-蛇落の褥- 7-1
荒れ果てた破れ寺の境内には、曼殊沙華が血の海のように咲き乱れている。
やんわりと吹く淀んだ風が、幹久の頬を誘うように撫でた。
――こっち
這いずる音が、ずっずず・・と近づいて来た。
陶磁器のように白い肌と、色を抜いたような白い髪が、艶やかに闇に浮かぶ。
「・・・!?」
幹久と双子のように顔が同じ青年であった。
よく見ると、後ろ手に真っ黒な縄で締め上げられている。
首には仏僧が使う長い数珠が巻き付いており、動くたびに小石をすり合わせるような小さな音が鳴った。
金糸を織り込んだ半袈裟が、わずかな光にきらめき、青年の瞳に妖艶な光を映している。
その背徳的なあり様に、幹久は背筋が寒くなった。
――きたね
・・・来たよ
肩に掛けた刀袋を下ろし、幹久は日本刀を取り出した。
柄に手を掛け、鯉口を切る。
すらりと淀みなく抜き放たれた刀身の切っ先を、青年の縄にあてがい、スッと引き抜くように断ち切った。
―――キィイイイイイイ!!
すると、急に黒い縄が、耳をつんざくような金切り声を上げた。
慌てて逃げようとする『ソレ』を、青年は寝ころんだまま、目にも留まらぬ速さで掴つかみ取る。
黒い蛇であった。
青年は黒蛇を握り締めると、荒れ果てた地面に、有らん限りの力で、何度も何度も打ち付ける。
黒蛇がグッタリとうな垂れると、無邪気な子供のように声を上げて笑い出し、しまいには、黒蛇の頭と尻尾をつまみ上げ、得意げに幹久へと見せびらかした。
そんな寝っ転がった暴君に、幹久が苦笑いを向けると、青年は満足そうな様子で、幹久に微笑み掛ける。
そして、黒蛇を懐にしまい込み、甘えるような声を上げて幹久に両手を伸ばした。
――おこして
高圧的で好戦的な眼差しが、急に蜜のように甘くとろけた。
あらゆる暴挙を許させる、危うい何かをにじませている青年に、幹久は半ば呆れ顔で手を差し伸べる。
すると、幹久のドス黒い霞のような手を、青年は嬉しそうに掴んだ。
数珠をジャラリと鳴らしながら起き上がると、身なりを整え、懐を探って何かを取り出す。
――かえす
青年の掌には、子供の手が乗せられていた。
それを見た幹久は、思わず日本刀を取り落とす。
「僕の手・・・」
幹久が霞のような手を伸ばすと、子供の手は鈍い音を立てながら大きくなった。
まるで、何かの生き物のようにうごめくと、幹久の手首に繋がる。
確かめるように指を動かすと、幹久は目頭に熱いものを感じた。
――うれしい?
「うれしい」
――たのしい?
「たのしい」
――くるしい?
「くるしい」
――オソロイ
「おそろい」
青年が、幹久の手を強く握り締めると、幹久も、青年の手を強く握り締めた。
ひどく懐かしい感触に、幹久は泣きそうになる。
触れたくても出来なかった人たちの顔が、幹久の脳裏に次々と浮かんだ。
そんな幹久の心境を読み取ったらしく、青年は急に手を離すと、満面の笑みで懐を探る。
――コレ
青年は、細いしなやかな両手を取り出すと、幹久の掌に渡してきた。
幹久が驚愕して取り落としそうになると、青年は楽しそうにクスクスと笑う。
・・・いや、たしかに皆の手を取りたいとは思ったけど、これじゃ文字通りだ
幹久は、ブラックジョークをぶつけて来たのかと思ったが、青年はキラキラと瞳を輝かせ、褒めて欲しそうに笑い掛けて来た。
真心を込めた危うい善意に、さすがの幹久も目元を引きつらせる。
「ダメだよ」
感情を押し殺した無機質な一言に、青年はシュン・・・となった。
幹久が受け取った手を突き返すと、今にも泣きそうになりながら中天へと掲げる。
すると、両手は少し浮き上がり、霞のように消え失せた。
「よかった・・・」
幹久は安堵すると、青年の方に視線を戻した。
しょげていた顔が、嘘のように屈託なく笑っている。
その変わりようがおかしく、幹久もつられるように笑った。
――イコウ
「何処に?」
――テ ヲ キリ二
青年は日本刀を拾い上げると、幹久に差し出した。
幹久が控えめに微笑んで受け取ると、青年は嬉しそうに瞳を輝かせる。
そして、幹久の手を引いて、境内から常闇の森へと駆け出したのだった。




