-鬼灯の送り火- 13
午前中だと言うのに、もう真昼のような暑さであった。
軒下の狭いベンチに、幹久と恭一郎は、避難するように座っている。
しかし、ホームのコンクリートからの照り返しが、容赦なく二人を焼いた。
「異常な暑さですね・・・・」
幹久は額の汗をぬぐい、遠くの木々のきらめきを眺めながらつぶやいた。
しかし、返事の代わりに何やら悲痛なうめき声が聞こえ、ふと、幹久は隣に座る恭一郎を見やる。
「恭一郎さん、どうしたんですか・・・?」
「朝起きたら、全身の節々が痛くてな・・・年寄りになった気分だ」
「・・・大丈夫ですか?」
「・・・多分、二、三日で治る。お前も、顔色悪いぞ」
「え、あぁ・・・ちょっと頭が痛くて。慣れない暑さにやられたんだと思います」
恭一郎は後ろ首をさすりながら、眉間にシワを寄せた。
その様子に、幹久は慌てて言葉を継ぐ。
「あ・・・えっと、大丈夫です。さっき診療所に挨拶しに行った時に、鎮痛剤をいただいたので・・・・あの、恭一郎さんも見てもらった方が」
「いい・・・」
「あの・・・家で、寝てて良かったんですよ」
「誰も見送りがいないと寂しいだろ」
明け方頃、アヤメの容体は回復し、胎児の心音も確認された。
そんなアヤメの無事を見届けると、夢彦と薫は緊張の糸が切れ、気絶するように眠ってしまったのである。
夢彦の両親と兄も、いつも通り診療所を開けなくてはならなかった為、駅までの見送りは出来なかったのであった。
「でも、ビックリしました・・・姉さんが、そんな大変な事になっていたなんて」
「お前、夕方に宿にいなかったらしいな。何処に行ってたんだ?」
「・・・昼に行った沢に、もう一度行きたくなって」
「お前、あそこは陽が沈んだら真っ暗だろ!なんて危ないことをしてるんだ!!」
「そ、そう言われると思って、宿の人にも行き先を言わずに出掛けたんです」
「・・・ちょっと待て。お前、夢彦の兄貴の伝言を、いつ聞いたんだ?」
「・・・・」
「・・・・」
「考えながら沢で寝落ちしまして・・・・明け方に戻ってから・・・」
「寝落ち!?」
「星は綺麗だし、涼しいし、水の音が眠気を誘ってっ・・・・」
「・・・お前、たまにブッ飛んだ事をするな・・・」
恭一郎が大きな溜息をつくと、幹久は申し訳なさそうに身を縮こまらせた。
しかし、ケンカ別れしてはなんだと、恭一郎は苦笑いを浮かべ、幹久の腕を軽く叩く。
「まぁ・・・無事に戻って良かった」
「すみません・・・」
「――俺のせいか」
「え?」
「昨日の昼間、なんか気にさわるような事をしただろ」
「あ・・・えっと・・・」
「悪かった」
「――違います。恭一郎さんに、非はありません」
幹久は立ち上がると、これ以上ないほど完璧な角度で頭を下げた。
あまりに改まった様子に、恭一郎は目を丸くする。
「八つ当たりです」
「や、八つ当たり・・・?」
「恭一郎さんが、うらやましくて・・・」
恭一郎が怪訝な顔をすると、幹久は悲壮な顔でうつむいた。
そんな幹久に、恭一郎は焦燥の色を浮かべる。
「誰かを置いて、独りでも平気で前を向ける姿が、うらやましかったんです」
蝉の声に、かすかに幹久の泣く声が重なった。
熱く乾いたコンクリートの地面に、一つニつと涙がこぼれ落ちる。
恭一郎は立ち上がると、幹久の肩を軽く叩いた。
「昨日も言おうとは思ったんだが・・・」
幹久は顔を上げると、恐々とした面持ちで恭一郎を見上げた。
そのこわばった表情に、恭一郎は溜息をつく。
「お前が思ってるほど・・・俺は、お前を苛立たしいとか思ってない。心配してるだけだ」
