-空蝉の宴- 3‐1
翌々日、新聞には衆院議員の男が、歓楽街の路地裏で亡くなっているのが発見されたと報道された。
一緒にいた風俗店の女が、殺人容疑で逮捕されたが、男の死因は心臓発作であった。
女が言うには、別れ際に男にくちづけたところ、急に苦しみだして倒れたという。
その為、自分のせいで男が倒れたと勘違いし、病院に連絡もせず逃げ出したそうだ。
支離滅裂な言い訳であるが、女は薬物に手を出しており、正しい判断が出来なかったとみなされたのだった。
しかし、現場を目撃した犬飼を、警察が訪れる事は無かった。
それもそのはずで、気が付くと、自分が勤めている出版社の玄関で目が覚めたのである。
もうすぐ明け方という頃であった。
全身ずぶ濡れだった為、急いで自宅に戻って着替えたのだが、風邪を引いたらしく、微熱が出てしまっている。
犬飼は編集室の自分の机に、けだるそうに突っ伏した。
「運がなかったね~、ケンさん」
「ほんっっと・・・ついてねぇ・・」
「亡くなった人を辱めるワケにもいかないし、ネガ代は香典とでも思っときなよ~」
間延びした口調で犬飼を慰めた男は、丸眼鏡を押し上げ、糸のように細い目を更に細めて微笑んだ。
水谷圭吾。
犬飼の勤めている出版社で、文芸部を担当している男であった。
物腰柔らかな好青年であるが、あつかっている作品は官能小説である。
「ボクもね、色んな先生に断られちゃって、困ってるんだ~」
「また無茶振りしたのか?」
「ほら、もう夏だから怪談にうってつけの季節でしょ~」
「怪談話で官能小説書けって?」
「うん、森先生とかに」
「森先生?」
「森鴎外先生」
「お前、馬鹿だろ・・・大御所が低俗小説書くか」
「うん、先生に会う事すらできなかったよ~」
「ハッキリ言う。時間の無駄」
「だよね~」
犬飼は溜息をつくと、席を立った。
そんな犬飼を、水谷は、ぼんやりとした目で見上げる。
「あれ?お出掛け?」
「爺さん所に、ネガ代の残りを支払ってくる」
「頓挫したのに?」
「馬鹿、コッチの都合だろ。その辺り、けじめ付けねぇと次がねぇんだよ」
「おつかれ~」
「お前と話すのが疲れたっつーの」
犬飼は可笑しそうに笑うと、イスに掛けておいた背広に手を掛けた。
袖は通さず、右肩に引っ掛けて、颯爽と編集室から出て行く。
水谷は間の抜けた笑顔を浮かべ、犬飼を見送った。
「風邪ひいてるのに、がんばるな~」
水谷は、手元に置いたカップを持ち上げると、わずかに残ったコーヒーを飲み干す。
そして、大きなあくびをすると、眠そうに目をこするのだった。




