-螺鈿の葬列- 23
――― 昭和三年 秋
関東大震災―――カエデの死から四年が経っていた。
震災前に勤めていた出版社は、被災して廃業してしまい、水谷は今、別の出版社に籍を置いている。
前よりは多少堅い内容の書籍を扱っているが、仕事内容は変わらない。
そして今日は、転職先の出版社近くに住む為、引っ越しの荷作り作業をしていた。
廃業した出版社の近くに住んでいたのだが、転職先の出版社への通勤が不便であった為、近い場所に引っ越す事にしたのである。
神保町は古書店が多く離れがたかったが、通勤の面倒くささに負けたのだった。
「あ~・・・本当に面倒くさいな~」
膨大な本の山々を見上げ、水谷は溜息をついた。
自分で集めといてなんだが、これらを片付けるぐらいなら、引っ越しを取りやめようかと思ってしまうほどの量なのである。
水谷がうなだれていると、本の山の陰から、ウキウキとした声が呼び掛けて来た。
「水谷さん。この本、本当にいただいて宜しいんですか?」
宝条幹久が、瞳をキラキラと輝かせ、本の束を持ち上げた。
二十キロは超えている量を、幹久は軽々と持ち上げる。
好きな物の為なら、重さなど関係ないようであった。
「うん、いいよ~。見ての通り、スゴイ量だしね~」
そう言うと、幹久は瞳を更に輝かせ、水谷を見つめ返した。
『空蝉の宴』の載った雑誌をあげた時、同じように喜んでいた事を、水谷は思い出す。
「東雲さんの行方を捜していただいた上に、本まで戴いてしまって、本当に申し訳ありません」
「片付けを手伝ってもらってるから、気にしないで。本を売りに行くのも面倒だったから助かるよ~」
「売るなんて、もったいない!蔵で大切に保管して、虫干しもしておきますから、いつでも読みに来て下さい」
「本当~!?やった~!」
水谷が間延びした歓喜の声を上げると、幹久はニッコリと笑った。
東雲の陰に隠れ、怯えていた時の面影はない。
そんな幹久を見て、水谷は穏やかな心持ちとなった。
「水谷さん。この箱は、どちらに置きますか?」
薄汚れた桐の箱を見て、水谷の瞳に影が差した。
言葉に詰まった水谷に、幹久は戸惑う。
「す、すみません・・・触っちゃいけないモノでしたか?」
「・・・ううん」
「・・・・・・水谷さん?」
水谷は気持ちを落ち着けようと、桐箱から視線をそらした。
そんな水谷に、幹久は、ますます困惑した眼差しを向ける。
「・・・あの・・・では、玄関の荷物のところに」
「待って」
「え・・・あ、はい・・・」
「・・・ちょっと、中身見てくれる?」
水谷は、幹久から箱を受け取り、蓋を開けて、中から筒状になった紙を取り出した。
紐を解いて、そっと畳の上に広げると、幹久は小さく声を上げる。
「これ・・・水谷さんですよね?」
「うん、この万年筆を作った作家さんの落書き」
水谷が、胸から万年筆を取り出して渡すと、幹久はジッと見つめた。
虹色の星屑が、幹久の瞳に鮮やかな色彩を投げ掛ける。
幹久は感嘆の溜息をつくと、和紙に描かれた水谷の姿に視線を戻した。
「落書きというには、水墨画としてのクオリティが非常に高いですね・・・」
絵は、茫洋とした風景画のように描かれていて、超絶技巧の万年筆の描写に比べると、とても儚く、朧げに仕上がっている。
しかし、それでも水谷を描いていると分かるのであるから、水墨画家としても、散華の腕は相当なものであった。
幹久は水墨画から顔を上げると、ほのかな笑みを水谷に投げ掛けた。
「この絵の水谷さん・・・すごく幸せそうです」
和紙に描かれた水谷は、苦悶の表情ではなく、かすかに笑っていた。
それは、水谷が桜の落葉を見て笑っていたのを、散華が気が付いていたからである。
あの時、あまりに散華の前で無防備だったと、水谷は、この絵を見るたびに反省した。
「語彙力のない感想ですが、素晴らしいです・・・この作家さん、水谷さんのご友人ですか?」
「友人ではないな~・・・うーん・・・・・・怪しい関係?」
幹久は赤面して、水谷から慌てて離れた。
すると、近くの本の山にぶつかり、大小様々な本が崩れ落ちて来て、幹久を生き埋めにしていく。
そんな幹久の慌てぶりに、水谷は含むように笑った。
「では、無かったよ?」
「水谷さん!!不意打ちで、犬飼さんの言うような冗談は、やめて下さい!!」
「ゴメン。もう『そういう話』とか、平気になったかと思ってた」
