5、カンナちゃんの誕生日会
ヨネ婆さんの所へ行った翌週、僕はカンナちゃんの誕生日会に来ていた。
お母さんと一緒に折り紙セットのプレゼントを買って、別の手土産としてなぜだか漬物を持たされた。
お母さんはヨネ婆さんに切り分けてもらった大根と白菜の漬物がひどく気に入ったらしい。
あまりに美味しい美味しいと喜ぶものだから、ヨネ婆さんがぬか床を分けてくれた。
「新しい素材を入れてみる時のお試し用に小さい樽もいくつかあるんだ。
これに入れて持って帰るといい」
結局手土産をもらって帰ってきてしまった。
ついでに今度また美味しい漬け方を教えてもらいに行くらしい。
それまでの間は、いつ混ぜて何を漬けて、いつ取り出すかまで詳しく書いてもらっていた。
「いや、びっくりしたよ。あのヨネ婆さんが次の約束までするなんて初めてだよ。
よっぽど気に入られたんだね、紫奈ちゃん」
帰り道で夏目さんがひたすら感心していた。
「那人の会社に援助したのだって奇跡だと思ってたんだ。
昔は困った人によくお金を貸してたらしいけど、一度タチの悪いヤツにしつこくお金を無心されてさ、最後は強盗まがいの事をされて、命の危険さえあったらしい。
それ以来、他人にお金を貸すのはやめたって言ってたからさ」
その話は、漬物を切りながら、ヨネ婆さん自身も僕達に話していた。
「あの夏目って男は、金に困った人間を見るとすぐに私に貸してやってくれないかって言ってくるんだけどさ、いつも断ってたんだよ。もう面倒に巻き込まれるのはごめんだってね」
ヨネ婆さんは大根の漬物を、楊枝に刺して僕に渡してくれた。
コリコリ言わせながら食べると、丁度いい酸っぱさで本当に美味しかった。
「でもあんたの旦那だけは本当にいいヤツだから助けて欲しいって頭を下げにきてね。
事情だけでも聞いてやってくれって言うもんだからさ、気に入らなければたとえあんたの親友でも貸さないよって言ったんだけど、それでいいから会ってくれってしつこいんだよ」
ヨネ婆さんは、ふんっと笑った。
「あの子は口は悪いし言いたい放題な男だけどね、呆れるぐらい正直なんだよ。
そして情に厚いっていうかね、困ってる人間を放っておけないんだろうね。
自分に金を貸してくれとは一度も言った事もないくせに……。
まあ……懐が広すぎて結婚には不向きだけどね」
夏目さんが大学を出たての頃に紹介されてから、一方的に懐かれているらしい。
「でもまあ、あんたの旦那に会って、夏目の言う通りの男だと思ったよ。
あれは夏目に輪をかけたお人よしだね。
悪いヤツに騙されないよう奥さんが気をつけないとだけど……、あんたもまた騙されやすそうな子だね」
ヨネ婆さんは、嬉しそうに漬物を頬張るお母さんを見てため息をついた。
そしてそんなお母さんを心配そうに見守る僕に視線を向けた。
「一番頼りになるのはあんたかもしれないね」
「え?」
「子供のくせに強い覚悟を感じるね。
目に見えぬ存在と、何か約束でも交わしたようにね……」
ヨネ婆さんは意味深に僕に笑いかけた。
僕はヨネ婆さんはきっと人の心が読める魔法使いなのだろうと思った。
…………………………
「ハッピバースデイツーユー、ハッピバースデイツーユー……」
テーブルを囲んでのお誕生日会は、カンナちゃんとその弟と、バラ組の女の子三人と僕だけだった。
男は僕と弟だけだ。
とても居心地が悪い。
プレゼントを渡したら、さっさと帰ろうと思っていた。
女の子達で作ったという丸いケーキは生クリームがゆる過ぎて雪崩れを起こしそうになっている。
5本のロウソクも安定が悪いのかあっちこっち向いていた。
歌い終わってカンナちゃんがふうっと吹いたら、一本倒れて生クリームが少し片側に流れた気がする。
そして昔お母さんが作ったケーキもこんなだったと思い出した。
「おめでとう! カンナちゃん!」
ロウソクが消えたと同時にみんながカンナちゃんにプレゼントを差し出した。
僕もみんなに紛れてそっと渡そうと思っていたが、僕が紙袋からプレゼントを出すと、一斉にみんなの視線がこちらに向いていた。
「きゃあああ! ユヒくんからのプレゼントよ!
良かったね、カンナちゃん!!」
ヒロミちゃんが大声で余計な事を言う。
「お、おめでとう。カンナちゃん」
僕は仕方なくお祝いを言って注目の中でプレゼントを渡した。
「ありがとう……。ユヒくん……。う……うう……」
ええっ!? なんで泣くの?
