-鬼灯の送り火- 12
常闇の森は、黒く澄んだ空を覆い隠している。
まるで、亡者の痩せこけた腕のような枝先は、今にも『虚』たちに襲い掛かって来そうであった。
そんな『隠世』の森は、次第に割れた石畳が見え始め、遂にはどこまでも曼珠沙華の群生が続く参道へと変わって行った。
「ねぇ、『虚』」
「なんだ?」
「さっきの女、なんだったの?」
「あれは、病気か中絶で流産した女の『鬼』だ。アヤメに嫉妬したのだろう」
「シット・・・?」
「アヤメに非はない。うらやましかったのだろうな」
「だからって・・・なんで、ネエさんに・・・」
「人の心ほど、思い通りに出来ぬものは無い。お前がそうやって、あの女の『鬼』に恨みを抱くのを止められぬのと同じで、あの女も自分の心を思い通りに出来ぬのだ」
「じゃあ、うしろのヤツらも、どうにもできない?」
ねっとりとしたドブのような気配が、轟々と唸りながら近づいて来た。
振り返った『虚』は、焦燥の色を浮かべる。
「これは、大所帯だな・・・」
「つかまって」
『白蓮』の肩に手を添えると、『虚』は空蝉の姿へと変化した。
『虚』が肩にしがみつくと、『白蓮』は目の前の蝶を掴み、懐にしまう。
そして、『白蓮』が全速力で駆け出すと同時に、まるで戦の始まりであるかのように、『鬼喰らい』の『鬼』たちも飛ぶように追い掛けてきた。
「すごい数」
「『現世』に顕現する前を思い出す・・・」
「アイツらと、追いかけっこしてたの?」
「あぁ・・・だが、ここまでの団体ではなかった」
「なんで、こんな人数に」
「おそらく、俺が『現世』で、『鬼』を喰らうようになったせいだ。昔よりも、保有する『瘴気』が大幅に増えたからな」
「・・・ねぇ。だったら、顕現するまえは、『鬼』を食らってなかったってこと?」
「―――」
「なんで昔は、追いまわされてたの?」
「・・・それ以上聞くな。知ったところで、この現状は変わらぬ」
突如、真横から勢いよく飛びかかられ、『白蓮』は半ば衝突されながら押し倒された。
『虚』も思わぬ方向からの衝撃に、参道の横に転落する。
『白蓮』が目元を引きつらせて見上げると、胸から股下まで痛々しく裂けた女―――胎児の『鬼』をさらった女が視界に入って来た。
―― わらわが産むのじゃ・・・わらわの子じゃ
『白蓮』は、足で女を蹴り上げ、石畳に吹き飛ばすように転がした。
しかし、転がされても女は執拗に脚に絡みつき、物乞いのようにすり寄って来る。
そして、かすかな『瘴気』を感じ取ったのか、『白蓮』の懐に手を伸ばした。
「いい加減にしろ!この奸婦が!!」
『虚』が巨大な空蝉へと姿を変え、血染めの女を前足で薙ぎ払った。
すると、女は『鬼喰らい』の群衆の中へと、大きく弧を描いて叩き飛ばされる。
―― あなや
―― なんと、悲しい女か
―― これぞ頽廃という名の美である
―― 持ち帰るぞ
―― コラ、一人で持ち帰るな
―― 抜け駆けは許さないわよ
『鬼喰らい』の『鬼』たちが、女を連れ帰えろうと群がった。
『虚』は子猫ほどの大きさに戻り、『白蓮』の肩にしがみつく。
「今のうちに振り切って、『現世』に戻るぞ!」
うなずいて走り出そうとした刹那、『白蓮』は不意に、左肩から後ろに引っ張られた。
振り返ると、一つ目のカラスが『虚』を掴み、けたたましく鳴き始める。
すると、女の『鬼』に気を取られていた『鬼喰らい』の『鬼』たちが、一斉に『白蓮』たちの方へ振り向いた。
焦燥の色を浮かべる『白蓮』の脚が、わずかに宙に浮く。
『虚』はカタリと軋む音を上げると、『白蓮』の肩から手を離した。
「―――っ!!」
突然軽くなった為、カラスは後ろに放り出され、『虚』を取り落として木々の中へと墜落した。
宙を舞った『虚』は、身を丸めて地面に転がる。
慌てて身を起こして駆け出そうとした刹那、『鬼喰らい』の『鬼』たちが、嬉々として『虚』の周囲に寄り集まった。
―― なんと
―― 摩訶不思議じゃ
―― 幾人もおるぞ
―― 仲違いせずに済むな
―― でも、どう分けたものかしら
―― 魂魄が邪魔だ
―― 傷付けたら『現世』の体が死ぬぞ
―― 死なぬ程度にやればよかろう
―― 脚をもいでみようか