「心配・・・?」
「怒鳴ってすまない・・・言葉端がキツいのも分かってはいるんだが、直らないんだ」
恭一郎は額に手を当てると、言葉を探しているのか、目を泳がせた。
そんな恭一郎を、幹久はジッと見つめる。
「東京で・・・何かあったのか?・・・何も、してやれないかもしれないが、聞くぞ」
その言葉に、幹久は目を見張った。
そして、恭一郎の顔を、更にジッと観察するように見つめだす。
初めて幹久に会った時の『白蓮』のようだ。
そんな事を思いながら、またあの時のように余計な事を言いかけて、恭一郎は言葉を飲み込む。
「僕、うっかりしてました」
「・・・何を?」
「つい、恭一郎さんに甘えてしまいました」
「あ、甘え?」
「姉さんみたいに、怒ってくれるものですから」
幹久が、いつになく精悍な面持ちで涼やかに微笑んだ。
あまりの変貌ぶりに、恭一郎は息をのむ。
「知らず知らずのうちに、実の兄のように思っていたみたいです。すみません」
「・・・別に、かまわないが」
「―――」
「変に、かしこまられる方が困る」
「恭一郎さんて、本当に寛容な方ですね。調子に乗りますよ?」
悪戯っぽくクスクスと笑う幹久に、恭一郎は息をつくように微笑み掛けた。
幹久は、その静かな笑みを見て、急に風が凪ぐように笑うのを止める。
「・・・かなわないなぁ」
「何が?」
「いえ」
先程の笑みが嘘のように、幹久の顔は無機質な表情へと変わった。
夏の木々の鮮やかな景色の中、そこだけが色を無くしたように見える。
幹久は深く呼吸すると、覚悟を決めたようにジッと恭一郎を凝視した。
「そう言っていただけるなら、本当に聞いていただいて宜しいですか?」
幹久は、黄昏時のような薄暗い表情を向けた。
どこか切羽詰まった様子に、恭一郎も神妙な面持ちとなる。
「震災の後、恭一郎さんは東京にいらしたことはありますか?」
「夢彦の引っ越しの手伝いで、あの惨状は見てるが・・・それ以来、行ってないな」
「じゃあ、今の東京がどんなものか、全く知らないんですね」
「どうなってるんだ?」
「昔よりも綺麗に整った街並みになってます。区画整備されて、震災前の面影は全くありません」
幹久の顔に、わずかに陰がさした。
瞳の奥に、暗い闇が浮き彫りになる。
「僕が手伝いをしていた出版社も焼失しまして、社員も半数の方が亡くなりました」
「夢彦から『吉原奇譚』が打ち切りになったと聞いてる」
「はい。再建の見通しが付かず、廃業してしまいまして・・・他の出版社では、内容的に扱うことが難しく」
「残念だな」
「はい・・・短編集のシリーズですから、一冊で話は完結しますが、僕としては打ち切りではなく、完結編の話を書いていただいて欲しかったです」
すると、幹久は思い出したかのようにハッとした表情を浮かべ、かすかに焦燥の色を浮かべた。
「あ、あの・・・夢彦さんの最近の作品が、悪いって話じゃないのでっ」
「分かってる」
「その・・・今、夢彦さん、別の筆者名で書かれてるじゃないですか」
「あぁ、官能小説の筆者名じゃ掲載してもらえないらしいな」
「・・・これは、夢彦さんには伏せていただきたいのですが」
「大丈夫だ、言わない」
「その・・・僕の中で、『吉原奇譚』も『泉 夢彦』も・・・」
幹久は拳を握り、手を震わせた。
ためらいがちに紡がれた言葉が、えずくような声でこぼれる。
「震災で・・・死んでしまった気がして・・・」
幹久は、両手で自分の髪を鷲掴みにしてうつむいた。
恭一郎は幹久の手を引くと、座っていたベンチへとうながす。
幹久は座ると、視線を地面に投げ掛けたまま、ボロボロと涙を流した。
