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灰色帝都の紅い死鬼  作者: 平田やすひろ
螺鈿の葬列
109/153

-螺鈿の葬列- 23

 ――― 昭和三年 秋



 関東大震災―――カエデの死から四年が経っていた。



 震災前に勤めていた出版社は、被災して廃業してしまい、水谷は今、別の出版社に籍を置いている。


 前よりは多少堅い内容の書籍を扱っているが、仕事内容は変わらない。


 そして今日は、転職先の出版社近くに住む為、引っ越しの荷作り作業をしていた。


 廃業した出版社の近くに住んでいたのだが、転職先の出版社への通勤が不便であった為、近い場所に引っ越す事にしたのである。


 神保町(じんぼうちょう)は古書店が多く離れがたかったが、通勤の面倒くささに負けたのだった。




「あ~・・・本当に面倒くさいな~」




 膨大な本の山々を見上げ、水谷は溜息をついた。


 自分で集めといてなんだが、これらを片付けるぐらいなら、引っ越しを取りやめようかと思ってしまうほどの量なのである。


 水谷がうなだれていると、本の山の陰から、ウキウキとした声が呼び掛けて来た。



「水谷さん。この本、本当にいただいて宜しいんですか?」



 宝条幹久(ほうじょうみきひさ)が、瞳をキラキラと輝かせ、本の束を持ち上げた。


 二十キロは超えている量を、幹久は軽々と持ち上げる。


 好きな物の為なら、重さなど関係ないようであった。



「うん、いいよ~。見ての通り、スゴイ量だしね~」



 そう言うと、幹久は瞳を更に輝かせ、水谷を見つめ返した。


 『空蝉(うつせみ)(うたげ)』の載った雑誌をあげた時、同じように喜んでいた事を、水谷は思い出す。



「東雲さんの行方を捜していただいた上に、本まで戴いてしまって、本当に申し訳ありません」



「片付けを手伝ってもらってるから、気にしないで。本を売りに行くのも面倒だったから助かるよ~」



「売るなんて、もったいない!蔵で大切に保管して、虫干しもしておきますから、いつでも読みに来て下さい」



「本当~!?やった~!」



 水谷が間延びした歓喜の声を上げると、幹久はニッコリと笑った。


 東雲の陰に隠れ、(おび)えていた時の面影はない。


 そんな幹久を見て、水谷は穏やかな心持ちとなった。



「水谷さん。この箱は、どちらに置きますか?」



 薄汚れた桐の箱を見て、水谷の瞳に影が差した。


 言葉に詰まった水谷に、幹久は戸惑う。



「す、すみません・・・触っちゃいけないモノでしたか?」



「・・・ううん」



「・・・・・・水谷さん?」



 水谷は気持ちを落ち着けようと、桐箱から視線をそらした。


 そんな水谷に、幹久は、ますます困惑した眼差しを向ける。



「・・・あの・・・では、玄関の荷物のところに」



「待って」



「え・・・あ、はい・・・」



「・・・ちょっと、中身見てくれる?」



 水谷は、幹久から箱を受け取り、(ふた)を開けて、中から筒状になった紙を取り出した。


 (ひも)を解いて、そっと畳の上に広げると、幹久は小さく声を上げる。



「これ・・・水谷さんですよね?」



「うん、この万年筆を作った作家さんの落書き」



 水谷が、胸から万年筆を取り出して渡すと、幹久はジッと見つめた。


 虹色の星屑(ほしくず)が、幹久の瞳に鮮やかな色彩を投げ掛ける。


 幹久は感嘆の溜息をつくと、和紙に描かれた水谷の姿に視線を戻した。



「落書きというには、水墨画としてのクオリティが非常に高いですね・・・」



 絵は、茫洋(ぼうよう)とした風景画のように描かれていて、超絶技巧の万年筆の描写に比べると、とても(はかな)く、(おぼろ)げに仕上がっている。


 しかし、それでも水谷を描いていると分かるのであるから、水墨画家としても、散華の腕は相当なものであった。


 幹久は水墨画から顔を上げると、ほのかな笑みを水谷に投げ掛けた。



「この絵の水谷さん・・・すごく幸せそうです」



 和紙に描かれた水谷は、苦悶(くもん)の表情ではなく、かすかに笑っていた。


 それは、水谷が桜の落葉(らくよう)を見て笑っていたのを、散華が気が付いていたからである。


 あの時、あまりに散華の前で無防備だったと、水谷は、この絵を見るたびに反省した。



語彙(ごい)力のない感想ですが、素晴らしいです・・・この作家さん、水谷さんのご友人ですか?」



「友人ではないな~・・・うーん・・・・・・怪しい関係?」



 幹久は赤面して、水谷から慌てて離れた。


 すると、近くの本の山にぶつかり、大小様々な本が崩れ落ちて来て、幹久を生き埋めにしていく。


 そんな幹久の慌てぶりに、水谷は含むように笑った。



「では、無かったよ?」