「うるさい!ゲス共が!!」
再び巨大な空蝉に変化すると、『虚』は手前にいる『鬼』を薙ぎ払った。
後ずさった他の『鬼』たちを、更に薙ぎ払おうと腕を振る。
「・・・!?」
ところが突如、振り上げた腕が、雪崩のように小さな空蝉へと崩れ始める。
その小さな空蝉を見るや否や、『鬼喰らい』の『鬼』たちは、狂喜の表情で飛び掛かった。
「貴様ら!!勝手に持って行くな!」
『虚』は慌てて小童の姿に変わると、ニメートル以上ある錫杖を振り回した。
再びしりぞいた『鬼』たちの隙を突き、血の気の引いた顔で、脱兎の如く駆け出す。
しかし、その襟首を、蜘蛛のように長い腕の『鬼』が引っ掴み、叩きつけるように『虚』を地面に引き倒した。
更に寄り集まって来た『鬼』たちが、足を掴み、腕を掴み、乗り上げて首に手を掛ける。
―― 面白い
―― 俺は腕が欲しい
―― 私は脚をちょうだい
四肢を無理にねじまげられ、ミシミシと骨が軋んだ。
「――っぁ・・ぃいっ・・!」
もはや寄ってたかって殺される恐怖よりも、与えられる苦痛にたえられない。
そんな様子に狂喜した『鬼』たちが、禍々しい声で高らかに笑い出した。
―― 『虚』二、触ルナァあああ!!!!
突如、石畳が陽炎のように揺らぎ、青い炎が火柱となって燃え盛った。
『鬼喰らい』の『鬼』たちが炎に呑まれ、次々に火だるまとなる。
逃げ出そうとする一匹の『鬼』を、不意に現れた巨大な白蛇が食らいついた。
森の木々よりも大きなその姿に、『鬼』たちは蒼白となって後ずさる。
叫び声を上げる『鬼』を吐き捨てると、白蛇は眼光鋭く、他の『鬼』たちをねめつけた。
―― 殺すよ・・・ころしてイイ・・・殺シテイイよね?
白蛇が口から青い炎を燃え立たせ、鎌首をもたげた。
鬼気迫る様子に、蜘蛛の子を散らすように、『鬼』たちが一斉に逃げ出す。
それを追おうと白蛇がかまえると、何かが体にしがみついた。
―― あ・・・
子猫ほどの大きさの紅い空蝉が、落ちそうになりながら何とか掴まっていた。
白蛇が霞のように朧になると、青い炎をまとった白髪の青年へと変化する。
その拍子に道に転がった『虚』を、『白蓮』は俊足で駆け出し拾い上げた。
「だいじょうぶ!?」
『虚』は、軋む音をギリギリと上げると、腕からすり抜け、左肩に無言でよじ登った。
歯車が空回りするような異音が、『白蓮』の鼓膜を震わせる。
「・・・もしかして、飢餓状態なの?」
「・・・いや、まだ恭一郎が自我を失うほどじゃない」
「アイツら、つかまえてくる」
「・・・恭一郎が殺さねば、食えん」
「じゃあ、恭一郎の魂魄をつれてこようっ・・・ココなら、村の人を手に掛けなくてすむ」
「無理だ」
「いくら仲がワルくても、こんな時ぐらい協力してくれるよ!」
「『鬼』を殺せる『死鬼喰み』の魂魄は、『隠世』から拒絶される」
「『虚』、アイツらを追わせたくないからって、下手なウソをついてる場合じゃないよ!?」
「嘘ではない」
「だって、『虚』も同じ魂魄を持ってるのに『隠世』に来てるじゃないか」
「・・・『現世』に『死鬼』が顕現すると、『死鬼喰み』の魂は変質する」
「―――?」
「俺と恭一郎は、同じようで・・・同じではない」
「・・・ボクから見れば、二人ともヒミツ主義の意地っぱりで、ソックリだよ?」
「なっ・・・あんな分からず屋と一緒にするな!!」
「よかった。思ったよりゲンキだね」
『白蓮』が楽しそうに笑い出すと、『虚』は憮然とした様子で唸り声を上げた。
不穏な空気がおさまったのに気が付いたのか、『白蓮』の懐に入っていた蝶も顔を出す。
先程の喧騒が、嘘のように静まり返った参道に、橙色の燐光がヒラリと舞い上がった。
「恭一郎が来られないなら、急いでかえろ。おなかがすくと、イライラするし」
「・・・ぬぅ」
「キゲンなおして」
そう言うと、『白蓮』はシジミチョウを右肩に止まるよううながし、足早に歩き出した。
風が凪いだ曼殊沙華の群生は、微動だにせずに彼らを見送る。
そんな稀に見る穏やかな景色に、カタリと軋む音が響いた。
「『白蓮』・・・さっきの話だが」
「なに?恭一郎とソックリって話?」
「違う。どうして顕現前に『鬼喰らい』に追われてたかという話だ」