「すみません・・・変な事を言ってしまって」
「いや、的確な表現だと思う」
「―――」
「俺も、そう思ってた」
予想だにしなかった一言に、幹久は目を見張った。
恭一郎は、幹久の隣に座ると、組んだ手を膝の上に置き、遠くに視線を向けて沈黙する。
黙祷しているかのようなその姿が、辺りに響く蝉時雨を、敬虔な僧たちの唱える誦経のように感じさせた。
「恭一郎さん・・・」
「なんだ?」
「僕・・・これでも、頑張って来たんです。早く、元の生活に、皆が戻れたらと思って」
「うん」
「でも、ふと振り返ってみたら―――大切な人達は遠い所にいて、大好きだったモノも、何もなくなってた」
「・・・そうか」
「・・・僕だけ、置いて行かれてる気がして・・・どうしようもなくなってきて・・・気が付いたら、久しぶりに『空蝉の宴』を手に取っていました」
「―――」
「また、戻りたかった・・・きっと、戻れると思った―――でも」
「でも?」
「・・・不思議ですよね。昔読んだ本を読み返しても、前とは同じ心持ちにならなかったんです」
幹久は涙をぬぐうと、再び涼やかに笑った。
その笑みの裏に、先程の無機質な表情が隠れて見える。
「それが、どうしても納得いかなくて・・・昨日の晩、また沢に行って考えていたんです」
「納得できたのか?」
「いえ・・・結局、何も考えがまとまりませんでした」
「幹久」
「・・・はい」
「俺は、お前みたいに学も無いから、的外れな事を言ってるかもしれないが」
恭一郎は口元をほころばせると、穏やかな笑顔を向けた。
苦笑ばかり見せる恭一郎にしては珍しい為、幹久は緊張する。
「それは、お前が昔より、シッカリしてきたからだろ」
「―――」
「お前に振り返る余裕が出来て、本に頼らなくても良くなったんじゃないか?」
「僕・・・未だに恭一郎さんの前で泣いてますけど・・・」
「恵まれてるって事だろ」
「え・・・」
「涙を見せられる相手がいるのは、独りじゃないって事だ」
「―――」
「お前だけじゃない。あの震災で、心が傷付いてない奴なんかいない」
「・・・でも、みんな、あの日の事なんか忘れてるみたいに」
「口にしないだけだ。前に進めなくなるのが怖いだけだろ」
「恭一郎さんも、怖いですか?」
「怖い」
恭一郎は、再び視線を幹久から自分の手へと移した。
暗澹たる深淵に挑むような眼差しに、幹久は背に冷たいものを感じる。
「いつか自分の身に起こるかと思うと、眠れない日もある」
「・・・そういう時、どうするんですか?」
「独りにならない」
恭一郎は、自嘲するように笑った。
そして、気恥ずかしさをにじませながら言葉を継ぐ。
「だいたい母と妹と一緒にいる。妻子のいる夢彦が、そういう時はうらやましい」
しみじみと話す恭一郎に、秋のような哀愁を感じ、幹久は控えめに微笑んだ。
「幹久君!恭一郎!!」
突然大声で名前を呼ばれ、二人は一斉に振り返った。
血相を変えた夢彦が、ホームへと駆け込んでくる。
あまりに急いで来たせいなのか、着物がひどく着崩れていた。
「夢彦さん!?」
「あ~、間に合った・・・起こしてくれれば良かったのに」
「夢彦、前を直せ・・・強姦にあったみたいな様相だぞ・・・」
「自転車に乗ってきたのだから、仕方あるまい」
「袴も履かずに乗るな・・・というか、いい加減、洋装に転向しろ」
「様相と洋装をかぶせて来るとは、恭一郎も機知に富んでおるな」
「茶化すな」
呆れ顔を浮かべる恭一郎をよそに、夢彦はフワフワとした笑みを浮かべた。
そんな二人に、幹久は口元をほころばせる。
そして、急に真面目な口調で夢彦に話しかけた。