カンナちゃんはすぐに泣く。
苦手な女子だ。
カンナちゃんが僕から受け取る瞬間、パシャパシャとカメラのフラッシュが光った。
カンナちゃんのお母さんが、物凄い望遠レンズのカメラで写真を撮っていた。
もう嫌だ。
カズくんの言う通り、女の子の誕生日会なんて来るもんじゃない。
早く帰りたい。
「開けてもいい? ユヒくん」
カンナちゃんは涙を拭いながら尋ねた。
「……うん」
そうは言ったが、この注目の中で開けるのかと、本当に逃げ出したかった。
「わああ、綺麗……」
カンナちゃんは、折り紙セットに目を輝かせた。
様々な大きさと柄の折り紙がプレゼント用にセットされた物だ。
僕は全然いいと思わなかったが、お母さんがこれがいいと言うので決めた。
「出してみてよ、カンナちゃん」
ヒロミちゃんは本当に余計な事ばかり言う。
もう僕のプレゼントはいいから他の人のものに移って欲しい。
カンナちゃんは言われるままに透明な袋にラッピングされた折り紙をぎこちなく出そうとしている。
その不器用な手先を見て、僕は嫌な予感がした。
この不器用さに覚えがある。
そうだ。
お母さんだ。
このシチュエーションと流れは、お母さんが大失敗する時の前段階とそっくりだ。
「あの、カンナちゃん……」
「あっっ!!」
僕が声をかけたと同時ぐらいにカンナちゃんが叫んだ。
無理に引っ張りだそうとして袋が破れて折り紙が散らばった。
しかもゆるゆる生クリームのケーキの上に……。
「……」
シン……と、場が静まりかえった。
やっぱりやった。
ありえない。
そもそも何でケーキの上で出そうとしたのか。
だいたいこの手のタイプの人は、これをすればどんな失敗が想定されるかという予測をしないのだ。
僕は毎回お母さんの失敗を見てきたから、人より慎重に予測をたてる。
「うわああああ~んんん!!!」
カンナちゃんが大声で泣き出した。
「た、大変。折り紙が……、ケーキが……」
「ケ、ケーキはちょっとグシャグシャだけど食べられるわよ、心配ないわ」
「お、折り紙はこうしてぬれ布巾で拭けばなんとか……、あ、破れた」
「うわあああ~んん!!」
すごい修羅場になってしまった。
呆然と見守る僕の前で、カンナちゃんのお母さんやヒロミちゃん達が折り紙を集めてクリームを拭き、カンナちゃんをなだめている。
本当に来なければよかった……。
……………………
「じゃあ僕はこれで……」
なんとかカンナちゃんも泣きやんで、料理やお菓子を食べ、ケーキも食べた。
ケーキは切り分けると生クリームがあっちこっちに流れて、丸ケーキの原型をとどめていなかった。
だがまあ、一応まずくはなかったから良かった。
この後みんなでトランプをしようという話になったが、僕は帰る事にした。
玄関までみんなに押されてカンナちゃんが見送りに来てくれた。
リビングのドアごしにみんなが顔を出している。
カンナちゃんのお母さんはカメラの望遠レンズをこっそりこちらに向けていた。
「ごめんね、ユヒくん。せっかくくれたプレゼントをグシャグシャにして……」
カンナちゃんはしょんぼりと、また目に涙を浮かべている。
「いや、僕は全然気にしてないよ」
そもそもあげた物なのだから、生クリームがつこうがどうでもいい。
「本当は怒ってるんでしょ? カンナの事嫌いになったでしょ?」
「そ、そんな事思ってないよ」
まあ、もう二度と女子の誕生日会には行かないと決めたけど……。
「嘘だ。やっぱりカンナの事嫌いになったんだ。う……うう……」
カンナちゃんは、また泣きそうになっている。
「ちょ……、ホントに嫌ったりしてないって……あ、そうだ。これ渡すの忘れてた」
僕はいいタイミングで漬物を渡すのを忘れていた事に気付いた。
「これは魔法使いのお婆さんにもらった漬物なんだ。
これを食べたらきっと楽しい気分になるよ。
そしていつも笑っててくれたら、僕も嬉しい」
「ユヒくん……」
パシャパシャとカメラのシャッター音がむこうで聞こえている。
カンナちゃんは今度は嬉しくて泣きそうになっていた。
「じ、じゃあ、僕はこれで……。
今日は誘ってくれてありがとう」
なんだかキザな事を言ったような気がして、僕は逃げるように玄関を出た。
その去り際までカメラのフラッシュが光っていた。
まるで芸能人の記者会見みたいだった。
なんだかカンナちゃんは将来僕のお母さんのようになりそうな気がする。
なんで僕の回りの女子ってこんなタイプばかりなんだろう。
僕は一生お母さんのような女性を心配してフォローする運命なのかもしれない。
なんでそんな失敗するんだよっ!……って怒鳴りたくなる事ばかりだ。
「僕……神様との約束を守れるかなあ……」
帰ったらまたお母さんが「ユヒくんごめん」と言いながら駆け寄ってくる気がする。
でも……
でも、僕は今とても幸せだと感じている。
早く……
早くあの陽だまりの家に帰りたいと……
心から思うのだった。
完
完結です。
番外編にも関わらず、予想外にたくさんの方がお読み下さり、とても嬉しいです。本当にありがとうございました。