんな他愛ない会話を交わしながら歩く。
ふと隣を見れば、セラが静かに空を見上げていた。
「……どうしたの?」
「いや」
セラは小さく目を細める。
「悪くないと思ってな」
世界は今日も変わらず広くて、まだ知らない景色が、この先に続いている。
私は小さく笑って、前を向いた。
「行こう、セラ」
「ああ」
止まっていた運命は、もう動き出している。
今度は誰かに決められた道じゃない。
心の奥で、エルデナの加護が微かに温かく脈打つ。
きっとこれからも、私は“エルデナ”として生きていくのだろう。
誰かを導き、誰かを救う日が来るのかもしれない。
けれど――不思議と、不安はなかった。
隣には、セラがいる。
それだけで、どんな未来も乗り越えていける気がした。
踏み出す。
自分たちで選んだ、新しい旅へ――。
終わり
拙い文章を最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
想像だけがどんどん膨らみ、うまく表現できていないところばかりです。
自分の語彙力の無さに、落ち込みました。
それでも、最後まで描けてよかったです。
また新しい物語が生まれたら、挑戦したいと思います。




