第1話 『婚活開始』
「4月から研修医だし、遊んでいる場合じゃないんだよね」
2つ上の恋人がそう告げた。
国家試験合格の報告を聞いてからの、初めてのデートだった。お祝いをしようとおしゃれしてきた自分がバカみたいだった。
「遊んでる場合じゃないって……
私との付き合いは遊びだった、ってことですか……?」
彼は写真部の先輩で、
私は彼と将来を見据えて、お付き合いをしていたのだが
彼のほうは違ったようだ。
「そうじゃないけど……
一ノ瀬の家、医者じゃないじゃん。
だから、親もあんまりいい顔してなくて。お互い将来考えるなら早い方がいいだろ」
こうして私、一ノ瀬 叶梨の恋は終わりを告げた。
彼がその時つけていた800万はするロレックスのデイトナばかり見ていた。
3月下旬。
まだ少し冷たい風が、大学構内の咲いたばかりの桜の枝を揺らしている。
ここは東京都にある中堅私立医大――桜友館大学医学部。
春休みに何故わざわざキャンパスまで足を運んでいるかというと
今日は来年一年間をかけて行う、ポリクリの実習班が発表を見るためだ。
「叶梨、おはようございます」
親友の二階堂 結衣と校門前で待ち合わせて、私たちは学内掲示板へ向かう。
「おはよう、ねえ聞いて。
関根先輩と別れた」
「それはまた急な」
結衣は心配そうに眉を寄せる。
「向こうは学生時代だけの彼女って、決めてたっぽい。
国家試験合格したって聞いたから、やっとデートできると思ったらこれだよ。
だからさ!」
私は振られても落ち込んでいません、アピールをするために、
手を大きく広げて、努めて元気に見せてみる。
「金の卵、また探すから!」
結衣はくすっと笑った。
地毛の黒髪ボブにカチューシャといういで立ちなので、学内ではあまり目立たないが
彼女の顔はとても整っているので
その笑顔には女の私でもドキッとさせられてしまう。
「叶梨はブレませんね。玉の輿、頑張ってください」
そう、私は4月から医学部5年生。
何を隠そう玉の輿を狙って医学部に入った女である。
子供のころから「玉の輿」にあこがれていた。
お姫様たちがキラキラのドレスを着て社交界で華麗に踊る物語が好きだったが
現実では一般家庭で、姉のおさがりばかり着させられていた。
私がこの世界に行くにはどうしたらいいだろう、
シンデレラみたいに、王子さまに見初められればいいのか。
つまり――「玉の輿」だ。
その方法を小学生時代から真剣に考えていて「玉の輿に乗る方法」で検索してみた。
――芸能人、モデル、アナウンサーになり、実業家に見初められましょう。
美貌で勝つってこと? 自慢ではないが私の容姿は十人並みに毛が生えたくらい。無理無理。
――大手企業に入社して、社内結婚を目指しましょう。
優秀な人の競争率ってめちゃくちゃ高いんじゃないの? 私にできる?
――金の卵が集まる場所に行って、青田買いしましょう。
それだ!
小学生の私は、金の卵が集まる場所を必死に考えた。
その、採卵場がこの「私立大学の医学部」というわけだ。
医者という仕事は「高給取り」の代表格というのは言うまでもないが
食いっぱぐれのない手堅い安定職でもある。
他の高給取りの仕事、例えばパイロットだとか実業家とかなんかは、その職業や肩書を男性が得てから捕まえるしかないので、その時点ではかなり競争率が高くなっている。
一方医学部は卒業後ほぼ100%この職業に就く、というなかなか珍しい学部で、
青田買いにはちょうどいい。
さらに私は「私立大学」というところにこだわった。
国公立大学医学部に比べて、私立大学医学部の学費は6年間で平均3200万円。
この学費を出せるなんて、実家も相当経済力がないと難しいだろう。
ちなみに、我が家は一般家庭のサラリーマンである。
貧しいわけではないが、私立大学医学部の学費をポンと出せるほど、豊かな家ではないので
父親に志望校を言った時には、手ががくがくと震えていたが
そこは親孝行というところで、私は成績優秀者がもらえる奨学金で通っている。
私の通う桜友館大学医学部は一学年120人、そして男女比は84:36
選り取りみどりだ。
もちろんこの中で私に事を気に入ってもらい、結婚まで至るのは簡単ではないことだが
世に放たれた獲物(高収入達)を手に入れるためのサバイバルをするよりかはよっぽど確率が高いはずだ。
ちなみに先に出てきた元カレーー関根仁先輩ももちろんそれを視野に入れて付き合った人だ。
彼は東京都内の開業医の息子で、後輩たちにも有名なほど羽振りの良い先輩だった。
そのうわさを聞き付けた私は、
ソッコーで同じ部活に入って、先輩好みの服を着て、もうアタックして金の卵を捕まえた。
なのに、このザマだ。
やはり人生というのは甘くない。
だが私は諦めない、学生時代の彼氏と結婚できなくても、
女医という肩書きが手に入れば、他のハイスぺにも出会える確率は高いでしょう。
まあ、そんなわけで私は猛勉強の末に、私立大学医学部に現役で入り
奨学金まで手に入れるという快挙を成し遂げた。
そして、無事に進級を重ねて今、5年生になる。
医学部5年生――というのは学生婚活をするラストチャンスだ。
6年生になったら国家試験の勉強とマッチング(いわゆる医師の就職活動)で忙しい。
だから、この一年で決める。
この一年で、最高の結婚相手を捕まえて見せる!