「夢彦さん、姉さんとも少し話したのですが、万が一にも移動中に今回のような事があっても大変なので、コチラに滞在するという事で宜しいでしょうか?」
「うむ、うちの父も、そうするように言っておるしな」
「では、僕がうちの両親に、そのように話をしておきます。それと」
「なんだい?」
「身の回りの世話を、お手伝いして下さる方を用意しようと思っているのですが」
「恭一郎の家族も協力してくれるから、大丈夫だよ」
「三食忘れずに食べられますか?」
「う、うむ」
「やんちゃな薫君と一緒に、姉さんを怒らせずに、一日を過ごせますか?」
「・・・・う、う〜ん」
「まさか、恭一郎さんの家族に、夜まで一緒に付き添ってもらうおつもりですか?」
夢彦が申し訳なさそうな顔で幹久を一瞥すると、幹久は、にこやかに微笑んだ。
「決まりですね。では、東雲さんに早速連絡を取ってみます」
「し、東雲・・・!?」
恭一郎は、どもって引きつった顔をした。
幹久は小首をかしげ、不思議そうに恭一郎を見やる。
「どうかしましたか?」
「い、いや・・・確か、別の雇い主の所に行ったんじゃ」
「よくご存じですね。・・・そう言えば、父が連絡が取れないと言っていたような」
幹久は、あごに手を添えると、何やら思案し始めた。
しかし、すぐに考えはまとまったらしく、屈託のない笑顔を向ける。
「でも、大丈夫です。あてはありますから」
「簡単に見つかるのか・・?」
「どうでしょう?ただ、見つけると決めましたから、必ず見つけますよ」
遠方から汽笛の音が届いた。
幹久は凛とした瞳を輝かせると、荷物を持ち上げる。
「夢彦さん、後日ご連絡します」
「うむ」
汽車が目の前に止まった。
涼やかに微笑むと、幹久は颯爽と客車に乗り込む。
そして、一等席の窓を開けると、身を乗り出した。
「恭一郎さん、言い忘れました」
「なんだ?」
「帰って、すぐ寝て下さいね」
「・・・さっきも言ったが、このくらい、大した事ない」
「恭一郎さんの『大した事ない』は、普通の人の限界です」
「いや、本当に」
「自分を大切にしないという事は、アナタを想う人を傷付ける事と同じです」
「―――」
「お大事になさって下さいね」
幹久が楽し気に微笑むと、汽車は黒煙を上げて走り去った。
見送るというよりは、置いてけぼりにされたような面持ちで、恭一郎は汽車を眺める。
そんな恭一郎の横で、夢彦がくつくつと笑い出した。
「丸椅子が無くて良かったなぁ、恭一郎」
「・・・そうだな」
「いやぁ、しかし。幹久君、見違えるほどシッカリしたなぁ」
「あぁ・・・」
「官立学校を卒業して、今は帝大生だそうだ」
「へぇ・・・」
「震災孤児の援助活動やら、父親の仕事の手伝いで海外に出たりと多忙でな。手紙はもらうんだが、最近なかなか会う機会が無くて」
「そうか・・・」
「どうした?恭一郎?」
「いや、なんか・・・狐に化かされてるような気分だ」
「まぁ、アヤメさんの弟と思えば、あのくらいの気の強さになっても不思議ではない」
「そうだが・・・切り替え早すぎだろ。さっきまで、あんなに弱音吐いてたくせに」
「ほう、幹久君が?」
夢彦は、嬉々として恭一郎を見上げた。
その困惑した様子を見ると、楽し気に笑い出す。
「恭一郎は、優しいからなぁ」
「優しくない」
「そう思っておるのは、恭一郎だけだぞ?」
腑に落ちない顔をした恭一郎の背中を、夢彦は軽く叩いた。
お互い顔を見合わせて微笑むと、夏の日差しの厳しい駅舎を後にする。
立ち上る陽炎が、いつまでも二人の影を揺らしていたのだった。




