-媼主の速贄- 6
常闇の森に囲まれた境内は、野草が生え放題に茂っていた。
参道らしい石畳は砕けており、むしろ通らない方が、歩きやすそうな状態である。
苔むして深緑色になった山門をくぐり抜けると、目の前にはヒビ割れた石段が、暗い崖下へと何処までも続いていた。
あまりに暗すぎて、深さが全く見当がつかない。
ただ、どれほど深いかよりも、その奈落の底を思わせる禍々しさに、身がすくむようであった。
パサ・・・・
すぐ側に、葉の付いた枝が、風もないのに落ちて来た。
『虚』は痙攣するように驚くと、咄嗟に錫杖を構え、頭上を見上げる。
「・・・・っい・・・・」
その拍子に腹部に激痛が走り、『虚』は、その場にうずくまった。
激しい痛みに耐えきれず、錫杖にもたれながら座り込む。
すると、突然背後から大きな手が伸び、口と体を抑え込まれた。
「―――!?」
茂みの中に引き込まれると、そのまま横倒しにされ、押し潰されるように、上からのしかかられる。
もがくように地面に爪を立てると、のしかかって来たモノが、耳元でボソリと囁いた。
「静かにしろ・・・見つかるぞ」
その言葉と同時に、獣の唸り声が、門の辺りから聞こえて来た。
集団で歩き回っている足音は、何かの気配を探っているようである。
のしかかって来たモノが息を殺しているのに気が付き、『虚』も、それにならった。
オオオォン・・・
しばらくすると、殺気だった気配は走り去り、遠吠えも常闇の森の奥へと聞こえなくなった。
のしかかって来たモノが離れると、その正体を見定めようと、『虚』は急いで身を起こす。
見ると、濃い灰色のロングコートに中折れ帽を被った男が、膝をついて側に迫っていた。
特徴的な左目の涙ボクロが、帽子の影からチラリと見える。
「・・・犬飼?」
「お、ちゃんと名前覚えてんじゃん」
蠱惑的な笑みを浮かべると、犬飼は中折れ帽を脱いで手に持った。
捕らえた獲物に得意げになっているような眼差しに、『虚』は嫌悪を覚える。
「嫌そうな顔すんなよ、小童」
「・・・ぬぅ」
「ま、もっと嫌な顔されるだろうから、いいけどさぁ」
そう言うと、犬飼は『虚』の着物の襟に手を掛けた。
慣れた手付きで一気に首元をくつろげられ、『虚』は思わぬ行動に絶句する。
そんな『虚』を尻目に、犬飼は素っ頓狂な声を上げた。
「あれ、袈裟ってどうやったら外せんの?」
「おい・・・変態・・・・・・」
「アッちゃんが言った通り、子供の着替えって重労働だなぁ・・・自分で脱いでくんね?」
「~~~~・・・こんな状況でハイと言えるかっ・・・この痴漢!!」
『虚』が目くじら立てて怒鳴り散らすと、犬飼は『虚』に向かって指さした。
みぞおち辺りを指し示しされ、『虚』は急に黙り込む。
「俺も知り合いが兵卒に取られて、『鬼喰らい』に『無害化』が頼めねぇんだよ」
「―――」
「薫は出兵して海外だし、夢さんもアッちゃんに謹慎処分くらって呪われてるだろ。『隠世』で払うしかねぇじゃん」
『虚』は、鋭い眼光を犬飼に向けた。
しかし、全く意に介さない様子で見返され、おもむろに袈裟を外す。
そして、これから切腹でもするような勢いで裳付衣を肩から外し、その腹部をあらわにした。
「・・・ッゲ」
犬飼は口を抑えて、血の気を失った。
有刺鉄線が何重にも巻きつき、その周辺の皮膚が引き裂かれて血がにじんでいる。
元々、拷問じみたことが苦手な犬飼は、今にも吐きそうな顔で視線をそらした。
「お前が脱げと言ったのであろうが」
「見てて痛てぇんだよ!!『戯』の『瘴気』なんか、犬の繋ぎ紐に見えるわ!!」
「この程度、痛みに入らぬ」
『虚』は口元を吊り上げると、ほくそ笑んだ。
淀んだ風に揺れる前髪から、ゆらりと暗い眼光がきらめく。
かつて、同じように笑っていた御堂カエデを思い出し、犬飼は眉を寄せた。
「じゃ、俺が手加減なしに取っ払っても、文句言うなよ」
「フン・・・・そもそも、お前に取れるか眉唾だな」
「お、言ったなぁ」
ニンマリ笑う犬飼は、有刺鉄線に指を掛けた。
これから襲うであろう激烈な痛みに、『虚』は息を呑む。
「そんなに構えなくても大丈夫だぞ?」
「うるさい・・・早くしろ」
「へいへい・・・」
すると、犬飼は目を見開いて、有刺鉄線を凝視した。
獲物を探すような雰囲気が、先程の『鬼』の群れを思わせる。
しばらくすると、まるでネズミを追い詰めた猫のように、犬飼は上機嫌な笑みを浮かべた。
―――師輔
