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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
蛇落の褥
22/153

-蛇落の褥- 5-1

挿絵(By みてみん)




 あぁ、うれしい うれしいな


 あぁ、たのしい たのしいな


 あぁ、くるしい くるしいな




 くれるかな くれるよね


 やさしいね やさしいな




 手が欲しい


 手を下さい


 手を下し


 手を切りたい


 手を下さい



 てをください




 テ ヲ ク ダ サ イ



 -------------------------------------------------------------------------------


 スズメの鳴く声が、秋のひんやりとした空に響いていた。


 暁の光彩に染まった雲が、ゆっくりと流れている。


 控えめな色合いの景色を、恭一郎はぼんやりと見つめた。




「・・・寒い」




 夢とは打って変わって、夢彦の書斎は底冷えしていた。


 しかも、昨夜、いつの間にか寝てしまったらしく、布団も何も掛けていない。


 冷え切った体をさすりながら、恭一郎は身を起こした。




 カタリ




 すると、いつものように、耳元で軋むような音が、静かに鳴った。


 左肩に視線を移すと、子猫ほどの大きさの紅い空蝉が、恭一郎の顔をのぞき込むように身を乗り出す。




 ――起きたか




 起きたくなかった。




 心の中でつぶやくと、紅い空蝉はカタカタとおかしそうに笑い出した。


 小馬鹿にしたような笑い声に、恭一郎はげんなりする。




 ――夢彦の粘液質な性格は変わらんな




 まったくだ・・・。


 何も告げずに姿を消せば、俺の事など見限って、お前を解放するかと思っていたのに。




 恭一郎は、夢彦の方に視線を向けた。


 夜中に書き物をしていたらしく、文机(ふづくえ)に頭を乗せてうずくまっている。


 そのなだらかな肩には、小さな赤い空蝉が、何匹か()っていた。



「夢彦」



 声を掛けても、夢彦は全く反応しなかった。


 相当疲れてるらしい。


 恭一郎は溜息をつくと、夢彦の元へとにじり寄った。



「おい、夢彦・・・せめて横に」



 抱き起こそうと肩に手を当てたところで、恭一郎は目を見開いた。


 夢彦の体は小刻みに震えており、かすかに呻き声を上げている。



「・・・夢・・・彦・・・・・・おい、夢彦!?」



「・・・・っ・・ぁっ・・・」



 ずるりと身を崩すと、夢彦は苦悶の声を上げて、文机に(ひたい)をすり付けた。


 尋常ではない様子に、恭一郎は瞳に焦燥の色を浮かべる。


 すると突然、玄関のベルらしき音が部屋に鳴り響いた。


 こんな早い時間に鳴るとは思わず、恭一郎の心臓が跳ね上がる。




 ――落ち着け




 分かってる




 恭一郎は、忌々し気に吐き捨てるように言うと、ゆっくりと息をついた。


 すると今度は、階下の戸を叩く音と共に、こもった声がかすかに聞こえて来る。


 恭一郎は、急いで階段を駆け下りると、勢いよく引き戸を開けた。



「きゃぁああ!?」



 派手な黄色のスカートに、品の良いブラウスを着たアヤメが立っていた。


 いきなり出て来た恭一郎に驚いたらしく、目を丸くしてカバンを抱きしめる。



「おい、病院はどこだ!?」



「・・・え!?」



「夢彦の様子がおかしい!」



「・・・え、えぇ!?・・・夢彦さんが!?」



 恭一郎とアヤメは二階に上がると、夢彦の側に駆け寄った。


 相変わらず、額を文机にすり付け、胸を苦しそうに抑えている。



「夢彦!しっかりしろ!!」



「大通りに出れば、大きな病院がありますっ」



「案内してくれ!」



 恭一郎は、夢彦の腕を自分の肩に掛けようと、胸倉を抑える手を掴み取った。






 ぬちゃり






 うれた柿を手に取ったような感触が伝わり、恭一郎は思わず身を引く。



「ど、どうしたのですか?」



 恭一郎が自分の手を見ると、鮮血が指先を()らしていた。


 それを見て、アヤメの顔から血の気が引いてく。


 恭一郎は息を殺しながら、夢彦の(ひじ)の辺りを掴み、ゆっくりと胸元から手を引き出した。



「―――っ!?」



「・・・あぁ・・・ゆ、夢彦さんっ・・・・」



 アヤメの顔は更に蒼白となり、戦地をくぐり抜けてきた恭一郎ですら、息を呑んだ。


 夢彦の手は生爪がはがれ、指先の皮がズタズタにえぐれていたのだった。

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