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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
媼主の速贄
116/153

-媼主の速贄- 6

 常闇(とこやみ)の森に囲まれた境内(けいだい)は、野草が生え放題に茂っていた。


 参道らしい石畳は砕けており、むしろ通らない方が、歩きやすそうな状態である。


 (こけ)むして深緑色になった山門(さんもん)をくぐり抜けると、目の前にはヒビ割れた石段が、暗い崖下へと何処までも続いていた。


 あまりに暗すぎて、深さが全く見当がつかない。


 ただ、どれほど深いかよりも、その奈落(ならく)の底を思わせる禍々(まがまが)しさに、身がすくむようであった。




 パサ・・・・




 すぐ側に、葉の付いた枝が、風もないのに落ちて来た。


 『(うつろ)』は痙攣(けいれん)するように驚くと、咄嗟(とっさ)錫杖(しゃくじょう)を構え、頭上を見上げる。




「・・・・っい・・・・」




 その拍子に腹部に激痛が走り、『虚』は、その場にうずくまった。


 激しい痛みに耐えきれず、錫杖にもたれながら座り込む。


 すると、突然背後から大きな手が伸び、口と体を抑え込まれた。




「―――!?」




 茂みの中に引き込まれると、そのまま横倒しにされ、押し潰されるように、上からのしかかられる。


 もがくように地面に爪を立てると、のしかかって来たモノが、耳元でボソリと(ささや)いた。




「静かにしろ・・・見つかるぞ」




 その言葉と同時に、獣の(うな)り声が、門の辺りから聞こえて来た。


 集団で歩き回っている足音は、何かの気配を探っているようである。


 のしかかって来たモノが息を殺しているのに気が付き、『虚』も、それにならった。



 オオオォン・・・



 しばらくすると、殺気だった気配は走り去り、遠吠えも常闇の森の奥へと聞こえなくなった。


 のしかかって来たモノが離れると、その正体を見定めようと、『虚』は急いで身を起こす。


 見ると、濃い灰色のロングコートに中折れ帽を被った男が、膝をついて側に迫っていた。


 特徴的な左目の涙ボクロが、帽子の影からチラリと見える。



「・・・犬飼?」



「お、ちゃんと名前覚えてんじゃん」



 蠱惑(こわく)的な笑みを浮かべると、犬飼は中折れ帽を脱いで手に持った。


 捕らえた獲物に得意げになっているような眼差しに、『虚』は嫌悪を覚える。



「嫌そうな顔すんなよ、小童(わっぱ)



「・・・ぬぅ」



「ま、もっと嫌な顔されるだろうから、いいけどさぁ」



 そう言うと、犬飼は『虚』の着物の(えり)に手を掛けた。


 慣れた手付きで一気に首元をくつろげられ、『虚』は思わぬ行動に絶句する。


 そんな『虚』を尻目に、犬飼は()頓狂(とんきょう)な声を上げた。



「あれ、袈裟(けさ)ってどうやったら(はず)せんの?」



「おい・・・変態・・・・・・」



「アッちゃんが言った通り、子供の着替えって重労働だなぁ・・・自分で脱いでくんね?」



「~~~~・・・こんな状況でハイと言えるかっ・・・この痴漢!!」



 『虚』が目くじら立てて怒鳴り散らすと、犬飼は『虚』に向かって指さした。


 みぞおち辺りを指し示しされ、『虚』は急に黙り込む。



「俺も知り合いが兵卒(へいそつ)に取られて、『鬼喰(おにぐ)らい』に『無害化』が頼めねぇんだよ」



「―――」



(かおる)は出兵して海外だし、夢さんもアッちゃんに謹慎(きんしん)処分くらって呪われてるだろ。『隠世(かくりよ)』で払うしかねぇじゃん」



 『虚』は、鋭い眼光を犬飼に向けた。


 しかし、全く意に介さない様子で見返され、おもむろに袈裟を外す。


 そして、これから切腹でもするような勢いで裳付衣(もつけごろも)を肩から外し、その腹部をあらわにした。




「・・・ッゲ」




 犬飼は口を抑えて、血の気を失った。


 有刺鉄線が何重にも巻きつき、その周辺の皮膚が引き裂かれて血がにじんでいる。


 元々、拷問(ごうもん)じみたことが苦手な犬飼は、今にも吐きそうな顔で視線をそらした。



「お前が脱げと言ったのであろうが」



「見てて痛てぇんだよ!!『(そばえ)』の『瘴気』なんか、犬の(つな)(ひも)に見えるわ!!」



「この程度、痛みに入らぬ」



 『虚』は口元を吊り上げると、ほくそ笑んだ。


 淀んだ風に揺れる前髪から、ゆらりと暗い眼光がきらめく。


 かつて、同じように笑っていた御堂(みどう)カエデを思い出し、犬飼は眉を寄せた。



「じゃ、俺が手加減なしに取っ払っても、文句言うなよ」



「フン・・・・そもそも、お前に取れるか眉唾(まゆつば)だな」



「お、言ったなぁ」



 ニンマリ笑う犬飼は、有刺鉄線に指を掛けた。


 これから襲うであろう激烈な痛みに、『虚』は息を呑む。



「そんなに(かま)えなくても大丈夫だぞ?」



「うるさい・・・早くしろ」



「へいへい・・・」



 すると、犬飼は目を見開いて、有刺鉄線を凝視した。


 獲物を探すような雰囲気が、先程の『鬼』の群れを思わせる。


 しばらくすると、まるでネズミを追い詰めた猫のように、犬飼は上機嫌な笑みを浮かべた。




 ―――師輔(もろすけ)