言うか否や、有刺鉄線が蛟へと変わり、驚愕の様相で這って逃げた。
そんな大慌てで逃げる蛟に、犬飼はヒラヒラと手を振る。
そして、まるで子供をあやすかのように、『虚』に笑い掛けた。
「ほ~ら、痛くなかっただろ?」
得意げに笑う犬飼に、『虚』は開いた口がふさがらなかった。
その呆けた顔に、犬飼はケタケタと笑い出す。
「本名を言い当てると『鬼』の連中、大抵逃げ出すんだ」
「お前・・・滅茶苦茶な奴だな」
楽し気に笑っていた犬飼であったが、急に神妙な顔つきをすると、『虚』をジッと見つめた。
何かを見透かしているような眼差しに、『虚』は長い前髪の奥で視線をそらす。
「お前、ココで何やってんの?」
「―――お前には関係ない」
「『戯』に秘密で来ただろ」
「・・・だったら何だというんだ」
「俺は『戯』―――夢さんの味方だ。お前がコソコソと何かやるのは、気に喰わねぇ」
「お前の気持ちなど知らぬ」
「・・・じゃあ、『戯』にチクってイイんだな?」
「・・・っ」
「こんな傷を負わせた『鬼』の本名なんか知ったら、大変じゃね?」
「お前・・・俺を脅迫する気か」
「脅迫じゃねぇよ。あくまで、そんな事させないでくれって『お願い』」
楽し気に笑う犬飼を、『虚』は憮然とした顔で睨みつけた。
しかし、先程の事もあり、隠しきるのは難しいと思ったのか、小さく溜息をつく。
「で、何をしてた?」
「・・・・女と・・・あっておった・・・」
ポツリとつぶやいた『虚』に、犬飼は目を見開いた。
その視線を避けるように、『虚』はうつむく。
「え・・・・マジで?」
「そこの御堂に、こもっておる・・・俺を押し倒して、裸にしたとでも言って来い」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・遠慮しとく」
「そうしてくれ」
厚顔無恥の犬飼も、さすがに気まずく、頭の後ろをかいた。
『虚』は、そんな犬飼を睨みつけながら、はだけた着物を着直し始める。
「お前こそ『隠世』で何をしておる。『鬼』である『黒天』ならまだしも、魂魄の来るところではない」
「いや、実はさぁ。すんげぇ、困ってるんだわ」
「・・・困ってるように見えんが・・・どうした?」
「お。もしかして、手伝ってくれるとか?」
「・・・『瘴気』を払ってもらったからな・・・内容にも寄るが」
その言葉に、犬飼は拳を握って大仰にガッツポーズをした。
しかし、急に表情を無くした犬飼に、『虚』は顔をしかめる。
「水谷圭吾が、消えた」
水谷圭吾――
過去に夢彦が、『虚』を『無害化』して作った小説――『空蝉の宴』を書くきっかけを作った男である。
『虚』が、丸眼鏡を掛けた細目の顔を思い出していると、犬飼は、何か言い掛けると同時に生あくびをした。
まぶたを開けていられないのか、トロンとした目をすると、手の甲で親の仇のように目をこする。
「・・・あぁ、クソ・・・マジで眠い」
「・・・急に、どうした」
「名前暴くと・・・その後、すげぇ眠いんだよ・・・」
「お前・・・不用意に暴かない方が良いぞ」
「悪ぃけど・・・アンタの生みの親と、宝条家に出て来てくんね・・・?」
「・・・宝条家に?」
「そこで仕えてる東雲って女に・・・・頼まれたんだ」
「東雲!?」
「あ・・・知り合い?」
「『縁』がたどれなくてな・・・空襲で死んだかと思っていた」
「じゃぁ・・・・生存確認できて良かったな・・・・」
「だが、東雲がどうして、お前に水谷の事を頼む」
「水谷圭吾は・・・・・・御堂カエデの弟子の一人なんだよ」
「―――!?」
「あ、それは知らなかった?」
犬飼は含むように笑った。
しかし、抗いがたい眠気に襲われているらしく、犬飼は、うつらうつらとして黙り込む。
そして遂には、その場に倒れ込んで、大きく寝息を立て始めた。
「ちょっ・・・・・・おいっ!こんな所で寝るな!!」
『虚』は犬飼を揺り動かしたが、まったく目を覚ます気配がなかった。
錫杖で叩き起こそうと構えたが、魂魄を傷付けてはいけないと思いとどまる。
オオオオォォン・・・・
遠吠えが、石段の下の方から、突然響いて来た。
禍々しい咆哮に、『虚』はビクリと身をすくませる。
「・・・むぅ」
『虚』は小さく唸ると、忌々し気に錫杖を振り上げた。
錫杖の輪がぶつかり合う甲高い音が、周りの『瘴気』を押しのけるようにこだまする。
その音が、淀んだ風に吹き消されると同時に、『虚』と犬飼の姿は、漆黒の闇ににじんで行ったのだった。




