-空蝉の宴- 3-5
翌日の午後、犬飼と夢彦は出版社に赴いた。
犬飼の上司に、夢彦を雇ってもらえるか打診しに行くと、二つ返事で了承された。
「こんなに簡単に、雇ってもらえるものなのか・・?」
「うちの会社、ゆるいから」
犬飼の言葉に、夢彦は苦笑いを浮かべた。
さすがの犬飼も、無理もないと言わざるを得なかった。
犬飼自身も、何だか知らないうちに働く事になってしまい、きっかけすら思い出せないくらいだったからだ。
他の社員にも、その辺りを聞いてみたことがあったが、採用試験や面接の類を受けた者は一人もいないという驚くべき結果が明らかになった。
本当にヒドい。その一言に尽きた。
「身元ぐらい調べろって話だよなぁ。おかげで変人ばっかり集まってるし」
そう言うと、犬飼は文芸部の編集室へと入って行った。
うず高く積まれた原稿用紙の山を縫うように進むと、ちょこんと座る小さな影に声を掛ける。
「おい、伝ちゃん」
伝ちゃんと呼ばれた小柄な青年が、ぴょこんと顔を上げた。
どこかリスのような挙動で愛嬌がある。
犬飼を見ると人懐っこそうな笑顔を浮かべ、せかせかとした足取りで近寄って来た。
「犬飼さん、どうかしました?」
「水谷は?」
「今日も企画に参加してくれる先生を探しに行ってます。絶対、見つからないと思いますけどね。サボりたいんですよ。そうだ、ちょっと聞いて下さい!この前なんか、喫茶店で真昼間から爆睡してたんですよ!!ホント、信じられないです!アレは絶対、夜更かしして本なんか読みふけってるから睡眠不足なんですよ。ほら、いつも眠そうで、ぼんやりとした顔してるでしょ?まったく・・・犬飼さんみたいに、もっと面倒見のイイ、しっかりとした先輩が欲しいです。ところで、横にいる人、誰ですか?」
甲高い声で一気に話し切ると、丸い瞳をキラキラとさせて首をかしげた。
その弾幕のような話しぶりに、夢彦は唖然とする。
「こいつは、飯田伝七郎。文芸部で水谷って奴と官能小説を担当してる」
犬飼は、伝七郎に夢彦を紹介した。
伝七郎は夢彦と握手をすると、大袈裟に上下に振る。
「うわぁ、犬飼さんと仕事なんて大変ですね。家に帰れないんじゃないですか?僕は官能小説は大好物ですけど、ノンフィクションの情事って食指が動かないんですよね。そんな僕をみんな気色悪いって言うんですけど、じゃあ、官能小説が何故売れるんだって話ですよ。まったくもって失礼極まりないです」
「うむ、そうだね」
「あ、夢彦さん、話分かりますね。嬉しいです。今度、一緒にご飯食べながら話でもしましょうよ。僕も新人なんで仲良くして下さいね。ここには、いつでも来て下さい。僕は外出する事は滅多にないんですよ。水谷さんが、サボる為に外の用事を持って行ってしまうんで」
そう言うと、伝七郎は上機嫌に手を振り、そそくさと席に戻った。
そして、あれほど親しく話していたのに、何事もなかったかのように仕事を再開する。
あまりの切り替えの早さと徹底ぶりに、夢彦はポカンとした顔で犬飼を見た。
「言っただろ、変人ばっかりだって」
犬飼が楽し気に笑うと、夢彦もくつくつと笑い出した。
二人は原稿用紙の山を崩さないよう、そっと編集室を後にするのだった。