「水谷さん!!不意打ちで、犬飼(いぬかい)さんの言うような冗談は、やめて下さい!!」



「ゴメン。もう『そういう話』とか、平気になったかと思ってた」



 幹久が、珍しくプンスカと怒り始めた。


 姉のアヤメににソックリで、水谷は(なつ)かしい気分になる。



「でも、真面目な話、彼との関係をどう言い表せばいいか、適当な言葉が見つからないんだよね~・・・・・・彼は、もう亡くなってるし」



「そう・・・だったんですか」



「ボクは、制作の助手というか、モデルとして彼の側にいたんだけど・・・それが、彼にとって、どういう意味合いだとか・・・・・・全然頭になくて」



「ええっと・・・でも、そういう風には見られてなかったんですよね?」



「多分、それはないと思う・・・・・・でもね、どういう気持ちであろうと、それは彼の心の問題だから、自由だとは思ってるんだ」



「・・・水谷さんって、考え方が柔軟ですね」



「いや、受け入れるかは別問題だよ?・・・・・・ただ、彼はボクを、よく見てくれていたのに・・・ボク自身は、彼を全然見れていなかったって・・・・・・この絵を見るたびに思うんだ」



水谷が伏し目がちに溜息をつくと、幹久は神妙な顔で水谷を見つめた。


そんな幹久の視線を感じ、水谷は自嘲の笑みを浮かべる。



「ただ能天気に、彼の作る世界に感動してるだけで、一緒に作品を作ってる気になってた。もっと、彼の事を分かっていたら、この万年筆も、もっと違うモノになっていたと思う・・・」



 水谷は、幹久の手元にある万年筆に視線を移し、天界の星々を思わせる螺鈿(らでん)の光を眺めた。


 所々に傷が付いてしまっていて、やや見た目が悪くなっている。


 最初の頃の輝きを失った姿に、水谷は苦笑いを浮かべた。



「しかも、扱いが悪いから、あちこち傷が付いちゃって・・・・・・台無しだしね」



「あの、水谷さん・・・万年筆って、育てる文具って言われてるんです」



「・・・育てる?」



「漆器は特に、使い込むと表面が手に馴染む素材ですから、傷付きやすいですが、使えば使うほど、その人の握る癖に合わせて、形が変わっていくんです」



「そう、なんだ・・・」



「だいぶ使い込んでますし、これは水谷さん以外の人が使うと、なんとなく違和感があるぐらいになってると思います。その方は、それを狙って制作されたのでは」



「・・・!」



「水谷さんが使う事で、一緒に作品を作る事になると考えて、万年筆を制作したのではないかと」



 水谷は片手で口を抑え、目頭に熱いものが込み上げるのをこらえた。


 その横で、幹久は散華の絵を、おもむろに持ち上げる。


 そして、しばらく思案すると、水谷に穏やかな笑みを向けた。



「水谷さん。僕は、この絵から・・・この方の、水谷さんに対する『想い』を感じます」



「――――」



「でも、この方は、水谷さんにどう思って欲しいとか、こうして欲しいとか、無粋(ぶすい)な考えは、きっとありません」



「・・・え?」



「僕は今、震災孤児の支援施設の仕事を手伝っていますが、そこにいる子供たちに、何かを期待しているワケではないんです―――ただ一つ、願っている事はありますが・・・」



「願っている事?」



「あの、大それた事じゃないですよっ」



 幹久は、施設の事を思い出しているのか、ほのかに口元をほころばせた。


 その笑みは、どこか散華の物静かな笑みに似ている。






「子供たちが、笑顔で生きて欲しい―――それだけです」






 ―――笑顔だ





 ―――笑顔を見せろ





「僕は、今まで色んな人に支えられて、ココまでやって来ました。水谷さんも、そんな支えてくれた人たちの一人です」



 幹久は、芯のある真っ直ぐな瞳で、水谷に笑い掛けた。


 そして、少しはにかむように、(ほほ)を指先でかき始める。



「偉そうな事を言ってるかもしれませんが、水谷さんが笑顔でいられるよう、今度は僕が頑張りますね」



 そう言うと、幹久は丁寧に絵を仕舞い、水谷に差し出した。


 その一つ一つの丁寧な動作が、散華への敬意であるように、水谷は感じる。



「幹久君」



 水谷が呼びかけると、幹久は凛とした瞳を水谷に向けた。


 そんな幹久に、水谷は、ふんわりとした笑みを返す。



「ボクは、彼と出会った事を・・・ずっと取り返しのつかない罪だと思ってた」



「―――」



「でも、今・・・・本当に心から、幸せに思ってる」



 目尻をぬぐって微笑むと、幹久も泣きそうな笑みを返した。


 その背後の窓から、隣家の庭の桜が、紅葉(こうよう)し始めた葉をのぞかせている。


 灰褐色(はいかっしょく)に変わろうとしている葉の揺らめきが、水谷には、あの頃のルリタテハに見えたのだった。

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