「話してくれるの!?」
『白蓮』は目を輝かせると、期待のまなざしで『虚』を見た。
まるで、絵本を読み聞かされる子供のような喜びように、『虚』は話づらさを覚える。
「そんな楽しい話ではない・・・」
「『虚』が隠しゴトしないのが、うれしいんだよ?」
「ぬぅ・・・」
カタリと軋む音を上げると、やや背中側に『虚』は後ずさった。
しかし、彼の中で何かが踏みとどまらせたのか、『白蓮』の肩に爪を立てると、ジワリと前の方ににじり寄る。
「いいか、『白蓮』・・・普通、一人の人間に『鬼』は一体だが、『死鬼喰み』の場合は百八体存在する」
「・・・いつものアレ、幻影じゃないの?」
「幻影も含まれておる。それに、百八体というのは最初だけだ」
その言葉に、『白蓮』は押し黙った。
それはつまり、今は、もっと少ないという事である。
「普段のように分散していると、『瘴気』もそれぞれの個体に分散する。貧弱な個体では、『隠世』の『鬼』に対抗できぬ」
「あぁ・・・だから今は、一つにまとまってるんだね」
「・・・ただ、強靭な個体ではあるが、その分『瘴気』が強すぎて『鬼喰らい』共を引き寄せてしまう」
「厄介だね・・・」
「だが、出来る限り、一つにまとまるワケにはいかぬ。先程のように危険にさらされた時、分散せねば大規模な天変地異を避けられぬのでな」
『白蓮』は、虚をつかれたような顔をした。
その顔を見ると、『虚』は視線をそらしながら、軋む音を上げる。
「食らった『瘴気』を一つの体に集中しては、死んだ時に、必ず大規模な災害になる。分散する事で、『現世』に対する影響を軽減することが出来るのだ」
「そうなんだ・・・てっきり、『死鬼喰み』=大規模災害っておもってた」
「だから・・・・さっきは本当に助かった。感謝しておる」
『白蓮』は、ほのかな笑みを浮かべた。
しかし、ふと中天に視線を向けると、あごに手を当て、眉間にシワを寄せる。
急に難しい顔をする『白蓮』に、『虚』は首をかしげた。
「どうした?」
「『虚』が分散している理由・・・恭一郎、しってるの?」
「知らぬ。言ったら安心して、俺の『瘴気』が減るだろうからな」
「それ、さすがにヒドイよ・・・」
「『戯』にも絶対に言うでないぞ。アイツに俺の個体数が知れたら、会うたびに数えるに決まっとるからな。一体でも見つからないとなったら、俺でも手のつけようがなくなる」
「もしかして、それで言うのをシブったの・・・?」
「うむ」
「コドモのかくしゴトみたいだね」
「うるさいっ」
『虚』はカタリと軋む音を上げて、『白蓮』の背中に隠れた。
その様子に、『白蓮』はクスクスと笑い出す。
ところが、どこか品のある静かな笑みが、急に凍りついたように固まった。
絶対零度を思わせる表情で、神妙な声音が口からこぼれ落ちる。
「・・・『虚』」
「なんだ?」
「『死鬼喰み』の『鬼』は、なんで『死鬼』って呼ぶの?」
「そんなの決まって」
「死んだ『鬼』を食べるから?」
「―――」
「でも、『鬼』は肉体が死んだら消える。だから、食らう前って、本当は死んでないよね」
「・・・『白蓮』」
「じゃあ、死をもたらす『鬼』だから?・・・でも、それならフツウの『鬼』でも」
――キクナ
背中から、泥が煮え立つような声が上がった。
その並々ならぬ気迫に、『白蓮』は押し黙る。
同じように驚いたシジミチョウは、不安げにヒラヒラと飛び立った。
『白蓮』の制帽の上にとまると、背中に隠れる『虚』を不安げに見下ろす。
「・・・ゆるして、もうきかない」
『白蓮』が、かすれた声を上げた。
しかし、唸るような声と振動が、『白蓮』の背を責め立てるように響いてくる。
「『虚』・・・ゴメン・・・・・・でも、ボク・・・分かっちゃったよ・・・」
『白蓮』は、制帽に止まっている蝶をそっと掴むと、掌で包むように閉じ込めた。
すると、背後から不規則に軋む音が響き始め、その音に『白蓮』はうつむく。
「・・・・・・泣カナイデ・・・・ボク、がんばるから」
曼殊沙華の群生に交じり、かざぐるまがカラカラと回った。
かすかに聞こえる軋む音は、淀んだ風にさらわれていったのであった。