結衣とともに、大学の掲示板に向かうと
そこは発表を待つ学生たちでごった返していた。
「この実習班のメンバーが、この一年間を左右するらしいですよ」
隣で結衣が小声で言う。
「優秀な(金の卵の)人と一緒になれるといいよねー」
ポリクリというのはいわゆる臨床実習のことであり、
医学部生が実際の診療現場を体験するべく行われるものだ。
一週間のローテーションで、大学病院のほぼすべての科を回る。
5年生のポリクリ実習班は一年間固定で当直もレポートも評価も、この班。
優秀な人と一緒になれば作業が楽だし、性格悪い奴と一緒だと苦労する。
だが、つまりここで金の卵と同じ班になれば、
一年間ほぼ毎日顔を合わせる。落とすチャンスは爆増。
これは神様が与えた最終チャンス。
神様、面倒な奴も劣等生も私が全部引き受けます!!
だからーー金の卵と同じ班にしてください~~……!!!
医学部五年間で一番真剣に祈っていた。
すると大学事務の人がA3のクリアファイルを持ってやってくる。
きた!ついに発表!
職員さんが掲示板に貼り付けるのを学生たちは固唾をのんで見守った。
そしてーー。
―――――――――――――――
第五班
相沢 遼
朝倉 愛理沙
一ノ瀬 叶梨
橘 和真
谷口 直哉
二階堂 結衣
――――――――――――――――
「よっしゃあああああああああ!!」
「叶梨、声大きいですよ。そんな合格発表レベルで喜ぶ要素ありましたか?」
「え! あ、あははー結衣と一緒なの嬉しくてさ」
私は思わずごまかす。
神様ありがとう。
医学部ありがとう。
学費高くて、毎回成績落とさないの必死だけどありがとう。
大声を上げてしまうほど
男子メンバーはなかなかいい人材がそろっていた。
まず相沢 遼。
元サッカー部所属の爽やかイケメン。一浪なので、歳は私よりも一つ上。
医学部は勉強一筋、というタイプが多いのかと思いきや意外とスポーツマンが結構いる。
4年生の時は主将まで務めた実力者みたいだけど、実習に専念するために一足早く引退したらしい。割と堅実っぽくて好印象。
日に焼けた肌がインドアの多い医学部ではよく目立っている。
実家は栃木県の江戸時代から続く老舗和菓子屋だそうで、都内にも店舗があるほどの有名店らしい。
一般家庭育ちの私からすれば実家が医療関係者じゃないのもポイントが高い。
次に谷口 直哉。
関西弁がチャームポイントで、明るく飲み会などでは目立つ存在だ。
実家は大阪で開業していて、兄も京都大学医学部卒という医者家系の次男という優良物件。
注意点は留年生であること。
パチンコ・競馬やらのギャンブルにハマって4年生の時のCBTに落ちて留年している。
でも医学部で留年はそんなに珍しいことではないので、まあこれくらいは目をつぶろう。
そして、橘 和真。
癖毛のない真っすぐなサラサラの髪の毛。
顔は学年で一番のイケメンというほどではないが、パーツ一つ一つが整っていて磨けば光りそう。
身長は176 cmとスタイルも良く薄手のニットにジーンズというシンプルな格好を着こなしていた。
おしゃれ過ぎないところが好印象……と思いきや その一つ一つがブランドもの。
服にはアイロンが丁寧にかけられていて清潔感もあった。
長野出身で一浪しているから私よりも一つ年上。
特待生。
バドミントン部。
実家は400床規模の総合病院で、彼はそこの三代目だそうだ。
一人っ子でこの病院は彼が継ぐことが決まっている。
条件は完璧だ。
……好きです(経済的に)。
玉に瑕というべきか、気になるのはよく居眠りをしているところ。
休み時間は机に突っ伏して寝ていることが多く、
ともすると授業の時もたまに船を漕いでいる。
いつも眠そうに目をこすっているが、さすがは特待生というべきか単位や試験を落としたことはないようだ。
「なかなかいいカードをを引いたわ。神様、ありがとうございます!」
私が神に感謝していると背後から声をかけられた。
「何そんな嬉しそうなの?」
この声――。
振り向くと、そこには橘和真ご本人がいた。
「え!? いや別に!?」
「いや顔」
「顔?」
「すごいニヤニヤしてるから」
橘くんの大きなたれ目が、弧を描く。
しまった。大本命馬に変なところ見られた。
実習班初日の第一印象:不審者。
「同じ班だね。よろしく」
橘くんが右手を差し出したので、私もそれにつられる。
その手は大きくて、温かかった。
心拍数がCBT合否メール開封前レベルに達する。
「一年長いけど、頑張ろう」
「うん!」
条件抜きにしてもかっこいいのが一番厄介。
その夜。
私がお風呂に入って日課の「婚活ユーチューバーのお悩み相談生配信」を見ていると
スマホが震えた。
画面を見ると、3歳年上の姉から連絡が来ていた。
彼女は中堅私立大学を卒業後、一般企業に就職し、OLをやっている。
今は合コンで捕まえた大手証券マンと交際しており、
私よりもずっと美人でスタイルがよく、かつ男心をよく分かっている恋愛強者。
いわばサバンナに解き放たれた獲物を自力で捕まえてこれるタイプだ。
私の玉の輿への憧れは、彼女が作ったと言っても過言ではない。
【一ノ瀬 くるみ :ポリクリ班の発表どうだった?
