-空蝉の宴- 6-13
障子の向こうは、初夏の太陽で明るくなっていた。
天井の白熱電球の光は、用をなさなくなっている。
「・・・っ痛・・・」
水谷は目覚めると同時に、全身に激しい痛みを覚えた。
耳は、こもったように、よく聞こえない。
呼吸が浅く、視界も頭もぼんやりしていた。
あまりの気だるさに、水谷は再び、ゆっくりと目を閉じる。
「起きろ、寝坊助」
氷が軋むような声に、水谷は飛び上がるように上体を起こした。
しかし、両腕の感覚がなく、バランスを崩して後ろに倒れ込む。
何とか視線を部屋の隅に投げ掛けると、炯々と光る瞳が、本の山の暗がりに浮かび上がっていた。
「し、師匠・・・」
カエデは、ゆっくりと水谷ににじり寄ると、枕元にある酒瓶を一瞥する。
そして、そのすぐ側に落ちていた包み紙を手に取ると、掌でグシャリと握りつぶした。
忌々し気なその様子に、水谷は肝を冷やす。
「何故、『裏御前』様の手下に手を上げた」
「・・・何の事かな~」
「先程の事は、犬飼から、すべて聞いておる」
「・・・あのオシャベリ」
水谷は、視線をそらして舌打ちし、聞き取れない声量で悪態をついた。
その態度を非難するように、カエデは更に鋭い視線を投げ掛ける。
「言っておくが、昼間に『隠世』に行っていた事もお見通しだ、給料泥棒」
「え・・・見てたの?」
「カマを掛けただけだ。あの遊女が寝るとしたら、日中であろうからな」
「うわっ、やられた~・・・」
「睡眠薬は有害な成分が幾つも含まれてる。多用すると、肉体も『鬼』もボロボロになるぞ」
すると、カエデは掛布団に手を掛け、荒々しくめくり上げた。
それに合わせるように、間延びした甲高い鳴き声が響く。
中には、まるで泣き出しそうな様子で、狸が隠れていた。
不安げに見上げる狸に、カエデはにじり寄ると、額を指先でつつく。
刹那、狸から紫色の炎が激しく立ち上り、黒い狐に、その姿が変わった。
「上手く姿を変えているが、気休めに過ぎぬ。その気になれば簡単に正体を暴かれるからな」
「でも・・・今回はバレなかったよ」
いよいよカエデが切れそうなほど鋭い視線を投げ掛けると、水谷は身をすくませた。
まるで、地獄の底から響いて来たかのような低い声音が、形良い口から漏れ出す。
「お前の存在を、『裏御前』様に知られたくないと言っておるのに・・・なぜ分からない」
「・・・・目の前で師匠が殺されてるのに・・・何もしないワケに、いかないよ・・・」
「お前がそうやって出しゃばれば、私は『裏御前』様の手下を、始末しなければならんのだぞ」
「・・・・」
「反逆行為で制裁を下されれば、どうなるか・・・嫌というほど見たであろう」
「・・・ごめんなさい」
「それより、体は大丈夫か?・・・犬飼が、手ひどくやられていたと言っておったが」
「あぁ、もう・・・・・・ヒトの恥をペラペラとしゃべって・・・」
水谷は、眼鏡を手に取って掛けると、ぎこちなく身を起こした。
しかし、全身の感覚が曖昧な為、体勢が崩れる。
咄嗟に手をついたにも関わらず、そのまま横に倒れ伏した。
「圭吾!?」
「薬を飲む時間が、遅かったからだと思う・・・すごく眠いから」
「前にも言ったが、酒と睡眠薬を一緒に呑むな。なぜ普通に寝ない・・・」
「あんな、怖い所に行くのに・・・眠れるワケないよ」
「―――」
「あ・・・別に師匠を責めてるワケじゃないよ。師匠が、色々教えてくれたから・・・昔よりは、怖くなくなったし」
水谷が手を伸ばすと、カエデはその手を取った。
カエデは水谷の手に額を当てると、祈るように目をつむる。
艶やかな黒髪が手に触れると、絹糸のように瑞々しい感触が、水谷に伝わった。
「ボクにとって・・・師匠は日輪の光だから」
「・・・馬鹿弟子」
「今度は大人しくしてるから・・・寝ていい?」
「あぁ・・・」
「・・・そうだ、万年筆・・・落ちてない?」
カエデは布団の上に転がっている万年筆を拾うと、施された螺鈿細工を眺めた。
口元をほころばせると、懐かしそうにつぶやく。
「もらったのか」
「遺品を勝手に拝借して、もったいないから使ってるだけ」
「お前を『無害化』して作った品なのだから、お前の物だ」
「皇室御用達の伝統工芸品だよ?ボクの給料の二、三か月分は下らない品なのに」
水谷は苦い表情を浮かべた。
その顔に、カエデは吹き出すように笑い出す。
「アッハッハッハ!才に恵まれた『鬼喰らい』故の悩みだな。作るものに価値があり過ぎて、敬遠されるとは」
「師匠・・・笑い過ぎ」
「なんにせよ、お前の為に作ったモノを、お前が受け取ったのだから良かった」
「こんな形で、貰いたくなかったけど・・・」
「今回のような事が続けば、お前もアイツの二の舞になる。東雲も、目を付けられとるしな」
「―――」
「これ以上、弟子の死に目にあいたくはない」
カエデは、黒い狐の頭をなでると、スッと立ち上がった。
踵を返すと、土間にある雪駄に足を通す。
「そうだ、言い忘れていた」
カエデは振り向かずに、和傘に手を掛けた。
柄の所に施された螺鈿細工の部分をなでながら、楽し気に笑う。
「あの紅い虫の『鬼』に、食われることにした」
「・・・は!?」
「アレがどうにも立ちいかないようなら、備えになってやろうと思ってな」
「な、何言ってるの!?」
「犬飼に丸投げしたと文句を言わてな、最後まで面倒をみると決めたのだ」
「そ・・・それじゃあ『、隠世』で師匠を助けた意味が・・!」
水谷は青い顔を、さらに蒼白にしてカエデを見やった。
高らかに笑い出すカエデに、愕然とする。
「せいぜい、夢彦の面倒をよく見てやる事だな。アレが、私の所に来ないように」
「・・・師匠!!」
「おやすみ・・・圭吾」
引き戸を開けると、カエデは、まばゆい白昼の世界へと姿を消して行った。
こわばった体に鞭を打っても、水谷は起き上がる事すら出来ないのであった。