 言うか否や、有刺鉄線が(みずち)へと変わり、驚愕の様相で()って逃げた。


 そんな大慌てで逃げる蛟に、犬飼はヒラヒラと手を振る。


 そして、まるで子供をあやすかのように、『虚』に笑い掛けた。




「ほ~ら、痛くなかっただろ?」




 得意げに笑う犬飼に、『虚』は開いた口がふさがらなかった。


 その(ほう)けた顔に、犬飼はケタケタと笑い出す。




「本名を言い当てると『鬼』の連中、大抵逃げ出すんだ」



「お前・・・滅茶苦茶な奴だな」




 楽し気に笑っていた犬飼であったが、急に神妙な顔つきをすると、『虚』をジッと見つめた。


 何かを見透かしているような眼差しに、『虚』は長い前髪の奥で視線をそらす。




「お前、ココで何やってんの?」



「―――お前には関係ない」



「『戯』に秘密で来ただろ」



「・・・だったら何だというんだ」



「俺は『戯』―――夢さんの味方だ。お前がコソコソと何かやるのは、気に喰わねぇ」



「お前の気持ちなど知らぬ」



「・・・じゃあ、『戯』にチクってイイんだな?」



「・・・っ」



「こんな傷を負わせた『鬼』の本名なんか知ったら、大変じゃね?」



「お前・・・俺を脅迫する気か」



「脅迫じゃねぇよ。あくまで、そんな事させないでくれって『お願い』」



 楽し気に笑う犬飼を、『虚』は憮然(ぶぜん)とした顔で(にら)みつけた。


 しかし、先程の事もあり、隠しきるのは難しいと思ったのか、小さく溜息をつく。



「で、何をしてた?」



「・・・・女と・・・あっておった・・・」



 ポツリとつぶやいた『虚』に、犬飼は目を見開いた。


 その視線を避けるように、『虚』はうつむく。



「え・・・・マジで?」



「そこの御堂に、こもっておる・・・俺を押し倒して、(はだか)にしたとでも言って来い」



「・・・・・」



「・・・・・」



「・・・遠慮しとく」



「そうしてくれ」



 厚顔無恥(こおうがんむち)の犬飼も、さすがに気まずく、頭の後ろをかいた。


 『虚』は、そんな犬飼を睨みつけながら、はだけた着物を着直し始める。



「お前こそ『隠世』で何をしておる。『鬼』である『黒天(こくてん)』ならまだしも、魂魄(こんぱく)の来るところではない」



「いや、実はさぁ。すんげぇ、困ってるんだわ」



「・・・困ってるように見えんが・・・どうした?」



「お。もしかして、手伝ってくれるとか?」



「・・・『瘴気』を払ってもらったからな・・・内容にも寄るが」



 その言葉に、犬飼は拳を握って大仰(おおぎょう)にガッツポーズをした。


 しかし、急に表情を無くした犬飼に、『虚』は顔をしかめる。






水谷(みずたに)圭吾(けいご)が、消えた」






 水谷圭吾――



 過去に夢彦が、『虚』を『無害化』して作った小説――『空蝉(うつせみ)(うたげ)』を書くきっかけを作った男である。


 『虚』が、丸眼鏡を掛けた細目の顔を思い出していると、犬飼は、何か言い掛けると同時に生あくびをした。


 まぶたを開けていられないのか、トロンとした目をすると、手の甲で親の(かたき)のように目をこする。



「・・・あぁ、クソ・・・マジで眠い」



「・・・急に、どうした」



「名前暴くと・・・その後、すげぇ眠いんだよ・・・」



「お前・・・不用意に暴かない方が良いぞ」



「悪ぃけど・・・アンタの生みの親と、宝条(ほうじょう)家に出て来てくんね・・・?」



「・・・宝条家に?」



「そこで仕えてる東雲(しののめ)って女に・・・・頼まれたんだ」



「東雲!?」



「あ・・・知り合い?」



「『(えにし)』がたどれなくてな・・・空襲で死んだかと思っていた」



「じゃぁ・・・・生存確認できて良かったな・・・・」



「だが、東雲がどうして、お前に水谷の事を頼む」



「水谷圭吾は・・・・・・御堂カエデの弟子の一人なんだよ」



「―――!?」



「あ、それは知らなかった?」



 犬飼は含むように笑った。


 しかし、(あらが)いがたい眠気に襲われているらしく、犬飼は、うつらうつらとして黙り込む。


 そして遂には、その場に倒れ込んで、大きく寝息を立て始めた。




「ちょっ・・・・・・おいっ!こんな所で寝るな!!」




 『虚』は犬飼を揺り動かしたが、まったく目を覚ます気配がなかった。


 錫杖で叩き起こそうと構えたが、魂魄を傷付けてはいけないと思いとどまる。




 オオオオォォン・・・・




 遠吠えが、石段の下の方から、突然響いて来た。


 禍々しい咆哮に、『虚』はビクリと身をすくませる。




「・・・むぅ」




 『虚』は小さく唸ると、忌々(いまいま)し気に錫杖を振り上げた。


 錫杖の輪がぶつかり合う甲高い音が、周りの『瘴気』を押しのけるようにこだまする。


 その音が、淀んだ風に吹き消されると同時に、『虚』と犬飼の姿は、漆黒の闇ににじんで行ったのだった。

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