幹久が、珍しくプンスカと怒り始めた。
姉のアヤメににソックリで、水谷は懐かしい気分になる。
「でも、真面目な話、彼との関係をどう言い表せばいいか、適当な言葉が見つからないんだよね~・・・・・・彼は、もう亡くなってるし」
「そう・・・だったんですか」
「ボクは、制作の助手というか、モデルとして彼の側にいたんだけど・・・それが、彼にとって、どういう意味合いだとか・・・・・・全然頭になくて」
「ええっと・・・でも、そういう風には見られてなかったんですよね?」
「多分、それはないと思う・・・・・・でもね、どういう気持ちであろうと、それは彼の心の問題だから、自由だとは思ってるんだ」
「・・・水谷さんって、考え方が柔軟ですね」
「いや、受け入れるかは別問題だよ?・・・・・・ただ、彼はボクを、よく見てくれていたのに・・・ボク自身は、彼を全然見れていなかったって・・・・・・この絵を見るたびに思うんだ」
水谷が伏し目がちに溜息をつくと、幹久は神妙な顔で水谷を見つめた。
そんな幹久の視線を感じ、水谷は自嘲の笑みを浮かべる。
「ただ能天気に、彼の作る世界に感動してるだけで、一緒に作品を作ってる気になってた。もっと、彼の事を分かっていたら、この万年筆も、もっと違うモノになっていたと思う・・・」
水谷は、幹久の手元にある万年筆に視線を移し、天界の星々を思わせる螺鈿の光を眺めた。
所々に傷が付いてしまっていて、やや見た目が悪くなっている。
最初の頃の輝きを失った姿に、水谷は苦笑いを浮かべた。
「しかも、扱いが悪いから、あちこち傷が付いちゃって・・・・・・台無しだしね」
「あの、水谷さん・・・万年筆って、育てる文具って言われてるんです」
「・・・育てる?」
「漆器は特に、使い込むと表面が手に馴染む素材ですから、傷付きやすいですが、使えば使うほど、その人の握る癖に合わせて、形が変わっていくんです」
「そう、なんだ・・・」
「だいぶ使い込んでますし、これは水谷さん以外の人が使うと、なんとなく違和感があるぐらいになってると思います。その方は、それを狙って制作されたのでは」
「・・・!」
「水谷さんが使う事で、一緒に作品を作る事になると考えて、万年筆を制作したのではないかと」
水谷は片手で口を抑え、目頭に熱いものが込み上げるのをこらえた。
その横で、幹久は散華の絵を、おもむろに持ち上げる。
そして、しばらく思案すると、水谷に穏やかな笑みを向けた。
「水谷さん。僕は、この絵から・・・この方の、水谷さんに対する『想い』を感じます」
「――――」
「でも、この方は、水谷さんにどう思って欲しいとか、こうして欲しいとか、無粋な考えは、きっとありません」
「・・・え?」
「僕は今、震災孤児の支援施設の仕事を手伝っていますが、そこにいる子供たちに、何かを期待しているワケではないんです―――ただ一つ、願っている事はありますが・・・」
「願っている事?」
「あの、大それた事じゃないですよっ」
幹久は、施設の事を思い出しているのか、ほのかに口元をほころばせた。
その笑みは、どこか散華の物静かな笑みに似ている。
「子供たちが、笑顔で生きて欲しい―――それだけです」
―――笑顔だ
―――笑顔を見せろ
「僕は、今まで色んな人に支えられて、ココまでやって来ました。水谷さんも、そんな支えてくれた人たちの一人です」
幹久は、芯のある真っ直ぐな瞳で、水谷に笑い掛けた。
そして、少しはにかむように、頬を指先でかき始める。
「偉そうな事を言ってるかもしれませんが、水谷さんが笑顔でいられるよう、今度は僕が頑張りますね」
そう言うと、幹久は丁寧に絵を仕舞い、水谷に差し出した。
その一つ一つの丁寧な動作が、散華への敬意であるように、水谷は感じる。
「幹久君」
水谷が呼びかけると、幹久は凛とした瞳を水谷に向けた。
そんな幹久に、水谷は、ふんわりとした笑みを返す。
「ボクは、彼と出会った事を・・・ずっと取り返しのつかない罪だと思ってた」
「―――」
「でも、今・・・・本当に心から、幸せに思ってる」
目尻をぬぐって微笑むと、幹久も泣きそうな笑みを返した。
その背後の窓から、隣家の庭の桜が、紅葉し始めた葉をのぞかせている。
灰褐色に変わろうとしている葉の揺らめきが、水谷には、あの頃のルリタテハに見えたのだった。




