-空蝉の宴- 6-12
白熱電球が、原稿用紙に夢彦の影を映している。
その原稿用紙に、音もなく雫が落ちた。
同時に、すすり泣く声が、薄暗い部屋に静かに響く。
ペンを握る手は、小刻みに震えていた。
あれほど流れるように動いていたにも関わらず、突然それは動かなくなったのである。
もう、最後の行まで書き終えている。
あとは、一文字書けば、完成するところであった。
しかし、どうしても手が動かない。
そして、とめどなく涙があふれてくる。
涙で原稿がダメになるのも、時間の問題であった。
――往生際が悪いぞ
その後ろで、低く落ち着いた声が呼び掛けた。
しかし、夢彦には聞こえないらしく、ペンを握ったまま振り返る様子もない。
声の主も、それは承知しているのか、小さく溜息をつくだけであった。
――覚悟はしていたが、今までよりも本当に儘ならないな。
自嘲する口ぶりであった。
夢彦に語り掛けているというよりも、自分に言い聞かせているようにつぶやいている。
――自分自身が、これほど思い通りにならないと思わなかった。
声の主は、夢彦の両肩に手を掛けると、文机をのぞき込んだ。
そして、口元を吊り上げて楽し気に微笑む。
――俺の味方でいるんだろ?
夢彦の首が、わずかにかたむいた。
うな垂れた勢いで、涙が、ほとほとと原稿用紙を濡らす。
――書け、夢彦
夢彦は無言のまま、微動だにしない。
その様子に、声の主は身を屈めると、夢彦の耳元に口を寄せた。
先程よりも声をひそめ、聞こえるか聞こえないかというような声でささやく。
――助けてくれ・・・これからも
一瞬震えると、夢彦の手が、ゆっくりと原稿の末尾へと延びる。
そして、ためらいがちにペンを滑らせた。
その指先は、白くなるほど力がこもっている。
『了』
物語の帰結を表す文字が記された。
夢彦は両手で頭を抱え、後悔するかのようにうずくまる。
声の主は、夢彦の横に膝をつくと、そっと肩に手を添えた。
――帰ったら、必ず読むからな
小さくも力強い手が、そっと離れた。
それと同時に、夢彦の耳元に、息をつくように微笑む声が零れ落ちる。
すると、夢彦は急に目を見開いて、後ろを振り返った。
「恭一郎!?」
見ると、少し離れたところで、犬飼が横になって眠っていた。
それ以外に、人影はない。
いるはずもなかった。
いるはずが、ない。
しかし、確かにそこにいた感覚を、夢彦は、その肩に感じていたのであった。