研修医終わるまでに婚約者捕まえとかないと婚期逃すからね 】
怖いことを言う。
【一ノ瀬 叶梨 : 任せて 】
そう私は返信した。
姉の脅し文句は正しい。私の玉の輿計画には一つ誤算があった。
私立大学医学部は金の卵の採卵場であるのは間違いないが
恋愛強者の姉が言うには、「ハイスぺ女子」は逆に貰い手がないらしい。
自分自身が高給取りで安定職であるぶん、相手に求める条件も高くなるし
家父長制の根強い日本では、男性は自分よりもハイスペックである女性は
プライドが傷つけられるのか、あまり求められていない。
仕事もハード。
医師は大学卒業後、
初期研修医、後期研修医、そしてそののち専門医を取得してようやく一人前だ。
どれだけ順当に行っても、一人前になるころには30歳を過ぎている。
女性の婚活市場では圧倒的に出遅れているというわけだ。
だからこの1年のうちに、私は金の卵を捕まえるしかない。
そんな決意を胸に、翌週からポリクリ実習が始まった。
第五班も白衣姿で病棟のナースステーションに集まった。
まず最初に回るのは脳神経内科だ。
「今日は研修医の先生について病棟を回ってもらいます。
まず一週間一緒に回るペアを決めますね」
担当教員にそう言い渡され、ペア決めのくじを引かされる。
紙を開くと、そこには「橘」と書いてあった。
まずは橘 和真か。
バトミントン部の、長野県の大病院の息子だ。
「あ、俺たちペアだね。よろしく」
「うん、よろしくね」
これから一週間、ずっと一緒に回れる。
容姿は完璧、家柄も
後は性格に難がないか見極めたら、ガンガンアタックしていこう。
「緊張してる?」
「してないよ!?」
「難しい顔してる」
「そ、それはそうかも……」
橘くんは笑った。笑うと目じりが垂れて、一層優しい表情になる。
横顔、かっこよすぎる。
病室のベッドの前で研修医の先生の足が止まる。
「田中さん、失礼しますね。
今日から学生も担当させていただきます、じゃあ二人とも、自己紹介して」
「は、はい!」
そうだ、色恋ばかりにかまけてもいられない。今日は大事なポリクリ初日。
実習の点数が、そのまま成績になり進級できるかどうか決まる。
患者さんには医者も学生も関係ない。
真面目に、真摯に、対応しなきゃーーーー。
……その日の私は――
自己紹介で噛み、
そして頭を下げたところで持っていた資料の束を落としてぶちまけ、
拾おうとしたところで、お尻を点滴スタンドにぶつけ倒した。
ピタゴラスイッチ。一人劇場。
実習評価的にも、好感度的にも最悪だ。
研修医の先生は「明日から気を付けてね」と優しい言葉をかけてくれた。
ま、まあ患者さんと先生には迷惑はかけたし恥ずかしかったけれど
「一ノ瀬さん」
「え? 何?」
「まだ学生で甘く見てもらえる部分もあるし、
ポリクリは気楽っていう人もいるけど、もうちょっと真面目にやろう」
「あ、ああ…うん…」
まさかの。ターゲットに注意された。
図星を突かれた私の顔は熱くなる。
そうだけど……
そうだけど……!!!!!
真面目じゃない、みたいな言い方ムカつくーーーーーーー!!!!!!
橘くんだって、教授の長話の時はよくうたたねしてるくせに、不真面目さで指摘されるの、ムカつく。
そうしてポリクリ初日は終わった。
この時の私はまだ知らなかった。
この一年が、私の“計算”を、全部壊すことになるなんて。
これは。玉の輿狙いで医学部に入った私が、本気の恋を知るまでの物語。
――開幕。
次は本日18〜19時更新予定




